2022-03-19 (Sat)✎
『路線の思い出』 第481回 旧国鉄神岡線・神岡駅 〔岐阜県〕
これぞ国鉄の終着駅って駅構造の
国鉄時代の神岡駅
《旧国鉄神岡線・路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’83)
猪谷~神岡 20.3km 256 / 522
移管年月日 転換処置
’84/10/ 1 神岡鉄道
移管時運行本数
猪谷~神岡 6往復〔土曜 7往復〕
《神岡鉄道・路線データ》
営業区間と営業キロ 廃止年月日 廃止転換処置
猪谷~奥飛騨温泉口 19.9km. ’06・12・1 濃飛乗合自動車バス
富山地方鉄道バス
移管先廃止時運行本数
猪谷~神岡(奥飛騨温泉口)6往復
神岡(奥飛騨温泉口)~神岡口(神岡鉱山前)3往復
国鉄時代の駅名標って
所在する行政地名が記載されていて
「遠くに来たなぁ」と感じたよ
神岡駅(かみおかえき)は、かつて岐阜県飛騨市神岡町(当時は吉城郡神岡町)東雲にあった国鉄・神岡線の駅である。 国鉄時代は神岡線の終着駅の駅名を『神岡駅』としていたが、1984年10月1日の神岡鉄道への経営移管の際に奥飛騨温泉口駅(おくひだおんせんぐちえき)に駅名改称された。 国鉄・神岡鉄道共に路線の終着駅であったが、2006年に神岡鉄道・神岡線の路線廃止によって廃駅となった。
現在は、観光用の軌道自転車の体験運転ができる。
今はレールバイクの乗り場で使用されてる
神岡駅(奥飛騨温泉口駅)ホーム
※ ウィキペディア画像を拝借
単式ホーム1面1線と留置線を有する駅であったが、留置線は夜間滞泊には利用されず、当駅に到着した最終列車は神岡鉱山前駅まで回送で戻っていた。 かつては島式ホーム1面2線を有したが、末期には一部が埋め立てられ、片側のみが使われた。 無人駅であるが、駅舎には自動券売機が一台設置されていた。
神岡鉄道では、神岡鉱山前駅と共に乗車券の購入できる駅となっていた。
神岡軌道(殿~浅井田)の予想図
:
いずれ『廃線鉄道』でも使い回す予定
国鉄神岡線の開業当初は更に奥地への延伸が想定されていた為、初代駅舎はホームの西側に線路と並行の形で設けられていた。 この路線延伸であるが、恐らく三井鉱山(財閥解体により三井金属鉱業に名称変更)が敷設した鉱山貨物専用線(後に旅客営業も開始)が、飛騨市と高山市の境にある浅井田ダム付近まで延びていて、その路盤跡を利用して旧上宝村(現在は高山市に編入)中心部やその先の平湯温泉郷までの延伸が想定されていたという。
なお、この三井鉱山の専用鉄道は神岡軌道と呼ばれ、神岡町〔実際は手前の殿で分岐〕から浅井田まで路線を延ばしていたが、殿~浅井田は1955年に休止となり、1958年に路線廃止となっている。
また、神岡軌道の本線(高山本線・笹津~神岡町)は徐々に区間を縮小して、国鉄神岡線開通(1966年11月)から5か月後の1967年3月末で全線廃止となっている。
神岡はあまり雪が積もるイメージが
ないのだけれどコレは凄いわ
※ ウィキペディア画像を拝借
神岡鉄道移管後の2002年に完成した二代目駅舎は、初代駅舎が線路と並行して建てられていたのに対して線路の奥に垂直に建てられている。 また、初代駅舎がコンクリート平屋建であるのに対して、二代目駅舎は木造一階建てとなった。
二代目駅舎内には待合所の他に神岡鉄道本社があって、同社が経営する旅行センターも営業していたが、旅行センターは神岡鉄道廃止前に閉鎖となっていた。 また、初代駅舎も元の位置(ホーム脇)に残されており、こちらでは喫茶店『あすなろ』が営業していた。 トイレは新駅舎にはなく旧駅舎側にあった。
高原川の西側の旧阿曽布村の中心地に所在し、川の対岸や駅の西側に住宅が多く建っている。
また、駅前に路線バスが乗り入れており、奥飛騨温泉郷に行く事ができる。 だが、神岡町の中心部から外れている上に、高山本線の高山駅から別ルートで直通するバスも存在する為に、当駅は奥飛騨への玄関口としては全く機能していなかった。
三井金属・神岡鉱業所で生成した
濃硫酸貨物を牽引していた
旧国鉄から譲り受けのDE10型機関車
(神岡鉄道での形式はKMDE101)が
静態保存されていたが痛みが激しく解体された
※ ウィキペディア画像を拝借
路線廃止後に隣の神岡大橋駅までの沿線に歩道が設けられており、ハイキング感覚で通行できる。
駅前広場には貨物列車牽引に使用されていたKMDE101(元国鉄DE10)が静態保存されていたが、2007年2月に解体された。
国鉄時代の路線の距離が20.3キロメートルに対して、神岡鉄道時代の路線の距離は19.9キロメートルというのは、国鉄時代は2代目駅舎から南へ400メートル、ディーゼル機関車が保存されていた位置を含めて線路が延びていた為である。 また、途中に踏切があった。 これは前述の神岡軌道でも記した通り、当路線が信富線として平湯まで延伸する計画があり、一部は神岡セラミックからの貨物輸送の専用線として使用していた為である。
神岡鉄道で狙って
上手く撮れた(但しワテ基準)のは
この『おくひだ1号』のみだったりする
4月から11月までの水曜日以外には、当駅から神岡鉱山前駅までの廃線跡を、観光用の軌道自転車『レールマウンテンバイク』での体験運転ができる。 2017年4月からは、飛騨市(神岡町は2004年に周辺町村合併を経て飛騨市となった)の進める『ロスト・ライン・パーク構想』の一環として、廃線時まで運行されていたKM-100形KM-101〔おくひだ1号〕が展示されている(冬季は自走で車庫のある神岡鉱山前に戻っている)。
国鉄時代のコンクリート
平屋建てだった旧神岡駅舎
:
恐らくウWeb上では国鉄時代の神岡駅舎の
現物写真はこれ以外に無かったりする
始めにゲロするが、奥飛騨温泉口と改称されて建て直された『二代目』駅舎には全く興味がなく、立ち寄った事もない。 ワテの中での『神岡駅』は、あくまでもコンクリート平屋建ての旧駅舎なのである。
また、駅の思い出も旧駅舎の方にだけある。
鉄道から離れていた時も
ヤマからの下山後の足として
この線にはよく乗ったよ
それは、経営移管された神岡鉄道にはヤマからの下山後によく乗ったのであるが、ワテが山旅放浪をしていた『奇跡の体力』のホルダーだった頃はまだ駅舎が建て直される前で、神岡鉄道への経営移管で駅名は『奥飛騨温泉口』と改称されたものの、駅舎は旧駅舎をそのまま使用していたのである。
旧駅舎の駅務室を改装した
軽食喫茶がテナントで入っていた
※『食べログ』より
また、旧駅舎の駅務室部分は店舗改装されて、軽食・喫茶店が入店していたのである。 当時『奇跡の体力』のホルダーだったワテは、富山の剱・立山の玄関口の室堂から北アルプスを縦走して新穂高温泉までの山行が可能だったのである。
剱岳から・・
奥大日岳から望む剱岳
そう・・、剱・立山から薬師岳と高天原・雲ノ平を通って新穂高温泉(ついでに水晶岳や赤牛岳へも寄り道)まで、全行程で60kmに及ぶ大縦走である。
奥にそびえる薬師岳から
日本一遠い温泉の高天原をめぐって
そして、下山口である新穂高温泉には登山者用のタダの温泉銭湯があり、最終日の朝6時過ぎにテント場の双六を発てば、朝10時頃には下山できたのである。 ちなみに、去年に同じコースを下山したら、9時間近くかかってしまったよ。 要するに、『奇跡の体力』のホルダーの時よりも、2倍以上退化しているのですね。 これで同じ人物と言い張るのは、もはや詐欺同然だと思うワテ。
雲ノ平を通り
時にはルートを変えて
黒部五郎岳経由で
双六で槍に架かる『天使のハシゴ』を
望んで新穂高に下る60kmに及ぶ
北アの縦走を毎年のようにしてますた
でも新穂高のタダの銭湯は取り壊されて
もうないよ・・ワテの『奇跡の体力』と同じく
・・で、タダの銭湯でひと風呂浴びて、めし屋で腹ごしらえしたなら11時半前後となる。
そして、『放浪山旅』で富山の立山から歩いてきたという事は、立山に置いてきた宿兼務(ヤマ以外ではほとんどが車寝)であるマイカーを回収しに富山に戻る必要があるって事である。
山に登る前に立山の駐車場に
下界での寝床(マイカー)を置いてきたので
改修する必要があった
※ 『立山駅周辺施設案内』より
そして、風呂入って腹ごしらえを終えた後の30分ほど待ちの正午ぴったりに、奥飛騨温泉口経由の富山行きの路線バスがあったのである。 この富山行きのバスは日にこの1本のみで、他はほとんどが高山駅前行きであった。 『放浪山旅』ではただでさえプーなのだから、高山まで出る遠回りは交通費の無駄であり、選択肢は富山行きのバスオンリーだった訳である。
「鉄道を追いかけていた記憶は
自身のオタで恥ずかしい黒歴史」と
ホザいているのに鉄道に未練タラタラ
のユニークスキル『ハジシラズ』なワテ
そして『かつて取った杵柄』で、奥飛騨温泉口より旧国鉄神岡線である神岡鉄道に乗り換えていたのである。 また、この富山行きのバスは神岡までは路線バス料金で比較的安く、神岡からは観光バス料金となってバカ高くなっていたのである。 つまり、奥飛騨温泉口で鉄道に乗り換えた方が500円近く安かったのである。
濃硫酸の貨物輸送が打ち切られたなら
北海道の1次廃止線なみの輸送密度しか
ない閑散路線が残ったのだ
だが、経営移管で神岡鉄道となったとはいえ、転換元の国鉄時代は輸送密度445人と北海道の廃止路線と肩を張るような閑散線区で、運行本数も転換当初は12~13往復あったようだが転換1年後には1日9往復に減便されていたようである。 それで、奥飛騨温泉口で降りたはいいものの、ここで2時間近くの列車待ち時間が発生したのである。 そこで重宝したのが、駅務室を改装してテナントとして入っていた軽食・喫茶店である。
今は自家製パンと淹れたてコーヒーを
前面に押し出した喫茶店となってるが
昔は1000冊以上の濃いマンガ単行本を
置いていたマンガ喫茶だったよ
※『食べログ』より
この軽食・喫茶店は半分マンガ喫茶のようで、1000冊以上のマンガが置かれていたのである。
しかも、本屋でも置いてないような同人誌系の『濃い』マンガ単行本や、当時新興放送局でマイナーアニメの放映を連発していた『TOKYO MX』のアニメの原作本なども置いてあって、ともすればこの時以来の乗り逃しの危険もあったよ。
現在は喫茶店が入店している
初代の真の神岡駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
そんな思い出の詰まった旧駅舎の真の駅姿を見たのは、40年近くも前の国鉄神岡線時代である。
その頃は側線もあって、ホームもたぶん島式の1面2線ホームだったと思う。 駅員もいて切符も売っていたのである。
当時は2線を有する島式ホームで
貨物側線もある終着駅らしい造りだった
そして、路線廃止となったローカル線に初めて乗ったのが、この神岡線であった。
いや、廃止された路線の初乗車は、四国全線完乗旅行の小松島線の方が先か・・。 いずれにせよ厨房の時だ。
鉄道旅の駆け出しの頃で切符を集めていなかった事もあって、金を惜しんだ厨房は入場券を買わず終いとなったのである。 いや・・、もしかしたら買ったのかもしれないが、手元にない事を見ると紛失したのかもしれない。
この神岡線の『撮り鉄』から
ワテの廃止ローカル線
追っかけが始まった
でも、初めてマトモにローカル線の『撮り鉄』(但し写真のデキはマトモではないけど)したのも、ローカル線の『撮り鉄』にハマったきっかけもこの神岡線だった。 1日僅か4~6往復の路線を撮る為に駅寝に手を染めたのもこの時位からだ。 そして『撮り鉄』を細々と再開したのも、神岡鉄道に移管されたとはいえ、この『神岡線』である。
思えば神岡線は
最初から廃止となる最後まで
縁のあった路線だったなぁ
それは、神岡鉄道に移管されてから20年の後・・、廃止が確定的となった頃に借別撮影にも訪れたのである。 でも、冒頭でも記した通り、新しく建て直された奥飛騨温泉口の駅舎は、どうもワテの抱く『神岡線』のイメージとは合わずにソッポを向いていたよ。 漆山や茂住など、神岡鉄道によって新設された神岡大橋を除く旧神岡線の駅全てに立ち寄ったけど、奥飛騨温泉口は半分意固地になって素通りしたよ。
建て直された二代目駅舎は
ワテの抱く神岡線のイメージとは合わず
立ち寄る事すら拒否っていたよ
※ ウィキペディア画像を拝借
ローカル線のほぼ全てが廃止淘汰されて、鉄道から心が離れてヤマがメインとなってからの神岡鉄道時代は、鉄道に対して過去の思い出だけを見ていたせいもあって、『風景鉄道』から外れる観光デザインの新築駅舎には立ち寄る気さえしなかったのである。
今日乗降客の多い駅の前で
『ノーマスク&反ワクチン』を
拡声器でガナる連中がいた
祖国ナンチャラ連合という
政治結社のようで右翼の連中だろう
ワクチンを打ちたがる奴は
コロナ対策の名の下に隷属化を容認する
パヨク思考らしい
ぢつわ昨日3回目のワクチンを打ったワテは
思いっきり不快だったね
それに多くの人がマスク着用で行き交う中を
マスク無しで近寄ってきて
署名活動やチラシを撒いていたよ
正直言ってワクチンを打つ打たないは
どっちでもいいし強制されるような義務もない
だから打ちたいと思えば打てばいいし
打ちたくないと思えばやめればいいのであって
集団でデモってワクチン接種拒否を煽る意味がない
主義主張を前面に押し出して
マスクを着けている多くの通行者に
不快感と嫌悪感を抱かせようが
平気でノーマスクで近寄ってくるコイツ等は
行動様式が在日チョンのパヨクと同じじゃね?
それにコイツ等は東京五輪の開催を煽って
日本の国を感染爆発に陥れた
ヒトモドキ共ではないか!
確かコイツ等はワクチン接種率が10%台だった
東京五輪の開幕時に強硬にワクチン接種は
無駄だと言い張っていたヒトモドキ共だ
ワクチン接種後に1400人が死亡した
とガナっているが開催すれば
感染爆発必至と警告されていた
東京五輪の開催で17000人の国民が
感染爆発で死んだのだぞ!
コレを見て右翼もバヨク同様に
この国を危機に晒し乗っ取る思惑を持つ
在日チョンの日本人成りすましだと確信したよ
日本人なら明らかに人の嫌がる事を
徒党を組んで強要したりしないのだから
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