風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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私の訪ねた路線  第56回  山陰本線

『私の訪ねた路線』  第56回  山陰本線  〔京都府・兵庫県・鳥取県・島根県・山口県〕
 

鉄道の旅での旅情は
間違いなく昔の鉄道が勝っていた
 
《路線データ》
       営業区間と営業キロ                  輸送密度 / 営業係数(’15)    
     京都~幡生・長門市~仙崎 677.6km           4785  /   309
運行本数
時刻表を見てください

  《路線史》
東北本線の盛岡~八戸が『第三セクター』移管された現在、我が国で最長の路線となっている。
このような長大路線である為、当然その区間により個別の生い立ちが存在するのである。
これらをまとめて概略すると、京都~福知山、福知山~出雲市、出雲市~幡生の3区間に分ける事ができる。
 

今こんなの走ったら
撮り鉄が殺到するだろうな
 
まずは、京都~福知山であるが、『京都鉄道』(京都~園部・1899年)、『阪鶴鉄道』(福知山~綾部~舞鶴・1904年)と私鉄が建設した路線を国有化し、未通区間である園部~綾部を開通(1910年)させたものである。

福知山~香住は当初『山陰東線』と称され、『山陽鉄道』によって建設された現在の播但線の延長という形で1911年に開通している。 翌年(1912年)には、浜坂まで開通。 次に記す『山陰西線』の浜坂~出雲市と併合して、京都~出雲市が『山陰本線』と称されるようになる。
 

と言う事は・・これを数枚載せると
アクセス数が期待できるかも
 
この『山陰西線』だが、1909年に山陰地方初の鉄道路線として御来屋~米子~境港が開業したのが始まりである。 その後も急ピッチで延伸を続け、2年後の1911年には東は浜坂まで、西は出雲市までの延伸を果たす。 その翌年には先程も記したように、浜坂~香住が開通して京都から出雲市まで2本のレールがつながる事になる。

出雲市以遠であるが、1928年に出雲市~須佐の延伸が完成する。 その同時期に美祢線を延伸する形で、宇田郷~長門市~阿川と仙崎支線の長門市~仙崎が1930年までに順次開業し、1933年には最後の未通区間である須佐~宇田郷を開通させて、長州鉄道により開業した小串~幡生の国有化(1925年・小串線と称した)と併せて、『山陰縦貫鉄道路線』が全通・完成したのである。
 

保津峡をめぐる急行【白兎】号
キハ58の9連 かなりシブイ

近年は新幹線が山陽の主要都市を走り、旅客輸送はその接続を主とされた為、山陰本線では沿線の主要都市周辺以外の区間では改良・高速化工事は見送られている。 従って電化や高速化は、京都近郊、陰陽連絡の主幹線である福知山線や伯備線、そして智頭急行線の接続先である鳥取付近以外ではなされておらず、継ぎ接ぎの電化や高速化という矛盾を抱えている側面も見られる。

電化や高速化された区間以外は、ローカル輸送がほそぼそと見られるだけの素朴なローカル路線の趣が濃くなっている。 その路線のシンボルとして長らく存在していたのが、橋脚のある橋梁としては東洋一の餘部鉄橋であろう。 水面下42mの上に架かり、眼下に日本海の荒波と漁村風景が広がる風光明媚な情景を魅せていた。
 

餘部鉄橋を俯瞰する位置で
 
だが、1986年の鉄橋転落事故以降、運行安全に対しての疑念が高くなっていく。 また、事故以降は運行基準に大幅な制限が加えられた為、気象条件により度々の運休となるなど“運行上の肝”となってしまったのである。 これらの理由に加えて、1910年完成という老朽化でPC橋への付替えが決定される事となる。

この橋梁付替えに対し、周囲に溶け込んだ鉄道風景を惜しむ鉄道ファンなどから、観光資源や貴重な歴史的構造物として保存と永年使用を求める声が湧き上がったという。 だが、この地を訪れる鉄道ファンなどのマナーの悪さ(臨時列車運行時に、橋梁下の墓石を破壊した事件などがあったらしい)や転落事故の忌まわしい記憶から、早々に撤去して静かな漁村に戻りたい・・とする地元住民の声も存在するとの事である。

列車運行としては、以前は長大路線ゆえにムチャクチャともいえる程にバラエティに富んでいた。
一例を挙げると、大阪~博多の気動車特急【まつかぜ】はともかく、福知山~出雲市の急行【美保】や、鳥取~熊本の急行【さんべ】(この列車は下関で山陰本線経由と美祢線経由に分割され、長門市で再び併結されるアクロバット運用だった)、広島からの夜行DC急行【ちどり】、寝台連結の普通夜行列車【山陰】、門司~福知山の長距離鈍行など、時刻表マニアも唸る運行設定であった。

だが、今では継ぎ接ぎだらけの電化もあって運行区間が細分化され、都市周辺区間とローカル区間の差が著しい運行設定となっているようである。 また、木次線や三江線など陰陽連絡の機能を失った支線沿いの街の過疎・空洞化も、山陰地方が抱える大きな問題となっているようだ。
 

 

冬の波を引き立てようとしたのだか
何か悲しい結果に
餘部鉄橋にて
 
   《山陰海岸ぶらり紀行》
路線史でも述べた通り、山陰本線は長い。 そして、以前のような門司発の福知山行鈍行のような“語れる列車”もない。 今や、中途半端な電化で運行区間が割られ、優等列車も“新幹線との接続ありき”の運用となっている。 
 
かつては、時間を無駄に費やしてでも山陰本線周りで旅に出ようと欲した事もあったが、今はそういう気も起こらない。 強いて言えば、旅情もヘッタクレもない新幹線以外には運行ダイヤ上では『使えない』鉄道の現状に、鉄道を使って旅をしよう・・という意欲が湧かない。 なので、山陰本線の乗車記はムリと思ったのである。
 

山陰海岸の落日
 
・・で、とりあえず、山陰本線を使って旅をした記録である『鳥取砂丘を始めとする山陰海岸の旅』を記する事にしましょうか。
 
山陰海岸で最も印象的な所は、鳥取砂丘であろう。 東西16kmにも及ぶ大砂丘は、千代川が運んできた砂と、岬や海岸が波によって洗われて出る海食砂が集まり、季節風に乗って陸地に吹き上げられてできたものである。
 

夜明けの海岸を散歩する
 

風紋に朝の光をかざしてみた
 
この砂丘は砂がスッポリと陸地を覆う被覆地形であるので起伏に富み、“すり鉢”と呼ばれる窪地や小高い砂山が随所に見られる。 そして、この天然の産物の一番の魅力は『風紋』ではないだろうか。 
風が砂丘のキャンパスを自由にさざ波模様を描く様は、とても神秘的だ。
 

朝の誰も通らぬ時が
風紋を眺める絶好のチャンスだ
 

前夜に雨が降れば
風紋が“砂の鱗”に模様替え
 
鳥取市街より車で鳥取砂丘まで約20分。 この他、余裕があれば浜坂海岸・釣鐘洞門めぐり・餘部鉄橋などの海岸線めぐりもいいだろう。 また、山陰の漁村の風景として、鳥取砂丘の東方約10kmの所にある《浦富海岸》も訪れたい景勝地だ。 《浦富海岸は》、《網代》より岩美町の《田後》までの約6kmの海岸景勝地である。
 

               浦富海岸の海食洞        エイリアンの日干し
 
前半は海食洞や奇岩が連なる切り立った海崖風景で、後半は一転して穏やかな砂浜が広がる。
《網代》の港から遊覧船も就航し、また《田後》まで海岸線をめぐる遊歩道も整備されているので、ここもお薦めのポイントとなろう。
 

鄙びた漁村のいつもの風景
 
そして、餘部鉄橋。 今や味気ないコンクリート陸橋に付け替えられてしまったが、それ以前は山陰海岸の旅として押さえたいポイントであった。 だが、路線史でも記したように、橋梁の付替工事が始まる直前の鉄道撮影での問題行動が持ち上がったのも事実である。 それでは、橋梁付替工事直前の様子を語ろう。
 

餘部鉄橋撮影の定番撮影位置より
普通列車を撮影する
 
・・餘部鉄橋は何度も撮りにきた事がある場所なので、大体の撮影スポットは把握している。 
そして、同じようなものを何度も撮るってのも芸がなさ過ぎるので、一計を案じた。 
それは、夜の『流し』撮りである。 だが、一般の『流し撮り』と違って、『流す』のは列車ではなく夜空の星である。
イメージ(というより妄想)を膨らませて、現地に到着したのである。
 

餘部鉄橋の下から撮ったものの
鉄道撮影・・下手になったなぁ
 
すると、「考える事は同じ」なのか、4~50人の『鉄騎』三脚部隊がいるでないの。 それよりもア然とするは、鉄橋がライトアップされて光ってるって事である。 もう、撮影イベント会場のノリである。
この状況を目にして大いにガッカリしたのだが、せっかく餘部くんだりまで来たのだから、取り敢えず『鉄騎』三脚部隊の間に入らせてもらう。

そして、イメージ(妄想)通りに、星を流すべくバルブに設定して長時間露光を始める。 
ここで、ある事が解った。 先程に述べた「考える事は同じ・・なのか」という言葉は、完全な誤りであった事に気付いたのである。 『鉄騎』三脚部隊は、列車が通らない間は誰一人としてシャッターを切っていないのである。 そして、列車の通過時刻を確認し、列車が通過したらフラッシュを焚いて撮っているのである。 

この行動を見て、更に“ア然”とした。 いくら離れた場所だからといっても、走行中の列車に向かってフラッシュを焚くのはモラルに反すると思うのだが。 そして、「【はまかぜ5号】の通過が何たら」という会話を耳にする。 この会話にも『ア然』とした。 なぜなら、「この暗い夜空の下で、特急列車と識別できるような写真を撮る事は叶わない」という、写真を4半世紀もの間やってきたワテの“常識”と真っ向に反する会話であったからである。

帰ってから聞いた話だが、どうやら『鉄騎』三脚部隊の連中は、ISO1600とか3200の高感度設定をして撮っているとの事である。 そして全てが、これを手元で容易に設定できる『画像製造機』、即ち『デジタル』を使用しているのである。 従って、ワテの(銀塩)『カメラ』に当てはまる“常識”は、この連中には全く当てはまらないのである。 そらそうであろう。 『デジタル』は到底『カメラ』とは言えぬ、感情のカケラも込められぬ『画像製造機』でしかないのだから。

「何でも簡単に写る」というのも善し悪しである。 “過ぎたる便利は人から感受性とモラルを奪う”という実例を目の当たりにして、背筋が寒くなる思いを感じたのである。 夜空に輝く美しい星空にも気付かぬこの連中の感受性を、写真撮りとして“哀れ”だと思う。
 

もうちっと星が駆けめぐって
くれるハズだったのに・・
これは決定的に無残なデキ
 
そしてワテは、走行中の列車にフラッシュを焚くような写真撮りとしてのモラルを欠く様なマネをしてまで、夜に『特急列車』を“ビタ止め”などしたくはない。 このような手法で撮ったとしても、出来上がるのは“限りなく不自然な”画像しか出てこないのだから。

まぁ、今回のデキを見たら、ワテも偉そうな事はいえないけどね。 ライトアップがキツ過ぎたのか、連中のフラッシュで星が被っちまったのか、星が全く写っとりゃせんがね。 あ~ぁ、また撮り直しにいかねばならんな。 今度はネガで仕向けてみようか。 アングルも考えねばならんかな。 まぁ、失敗があるから、そして「今度こそは」と思いをかき立てるからこそ写真撮影は楽しいのだし。
 

だからといって
基本的な失敗を繰り返す
筆者も考えモノ
時刻表持たずに来て完璧な見逃し
カニカニエキスプレスらしいが
国鉄塗装だしィ

  ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『山陰本線』を御覧下さい。
    餘部鉄橋めぐりの旅行記の全編はコチラ(神岡鉄道も出てくるよ)をどうぞ。




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No title * by ひゅーまん
こんばんは。「長大なるローカル幹線」山陰本線。保津峡の「白兎」や旧客は懐かしい限りです。ありがとうございます。「まつかぜ」で大阪から東萩へ、「さんべ」(美祢線経由)で門司から倉吉へなど記憶がよみがえります。

No title * by 風来梨
ひゅーまんさん、こんばんは。

急行【白兎】は、山陰本線の急行の中でも別格の急行でした。
グリーン車・指定席付きで、長大編成のほぼ特急格でした。

旧客はほんとに旅情がありました。 スチームの暖房とニスの光った直角イス、そしてほんのりとしたグローブ電球の灯・・。

今こんな列車が走ってたら、その列車に乗る旅を想定してしまいます。 撮るより先に乗りに行くでしょうね。

No title * by yamanbou
おはようございます。
餘部鉄橋。
鉄道ファンじゃない私も知っています。
肝試し?に見下ろしたい・・・

No title * by 風来梨
こんばんは。

その餘部鉄橋ですが、残念ながら去年の7月で使用を終えて撤去されてしまいました。 今は白いコンクリート橋になっています。

転落事故などの負の事柄もあった旧橋梁ですが、完成当時は東洋一の高さを誇り、その景観美も相俟って人気と存在感のある鉄橋でした。

時代の流れゆえに仕方がない事ですが、当時の建築技術の粋を集めた重文級の工作物なので、もったいない気もします。

No title * by オータ
私はデジカメ使用していますが、ISOについてほとんど無知でした。高感度かつストロボ使用では、撮る技術などいりませんね。

No title * by 風来梨
やっぱり、失敗を避けて通るデジタルのシステムだと、工夫がなくなりますね。 工夫から発想、失敗から考察、結果を出す努力、結果が出た事で報われる気持ち・・。 こんな大切なものをポロポロと落としていくデジタルは、私は使う気にはなれません。

デジタルを使うのは、仕事などで撮る『写っていればOK』の気持ち的にどうでもいい被写体ばかりです。 だから、用が済んだら気兼ねなく消しますね。

山などで思いが込められない画像なんて、私にとってはとんでもない事です。 やはり、画像ではなく写真を撮りたいですね。

No title * by makirin
64回を探してたらwここにたどり着きましたw

これはまだ掛け替え前ですね 本来はやっぱりこの姿ですよね

私もうpしますので よろしかったら見にきてください(^^ゞ

No title * by 風来梨
makirinさん、こんばんは。

餘部鉄橋は、フツーの橋になってしまったようですね。
残念だけどこれは鉄道好きの感傷であって、安全を考えたら致し方ないですね。 一度列車転落事故も起こしている事だし。

新記事の御案内下されば、早速伺いますね。

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No title

こんばんは。「長大なるローカル幹線」山陰本線。保津峡の「白兎」や旧客は懐かしい限りです。ありがとうございます。「まつかぜ」で大阪から東萩へ、「さんべ」(美祢線経由)で門司から倉吉へなど記憶がよみがえります。
2011-09-28 * ひゅーまん [ 編集 ]

No title

ひゅーまんさん、こんばんは。

急行【白兎】は、山陰本線の急行の中でも別格の急行でした。
グリーン車・指定席付きで、長大編成のほぼ特急格でした。

旧客はほんとに旅情がありました。 スチームの暖房とニスの光った直角イス、そしてほんのりとしたグローブ電球の灯・・。

今こんな列車が走ってたら、その列車に乗る旅を想定してしまいます。 撮るより先に乗りに行くでしょうね。
2011-09-28 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

おはようございます。
餘部鉄橋。
鉄道ファンじゃない私も知っています。
肝試し?に見下ろしたい・・・
2011-09-29 * yamanbou [ 編集 ]

No title

こんばんは。

その餘部鉄橋ですが、残念ながら去年の7月で使用を終えて撤去されてしまいました。 今は白いコンクリート橋になっています。

転落事故などの負の事柄もあった旧橋梁ですが、完成当時は東洋一の高さを誇り、その景観美も相俟って人気と存在感のある鉄橋でした。

時代の流れゆえに仕方がない事ですが、当時の建築技術の粋を集めた重文級の工作物なので、もったいない気もします。
2011-09-29 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

私はデジカメ使用していますが、ISOについてほとんど無知でした。高感度かつストロボ使用では、撮る技術などいりませんね。
2011-10-13 * オータ [ 編集 ]

No title

やっぱり、失敗を避けて通るデジタルのシステムだと、工夫がなくなりますね。 工夫から発想、失敗から考察、結果を出す努力、結果が出た事で報われる気持ち・・。 こんな大切なものをポロポロと落としていくデジタルは、私は使う気にはなれません。

デジタルを使うのは、仕事などで撮る『写っていればOK』の気持ち的にどうでもいい被写体ばかりです。 だから、用が済んだら気兼ねなく消しますね。

山などで思いが込められない画像なんて、私にとってはとんでもない事です。 やはり、画像ではなく写真を撮りたいですね。
2011-10-14 * 風来梨 [ 編集 ]

No title

64回を探してたらwここにたどり着きましたw

これはまだ掛け替え前ですね 本来はやっぱりこの姿ですよね

私もうpしますので よろしかったら見にきてください(^^ゞ
2013-06-08 * makirin [ 編集 ]

No title

makirinさん、こんばんは。

餘部鉄橋は、フツーの橋になってしまったようですね。
残念だけどこれは鉄道好きの感傷であって、安全を考えたら致し方ないですね。 一度列車転落事故も起こしている事だし。

新記事の御案内下されば、早速伺いますね。
2013-06-08 * 風来梨 [ 編集 ]