風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道 第74回 赤谷線

廃線鉄道  第74回  赤谷線 〔新潟県〕

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路線最終日に運行されたさよなら列車
※『消えゆくローカル線40線』より

赤谷線(あかたにせん)は、かつて新潟県新発田市の新発田と同市の東赤谷を結んでいた国鉄が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。 1980年12月27日に施行された『日本国有鉄道経営再建促進特別措置法』(いわゆる『国鉄再建法』)を受けて、翌年の1981年9月に第1次特定地方交通線に指定され、1984年4月1日に全線が廃止された。

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古き良き時代の駅舎だった赤谷駅
※ 新潟市新津鉄道資料館の
 『赤谷線のページ』より

新発田~赤谷は赤谷鉱山から産出される鉄鉱石の輸送の為、官営製鉄所の専用線として1920年(1922年12月とする説もある)に敷設された路線であるが、第一次世界大戦後の不況(いわゆる1920年の戦後恐慌)の為に使用される事なく、5年近くに渡って放置されていた。 だが、地元の請願を受けた鉄道省が、この路線を保有する商工省より無償譲渡を受けて、1925年11月20日に『鉄道省・赤谷線』として開業したものである。

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国鉄唯一のスイッチバック
終着駅もこの日限り
※『消えゆくローカル線40線』より

末端の赤谷~東赤谷は、鉄鉱石鉱山の再開発の為に1941年に延長されたもので、東赤谷までの延伸と同時に鉱山からの積み出し施設が設置された。 東赤谷駅は33‰の急勾配を登った所にあって、国鉄唯一のスイッチバックの終着駅であった。

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閉山となってうら寂れた
哀愁漂う東赤谷駅
※『消えゆくローカル線40線』より

また、東赤谷から先の赤谷鉄山までの4.2kmに、日鉄鉱業赤谷鉱山専用鉄道の路線が分岐していたが、冬季は積雪で鉄道が運行不能となり鉱山採掘が止まる為に1956年9月末に廃止となり、廃止翌年の1957年に全線シェルターに覆われた中をゆく軌間610mmの電気軌道に切り替えられた。 この軌道も1998年に廃止されている。

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鉱山閉山後に施設が全て撤去されて
何もなくなった東赤谷には
2018年3月限りで廃止転換バスも
運行打ち切りとなった
※『緑の谷・赤い谷』より

なお、現在の赤谷鉱山は閉山となり施設は全て撤去されて整地されている。 赤谷鉱山閉山(1977年閉山)後に鉱山事務所やタンカル工場を移転して、他所から石灰石を運んで細々とタンカル(炭酸カルシウム)の生成をしていたが、数年前にこれも閉鎖となって工場も撤去されて更地となっている。
現在の加治川ダムに通じる道路は、1956年9月末まで運行していた日鉄鉱業赤谷鉱山の1067mm専用鉄道の廃線跡を利用したものである。

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国鉄赤谷線 予想路線図
 :
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
路線廃止区間と距離(営業キロ):新発田~東赤谷 18.9km、軌間:1067mm、
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:なし(全線非電化)、閉塞方式:(タブレット)閉塞式

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廃止直前の赤谷線時刻表
※ 我が編集の『ローカル線ぶらりさんぽ』より

運行本数:新発田~東赤谷 下り5本・上り6本
     (土曜は1往復増、上り1本の東赤谷~米倉 休日運休)
     新発田~米倉  下り1本
     (休日は上り1本の東赤谷~米倉が運休となり、実質1往復となる

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在りし日の東赤谷駅
※ ウィキペディア画像を拝借

駅数:7駅と仮乗降場1ヶ所〔新発田〕・東中学校前仮乗降場・五十公野・新江口・米倉・新山内・
             赤谷・東赤谷
  ※ 東赤谷直前は33‰の急勾配であった為、全国で唯一のスイッチバック式で入線する
    終着駅であった。
  ※ 東赤谷から先の赤谷鉄山までの4.2kmに、1956年9月末まで日鉄鉱業赤谷鉱山専用鉄道
    の路線が分岐していた。 この鉱山鉄道の詳細や鉱山跡の状況は上の記述を参照の事。
交換可能駅:赤谷(島式ホーム1面2線構造であったが、片面だけの使用で列車交換は行われなかった)
      東赤谷

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米倉駅で併結を行う朝の通学列車
※『消えゆくローカル線40線』より

   国鉄・赤谷線 年表
1920年(大正  9年)              : 新発田~箕立沢(現在の赤谷)が農商務省製鉄所専用線として開業
1925年(大正14年)  4月       : 商工省発足に伴い、管轄が同省に移管となる
           11月20日 : 商工省製鉄所専用線の一部を無償譲受し、新発田~赤谷 14.1km
                を赤谷線として新規開業する
                五十公野・米倉・赤谷の各駅を新設

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路線開業当時からの
木造駅舎だった五十公野駅

1941年(昭和16年)  6月  1日 : 赤谷~東赤谷 4.8km を延伸開業し全通
                      東赤谷駅を新設
1955年(昭和30年)  3月    : 沿線の北蒲原郡五十公野村・米倉村・赤谷村がすべて新発田市に
                 編入され、全線新発田市内となる
1963年(昭和38年)11月15日 : 新江口・新山内の各駅を新設。
1970年(昭和45年)10月    : 蒸気機関車の運転を廃止(主に新津機関区のC11 245・269
                号機が任に当たっていた)
1973年(昭和48年)  4月  1日 : 東中学校前仮乗降場を新設

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国鉄再建法によって
第一次廃止対象線に指定されて
※ 鉄道ジャーナル紙の掲載写真より

1981年(昭和56年)  9月18日 : 国鉄再建法施行によって、赤谷線は第1次特定地方交通線として
                廃止承認される

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旧国鉄・赤谷線
1981年に1次廃止対象線に指定され
1984年3月末で路線廃止
※『消えゆくローカル線40線』より

1984年(昭和59年) 1月20日 : 全線の貨物営業を廃止
          4月  1日 : 全線 18.9km が3月末の運行をもって路線廃止となり、新潟交通
                 にバス転換となる

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路線廃止となって廃線跡はサイクリング
ロード化されたがその休憩所として
『←新発田藩・会津藩→』という駅名標の
胡散臭い駅が設置されていた

  廃止後の状況
赤谷線の路線廃止後は、並行する新潟県道14号新発田津川線を経由する新潟交通の路線バスに転換された。 この系統のバス路線は当時既に運行されており、列車の廃止分に応じての増発を行っている。

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赤谷線の廃線跡は
サイクリングロード化されている
※ ウィキペディア画像を拝借

また、線路や設備などは一部を除き全線で撤去され、サイクリングロードを兼ねた遊歩道として整備されている。

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サイクリングロードは新山内~赤谷の
中々山公園まで続いている
※ ウィキペディア画像を拝借

赤谷線廃止直後の路線バスの運行業務は新潟交通が担当していたが、その後の2002年に同社の地域子会社である新潟交通北へ移管されている。 更に2007年には、新潟交通の地域子会社3社統合によって、新潟交通観光バスへ移管している。

なお、バス運行業務は、廃止転換時より引き続いて新発田営業所が担当しており、系統整理や減便などを経ながら下記の路線・系統により運行している。 なお、東赤谷までの乗り入れは2018年3月で運行廃止となっている。 2021年現在は《赤谷六軒町線》として運行されている。

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新潟交通・新発田エリアのバス路線図
※ ウィキペディア画像を拝借

 赤谷六軒町線》が経由するバス停
新発田営業所~新発田駅前~新発田高校前~五十公野~米倉~小戸入口(~小戸を経由して小戸入口に戻る便あり~山内~赤谷六軒町 : 平日は8往復で土曜・休日は2往復運行。



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2014年にリニューアル
された新発田駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借

新発田駅(しばたえき)は、新潟県新発田市諏訪町(すわちょう)一丁目にあるJR東日本及びJR貨物の駅である。 羽越本線を所属線として、当駅を終点とする白新線を加えた2路線が乗り入れている。
かつては赤谷線が乗り入れていたが、国鉄再建法により第一次廃止対象路線に指定され、1984年3月末に路線廃止となっている。 赤谷線は、駅舎から最も離れた3番線に発着していた。

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リニューアル前の柴田駅
コチラの方が駅舎らしかった
※ ウィキペディア画像を拝借

単式ホーム1面1線とその新潟寄りに設けられた切り欠き式ホーム1線、島式ホーム1面2線のを持つ駅で、ホーム間は地下通路で連絡している。 直営駅で、駅舎にはみどりの窓口・Suica等のICカード対応自動改札機・指定席券売機・自動券売機・待合室・デイリーヤマザキJR新発田駅店などがある。

駅舎は正面口にのみあり、改札口から直接東口へ出ることはできない。 駅の東側へは駅舎外、右手にある地下自由通路を経由する。



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局設定の仮乗降場ながら
通学する中学生が多数いた事と
新発田市の市街地に存在した事から
沿線で最も乗降客が多かったという
※ 新潟市新津鉄道資料館の
 『赤谷線のページ』より

東中学校前仮乗降場(ひがしちゅうがっこうまえかりじょうこうじょう)は、かつて新潟県新発田市五十公野(いじみの)にあった国鉄・赤谷線の仮乗降場である。 赤谷線の路線廃止に伴って、1984年4月1日に廃止された。

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通学利用の生徒への配慮で
仮乗降場ながら大きな
プレハブ待合所が設けられていた
※ 新潟市新津鉄道資料館の
 『赤谷線のページ』より

新発田市内と赤谷線沿線の4中学校を統合し、新たに東中学校を設立した。 その統合によって列車通学を余儀なくされた生徒(赤谷線沿線に居住の生徒)の通学の便を図る為に、開設された仮乗降場である。  単式ホーム1面1線を有し、プレハブの大きな待合室があった。 実キロは新発田起点2.9kmであったが、鉄道管理局設定の仮乗降場の為、営業キロは未設定だった。





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町外れに所在したが
有人駅だった五十公野駅
※ ウィキペディア画像を拝借

五十公野駅(いじみのえき)は、かつて新潟県新発田市五十公野にあった国鉄・赤谷線の駅である。

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五十公野駅の駅名標
※ 新潟市新津鉄道資料館の
 『赤谷線のページ』より

赤谷線の路線廃止に伴って、1984年4月1日に廃止された。 単式ホーム1面1線を有していて、駅員配置駅だった。 駅名である五十公野の中心集落へは、東中学校前仮乗降場の方が近かった。



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五十公野駅の駅名標

新江口駅(しんえぐちえき)は、かつて新潟県新発田市江口にあった国鉄・赤谷線の駅である。
赤谷線の路線廃止に伴って、1984年4月1日に廃止された。 単式ホーム1面1線の停留所規格の無人駅で、ホーム土盛りのやや下方に東中学校前仮乗降場と同様のプレハブの待合室があった。 四国の徳島線の江口駅との競合を避ける為、駅名には『新』が冠された。



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当駅までの区間列車の運行や
列車の分割併合があった為に
駅員が配置されていた米倉駅
※ ウィキペディア画像を拝借

米倉駅(よねくらえき)は、かつて新潟県新発田市大槻にあった国鉄・赤谷線の駅である。
赤谷線の路線廃止に伴って、1984年4月1日に廃止された。 旅客用に単式ホーム1面1線を有していた。 その他に貨物用の側線を有しており、砕石運搬列車の発着があったが末期には廃止されていた。

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駅舎に掲げられた駅名標
※ 新潟市新津鉄道資料館の
 『赤谷線のページ』より

当駅では列車の分割併合があり、その為の駅員が配置されていた。 駅名の米倉集落へは、隣の新江口の方が近かった。



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新山内駅の駅名標とプレハブの待合室
※『国鉄赤谷線』より

新山内駅(しんやまうちえき)は、かつて新潟県新発田市山内にあった国鉄・赤谷線の駅である。
赤谷線の路線廃止に伴って、1984年4月1日に廃止された。 単式ホーム1面1線の停留所規格の無人駅で、ホーム脇にプレハブの待合室を有した。



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雪が消える頃には
もう駅は存在しない
廃止まであと数日に迫った赤谷駅
※ ウィキペディア画像を拝借

赤谷駅(あかたにえき)は、かつて新潟県新発田市赤谷にあった国鉄・赤谷線の駅である。
赤谷線の路線廃止に伴って、1984年4月1日に廃止された。 島式ホーム1面2線を有していたが、駅舎反対側の1線のみを使用し、列車の行き違いは行われていなかった。 業務委託駅であった。

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唯一駅舎が残り集会所や待合所に
使用されている赤谷駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借

唯一、路線往時の駅舎が残っていて、現在はボランティア送迎バスの待合所や集会所として使用されている。



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訪れる事ができずに悔いが残る
赤谷線の終着駅・東赤谷
※ 鉄道ジャーナル紙の掲載写真より

東赤谷駅(ひがしあかたにえき)は、かつて新潟県新発田市赤谷にあった国鉄・赤谷線の駅である。
赤谷線の路線廃止に伴って、1984年4月1日に廃止された。 当時の国鉄では唯一のスイッチバックの終着駅であった。

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駅直前で33‰の急こう配を擁し
国鉄で唯一のスイッチバック
終着駅だった東赤谷駅
※『消えゆくローカル線40線』より

これは駅直前が33‰という急勾配があった為に、赤谷から来る列車はスイッチバックして駅構内に入るという変わった駅構造であった。 旅客ホームは島式1面2線であったが、図のように駅舎側ホームへの入線は転線を経ねばならず、駅舎反対側のホームのみが使用されていた。

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東赤谷駅の構内配線図
※ウィキペディア画像を拝借

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上図のような構内配線により
事実上は駅舎反対側ホームの
片面使用であった東赤谷駅
※ レイルラボより

また、日鉄鉱業の専用線が2本存在した。 それとは別に当駅から日鉄鉱業赤谷鉱山専用鉄道が出ていた。 この鉄道は開業当初は軌間1067mmであったが、当地が豪雪地帯の為に冬季は運休となって鉱山自体も操業を停止していたが、冬季も鉱山を操業すべく1957年に全線のほとんどをシェルター内に通した軌間610mmの電化軌道に敷設し直されている。

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廃止が近づくと葬式鉄が足を運んで
少しに賑やかとなったが
※『消えゆくローカル線40線』より

当駅の新発田寄りにはイギリス製の転車台があったが、大井川鐵道の千頭駅に移設されて、今も使用されているとの事。


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No Subject * by hanagon60
国鉄唯一のスイッチバック終着駅、東赤谷へは二度行ったことがあります。
最初は国鉄線乗り潰しの折。やはりスイッチバックということで感激して、当時としては珍しく写真も残しております。

二度目は廃止後の転換バスで。
その時はこの駅が目的ではなく飯豊山登山で東赤谷から歩いて入山しました。まだ廃線趣味がなかったので駅跡はチラと横目で見ただけ。今にして思えば残念なことをしましたねぇ。。
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No Subject

国鉄唯一のスイッチバック終着駅、東赤谷へは二度行ったことがあります。
最初は国鉄線乗り潰しの折。やはりスイッチバックということで感激して、当時としては珍しく写真も残しております。

二度目は廃止後の転換バスで。
その時はこの駅が目的ではなく飯豊山登山で東赤谷から歩いて入山しました。まだ廃線趣味がなかったので駅跡はチラと横目で見ただけ。今にして思えば残念なことをしましたねぇ。。
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2022-01-23 * hanagon60 [ 編集 ]