風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第506回  宗谷丘陵・天北線跡

『日本百景』 冬  第506回  宗谷丘陵・天北線跡 〔北海道〕

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この広大な丘をめぐる鉄路からは
夢のような車窓情景が魅られた

  宗谷丘陵 そうやきゅうりょう
宗谷丘陵(そうやきゅうりょう)は、北海道稚内市にある日本最北の丘陵である。 宗谷岬南部に広がる標高20メートルから400メートルまでのなだらかな丘陵地帯で、この地形は2万年前の氷河期に形成されたものと確認されている。

北から南に向かって標高が高くなり、緩やかに起伏しているが、深い谷はほとんど存在しない。
明治期の山火事によって樹木が消失したが、気温が上がらず強風が吹く為に、現在も樹木が回復していない。 その為に樹木にさえぎられる事なく、周氷河地形を目視できる数少ない場所となっている。



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宗谷丘陵をゆく天北線の花形列車
急行【天北】

今回取り上げる景勝地は普通の旅形態なら、恐らく通り道としての通過地点でしかないだろう。 
いや、この辺りの代表観光地である宗谷岬へは稚内市街からの最短ルートを取るだろうから、通過経路にもならないかもしれない。 その通り、特に際立ったものは何もないのが、今回取り上げる『宗谷丘陵』である。

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「何もない」所にこそ
奇跡の絶景が秘めている

なせ、この「何もない」『宗谷丘陵』を取り上げたかというと、この周氷河地形(地中の水分が凍結や融解を繰り返す事(凍結融解作用)によって形成される地形)の日本離れした景観を魅せる広大な丘陵地帯に、人やモノを大量に、かつ一度に輸送する目的で敷かれる鉄道路線があったのである。 これは奇跡と言っていいのではないだろうか? 

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偶然に見つけた奇跡的情景に
心が高ぶったあの時の夢を拾い集めに

そう・・、北海道の代名詞であるただっ広い原野が広がるだけで、前述の通り一般の旅行者が立ち寄る事もない所だが、このだだっ広い原野には、かつて大陸的な車窓風景を魅せるローカル鉄道があったのだ。
若き日にその鉄道情景に魅せられたワテは、かつての夢の痕を拾い集めにやってきたのである。
 
この鉄道が敷設された理由は北海道開拓で、前述したように「人やモノを大量に、かつ一度に輸送する」という一般的な鉄道敷設の目的ではなかったのであるが、その事で景観を害する構造物を廃して周囲の景観とマッチした鉄道情景となり、廃止後も周囲の自然と調和した「鉄道風景」を思い描く事ができたのであろう。

この鉄道はJR転換初期に路線廃止となり、鉄道の廃止からおよそ四半世紀の時が経って、この広大な丘は何もない原野風景へと回帰していた。 その何もない情景は自然風景を存分に魅せてくれて、ワテにとっては自らが編集する『日本百景』の一つとして相応しい風景に思えたのである。 それでは、かつての夢の痕を拾いにやってきた時に魅せられた情景を"一つまみ"語ろうと思う。

日本の北の果てにあるこの地までマイカーで行くのは不可能ではないが、現実的ではないだろう。
だが、北海道をめぐるなら、車は必要不可欠だ。 となると、選択肢は否応なく『レンタカー』って事になるだろう。 それに、昨今の経営損失が問題となっているJR北海道によって宗谷本線の運行本数が大削減され、正直言うと鉄道利用で稚内まで行くのはかなり厳しくなってきている。 かといって、札幌からレンタカーで向かうのもキツい事は言うまでもないだろう。

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防波堤ドームが残るサハリンへの港
稚内港を出発点にしようか

このような訳で、稚内までの移動手段は訪れる者の各自に任せるとして、このガイドは稚内を出発点にしよう。 稚内からはR238号線で宗谷岬を周ってゆく海岸線沿いのルートと、旧国鉄天北線の行き交った内陸部の宗谷丘陵をゆくルートがある。

距離や道の整備状況は、国道238号をゆく海岸線沿いの道が段違いに良い(特に道の除雪状態や路面の凍結状態など冬は差が顕著である)が、旅の雰囲気や味わいは断然内陸部をゆく旧天北線が行きかった道道ルートがいいだろう。 距離的にはどちらを通ってもほぼ同じであるが、道の状態の優劣で内陸部経由の方が時間がかかるだろう。 なお、宗谷岬をめぐる海岸沿い、内陸宗谷丘陵ルートのどちらを取っても、猿払村の中心街である鬼志別で合流する。

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この地域を訪れる旅人必須の
宗谷岬は今回は訪れるだけ

稚内からは、最果ての地・稚内を訪れた旅人の『儀式』として宗谷岬をめぐる事にしよう。 
だが、『観光地』である宗谷岬は何度か訪れた事があるし、今回の旅の目的である「日本離れした景観に魅せられる」といった思惑から離れているので、今回は立ち寄るだけとなるだろう。

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そう言えば東浦から宗谷岬まで

宗谷岬を周る海岸線沿いの道は国道238号が高規格道路並みに整備され、天北線の代換バスもかつて天北線が通った内陸のルートを取らず、宗谷岬を周る海岸線沿いに設定されている。 従って、真冬でも冬タイヤで問題なく内陸ルートとの合流点である猿払村の中心地・鬼志別に着く。

鬼志別からは、かつて天北線がめぐった内陸ルートに入っていこう。 高規格道路並みに整備されている国道を離れると、途端に道はアイスバーンとなる。 ともすれば、スタットレスタイヤでもズル滑りする道だ。

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小石駅跡に建てられた交流センター
右後ろの白い雪の吹き溜まりが
撮りたかった『望郷』の石碑 

この道を7kmほど入ると、立派な公民館が建てられた小石駅跡だ。 だが、公民館は冬季休業中で、周囲は全く除雪がされていなかった。

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在りし日の小石駅舎
沿線郵便局会発行の
『さよなら天北線タトウ』より

そして、この地に立ち寄る主目的であった『望郷』の石碑は、雪で吹き溜まっていた。
掘り返したい気持ちは山々だが、その姿を見られるのは怪しいを通り越してしまうので、泣く泣く諦める。

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かつては駅間距離が日本一だった
小石~曲淵をゆく急行【天北】

次の曲淵までが、17.7kmの完全無人地帯をゆくのである。 だが、その脇にあるトドマツの樹氷の美しい事。 もう夕方の勢いが見えてきた午後2時過ぎの斜光と相俟って、魅せられる情景となっていた。

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内陸ルートは整備された国道と違って
スタッドレスタイヤでもズル滑り
するようなアイスバーンとなる

コレに惹かれて、何度も車を止めて写真を撮る。 やがて、無人地帯のオアシスが如く、小さな集落の塊が見えてきて曲淵に着く。 駅舎跡のモニュメントは雪に埋もれて、程よい被写体となっていたのでカメラに収める。 

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曲淵駅跡に建てられた
駅跡モニュメントは雪に埋まっていた

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在りし日の曲淵駅舎
沿線郵便局会発行の
『さよなら天北線タトウ』より

曲淵には、かつて宗谷・曲淵炭鉱があって石炭輸送で栄えた時期もあったが、厳しい気候の為か他の炭鉱に先駆けて1964年頃に閉山となり、駅周辺には炭鉱跡施設だけが残さた。 閉山後は人口流出で過疎化に拍車がかかり、炭鉱施設跡に過疎化阻止で建てられた市営住宅も居住者が無く廃墟になりつつあった。

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かつての石炭積み出し駅で
閉山で過疎化した路線末期も
宗谷丘陵地帯の中心駅として
列車交換のある有人駅だった曲淵駅

そして、沼川。 駅跡に駅名標が立てかけられて雪に埋もれていたが、傍にある1本の白樺が絵になっていた。 北の冬は日が暮れるのが早く、午後3時を過ぎると雰囲気どころか完全な夕暮れの状況となっていた。

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沼川駅跡に立つ1本の樹

路線が廃止されて四半世紀が経った今、宗谷丘陵の最大集落は炭鉱のあった曲淵からこの沼川に移っているように見受けられる。

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在りし日の沼川駅舎
沿線郵便局会発行の
『さよなら天北線タトウ』より

それは、この沼川には交番や稚内市役所の支所、過疎化で統廃合されて区内唯一の学校となった天北小中学校なと、町の機能が揃っていているのである。 そして、この内陸ルートに入って、開いている店屋を初めて見たのもこの沼川である。

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あまりにも雪原が美しく染まる様に
どう撮っていいか解らずに平凡な写真に

そういえば、この沼川でも冬の駅寝をしたっけなぁ。 その翌朝は氷点下18度と極寒であったが、またとない晴天で雪原が美しい朝のミルク色に染められていたよ。

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限界集落に指定されている
樺岡駅周辺

次の樺岡も廃線の様相を呈していた。 バス停の標識の横に駅名標が立てかけられていたが、1m以上の積雪でも駅名標は顔を出していた。 それは、これほど雪が積もるのは折り込み済なのか、駅名標の脚がバス停のポール並みの高さになっているようである。

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在りし日の樺岡駅舎
沿線郵便局会発行の
『さよなら天北線タトウ』より

その樺岡駅でさえ、簡易委託であるが駅務員がいて切符を売っていたのを憶えている。 金を惜しんで切符は買わなかったが、今更ながら「切符を買っておけば・・なぁ」と後悔してるよ。 でも、厳しい寒さからか、駅舎の床のコンクリートが大きくひび割れていたのも記憶に残っている。

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天北線という鉄道の存在が
国土の末端地域を護る防波堤に
なっていた事実があった

そして、現在の樺岡は公共交通機関も廃されて(予約連絡の上で配車されるコミュニティバスのみ)、完全な限界集落として指定されている地区となっている。 もう居住者の半数以上が65歳以上で、集落を維持するのが難しく消滅を待つだけの恐ろしい現実を示した地域である。

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在りし日の恵北駅舎
沿線郵便局会発行の
『さよなら天北線タトウ』より

そしてクライマックスは恵北の丘だ。 ここはかつて宗谷岬のある大岬地域とを区切る宗谷丘陵の大きな起伏があり、その内側を通っていた天北線は、この起伏の西側に広がる広大な原野を円弧を描いて通じていたのだ。 これを目にして、『撮り鉄』のアングル想定が湧き出るようにバァ~ッと広がった。
偶然に見つけた奇跡の情景に、大いに心が高ぶったよ。 

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広大な大地は
どんなに速い列車であっても
その速度を無力化させた

急行【天北】は、大きく弧を描く線路を伝ってやってくる。 そう、ゆっくりと。 それは、速く走っていても、それ以上に広大な大原野の通過に時間がかかり、”ゆっくり”となってしまうのだ。
天北線在りし時に、この奇跡の情景との出会う事が出来た幸運・・、それは狙って得る事など叶わない『偶然』という幸運だった。 この事を思い返して、「『偶然』は時に『計算づく』を凌駕する」という事が本当の事で、それは何に代えても得難い事だと思ったよ。

この地に立って出会えた『奇跡』 の絶景
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『光の輪』という夢まぼろし

どこまでも果てしなく広がる荒涼とした原野
その無人の荒野に貨客を大量輸送する目的で
建設される鉄道路線があった事は
正しく”夢まぼろし”と捉えていいのかもしれない

そして、その『偶然』というチャンスに出会えた瞬間に、人は進化するのだとも思った。
この丘の上に立つと、写真を撮る発想が次々と浮かんだのである。 この地に立つまでは、天北線で全くいいのが撮れずに気持ちが腐っていたというのに・・。

そして、月日が流れて30年以上の時が経ち、かつての夢の痕を拾い集めにやってきたのだ。 
その思い出の地・恵北には鉄道遺構が残ってはいなかったものの、荒涼とした雪原野に沈みゆく太陽が日輪を描いていた。

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雪の原野に沈みゆく太陽が
日輪を描いていた
旧天北線の車窓から魅た夕日と
この情景とを重ね合わせていた

またもや『偶然』目にした奇跡の情景・・。 高性能コンピューターで計算しようが、撮る前にデジタルのモニターで疑似予測を算出して当てはめようとも、絶対に出会えぬ絶景が目の前にあったのだ。
コレを目にして、「誰もが無視するような何もない原野をめぐるこの旅手法は、『偶然』という奇跡に出会える確率が高いのかもね・・」と思えたのである。


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