風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第5回  ノサップ

『ネームトレイン』 第5回  ノサップ

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落石岬と孤独なランナー
急行【ノサップ】
JR経営移管後は
キハ54の単行運転だった

   急行【ノサップ】 ・・ 国鉄時代の急行列車(JR経営移管後に快速格下げ)
1959年に準急列車として登場し、後に急行列車に格上げされ、JR分割民営化初期の1989年4月末まで運行していた急行列車である。 翌日の5月1日より、料金不要の快速列車に格差げとなっている。

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列車名称は言うまでもなく
我が国最東端の納沙布岬だ

【ノサップ】の列車名の由来は、根室半島の先端に位置する納沙布岬からで、岬灯台に立つと国後・歯舞など北方4島が望め、冬季には冬の名物・流氷も接岸する我が国を代表する岬である。

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急行【ノサップ】のサボ

当列車は1959年9月22日に、根室本線の東端区間・釧路~根室を準急【ノサップ】として運行を開始したのが起源である。 運行開始時は単行運転で1往復のみであったが、2年後の1961年10月に2往復に増便と2両編成化、1966年3月5日に急行列車に格上げされている。

列車の最盛期である1970年台~1980年台前半には、札幌行の急行【狩勝】と共通運用を組み、札幌からの急行【狩勝】が釧路で急行【ノサップ】と列車名を変えて、グリーン車を連結したまま根室へ向かう便も1本(但し下りのみ)存在した。

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急行【ノサップ】として根室に到着して
一息着いてから急行【狩勝2号】札幌行として
ロングラン仕様に着くキハ56+キハ27

その後、急行【ノサップ】は、急行【狩勝】からの分割運用に改められてグリーン車の連結はなくなるが、根室発でグリーン車連結の釧路発と併合されて札幌まで向かうロングランの急行【狩勝 2号】を含め、釧路~根室の優等列車2往復運行は維持される。 なお、後に上り1本の根室発の急行【狩勝 2号】は、釧路までを急行【ノサップ2号】として運行分離されるが、釧路で急行【狩勝】に併結されて札幌に向かう運用はそのままだった。

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単行運転が可能なように
急行型のキハ56の両運転台化改造された
キハ53-500番台が投入されていた
※ 写真は深名線に投入されていた
キハ53-500番台

だが、国鉄末期(1986年)になると、乗車率が上がらない当列車は1往復に減便となり、車両もキハ53-500番台(キハ56の両運転台改造車)の単行運転(多客時はキハ40などの1両増結で対応)のいわゆる『遜色急行』となる。 『遜色急行』化された翌年の1987年4月1日に国鉄からJRへの経営移管が行われ、しばらくはその運行体系が維持されたが、2年後の1989年5月1日に料金不要の快速列車に格差げとなっている。

快速に格下げられた当初は〔ノサップ〕の2往復体制だったが、1992年7月1日に1往復が〔はなさき〕に名称を変更し、昼間の下り列車と夜間の上り列車が〔ノサップ〕、早朝の下り列車と昼間の上り列車が〔はなさき〕として1往復ずつ運行されていた。

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夜行列車の廃止によって
鉄道で北海道の景勝地をめぐる事は
限りなく不可能となったよ

根室本線の末端区間の更なる閑散化によって、2016年3月26日のダイヤ改正で普通列車の本数が削減された影響で、夜間の上り〔ノサップ〕が廃止された。 この夜間の上り〔ノサップ〕は釧路で札幌行の特急【まりも】に接続していて、日没後に根室を出発しても翌朝札幌に着ける便であったが、2008年8月の【まりも】の運行廃止(【オホーツク9号・10号】・【利尻】といった北海道内の夜行列車も、同年3月頃までに全廃)によって形骸化していた。

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太平洋とオホーツクの海が
交わる東の果てが納沙布岬だ

このように、根室本線の末端部分の閑散化によって列車本数が大幅に削減され、快速列車と言えども削減された普通列車の補完の為に、途中区間まで各駅に停まる停車駅設定がなされている。 

なお、現在は、早朝の下り列車と昼間の上り列車の1往復が〔はなさき〕、昼間の下り列車1本が〔ノサップ〕として運行されている。 現状での帯広・札幌方面との接続は、昼間の下り〔ノサップ〕と上り〔はなさき〕が、釧路で札幌駅発着の特急【おおぞら】(下り1号・上り8号)と接続する。 

上述の通り、かつては早朝の下り〔はなさき〕と夜間の上り〔ノサップ〕が、釧路で夜行特急【まりも】に接続していた。 また、【まりも】が根室駅まで延長運転していた際には、下り〔はなさき〕と上り〔ノサップ〕は運休し、その時間帯を快速〔まりも〕として運転した。

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納沙布岬灯台

《列車データ》
運行区間:釧路~根室 135.4km(登場当時は準急だった)
運行期間:1959年9月22日 準急【ノサップ】でデビュー
              単行運転で1往復で後に2往復で2両運転化
     1966年3月  5日 急行に格上げ
     1989年5月  1日 快速に格下げ
     1992年7月  1日 〔ノサップ1往復を〔はなさき〕に名称変更
     2016年3月26日 利用客減少に伴う普通列車減便及び本数削減に伴って、夜間の上り便
             が廃止となり、ノサップ〕は下り1本の運行のみとなる
             〔はなさき〕は1往復運行
運行本数:登場時点で1往復だったが、後に2往復態勢となる。
     最盛期には札幌発着の急行【狩勝】との共通運用で、下り3本・上り2本(上り1本は
     急行【狩勝2号】としての運用の為、実質3往復)だった。
     1989年5月に快速に格下げとなると、2往復の内1往復が快速〔はなさき〕に名称変更
     また、釧路発着の夜行列車【まりも】の廃止と列車本数削減の為、ノサップ〕は下り
     1本の運行のみとなる。 なお、〔はなさき〕の運行本数は維持。 
停車駅:急行運転時  釧路・厚岸・茶内・浜中・根室
    快速格下げ時 釧路・東釧路・武佐・別保・上尾幌(釧路~上尾幌 各停)・厚岸・ 
           茶内・浜中・厚床・落石・根室
使用車両:急行時代はキハ56+キハ27(基本は急行【狩勝】の間合い運用)
     国鉄末期にはキハ56を両運転化したキハ53-500番台投入による単行運転化
     JR移管から急行末期にはキハ54も投入されていた
     快速格下げ以降はキハ54による単行運転
乗車経験:急行時代に全区間乗車経験アリ
撮影経験:急行時代は根室到着時、快速格下げ以降は数回アリ

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岬灯台と流氷

  《撮影と乗車にまつわる思い出》
この列車への乗車は、急行【ノサップ】時に全区間乗車を体験している。 それは、今は無き札幌からの夜行急行【まりも】が釧路に到着するのが6時前。 その到着した夜行急行【まりも】から、対面ホームで待つ2両のキハ56の急行【ノサップ】に対面乗り換えをして、5分後に発車する。

この頃の急行【ノサップ】は136.3kmを所要時間125分で表定速度65.4km/hと、関東の鈍足電車特急(【しおさい】・【わかしお】・【あやめ】など)を表定速度で軽く凌駕する高速列車であった。
これは、途中に集落らしい集落もなく、列車本数も少なかった事から、減速ナシに突っ走る事が出来たからだろう。

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流氷が接岸する岬の果ては
人口希薄地帯で鉄道利用者も
当然少ないのは自明の理

だが、ローカル線を追っかけるのには、残念ながら「使えない」列車であった。 なぜなら、かつて厚床から分岐していた標津線の支線・厚床線の始発が6:33で、この急行【ノサップ1号】が7:20と接続してないのである。 標津線の支線・厚床線の1日の運行本数が8本ないし9本位あれば何も問題ないのだが、標津線の支線・厚床線の1日の運行本数は僅か4往復なのである。 その4往復の内の始発1往復に乗れないとなれば、『撮り鉄&乗り鉄』では致命的なのである。 

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厚床で発車を待つ10時ちょうど発の
標津線・厚床支線の2番列車

要するに、6:33の始発の次は2番列車の厚床10:00発まで列車がなく、この10:00まで待ってこの列車に乗って撮影地に行ったとしても、乗ってきた2番列車は撮れないから、撮影地で午後2時前後まで4時間近く待たないといけないのである。 もちろん、今のようにコンビニなどがある訳はなく、いや今のモノが溢れる現在であっても、牛が人の10倍以上というこの地では店屋自体がないのである。

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奥行臼で4時間待って撮った
釧原野をゆく厚床支線の単行列車

要するに、何もない所で4時間近く待ち続けなければならないのだ。 そして、今のように「車(レンタカー)で『撮り鉄』」って撮り方が確立されてなかった頃だったので、ローカル線を撮ってる奴ってあまりいないんだよね。 『乗り鉄』さんや『葬式鉄』さんのアリバイ写真的な駅撮り写真なら結構残っているけど、ローカル線の『風景鉄道』写真はほとんど見当たらないんだよね。 だから、今なおGoogle検索でも、『ローカル線』のキーワ-ドでワテの写真が結構上位に来るんだよね。

ただが『撮り鉄』・・、されど『撮り鉄』で、この「降りてからの何もない所でやり過ごす4時間の行」に耐えたワテは、先見の明があったって訳なのである。 でも、嘆いた所で乗れないのは仕方ないし、表定速度65km/hで乗れないなら、根室で金出して宿に泊まる以外に手はなかっただろうねっていうか、冬でも駅寝するようなタワケに宿に泊まる金なんてなかったしィ。

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急行【ノサップ】は途中駅で
降りるのは不便だったが
納沙布岬へ行くには便利だった

なので、急行【ノサップ】に乗った時は、根室まで出て列車名の由来となった納沙布岬めぐりをしていたよ。 昔は車の免許などなかったので岬までバスで約40分、途中にある集落は戦前に北方四島・歯舞諸島の行政府が置かれていた歯舞くらいで、信号もなく停まる必要のないバスは快調に飛ばしていく。
路線バスなのに、表定速度50km近くはあったと思う。

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岬の内陸部はタワーが
建つなど俗化していたが
岬灯台と果ての海は以前のままだった

着いた納沙布岬であるが、今は展望タワーが建ってたりしてやや俗化してるが、昔はそんな観光地っぽいものはなく、真に最果ての国境を望む岬だったよ。 そして、それを更に魅惑的に魅せるのが、冬の風物詩・流氷だろう。

納沙布岬・流氷
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手前に漂い奥ぎっしり・・
流氷はこの間隔が最も美しい

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流氷の寒々しさは
曇って海が鉛色になった方が
強調されるね

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急行【ノサップ】乗車2度目で
訪れた時は流氷の当たり年で
普段の倍の流氷が接岸していた

海を埋め尽くす白い氷片もいいし、冷たかろう冬の海に漂う流氷もいい。 漂う流氷と冬の季節風に重苦しそうに飛ぶウミネコや灯台を入れるのもいいし、もし国後島が見えたなら、頂が白峰となった爺々岳(ちゃちゃだけ)1822m も魅られるだろう。

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流氷を伝って北方四島まで
渡っていけそうな

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流氷と北の季節風に
煽られながら飛ぶウミネコ

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もし国後島が帰ってきたなら
必ずあの白峰に登りに行こう

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四島返還の願いをつなぐ
四島の架け橋

そして、この地に着いたなら『四島の架け橋』の前に立って四島返還の願いを祈り、ビジターセンターの記帳台で四島返還の思いを認めるとしよう。

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根室半島は風の里
至る所に風車が建っていた

納沙布岬をめぐったなら標津線・厚床線の『撮り鉄』は不可能で、標津線は乗るだけで『撮り鉄』は次回まわしとしたよ。

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凍る別寒辺牛湿原・チライカリベツ川と
昼の下り1本のみとなった
快速〔ノサップ〕

そして月日が流れ、歳食って体力と気力は失ったがレンタカーを借りれる金を持つ身となってからは、もっぱら根室の自然と絡めた『撮り鉄』を狙っていたよ。 その時は急行ではなく快速に格下げされていたけどね。


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東京五輪に「カンドーした」と言った奴らは
日頃はパヨクに対して「都合が悪くなれば
コメント欄など窓口を閉ざして
逃げる」と喧々諤々と非難をして

国民の9割が開催に反対した
事を握りつぶして否定し
「五輪開催に反対する奴はパヨクだ」
とまで言ってのけてたよなぁ

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でもワテが東京五輪の開催で170万の感染と
17000の死者を出した事を問い質し
「こうなる事が予測されて案の定
その通りになった東京五輪開催を煽った事に
対して罪悪感を感じないのか?」と問い質すと

「考えの違う者とは議論してもムダだ」と言い
「次に同じ事を言うと出禁にする」
とバヨク同様の宣言をして
コメント欄を閉ざした卑怯者
おまエラこそパヨク同様じゃねえの!

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この対応で日頃の勇ましい
愛国心は皆ウソで虚飾したモノだな
と読み取る事ができたよ
そしてコイツらの言う事に
何一つ信用に足るモノはないという事も

そして奴らが開催前にホザいたが如く
一つでも日本の国が浮揚する事があったか?
東京五輪の開催でシナの牽制が適ったか?
答えは全て『否』である

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感染爆発に陥り国民の多くが職を失い
飲食店を中心に多くの店や会社が潰れ
経済は『コロナショック』で疲弊し

対外政策でもシナに「東京五輪が
開催できた事は我が協力のおかげ」と
値打ちをコカれてシナ冬季五輪の
外交ボイコットの牽制をされる始末

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そしてこの事で西側諸国にシナ制裁が
おざなりだと米にハブられかける始末だ
この失態の責任、東京五輪開催によって招いた
国の危機の責任をどう取るのだ! おまエラは











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