2022-03-21 (Mon)✎
『日本百景』 春 第509回 八ヶ岳・地蔵尾根 〔長野県〕
八ヶ岳・横岳の
リッジを突き上げる迫力ある眺め
八ヶ岳・地蔵尾根 やつがたけ・じぞうおね (八ヶ岳中信高原国定公園)
行者小屋から見上げる地蔵尾根は屏風のようにそそり立っていて、この垂直の壁をどうやって登ったらいいのか・・と思えるかもしれない。 だが、夏山であればある程度ジグザクが切られており、それほどの苦もなく登っていける。
だが、ハシゴが雪に埋没してジグザグを切っている登山道も雪の下となって、行者小屋で魅た垂直の壁を見た通り登っていくとしたならどうだろう。 積雪期の八ヶ岳は、そのような困難が立ち向かってくるのだ。
だが、恐れてばかりいては何も得る事はできない。 この困難を乗り越えた先にある絶景を目にしたなら、ヤマに登る喜びと感動を再認識できるだろう。
南八ヶ岳・地蔵尾根ルート 詳細図
※ よも“ヤマ”話 第40話地図の使い回し
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 茅野市街より車(0:50)→美濃戸口(1:20)→美濃戸山荘
《1日目》 茅野市街より車(0:50)→美濃戸口(1:20)→美濃戸山荘
《2日目》 美濃戸山荘(2:00)→行者小屋(2:20)→地蔵尾根分岐(0:05)→赤岳石室
※ 現在の赤岳石室は赤岳天望荘となっている
《3日目》 赤岳石室(0:50)→赤岳(0:50)→赤岳石室(0:05)→地蔵尾根分岐
(2:30)→行者小屋(1:45)→美濃戸(1:20)→美濃戸口より車(0:50)→茅野市街
(2:30)→行者小屋(1:45)→美濃戸(1:20)→美濃戸口より車(0:50)→茅野市街
今回は春山の積雪期に
八ヶ岳の盟主・赤岳へ
《1日目》 登山拠点となる美濃戸の山荘へ
岩峰が連なり、ダイナミックな眺めの南八ヶ岳の最高峰・赤岳にアタックしてみよう。
また、今回は夏道のほとんどが雪の下に埋まる積雪期に登るので、それなりの装備と心身の準備が必要だ。
だが、雪を載せた岩峰は、また違った魅力を抱いている。 この難所を越えて、雪一色の峰に立つ充実感は言葉では語れない。 それでは、魅力いっぱいの南八ヶ岳を歩いてみよう。
八ヶ岳山麓の《美濃戸口》には150台駐車可能な登山者駐車場が整備され、またJR茅野駅から路線バスもあるので、ここまでは何の心配もなくアプローチできる。 以前は美濃戸までも車で入れたのだが、マイカー登山者の増加で《美濃戸口》からの林道には車止めのゲートが設置されているようである。
この《美濃戸口》から山荘のある登山拠点の《美濃戸》までは、砂利道を3kmほど歩いていかねばならない。 所要は約1時間20分程だろう。
《美濃戸》には美濃戸山荘があり、この日は林道歩きがあるので、前日までにここまで入っておいて、山荘に宿泊して翌朝登山開始するのが望ましいだろう。
美濃戸でワテが泊まった
小松山荘(現在は閉鎖)には
ダルマストーブがあった
この日は廃エンジンオイルを燃料に使ったダルマストーブ(今もあるのかな?)で暖まって、英気を養い明日の登山に備えよう。
業者小屋より見上げる
八ヶ岳・横岳の大同心岩峰
《2日目》 地蔵尾根を登って稜線上へ
《美濃戸》より行者小屋までは、ほとんど傾斜のない沢沿いの道だ。 普段の春山では、行者小屋までの道はほとんど雪がないのだが、一度天候が荒れると道は雪が吹き溜まって雪道となるだろう。
ワテが通った時は、前日に天候が荒れて山荘で待機を余儀なくされた事もあってルートは雪道だったが、行者小屋までは平坦な道なので何らハプニングもなくたどり着く。
小屋の上には
八ヶ岳・横岳の大同心の岩峰が
そびえたっていた
八ヶ岳への登山は、この行者小屋から始まる。 冒頭でも記した通り、行者小屋から見上げる地蔵尾根が屏風のようにそそり立っていてたじろいてしまう。 夏道ならジグザグを切るなど整備されて「見掛け倒し」の言葉が当てはまるが、積雪期となるとそうもいかない。 それは、登っていくうちに語っていくとしよう。
夏はジグザグが切ってあって
見掛け倒しのこの大岩盤も
積雪期はほとんど直登となる
行者小屋から八ヶ岳の主稜線にある地蔵ノ頭までは、標高差で約350mの急登である。 とどのつまり、あの屏風のような眺めは『高さ350mの大岩盤』って訳である。 行者小屋の裏手から続く登山道だが、前半は針葉樹林帯の中をゆく。 夏道ならばザレた登山道を石段で仕切る整備が施されて歩きやすいが、積雪期は雪だまりを踏み抜くとズボッとハマるので、思うようにペースが乗らないだろう。
やがて鉄の階段となるが、これよりイッキに傾斜が増して所々鉄ハシゴになるが、ワテの訪れた時は例年にない大雪で、鉄ハシゴは完全に雪中に埋もれて雪の壁となっていた。 なので、壁となった雪を蹴り込んでハシゴの踏み段を探り当ててよじ登っていく。 このハシゴを昇るとダケカンバの林に入る。
今は鉄の階段となってより安全となったが
ワテの登った時はハシゴで
しかも大雪でハシゴが完全に埋まっていた
※ 山岳雑誌『PEAKS』より
夏道ならばジグザクを切っているのだが、積雪期はその全てが雪の下に埋まり、雪の傾斜の直登となる。 ここは、ともすれば先程の『埋もれたハシゴ』よりも厄介だ。 それは、夏道ではジグザグに切られた緩い道なので、雪で埋もれて直登となっても鎖やハシゴなどの登攀補助がないからだ。
ダケカンバの林を抜けた辺りで森林限界を超えて、地蔵尾根の核心部へと入ってゆく。 足場は岩稜のそれとなり、ハシゴ(現在はハシゴから鉄階段へと取り換えられて登りやすくなっている)や鎖場が連発する。
今は階段に手すり付きなのね
:
ワテの登った時はハシゴで
しかも雪で埋まって白い滑り台だったよ
※ 山岳雑誌『PEAKS』より
岩稜の縁の狭い足場を伝っていくのだが、積雪期で最も危険なのが地蔵ノ頭に向かうべく、岩稜の基部をつづらを切って登っていく所だろう。 特に最後の方向を90°変えて地蔵ノ頭に向かって一直線となる所だろうか。 ともすれば、この先の地蔵尾根での最大の難所とされている傾斜40度の鎖場よりも危険だろう。 なぜなら、こういった向きを変える所には雪庇ができやすく、コレを踏み抜くと間違いなく奈落の底に落ちるからだ。
そして、90°向きを変える所が何故に最も危険かというと、つづら折りの180°なら雪庇を踏み抜いても下段に落ちるだけだが、90°は雪庇を踏み抜くと350mの奈落の底だからである。 そして鎖も雪で凍って重く握れないなど、あまり使い物にならないからだ。
ワテの登った時は大雪で
もっと雪が乗っていたよ
※ 山岳雑誌『PEAKS』より
この積雪期に随一となる難所を乗り越えると、夏場での最大の難所となる傾斜40°の急勾配の傾斜である。 ここも赤岳側がスッパリ切れ落ちていて足を滑らせば間違いなく奈落の底で、先程と同様に鎖が雪で凍って握り辛いが、直線的に登るので雪庇ができにくい分で先程の『90°』よりもマシなのである。
背後には諏訪湖と茅野の街が望め
以外に高度感は無かったよ
:
でも滑り落ちたら
『額縁の人』に当選確定!
この鎖場群の難所を超えると傾斜が緩み、上から風が吹き抜けて雪を飛ばすのかザレた登山道が現れて、コレをジグザグに登ると地蔵尾根の名の由来となった地蔵が置かれる稜線上に出る。 なお、ワテの登った時の地蔵は、首が無い『首ナシ地蔵』だったけど。
文三郎尾根方向も開けて
南アルプスの山なみが望めた
この地蔵が置かれている稜線上に出ると、八ヶ岳の痩せた稜線ゆえに大きく展望が開ける。
ここから赤岳までの稜線上は八ヶ岳最大の好展望地で、中でも横岳はいくつものリッジやルンゼを主稜線に突き上げる名峰の名に相応しい眺めを魅せている。
もちろん富士山も鎮座していた
後は稜線上の小リッジを越えると、程なく赤岳石室(現在は赤岳天望荘)が見えてくる。
地蔵が置いてある地蔵の頭の分岐より、ほんの5~10分ほどである。 だが、風が吹き抜ける稜線上に出た事で、稜線上に立った途端に強風に煽られる事となるだろう。 夏ならば快適な岩稜歩きだが、積雪期は天気が良くても常時強風が吹き荒れているので注意したい。
ワテの泊まった時は
ランプが灯る古き良き時代の
山小屋だったよ
今はもう発電機で発電してるのだろうね
※ 山岳雑誌『PEAKS』より
今日は強風の稜線上での幕営はムリなので、おとなしくこの赤岳石荘に泊まるとしよう。
赤岳石室はランプの宿(現在はランプを使用しているかは不明)で雰囲気満点だ。
古き良き時代の山小屋・・
ランプ灯る暖かい山小屋だった赤岳石室
前日は天気が荒れた為か
宿泊者はワテを含め5人で
小屋スタッフを含めても8人だった
雪山の午後はより危険が増すので
今日の所はおとなしく
小屋に籠る事にしよう
そして、宿泊者の少ない日には風呂も立ててくれた。 更に強風が吹き荒れる午後に赤岳に行っても仕方ないので、赤岳は翌朝のお楽しみにして、今日の所は小屋の中に籠るとしよう。
暮れゆく横岳の岩峰
陽が斜陽となり
雪を被った岩峰を輝かせて
更に感動的な姿を魅せる
空が夕暮れのピンク色に染まり
岩峰に乗る雪もそれに染まって
艶めかしい色となる
そして陽が沈み
空がピンクから闇に落ちていく
赤岳石室の中で籠っていると、時間が経って最も待ち望んだ夕暮れ時がやってくる。 この情景に、もう言葉は不要だ。 写真床なウデであるが、ワテの得意技の写真で語る事としよう。 それでは、南八ヶ岳発の夕景がおりなす絶景をごろうじろ。
八ケ岳発
諏訪湖の落日風景
信濃国の御神体
諏訪湖に陽が落ちていく
完全に日が没したいっとき
周囲を見渡すと阿弥陀岳が
妖艶な空色に染まっていた
やがて諏訪の街に明かりが灯りだし
夜の街へと変わっていく
明日朝の日ノ出風景
日ノ出直前の空は
元の闇に戻るが如く一瞬暗くなる
それは何かの予兆を抱かせる情景だ
陽が昇るとイッキに
空をオレンジに包み込む
日が昇っていくと
ギラギラの光がヤマを影へと誘う
日ノ出はほんのいっときに
こんなドラマチックな情景を魅せて
普通の空色へと戻るのだ
『モリカケ』や『桜を見る会』などの
どうでもいい事に鬼の首を
撮ったかのように騒いでいた
チョンの傀儡であるパヨク野党と
チョンに乗っ取られたTYメディア
だがどういう訳が国民17000人を殺害した
与党・自民党の国家反逆的な大失政である
東京五輪開催には何ら批判をしない
その理由は何か? それはパヨク野党自身が
東京五輪を開催すれば
日本が感染爆発を引き起こし
多数の死者が出て自滅すると知っていたからである
要するに自らで反日行為をせずとも
政敵で対立している自民党の
在日チョン右翼議員が
己の利権の為に東京五輪を開催して
日本に感染爆発災禍を引き起こしてくれるからだ
それは同じくチョンで
下チョンやシナの傀儡である
パヨク政党の望み通り
多くの日本人を殺して
日本の国力を衰退させてくれるからだ
要するに東京五輪の開催は在日チョン右翼と
チョンやシナの傀儡であるパヨク野党の
思考が一致した日本の破壊工作なのである
だから『モリカケ』や『桜の会』で
あれだけ騒ぎ立てたというのに
感染爆発を引き起こした東京五輪の開催を
バヨクのスポークスマンであるTVメディア
と共に称賛しまくったのである
奴らが「東京五輪に感動した」というのは
東京五輪に参加した外国人に感染させられて
日本で感染爆発を引き起こし
大量の日本人が死に至った事に『感動した』のである
自民党右翼は己の利権や
チョンの背乗り天皇による親政復活の為
パヨク政党はチョン本国やシナ様の為と
行動思想は全く別で日頃は対立関係にあるが
その最終目的は同じく
逆恨みで日本を恨むチョンの
日本人の殺害と日本の破壊を目論む
国の乗っ取り隷属化工作なのである
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