2022-03-17 (Thu)✎
廃線鉄道 第77回 岩泉線 その2 〔岩手県〕
「最後まで残った廃止ローカル線」
として脚光を浴びた岩泉線
岩泉線(いわいずみせん)は、かつて岩手県宮古市の茂市と同県下閉伊郡岩泉町にある岩泉を結んでいたJR東日本の鉄道路線である。
第二次世界大戦中に、耐火煉瓦の原料となる耐火粘土の輸送を目的に建設された路線で、山田線の茂市から分岐していた。 国鉄時代末期に特定地方交通線の第2次廃止対象線区に選定されたが、並行する道路(主に国道340号線)が整備されていなかった為に、代替道路未整備を理由に名松線と共に廃止対象から除外されていた。
脱線事故で不通となってからは
復旧される事なく路線廃止となった
※ 岩手日報より
2010年7月31日に発生した土砂崩れによって脱線事故が発生し、以来全線で運休になっていたが、2012年3月30日に運営元のJR東日本によって「鉄道での復旧を断念してバスによって輸送を継続したい」という方針が示され、2013年11月8日に廃止届が提出される。 廃止届提出から約5ヶ月後の2014年4月1日に路線廃止となった。
岩泉線の路線図
《路線データ》
路線区間(営業キロ):茂市~岩泉 38.4 km、軌間:1,067 mm
複線区間:ナシ(全線単線)、電化区間:ナシ(全線非電化)、閉塞方式:スタフ閉塞式、
交換可能駅:なし(全線で1閉塞)
※ 1986年3月の無人化及び交換設備撤去まで、岩手和井内と浅内に交換設備があった。
駅数:9(起終点駅含む)
〔茂市〕・岩手刈谷・中里・岩手和井内・押角・岩手大川・浅内・二升石・岩泉
※ 1947年11月25日~1957年5月16日に、押角~岩手大川の間に宇津野駅があった。
これは押角トンネル前までの延伸開通時に終着駅として設置されたもので、設置当時
は貨物扱いのみであったが、程なく旅客も扱われる。 その後、1957年5月16日の浅内
延伸時に駅廃止となった。
最高速度:85 km/h、運転指令所:盛岡支社・盛岡総合指令室(運転取扱は茂市駅)
押角付近をゆく岩泉線列車
乗車記
岩泉線列車は全線通しの運行が3往復しかない。 現在は2往復や1往復の線区が出てきているので運行最少線区ではないが、利用に足る本数でない事は確かな事である。 ましてや『撮り鉄』となると尚更である。 この路線を車を使わずに撮ったワテを、「なかなか根性あるジャン」と自分自身で褒めてあげたい気分である。
1日3.5往復・輸送密度二ケタの46人
とジリ貧の運行状況で
『我が国最後のローカル線』と呼ばれた岩泉線
さて、下らぬヨタ話は置いといて、『我が国最後のローカル線』と呼ばれる岩泉線に乗ってみよう。
列車は、茂市駅の母屋寄りにある1番線から発着する。 ローカル線の岩泉線が母屋寄りの1番線を使用しているのは、ただ単に岩泉線の分岐する方向に旧新里村(現在は宮古市に編入)の中心集落があったからだと推察できる。
本線格の山田線も
県都の盛岡まで行く列車が
快速を含めて1日4本と
利用に耐えない線区だった
また、本線格の山田線も、県都・盛岡方面へは快速を含めても1日4本と、ローカル線の岩泉線同様のジリ貧運行本数である。 これはこの運行本数で賄えるほどに流動が極小なのではなく、ほぼ全ての流動が国道を走るバス路線に奪われているという事なのである。 減便を繰り返した結果、利用に足らない列車本数となってしまったのである。
春浅い山里をゆく岩泉線列車
さて、茂市を出た列車は、「これぞ山里」というべき清流の川と一本の道路に寄り沿いながら、車窓に点在する裕福そうな農家と思しき民家を見て進む。 やがて、木材の積み出しで賑わったという岩手刈屋に着く。 この駅は木造の立派な駅舎を持ち、駅前には木材の積み下ろしに使ったであろう大きなロータリーがある。 また、1990年代まで委託の有人駅であったようで、近郊区間の乗車券販売も行われていた。
でも、1日3本の列車で『近郊区間』とは、かなりの矛盾があるね。
岩手刈屋を出ると、またもや同じような風景が車窓に流れる。 やがて、ホームの上に待合室が乗っかる棒線駅の中里に着く。 周囲は刈屋川を挟んで、対岸に段々畑の耕地がひしめいている。
駅名標と駅の灯が
冬の寒さを演出する
次は、ワテが『銀河鉄道の夜』をイメージした岩手和井内だ。 線内の途中駅では最も大きな駅だったようで、以前は岩手刈屋の駅舎を上回る大きな木造駅舎が建っていた。 だが、駅舎の老朽化で、デザイン化された小さな駅舎に建て替えられていた。
この日の“我が居城”です
建替えられて小ぶりになりました
これで、少し『銀河鉄道の夜』のイメージは薄れたかな? それでは、この駅での作戦コード『銀河鉄道の夜』をごろうじろ。
ワテが描いた『銀河鉄道の夜』
この駅までは、茂市より1日1往復の区間運行がある。 車ナシで撮影するとするなら、便数が1本増えるこの駅付近以外ではかなり苦しいだろう。
この列車の後は9時間列車がない
忘れていた事を思い出す
ように列車がやってくる
さて、この駅からは山に分け入っていく。 平行道路である国道340号線も、この路線の廃止を回避した理由である『すれ違い不能の狭隘道路』となっていく。 なお、この国道340号線は、岩泉線廃止後に押角トンネルを転用して道路幅を拡幅している。
国道340号線の押角峠越が難路で
事故発生の危険が高かった事が
岩泉線の唯一の存在理由だった
真っ直ぐに山に分け入り、やがてサミット近くになると秘境駅・押角に着く。 今は板張りホームで待合室さえもハショられた棒線駅であるが、かつてはスイッチバック形態の線路配置で、駅舎を有した駅であったという。 その名残りの分岐跡と残された側線レールが、往時の証となるのみである。
かつてスイッチバック駅だった痕跡が
雪に埋もれていた
そして『秘境駅』と云われる所以は、平行する狭隘道路と化した峠越え(押角峠)の国道340号線から駅への通路が挙げられるだろう。
冬にこの駅に行くのは
川に転落の危険が伴っていた
国道から川を渡る橋が架けられているのたが、この橋は板を敷き詰められた簡易橋で、以前は欄干や柵は皆無であったようである。 今は片側だけに、転落防止用の手すりが設置されているとの事である。
まだ春浅い不毛の峠を越えて
押角を出ると、国道はサミットである押角峠を越えてジグザグに急下降していくが、列車は押角トンネルで一気に山中をブチ抜いていく。 延長約3kmの押角トンネルを抜けると、山間の小集落である岩手大川に着く。 桜の木が多くあり、春は桜の山里の素晴らしい情景を魅せてくれそうだ。 駅は、元は駅舎が建っていたと思われる敷地跡が痛々しい。 また、駅舎の敷地跡を含めてであろうか・・、駅ホーム前は無意味に広い。
次の浅内は、昭和47年のこの路線が小本線と呼ばれていた当時の終着駅で、終着駅を彷彿させる立派な木造駅舎と給水塔、そして大きな駅前広場を有している。 だが、駅周辺は山間にある山里の人口希薄地帯で、利用客はかなり少ないとの事。
廃線跡となって
その構造の美しさに気づく
次の二升石は、ようやく岩泉町の集落の中に入ってきたかな?って感じの所で、集落のシンボルである公民館が駅の傍らにある。 そして次は、終点の岩泉だ。 朝夕のみの3本の列車が発着するだけの鄙の路線には、もったいない位の立派な駅舎である。 これは、どこぞの中核都市の代表駅といっても通用する位の立派な駅舎である。
1日朝夕3往復のみの
『我が国最後のローカル線』の終着駅・岩泉
※『レスボンス』より
だが、駅ロータリーに発着するバスを始め、新幹線の乗車券まで発売しているというのに、前述のように1日3本では宝の持ち腐れで、列車に合わせての朝夕のみの営業では売り上げ貢献にはつながらないのである。 なお、2階建ての2階部分は、岩泉町の観光案内所と商工会が入っているとの事である。
全国有数の観光地・龍泉洞が
あるなど資源には恵まれているのだが
※ ウィキペディア画像を拝借
また、町の観光の中心である龍泉洞へは駅から2.5km程離れており、観光客も盛岡駅より直接龍泉洞前までゆくバスに乗ってくるので、岩泉駅が観光に供する事はほぼ皆無である。 ちなみにワテは、岩泉駅より歩いて龍泉洞に向かったので、岩泉駅利用の希少な観光客だったりして・・。
看板だけJRとなったが
開業当時からの雰囲気を保っていた茂市駅
※ ウィキペディア画像を拝借
茂市駅(もいちえき)は、岩手県宮古市茂市にあるJR東日本・山田線の駅である。 2014年3月31日までは当駅から岩泉線が分岐していたが、2010年7月31日に土砂崩れの土砂に乗り上げて脱線する事故が発生して、岩泉線が不通のまま路線廃止となった為、事故発生日以降の岩泉線列車の発着はなかった。
2面3線だった
岩泉線在りし頃の茂市駅構内配線
※ ウィキペディア画像を拝借
島式ホーム1面2線を持つ列車交換可能な駅で、元々は駅舎に面した単式ホーム1面1線も有し、岩泉線列車(同線廃止後は宮古~当駅間の区間系統)の発着に使用されていたが、特殊自動閉塞化による合理化によって単式ホームの使用が停止され、当駅始発列車も3番線使用に変更されている。 跨線橋も閉鎖されて、1番線跡地と2・3番線の盛岡寄りに新たに設置された構内踏切によって駅舎とホームを連絡している。
母屋寄り1番線ホーム上にあった
岩泉線の0kmポスト
※ ウィキペディア画像を拝借
CTC化までは駅長配置の直営駅で窓口があり、運転事務室が2・3番線ホーム上にあった。
また、管理駅として山田線の腹帯と蟇目の2駅を管理していたが、現在は盛岡駅管理の無人駅となっている。 2017年の1日平均乗車人員は38人との事である。
岩泉線廃止後に使用停止となった
母屋寄り1番線ホームで
発車を待つ岩泉線列車
※ ウィキペディア画像を拝借
岩泉線の列車は、当務駅長からスタフを預かって1番線から発車していた。 宮古からの岩泉線直通列車は1番線を通って直通できるが、盛岡方面からの岩泉線の直通列車(秘境駅号などの臨時列車)は当駅に盛岡側から岩泉発着ホームへの渡り線がない為、到着番線に入線後にいったん列車のドアを閉めて、宮古寄りのポイントまで移動して転線する必要があった。 その為に、当駅でのこれらの臨時列車の停車時間は約20分強と長かった。
貨物取扱時は周囲の製材所の
ヤート駅として広い構内と
立派な駅舎を有した岩手刈屋駅
※ ウィキペディア画像を拝借
岩手刈屋駅(いわてかりやえき)は、かつて岩手県宮古市刈屋にあったJR東日本・岩泉線の駅である。 岩泉線の廃止に伴い、2014年3月31日限りで駅廃止となった。 単式ホーム1面1線ホームの無人駅で茂市駅が管理していた。
ヤードを有した広い駅構内は
側線が全て撤去されて空き地となり
ホーム1面使用の棒線駅となっていた
※ ウィキペディア画像を拝借
かつて有人であった為に駅舎があって、木材の積み出し駅として賑わった時期があった。
無人化後は1990年代初めまで簡易委託化されていて、駅舎内で近距離の乗車券を発売していた。
現在は鉄道施設の全てが撤去され
端にポツンと公衆トイレが
置かれた更地となっていた
駅周辺は製材所が多く、現在も駅そばの製材所は盛業中である。 駅廃止後に駅舎は取り壊されて更地となり、製材置き場を兼ねていた広い駅跡敷地の隅に公衆トイレが建つのみである。 なお、駅前道路は狭く大型車が入れない為、岩泉線代行バスに指定された便(1日4本)以外の路線バスは駅前のバス停には立ち寄らず、国道に設置されたバス停で客扱いをしている。
岩泉線往時の中里駅
ホーム上に簡易待合室があるだけの
典型的な停留所規格の駅だった
※ ウィキペディア画像を拝借
中里駅(なかさとえき)は、かつて岩手県宮古市刈屋にあったJR東日本・岩泉線の駅である。
岩泉線の廃止に伴い、2014年3月31日限りで駅廃止となった。 無人駅で茂市駅が管理していた。
単式ホーム1面1線の駅で、ホーム上に簡素な待合室があるだけの小さな駅だが、そのホームの造りはアスファルト舗装されるなど押角駅よりも良い構造だった。
かつては交換設備を有し
立派な駅舎だった
線内中心駅・岩手和井内
※ ウィキペディア画像を拝借
岩手和井内駅(いわてわいないえき)は、かつて岩手県宮古市和井内にあったJR東日本・岩泉線の駅である。 岩泉線の廃止に伴い、2014年3月31日限りで駅廃止となった。 単式ホーム1面1線を持つ駅で、茂市駅管理の無人駅であった。
岩泉線の1閉塞路線化により
駅の無人化と待合室のみの
シンプルな駅舎に建て替えられている
※ ウィキペディア画像を拝借
かつては2面2線の相対式ホームを持つ交換可能駅で駅員も配置されていたが、1986年3月に岩泉線の1閉塞路線化によって、駅の無人化及び交換設備の撤去が行われている。 また、貨物の営業時は貨物取扱駅であった為に、貨物用の切欠きホームの跡も残っていた。
かつてあった立派な木造駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
駅舎は開業以来の木造駅舎があったが2004年12月に撤去され、その代替えに小さな待合室が建てられている。 建て替えられた待合室は、岩泉線廃線後も代替バスの待合所として利用されている。
現在の岩手和井内駅舎は
バスの待合室兼レールバイクの
運営事務所が入っている
中里~岩手和井内の1区間は
岩泉線の線路を利用した
観光レールバイクが開業している
※『岩泉線レールバイク』より
2016年6月より季節限定(無雪期)の土・日・祝日を中心に、隣の中里駅跡との間でレールバイクの営業を開始している。 また、待合室の物置部屋は改装されて、レールバイクの運営事務所となっている。
待合所はおろか駅ホームへの通路さえなく
線路に沿って歩かねばならぬ
危険極まる秘境駅だった押角駅
※ ウィキペディア画像を拝借
押角駅(おしかどえき)は、かつて岩手県宮古市和井内にあったJR東日本・岩泉線の駅である。
岩泉線の廃線により、2014年3月31日限りで廃止となった。 だが、2010年7月の法面土砂崩落が原因の脱線事故によって岩泉線が以降不通となって、その後は復旧運行しなかった事から、この事故の発生した2010年7月31日より当駅は休止処置となり、実質はこの時から駅廃止と同様の状態であった。
脱線事故で不通となった時点で
駅廃止と同様の状態だった
※ ウィキペディア画像を拝借
傾いた木製の単式ホーム1面1線を有する駅で、茂市駅管理の無人駅であった。 駅にはベンチや待合室は存在せず、駅舎・屋根もなかった。 開業時はスイッチバック駅で、かつては横取線のある方に駅舎とホームがあった。 通過不能型の配線で、単式1面および島式1面の3線と引き上げ線1線を有した。
駅本屋があった場所は、現在は川を利用した養魚場となっている。
駅が使用不能となってからも
この駅を示す看板はあった
※ ウィキペディア画像を拝借
駅の所在地は峠近くの山深い場所で、かつては駅附近に押角の集落があったが全て離村して、現在は養鱒場と自然で育てた鶏の卵を販売する養鶏場の2軒があるのみである。 国道340号に隣接しており、廃止後も駅がある事を示す小さな標識が残っている。
雑草に埋もれた駅前広場の奥に仮設にしか見えない橋と階段があるが、その橋を渡り階段を上って左折し線路脇を50mほど歩くとようやく駅のホームにたどり着くありさまだった。
地元が岩泉線の廃止に異を唱えたのは
代替道路の国道340号線がこのような
通行困難な道だったからである
前述の通り、橋を渡った先には国道340号があるが、この駅の周辺は押角峠と呼ばれる難所であり、道幅が狭く交通量も少ない。 この為、国道と接続している駅とは思えないほどであり、これらのような事情から当駅は一部の鉄道ファンからは『全国屈指の秘境駅』として扱われていた。
駅ホームへは片側手すりの
仮設の橋を伝う必要があった
:
この駅に安全の概念は存在しなかった
※ ウィキペディア画像を拝借
橋で駅と国道が結ばれている形だが、この橋は片側(駅側から見て左側)にしか柵がなく、渡る時は注意を要した。 なお、岩泉線の廃線以降は、この橋はロープで封鎖されて国道側からホームのあった場所への進入が禁じられていたが、2016年9月に襲来した台風10号による豪雨でこの橋が流された為、ホームがあった場所までたどり着く事は不可能となってしまった。
台風による川の氾濫で橋は押し流されて
駅跡に行ける術は失われてしまった
:
でも渡渉靴を履けば
コレ位の沢なら渡れるよ
駅は岩泉線のサミット(一番標高が高いところ)に近かった。 駅跡から約1.3km北には、同線最長の押角トンネル(2987メートル)があり、ほぼ全線にわたり勾配やカーブが連続する路線中で、この区間に限って列車は時速70kmを超える速度を出していた。 また、周りは山で囲まれているが、NTTドコモのFOMAが使えた。 これはNTTドコモ東北が、管内のJR東日本の全駅でFOMAを使えるようにした為である。
峠のサミットにあった
旧国道340号線の雄鹿戸トンネル
※ ウィキペディア画像を拝借
地名の表記は当駅にも使われていた『押角』が一般的であるが、同じ読みで『雄鹿戸』の表記も使われる事があり、併走する国道340号側の雄鹿戸トンネルにはこの名前が残っている。
岩泉線廃止後に鉄道トンネルを
転用してバイパストンネルを通る
新道が開通して道路問題は解決した
岩泉線廃止前の鉄道代替バスは当駅入口付近の国道で乗降を行っていたが、東日本交通が運行する岩泉線廃止代替バスは当駅付近にバス停を設けていない。 またフリー乗降区間でもない為、岩泉線廃止後は付近への公共交通によるアクセス手段は消滅した。 路線廃止後に、鉄道駅に対応するバス停が設けられなかったのは当駅のみとの事である。
駅廃止後は不毛の荒地となっていた
※『旧岩泉線・宇津野駅』より
宇津野駅(うつのえき)は、かつて岩手県下閉伊郡岩泉町に存在した国鉄・小本線(後のJR東日本・岩泉線)の駅である。 単式ホーム1面1線の駅であった。 1947年11月25日に小本線が当地まで延伸された際に設置された駅で、押角トンネルの岩手大川方坑口付近にあった。
延伸建設時における仮の終着駅の性質を帯びていて、小本線の当駅~浅内の延伸によって、1957年5月16日に駅廃止となった。 1990年代後半まで木造駅舎が存在しており、保線待合室として利用されていた。
宇津野駅跡の目印となる
倒壊寸前の廃屋
※『旧岩泉線・宇津野駅』より
前述の如く小本線時代に存在した駅で、浅内へ延伸されるまでの当路線の終着駅として暫定的に設けられた駅であった。 岩泉線の営業当時は、岩泉行の列車で押角トンネルを抜けるとすぐに、左手に広い平らな駅跡地が見えた。 国道340号からは木製の橋で繋がっている。 なお、宇津野の集落は、国道と川を挟んだ反対側にある。 また、駅入口には廃屋がある。
土砂崩れに乗り上げる脱線事故が発生し
これ以降不通となった岩泉線の
車両撤去仮置き場に
宇津野駅跡が使われた
※ 岩泉町のウェブサイトより
2010年7月31日に発生した岩泉線の土砂崩れ事故では、当駅の跡地に被災車両を移動させるなど事故処理に供している。 この事故で岩泉線は不通となったが、車で国道340号の難所の押角峠を越えるのは、非常に時間がかかる上に危険も多い。
一方で、岩泉線の復旧の見込みが立たない為に、「当駅を復活させて茂市~宇津野の間だけでも運行を」との要望があったが、JR東日本は「この区間にも調査が必要な箇所がある為に実現は難しい」との返答をしている。 この為にこの要望が実現する事はなく、2014年4月1日に岩泉線は全線が廃線となった。
路線往時から荒廃する
予兆のあった岩手大川駅
※ ウィキペディア画像を拝借
岩手大川駅(いわておおかわえき)は、かつて岩手県下閉伊郡岩泉町大川字舞の子にあった、JR東日本・岩泉線の駅である。 2010年7月末の法面が崩落した土砂に列車が乗り上げる事故災害で不通となり、それ以降復旧されないままに岩泉線の路線廃止が決定となり、2014年3月31日の同線の廃線に伴って当駅も廃止となった。
岩手大川駅の駅跡は
荒れるに任せた荒地となっていた
その姿は30~40年の時が
経ったかのようだった
単式ホーム1面1線を有する駅で、駅舎の跡が残る。 かつては島式ホーム1面2線であったが、駅舎側の線路を撤去し現行の配線となった。 ホーム上に待合所が二棟設置されていた。 茂市駅管理の無人駅である。 なお、路線廃止後はホーム跡だけが残骸として残り、駅前広場は更地化されて代行バスの転回所となっている。
この地の地名の由来となった
河床滝・大川七滝
ミズバショウが咲き競う
神秘の湿原・櫃取湿原も
この岩手大川が最寄り駅!?だった
新宿~八王子に匹敵する38km離れているけど
周辺には大川字のこじんまりとした集落がある。 また、字名の由来となった大川七滝が駅の奥3キロの地点にあり、当駅と平行している道路(岩手県道171号・大川松草線)は、約45km先で山田線の松草付近の国道106号線と接続する県都・盛岡への最短道路となっている。
地元・浅内地区の熱意により
撤去されずに残されたという浅内駅舎
浅内駅(あさないえき)は、かつて岩手県下閉伊郡岩泉町浅内字小森に存在したJR東日本・岩泉線の駅である。 岩泉線の廃止に伴い、2014年3月31日限りで駅廃止となった。 無人駅で茂市駅が管理していた。 単式ホーム1面1線を有する駅で、かつては交換設備を備えていたが、1986年3月に岩泉線の1閉塞路線化によって、岩手和井内と同様に駅の無人化及び交換設備の撤去が行われている。
かつては貨物取扱駅だった浅内駅も
※ ウィキペディア画像を拝借
路線廃止後は
放置されて荒れ始めていた
かつては駅員が配置されて、貨物も取り扱う一般駅であった為に木造の駅舎があって、路線廃止後も駅舎とホームが残る。 だが、1982年に岩泉線での貨物取り扱いが廃止となり、旅客のみを扱う駅となっていた。
かつて貨物を牽引していた
蒸気機関車の為の給水塔も残っていた
※ ウィキペディア画像を拝借
また、当駅が岩泉線の第三次延伸時の終着駅であった事と、岩泉線の建設目的であった耐火粘土の貨物輸送が蒸気機関車の牽引で行われていた為、構内には給水塔が残っている。
路線往時の二升石駅
※ ウィキペディア画像を拝借
二升石駅(にしょういしえき)は、かつて岩手県下閉伊郡岩泉町二升石字下和見に存在したJR東日本・岩泉線の駅である。 岩泉線の廃止に伴い、2014年3月31日限りで駅廃止となった。 無人駅で茂市駅が管理していた。 1面1線の単式ホームを有する駅でホームは築堤上にあって、階段を下りると待合所があった。
民家が見える高台にあった
二升石駅跡
:
岩泉町は岩泉駅から
国道に沿って二升石までが
町の市街地となっている
現在はホーム上の待合室が撤去されてホームのみが残り、築堤下の道路際に設けられた待合室も撤去されている。
雛にはもったいないほどの
大きな駅舎だった岩泉駅
岩泉駅(いわいずみえき)は、かつて岩手県下閉伊郡岩泉町中野にあったJR東日本・岩泉線の駅で、同線の終着駅であった。 2010年7月31日に押角~岩手大川で土砂崩れに列車が乗り上げる脱線事故が発生し、以降は岩泉線全線が不通となってバス代行運転となっていた。
その後は復旧に莫大な費用がかかる事からJR東日本が同線の廃止方針を打ち出し、復旧の手は着けられず放置されたままでバス代行運転が続けられていたが、2013年11月にJR東日本と沿線自治体が路線廃止に合意し、2014年3月末をもって岩泉線は正式に廃線となる。 この事によって、当駅も駅廃止となった。
駅舎は残され引き続き
旧テナントに使用されているが
使用されない駅ホームは
原野に回帰し始めていた
単式ホーム1面1線であったが、一見すると島式交換形のホームだった。 だが、ホームの駅舎寄りには線路が敷かれておらず、駅舎より少し高い位置にあるホームと駅舎はスロープ階段でつながっていた。
これは、岩泉線が宮古線・小本駅(現三陸鉄道リアス線・岩泉小本駅)まで延伸する計画で建設された路線であって、小本への延伸がなった際には当駅を交換設備を備えた駅にする計画だったと推察できる。
駅舎内には切符売り場もあったが
日中のほとんどが係員不在だった
茂市駅管理の簡易委託駅で、駅舎の1階に『きっぷうりば』があって岩泉からの切符(常備券)を発売していた。 また、JRバス東北の早坂高原線で盛岡駅まで出て東北新幹線を利用する利用客の為に、盛岡から仙台・大宮・東京(都区内)までの片道乗車券と新幹線指定席特急券(料金補充券)を発売していた。
だが、列車が発着するのは朝晩だけだった為に、係員は日中時間帯はほとんど不在であった。
1日平均乗車人員は、2009年の列車運行時(土砂崩れによる脱線事故で運休となった前年)は22人、バス代行後の廃止前年で17人であった。
兼辣大臣寄贈の記念碑が建つなど
開業時は期待を持たれていた岩泉線
駅舎の2階に岩泉町観光協会と岩泉商工会が併設されていた為、列車本数が朝夕3往復のみと極めて少なかった岩泉線にあっては、二階建ての大きな駅舎だった。 また、JRバス東北の乗務員休憩所も入居しており、早坂高原線の夜間滞泊に使用されている。 バス車両は、岩泉消防署前のバス専用駐車区画に留置している。
ロータリーから見た駅舎は
路線往時と同じ風景だった
※ ウィキペディア画像を拝借
岩泉線廃止後も駅舎は解体されず、岩泉商工会・JRバス東北が引き続き利用している。 かつて入居していた岩泉町観光協会は龍泉洞付近に移転している。 国の天然記念物に指定されている龍泉洞の最寄り駅(徒歩30分、バスで10分ほど)となっている。
また、岩泉町の中心市街地は国道455号(小本街道)に沿うように展開していて、商店街やスーパーもある。 当駅はその国道455号より、岩手県道221号・岩泉停車場線で小本川に架かる橋を渡った先にあった。 「周囲を緑に囲まれた静かな山間の駅」として、『東北の駅百選』に選定されていた。
新しいパソコンで初めて
ハソコンがフリーズしたよ
フリーズしたのはこの記事
でも当然か・・
掲載枚数60枚は派手過ぎたなぁ
そういえばこのシリーズの
江差線でもフリーズしたのが切っ掛けで
2つの記事に分けたっていうか
2つの記事でないと
アップできなかったんだよね
でも長大すぎて作成に2日がかりに
なった為に掲載写真の約半分は
下書き保存して1日目の作業を終えたので
フリーズの影響が抑えられたのである
でもこのフリーズで
この新しいパソコンも
これよりフリーズが
度々起こる事になるだろうね
ちなみにこのブログも
Yahoo!時代に比べて
記事が大掛かりになって記事作成の
手間暇がかかるようになったね
Yahoo!時代は『魅惑の鉄道写真集』で
掲載している写真を
小サイズのまま使っていたが
今はほぼ全てスキャンし直してるしィ
それはFC2でアップロードした写真は
容易に使い回しできるなど
FC2の豊富な機能の成せる業だろうね
でも休み全部費やす程の手間が掛かるよ
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