2022-01-22 (Sat)✎
『日本百景』 冬 第504回 匹見峡・冬 〔島根県〕
その静寂な氷瀑は
人を寄せ着けないオーラを放っていた
匹見峡 ひきみきょう (西中国山地国定公園)
島根県益田市匹見町(旧匹見町)に位置する渓谷の総称で、高津川支流の匹見川の河川浸食によって形成された渓谷である。 道川~匹見間の表匹見峡、その奥部にある裏匹見峡、そして最上流部に位置する奥匹見峡からなる。 また、中流広瀬付近には前匹見峡があるが、前者三つと比較すると知名度は低い。
西中国山地国定公園の指定区域に属している。
匹見峡・概念図
※ 冬季のトイレは
道の駅・匹見峡以外すべて閉鎖
アプローチ
益田駅からは、国道191号又は国道9号と国道488号を経由して1時間~1時間半程度。
広島方面からは、中国自動車道・戸河内ICより国道191号などを経由して2時間程度。
匹見峡には吉和ICからが最も近いが、国道488号の県境付近が常時通行止となっていて不可能。
なお、公共交通機関(路線バス)は、益田市匹見支所(旧匹見町役場及び市街地)までの便しかない。
前匹見峡
国道488号線沿い匹見川中流域から約1Kmにわたる渓谷で、嵐山・碁盤岩・天狗岩などの奇岩が見られる。 4つの匹見峡の入口にあたる渓谷である。
表匹見峡・お楽ノ滝
表匹見峡
国道191号から国道488号への途中(旧県道307号)にあり、約4kmに亘って渓谷美が見られる。
《屏風ヶ浦》や《小沙夜淵》といった名勝があり、車の中から手軽に探勝できる。
広見川の水流全てを
スライドで叩き落す五段ノ滝
裏匹見峡
表匹見峡から一転して、切り立った断崖や変化に富んだ渓流が続く。 また、匹見峡の中心となる渓谷で、レストハウスなどの観光施設がある。 約4kmの自然歩道の最奥部には一番の見どころである《鈴ヶ嶽》があり、途中には《五段ノ滝》をはじめ、裏匹見峡最大の淵である《平田淵》など渓谷美を堪能できる。
雨霧によって
幻想的な雰囲気をかもし出す
奥匹見峡・大龍頭
奥匹見峡
前出3つの渓谷よりやや離れた奥地にあり、広島県との県境にそびえる恐羅漢山 1364m を源とする渓谷である。 駐車場より約1.1Kmが渓谷探勝路として開かれているが、気象災害で探勝路が損壊して通行不能になる事が度々ある。 また、渓谷探勝路が途切れた先にも、知られざる滝が潜む秘境である。
探勝路上には《小竜頭》や《二段滝》など、変化に富んだ滝が魅られる。 この渓谷のクライマックスは最奥部にある落差53mの大竜頭で、人を容易に寄せつけぬ渓谷の最奥に、滔々と瀑布を掛けている。
渓流に転がる
滝飛沫が創造した宝石
さて、今回は知られざる秘境・『匹見峡』の最も神秘のベールをまとう《奥匹見峡》・・、それもただでさえ人の寄り付かない秘境へ、最も探勝が困難な冬に探勝してみた。
《奥匹見峡》というか、匹見峡全体を通じてバス便などない(バス便が運行されるのは旧匹見町市街地まで)ので、車でのアプローチは必然となる。 また、益田市街からの国道191号の峠越は雪道となるので、冬タイヤは必須となる。
「冬タイヤ装着してまで訪れる所なのか?」と疑問に思う事だろうが、それに対してワテはこう答えたい。
「夏の観光シーズンでさえ神秘のベールをまとった奥匹見の滝達が、完全に人を寄せつけぬオーラを放つ冬の時期に、誰も足を踏み入れぬ雪を被った渓流を上がる困難の末たどり着く高揚感・・ そして、そこにある誰も見た事のない神秘の情景を求めて」と。
この看板を鵜吞みにして進むと
エライ目に合う秘境渓谷・奥匹見峡
それでは神秘のベールの内側へ、誰も訪れぬ冬に探検しにいこう。 車もやってこないのに虚しい位にだたっ広い駐車場に車を止めて、案内板に従って渓谷に入っていく。 始めの内は完全に整備された石畳の道が続くが、すぐに気象災害での道の崩壊個所に差しかかり、以降は倒木が道を覆ったり、崩れて大きく崩落した道に雪が埋もれるなど歩行が困難となっていく。
美しい渓流の流れが
そのまま雪化粧をした《魚切ノ流》
崩れ落ちた道を沢に降りたりして巻きながら進んでいくと、やがて美しい流れがそのまま雪化粧をした《魚切ノ流》に出る。 夏に滑床に配された石によって魚鱗のように白い飛沫を立てるこの流れは、冬はその魚鱗に雪が乗って更に芸術的な景観を示している。 ここからは、元は道だった雪に埋もれた土砂崩れの土手をジグザグに切って上がっていく。
見事な氷瀑を魅せる小龍頭
真横に《小龍頭》の白布を見ながらこの土砂崩れの上に這い上がると、崖の上には雪を避けられるあずま屋が建っている。 ここまでの道のりは1km足らずだが、崩れて歩行困難な雪の渓谷探勝路を歩いて疲れもある事だろうから、ひと息着くとしよう。
水際の凍った淵を伝うだけでも
転倒の恐怖が付きまとう
だが、この先からは道は更に困難を極めるのである。 このあずま屋の横には、地元中学校の生徒による手書きの案内板がある。 しかし、これを鵜呑みにするとひどい目に遭うのである。 これに記してある所要時間は晴れている夏のシーズン、しかも探勝路が災害による破壊以前の事で、今は探勝路として整備されていたコンクリートブロックが粉々に粉砕される程に崩れ、道らしき道はほとんど形を成してはいない。
そこに雪が深々と降り積もる状況だ。
夏は2重の落水を魅せる
夫婦滝こと二段滝
:
この滝の左岸(右側)の崖を
ロープ片手によじ登る
もはや遊歩道は通る事ができず、沢の縁に乗っかる雪を目当てに伝っていくと、コンクリート階段が粉々に壊された崖の前に出る。 ここは夫婦滝(二段滝)の滝つぼ前のテラスで、その上には雪を被った探勝路の残骸が、ささくれ立つように崩れ重なっている。
その崩れたコンクリート階段の横に岩崖を直に登るべくロープが垂れ下がってあって、何とかそのロープをつかんで崖の上に這い上がる。 崖の上は探勝路だったようで、夫婦滝で迫り上がった渓流が再び寄り添ってくる。 このように、もはや探勝路としては使えないルートを伝っていくのだ。 その証として、かつて“柵”であった鉄の梁もひん曲がって奇怪な形状と化していた。
気象災害で粉々に砕かれた
遊歩道のブロック下に
渓流の飛沫が創造した神秘の宝石が・・
:
形は違えど渓谷は
新たな場面へと転生していく
これらを目にすると、かなり凄い土砂崩れが過去にあった事が想像に難くないだろう。 そして、それ以来復旧される事なく放棄されている『遊歩道跡』なのだと・・。 この冬遡行の7~8年ほどの前の夏に、このルートを歩いた時と同じく崩壊した遊歩道の惨状からも、もはや遊歩道の復旧は断念された・・と見るべきだろう。
僅か1.5kmほどであるが、雪の乗る渓谷の道なき道を伝う事もあってかなり疲れを感じる事だろう。
やがて、吹きつける雪で霞む視界に、幻想的な白い氷瀑が現れるだろう。 そう・・、滝の落水音さえも雪に埋もれる静寂しきりの水墨画の情景が・・。 この渓谷最大の瀑布で、落差53mの《大龍頭》の氷瀑姿である。
落差53mの大滝の全てが
白く凍って氷瀑と化していた
夏に幻想的な姿に心奪われた滝は、冬は静寂という神秘のベールを纏って更に幻想的な氷瀑姿を魅せていた。 しばし、この静寂に心奪われて魅入ってしまったよ。 ただ深々と降り積もる雪の渓谷で、呆然とこの神秘に魅入る自分がいた。
夏に幻想的な姿に心奪われた滝は
冬は静寂という神秘のベールを纏って
更に幻想的な氷瀑姿を魅せていた
あずま屋横の手書きの案内板によると、この先にも『サラサラ滝』や『きらめきの滝』などの知られざる滝が潜んでいるとあったが、夏でさえも《大龍頭》から先は完全に道が消失していて、引き返すより他にはなさそうである。
この滝の上流にも秘めたる
滝があるとの事だが
そこに至る道筋が全く見当たらない
帰りもロープを伝って岩崖を下るなど、危険を孕んでいるので慎重にいこう。 だが、往路で自身が着けた雪の踏跡を伝うと、行きより容易に下っていけるだろう。 後は車の中から望める《表匹見峡》を経て、《裏匹見峡》の渓谷入口となる『匹見峡レストハウス』へ向かう。
ダイナミックな渓流瀑が連なる裏匹見峡
ここに車を止めて、《裏匹見峡》を探勝しよう。 《裏匹見峡》は匹見峡の中心渓谷と目されるだけあって、渓谷探勝路は渓谷に沿って完全に整備されていて、所々の見通しが利く場所に展望台が設けてあるなど、滝を魅るのにも都合が良い。 だが、冬にこのマイナーな渓谷を訪れる者は皆無で、観光施設は全て閉まっている。
五段スライドで
川の全ての水流を叩き落す
五段瀑こと五段ノ滝
この《裏匹見峡》の圧巻は《五段ノ滝》であろうか。 《広見川》の流れ全部が五段のスライドを成して叩き落される、真に勇壮な滝である。 この他にも、大きい淵に小さな滝が彩りを添える《平田淵》、流れがあまりにも速く、ともすれば石が上流に動いているかのように見える《流石ノ瀬》、岩と水が創造した芸術・《鈴ヶ嶽》など見どころいっぱいである。
エメラルドグリーンの水を湛える
渓流最大の淵・平田淵
《裏匹見峡》は探勝路を1時間半も歩けば、最奥の《鈴ヶ嶽》まで伝う事ができる。 なお、この《裏匹見峡》は、全体を通してほとんど雪は無かった。 帰りは渓谷探勝路を引き返すもいいし、上の車道(国道488号)を歩いていくもいいだろう。
裏匹見峡最奥の景勝・鈴ヶ嶽と
流れが速く石が上流に動いているか
のように見えるという流石ノ瀬
帰りは、国道488号線や国道191号線を伝って益田市街に出る事が一般的だ。 匹見峡への最寄りICは『中国自動車道』の《吉和IC》であるが、ここから続く国道488号線は道路損壊で通行止処置となり、ゲートが設置されていて通行不能(歩行は可能だったが今は未確認)である。
統計確立学から言えば
連続して事が起こった場合
それに関わる事が主要因となる
確証は87%に及ぶという
そしてそれが近直の間に
連続して発生した場合の確証は
更に10%上がって97%となり
ほぼ主要因であると断定される
そして否定となる別の要因も見当たらない
開催の前後3ヶ月で170万の感染者と
17000の死者を出した東京五輪
そしてシナ冬季五輪の直前となって
日に4万の感染爆発を示す現状
これに加え蔓延するウイルスが
日本人同士での感染拡大が
絶対に有り得ない国外発生種で
外国人由来のデルタ株及びオミクロン株
今の政府の対応のように
感染拡大を日本人のせいにして
日本人のみに制限を加えるなら
絶対に効果はなく制限なしに入ってくる
外人によって更に状況が悪化するだろうし
例えシナ五輪が終わって
一旦収まっても次のフランス五輪の時に
また新種の株が発生して
再び感染爆発を引き起こすだろう
それは東京五輪で終わって
来日した五輪参加外人の
ほとんどが引き払った4か月後に
政府が「感染源は日本人の若者層」とした
デルタ株の蔓延が収まった事例で証明済みだ
そして五輪が開催される毎に
感染爆発に至る構造は
強化コーチやスタッフなどの名目で
日本に入国した外人共が
感染源である事実と共に
五輪開催で外国人の入国がラッシュと
なる事を利用したシナ工作員による
新種ウイルスのバラマキも考えられる
五輪開催に向けて警備が手薄になり
工作員の活動も容易となるからだ
防ぐ手立てはただ一つ
感染原因は五輪関係でやってくる外人共だと
感染原因を白昼の元に明らかにして
感染爆発となる事を知りながら
東京五輪を開催した首謀者共を
国民17000人殺害の国家反逆罪として処罰し
全世界的な終息宣言が成されるまで
こういった大会は全世界的に中断する事
そうしないと経済が回る兆しを見せたなら
再び感染が蔓延する繰り返しとなる
経済が回り国民が安心して暮らせる
状況の確保に真っ向から反するのが
感染爆発を呼び起こす五輪なのである
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