2022-03-05 (Sat)✎
よも”ヤマ”話 第165話 縄文杉 〔鹿児島県〕 '97・5
タクシー代を出してくれそうな
神秘というよりグロテスクな
樹齢ウン千年の縄文杉
縄文杉 じょうもんすぎ (屋久島国立公園)
鹿児島県熊毛郡屋久島町(屋久島)に自生する最大級の屋久杉である。 樹高は約30m・樹の幹周は16.1mとされている。 また、樹齢は7000年以上と言われ、少なくとも2700年以上の確証を得ている。
『縄文杉』という杉の種は存在せず、この老杉の1個体につけられた名であるが、縄文時代からの樹である事から来たものではない。 屋久杉を代表する古木として全国的に知られ、世界遺産の『屋久島』の一つにも含まれている。
発見当初は『大岩杉』と呼ばれていた。 『縄文杉』という名前の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きている事から来たという説と、奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説がある。
ウィキペデイアの写真は
樹の下部が入ってるが
通常は櫓に覆われて
見上げる写真しか撮れない
※ ウィキペディア画像を拝借
1976年の九州大学工学部の研究発表により、周囲の樹木の年輪測定、幹周の大きさなどから、樹齢7,000年以上と推定され話題になった。 だが、その後の調査で、古木の周囲を3本程度の若い木が融合して包み込んでいる合体木である可能性が浮上し、外側の若い木の部分の年代測定では樹齢約2,700年と判定されている(芯部の古木は樹体保護のため未調査)。
だが、鹿児島大学農学部が縄文杉の樹木生体サンプルを分析・調査した結果、縄文杉は合体木ではなく一つの木である事が証明されている。 また、調査によって、倒木更新の痕跡も発見されている。
また、約7,300年前に鬼界カルデラ(大隅海峡にある海底火山のカルデラ)から広がった幸屋火砕流によって、屋久島を含む九州南部諸島の大型植物は全滅したと考えられており、縄文杉の樹齢はこの火砕流以降で最古でも4,000年以上は遡らないとするのが定説になっている。
一方で、後代に持ち込まれた記録の無いヤクシマザルなどの大型動物が現存している事から、屋久島全体が火砕流に飲み込まれたのではなく、一部の動植物は火砕流の被害に遭わず生き延びたのではないかとする意見もある。
屋久・宮之浦岳周回ルート詳細図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 鹿児島港・北埠頭より航路利用(3:45)→屋久・宮之浦港よりタクシー
(0:45)→白谷雲水峡(1:10)→白谷小屋
《2日目》 白谷小屋(1:10)→軌道出合(1:15)→大株歩道(0:30)→ウィルソン株
(1:30)→縄文杉(0:10)→高塚小屋(1:00)→新高塚小屋
※ 大雨に降られて新高塚小屋で1日停滞アリ
《3日目》 新高塚小屋(2:10)→平石ノ岩屋(0:30)→焼野三叉路
焼野三叉路から永田岳・往復所要約1時間30分
焼野三叉路(0:30)→宮之浦岳(1:30)→黒味岳分岐・黒味岳往復 所要約40分
黒味岳分岐(0:10)→花之江河(1:20)→淀川小屋
(0:50)→淀川登山口よりタクシー利用(1:00)→安房バス停よりバス
(0:45)→栗尾橋バス停(0:30)→青少年旅行村〔キャンプ場〕
《4日目》 青少年旅行村(1:00)→大川ノ滝(1:00)→青少年旅行村
(0:30)→栗尾橋バス停よりバス(0:15)→湯泊バス停・湯泊温泉
(1:10)→屋久・宮之浦港より航路利用(3:45)→鹿児島港・北埠頭
ウィルソン株の廓の中から
空を見上げる
《1日目》 鹿児島港・北埠頭より屋久島へ
さすがに真冬に春のGWに登ったこの山行を書くのは躊躇われたので、3月に入るまで2週くらい飛ばしたよ。 おかげて『〇鉄』向け記事が続いて、『鉄』の一本釣りができたのか、2月に入ってからの半月で4500のアクセスを稼いで、バレンタインデーに30万アクセスを突破しました。 あまりに早かったので、『30万アクセス・anniversary・記事』(3つの記念記事にリンク ← こういうコスい事を考えるのは神ワザ級)がオーバーして記念にならなくなったよ。
でも、コメントは今年に入って、ワテの返信を含めて20(半分がワテり返信だから実質10コメのみ)と、普通のブログ主なら精神的に滅入ってブログ辞めちまうだろうね。 下手すると1ヶ月間コメ無し月(去年の12月なんかが当てはまる)もあったりするしィ。 しょうもない話はこの辺でヤメにして、『よも“ヤマ”話』の再開おば・・。
再開1発目は九州最高峰の
屋久・宮之浦岳に登りにいこう
さて、再開の1発目は、九州最高峰の屋久・宮之浦岳である。 鹿児島の沖にある『屋久島』へ渡り、【名峰百選】のしんがり・百峰目を飾る宮之浦岳に登って南国の山に遊び、海岸べりの《大川ノ滝》の壮大な瀑布に魅せられて、最後にきっちり温泉も押えてしまう・・というちょっと贅沢なプランで訪ねてみた。
御承知の通り『屋久島』は、遙か遠い南海の島だ。 九州南端の街・《鹿児島》までは、シンカンセンや深夜運行のハイウェイバスで本州方面からアプローチしてくる事だろうと思う。 でも、シンカンセンは1日2便の屋久島への船の時刻に合わせづらいし、大阪からでも片道2万円オーバーとなるのであまり乗りたくはないねェ。 これを踏まえた上で、この旅のスタートは鹿児島港・北埠頭からとしよう。
2等船室は青函連絡船と同じく
カーペット敷の雑魚寝スペース
だった屋久島フェリー
※ ウィキペディア画像を拝借
『屋久島』へは高速船もあるが、初日の行程はさして急ぐ訳でもないので普通船でゆったりといこう。
この方が、遙か南海の島へ向う情感を抱く事ができていい。 二等船室で雑魚寝で転がって4時間近く耐えると、屋久・宮之浦港だ。
フェレーが入港する宮之浦港
:
タクシーを相乗りするべく
リックサックを背負った
優しい老夫婦を見つけるのが
港での重要ミッションとなる
※ ウィキペディア画像を拝借
宮之浦港では、観光客の3割方が登山リュックを担いだ宮之浦岳のピークハント組である。
上手くこの人達の中に入り、タクシーを相乗りすると予算はかなり浮くだろう。 島までの往復でかなりの費用を使うので、この時点でのタクシー代の節約は大変重要である。
さて、タクシーで45分で《白谷雲水峡》の入口に着く。 プレハブの料金所に300円を払って、《雲水峡》の中に入る。 峡谷の左岸にあるコンクリートの階段を登っていくと、最初の屋久杉の大木・《弥生杉》が見えてくる。 やがて、渓谷沿いのコースと屋久杉の森林コースに道が分かれるが、いずれの道を取っても《楠川分れ》の吊橋の前で合流する。 また、所要時間もあまり変わらない。
タダの渓流で
滝もない白谷雲水峡
《楠川》に架かる吊橋を渡り(橋を渡らずに白谷小屋へ向かうルートもある。 かなり遠回りではあるが)、峡谷の右岸を伝っていく。 足下は苔むした岩がゴロゴロと転がって、山間部の降水量の多さを物語っている。 この道を45分程伝うと沢は勢いを失って小沢となり、この小沢を跨ぐと《白谷小屋》である。
白谷小屋
かつての有料小屋も
無人化で荒廃しているようだ
この《白谷小屋》は、かつて食事付の有人小屋だったらしく、こわれた額縁に料金表が掲げてあった。
しかし、今は寂れ果てて、コンクリート造の建物が冷たく感じる。 まるで、廃止により捨てられたローカル線の駅舎のように寒い。
小屋の中は泊まれるけど
監獄の中のようで雰囲気悪し
※『山小屋 info』より
このような訳で、大雨でなければテント幕営をお薦めしたい。 明日は早く出発しよう。
テントは、その辺の自由が利くのが最大の利点である。
コレを見て
エバンゲリオンに出ていた
イカ使徒を思い出したよ
《2日目》 大株歩道を伝って縄文杉へ
朝、テントを出て、まずすべき事がある。 それは、全天における雲の占め具合の確認である。
この『屋久島』において、「雲が全くない」という事は年に数日の奇跡的な状況である。
それを踏まえると、『屋久島』における『快晴』とは、雲が全天の70%を占める位までを指すのである。
この空模様は屋久島では
上々の『いい天気』なのである
この調子で述べると、全くの曇天で時折ポツポツ小雨は『晴れ』、小雨交じりが『曇り』という事なのである。 ワテが登った時は、『屋久島』における超『超快晴』であった。 しかし、これが2日と続かないのが『屋久島』の空なのである。
小屋を出発して縦走路に戻ると、《辻峠》への150mの登りだ。 まだ、気合十分で難なくこの登りをこなす。 《辻峠》からは、獣道のような枯草交じりの道をジグザグを切って急下降していく。
軌道出合からは森林軌道跡の
『トロ道』を歩いていくが
橋の大半は落ちて迂回となる
この坂を下りきった所が《軌道出合》だ。 ここからは、『屋久島森林軌道』の軌道跡(通称・トロ道)を1時間以上伝っていく。 途中に《三代杉》という、三重の株の郭の中から延びる大木もあった。
この日の午前中は雲一つない
屋久島では年に数日という
奇跡の晴天だった
このトロ道は、途中の橋梁部分がかなり朽ちていて迂回を余儀なくされる所もあるので、「全くの気楽に」という訳にはいかない。 それに長くてやや退屈だ。 所々に見える黒味岳の頂点に鎮座する奇岩を眺めて気分転換を図ろう。 軌道敷を距離にして3.5km、時間にして1時間強歩くと先の鉄橋が落ちていて、その行き止まりを告げるかのように『大株歩道・入口』と記された大きな立札が立てかけてある出合に着く。
この立札には《ウィルソン株》・《新高塚小屋》・宮之浦岳への距離と所要時間が記してあり、大変参考になる。 《大株歩道入口》からは、左の土手をハシゴを使って斜めに切るように登っていく。
少し登って密林の中に分け入り軌道跡が全く見えなくなると、《翁杉》と呼ばれる一本杉の巨木が見えてくる。 この杉は形が端正で「作品に」と狙ってみたのだが、どうやら光量不足で厳しいみたいである。 《翁杉》を過ぎて15分程登ると、人が群れている木立の広場に出る。 その中央には、前を鳥居で祠られた大きな株の郭がある。
樹齢5000年の屋久杉の廓
ウィルソン株
・・推定樹齢五千年の《ウィルソン株》である。 鳥居と切株の門をくぐり、株の郭の中に入る。
株の中は八畳強はあり、都会のワンルームマンションより広い。 この中に入ると、「都会が何かとせせこましい」という事を実感できるのである。 この郭の中に流れ込んでいる御神水で力をつけて、再び登り始めよう。 《ウィルソン株》からは、ハシゴや階段が連続的となり、風も吹かぬ密林の中だけにかなり蒸し暑い。
廓の中から見上げる不思議空間
:
都会の『団地サイズ8畳』の
1ルームマンションの倍近くあり
床には清水が流れ出ている
《ウィルソン株》と《縄文杉》の中間地点には夫婦のように寄り添う2本の巨木・《夫婦杉》や、立っている巨木では《縄文杉》に次いでの老木・《大王杉》などが姿を現す。 登りのキツさでは、《大王杉》辺りが一番のヤマ場であろう。
縄文杉に次いでの老木・大王杉
:
見た目は縄文杉よりずっと
気品のある美杉だったりする
《大王杉》の下にある休憩櫓で、大概の人がひと息を入れている。 《大王杉》を越える辺りに長いハシゴが連なり、これを登っていくと《縄文杉》から流れ出る小沢に出る。 見上げると、高々と櫓が立ちはばかっている。 度重なるハシゴの急登にいささかウンザリとしているだろうから、この櫓の出現はかなりコタえるのである。 約100段の階段は、直射日光が照りつけて暑い。 この階段を昇る前に、下の沢水で喉を潤しておいた方が良さそうだ。
どう撮ってもグロテスクな縄文杉
:
発想の転換で目一杯不気味に
撮る方がいいのかも・・ね
汗をかきかき乗りきると、櫓の上の展望台に護られるように《縄文杉》が空に嗄れた大幹を伸ばしている。
その形相は、凄いというより不気味でさえある。 この《縄文杉》も「どうにか作品にできないものか」と色々とアングルを変えて迫ってみたが、不気味さ以外は全く表現し辛いのである。 まぁ、そうそう来れる場所でもないので、納得のいくまでアングルを探すとしようか。
ブロック小屋で水場がトイレの傍と
条件今イチな高塚小屋
※ 現在は建て替えされたらしい
※ 『フォートラベル』より
《縄文杉》の撮影を終えたなら、この櫓から10分位先の《高塚小屋》に向かう。 この《高塚小屋》だが、宿泊は可能だが人気は今ひとつのようである。 それは、水場がトイレのそばと悪条件であるのと、あと1時間程頑張れば快適な《新高塚小屋》がある為であろう。 だが、《新高塚小屋》に大勢の登山者が押しかけて“すし詰め”状態で、夜にほとんど眠れないのもキツイ事だ。 まぁ、一番いいのはテント持参でゆったりと眠る事であるが・・。 しかし、これも雨が降れば地獄絵巻と化する。
・・となると、これはかなりの考慮が必要だ。 しかし、これだけはいえる。 それは、これらに備えてどのようにも対応できるテント持参は強いという事だ。 こういう事を考えていると1時間はあっという間に過ぎ去り、《新高塚小屋》の水源を示す立札が目に入る。 ここからルンゼ状に掘れた坂を少し下っていくと、ウッデイハウスのような真新しい《新高塚小屋》に着く。
このコースをゆく登山者の
ほとんどが利用する新高塚小屋
:
こんな小屋だったかなぁ
もっと開けた感じだったけど
※ 『フォートラベル』より
早朝5時に《白谷小屋》を出ると、昼までにここにたどり着く事だろう。 この時間ならば、まだ団体の登山客は来ていない。 もし、小屋泊スタイルで登るのなら、この時間帯に小屋に着いて場所を取らないと「玄関の登山靴の上で寝るハメ」となるだろう。 テント持参のスタイルだと、荷物をテントの中に置いての空身で、天気の良い内に宮之浦岳を往復する事も可能だ。 但し、かなりキツい行程ではあるが・・。
2時から3時位になると、下から上から次々と登山客がやってくる。 この山の登山に最も適した季節である5月の連休ならば、40人の定員に150~200人の人が押し寄せるのである。
・・明日も晴天であって欲しいと願うのだが、こればっかりはどうしようもない。 下手すれば雷付の大雨となり、ここで停滞となるかもしれない。 「ひと月に32日雨が降る」といわれるこの『屋久島』では、十分に有得る事なのである。 それに備えて、予備日を1日設けておこう。
発生源から距離があるとイナズマとなるが
至近距離では光の弾のスバークだ
新高塚小屋前で眼にしたのは
真に至近距離スバークだった
※『春雷』より
ちなみに、翌日は大雨で停滞となり、降り出してしばらくしてからテントを撤収して小屋に逃げ込んだよ。 そのテントの撤収時に、雷が樹のてっぺんに落ちるのをみたよ。
落雷で破裂した山の頂上標
南アルプス・鋸岳にて
雷は『イカヅチ』の呼び名のイメージから、空を切り裂くジグザグの光跡を想像しがちだが、実際は直線的に突き刺さる光の弾で、「ヒュ~・・パーン(樹が破裂した音)」の音が鳴り響いたよ。
逆に近すぎて『ゴロゴロ音』はならなかったような・・。 例えると、チャッカマンの電気スバークの超巨大版って所だろうか。
※ 続く《3日目》(大雨で新高塚小屋で1日停滞したので、実質は《4日目》)は
次話の『第166話 屋久・永田岳』にて
東京五輪を煽って
日本を潰そうとした奴らが
今度はウクライナの事で
第三次世界大戦を煽っているが
何も起こりゃぁしないよ
なぜなら民族紛争は対立する一方の民族が
根絶やしになるまで終わる事はなく
そんな事は不可能だからである
またバカがロシアの核攻撃や
北方領土侵攻を煽っているが
核兵器は保有する事で
威力を発揮するのであって
使えば全世界に報復核を撃つ口実を与える
即ち撃った時点でその国は滅ぶのである
また近代戦争においては
先に手を出した方が必ず負けるのである
即ちロシアの負けである
それはどんなに戦果を上げようが
対外的には侵略国家=世界の敵となるからだ
もうロシアは終わらせ所を
模索するだけで必死だと思うよ
軟着陸させねばロシアは国が持たないよ
キエフの原発襲撃も単発的なモノで
原発破壊が本気なら全航空戦力で空爆してるよ
なぜならこれより全世界的な
経済的制裁が発動されるし
国土全体の2/3が凍土のロシアでは
シナよりも制裁が効くのである
そんな中で北方領土で日本を攻撃した所で
全くメリットはなく逆に北方領土の
ロシア人が飢えて死ぬだけだよ
核なんて撃った日には日本にも
明解な核保有の意思を抱かせ
日本の技術なら比較的短時間で
報復ができるようになるよ
北方領土沖をゆくロシア船は全て
日本の潜水艦の餌食となるだろうね
それを煽るチョンの成りすましの
天皇信奉右翼どもは東京五輪で日本を壊した
如く更なる混乱を目論んでいるのだろうね
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