風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第4回  東海

『ネームトレイン』 第4回  東海

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グリーン車も連結された
湘南型の長大編成で
人気の高かった急行【東海】
※ ウィキペディア画像を拝借

   急行【東海】 ・・ 国鉄・JR東日本及びJR東海の急行
登場は国鉄時代に、分割民営化後はJR東海及びJR東日本が運転していた列車である。 新幹線が開通して東海道本線の昼行優等列車が淘汰された当時、東海道本線をゆく数少ない昼行の優等列車であった。

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特急となってからは
ワイドビュー車両が運用に就いていた
※ ウィキペディア画像を拝借

列車種別は準急 → 急行 → 特急と変遷し、末期にはJR東海の特急【しなの】で使用されている車両と同型のワイドビュー車両を使用していた事から、【(ワイドビュー)東海】と案内されていた。

【東海】という愛称は、1955年7月20日に東京~名古屋で準急として運転されたのが始まりだった。 1959年9月には【東海】の補完列車として、準急【新東海】も設定されていた。 1961年10月に準急【新東海】「新東海」を速達化すべく格上げして特急【おおとり】に変更し、準急【東海】は昼行6往復・夜行1往復の7往復体制で、この時が運転本数の最盛期であった。

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急行としての最後の運転日には
80形流線形車両が付けていた
ヘッドーマークを掲げた
さよなら運転が行われた
※ ウィキペディア画像を拝借

1966年3月に急行に格上げされ、1972年3月には全列車の運転区間を東京~静岡に変更した。
国鉄からJRに経営移管後の1996年3月には特急に格上げされ、運転区間が東海道新幹線と並行する数少ない昼行特急列車として、東海道新幹線の補完輸送の役目を担い、新幹線が経由しない沿線主要駅に対して乗換不要のサービスを提供していたが、2007年3月に利用客の減少により運行を終了した。

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特急運転時の絵入り愛称幕は
やや的外れな図案だった
※ ウィキペディア画像を拝借

《列車データ》
運行区間:東京~静岡 180.2km(登場当時は準急で東京~名古屋の運行だった)
運行期間:1955年7月20日 準急【東海】でデビュー
     1966年3月  5日 急行に格上げ
     1996年3月16日 特急に格上げとグリーン車の連結取りやめ及びワイドビュー車両の導入
     2007年3月18日 利用客減少に伴い、【東海】の運行を廃止
運行本数:廃止時点で、朝と夕方に1往復ずつ、計1日2往復運転されていた。
     準急時代の最盛期には昼6往復、夜行1往復の計7往復が運行されていた。
     東京~三島は同区間を走る特急【踊り子】が運行する前後に運行設定され、
     特急【踊り子】が通過する平塚にも停車していた。
停車駅:東京・新橋(上りのみ停車) ・品川・川崎・横浜・大船・藤沢・平塚・国府津・小田原・
    湯河原・熱海・函南・三島・沼津・吉原・富士・新蒲原・蒲原・清水・静岡
    ※ 特急としての運行時には、藤沢・国府津・函南・吉原・新蒲原・蒲原は通過していた

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グリーン車2両連結の
正統な急行列車だった急行【東海】
今の2両の特急より
よほど貫禄があるよ

使用車両:急行時代は165形の湘南型急行用車両で、グリーン車連結の最大16両編成の堂々と
     した列車であった。 特急に格上げされると、JR東海静岡車両区所属の373系6両編成を
     2編成併結した12両編成で使用され、指定席車を2両連結しているがグリーン車は連結
     されず、普通車のみのモノクラス編成であった。
乗車経験:ナシ
撮影経験:小学生の時に熱海駅で撮影

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急行【東海】
小僧の頃はデメキンは
あまり好きでなかったけど
今はブログの絶好の釣り餌たな

  《撮影にまつわる思い出》
急行【東海】であるが、コレは東京発のヘッドマーク付のブルートレインを撮るついでに撮った産物である。 それは、ワテが『鉄』として『まとも』だった頃(ナンチャッテの王道である『○鉄』に脱皮する前の事)、そう・・他の鉄の皆と同じく、『ブルートレイン』なるものを追っかけていた頃の事である。

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ブログ界広しと言えども
嬉々として自らの恥(遭難体験)を
さらけ出すロクデナシはそうはいまい

この頃は、よもや『STB=駅寝』を繰り返したり、山で『そ■な△』をカマしたりするようなロクでもない奴になろうとは、努々思わなかった『希望』の(多少あった)少年時代の事である。 まぁ、この先に一眼レフを持つようになってから、人生ボタンの掛け違えが始まったのだけれど・・。

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これは【踊り子】より
いい釣り餌になるかも・・
でもこの絵はどう見ても
ワサビでなくて海中の藻草だね

筆者の家系は、筆者一族はまったくもって冴えないが、周囲はわりと裕福であった。 その親戚が伊豆に別荘をもっていたので、夏になるとよくそちらに連れて行ってもらっていたのである。 親戚には同じ年頃の子がいたが、夏休みの過し方ひとつ見比べただけで、素養の違いがまる判りであった。

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少なくとも避暑地に来てまで
受験勉強する子より
「ブルートレインじゃあ~」の方が
子供らしいと思うワテ

この同じ歳の子を見て、ワテは「別の生き物だなぁ」とつくづく実感したよ。 奴は勉強しているのである。 こんな所まで来て勉強してるのである。 ワテが「ブルートレインじゃぁ~」と言ってる時に、そろそろに有名中学受験の下準備をしていたのである。

夏といえばプール(別荘を管理するゲストハウスにプールがあった)や昆虫採集、避暑地での学習(←この辺が筆者とは大いに違うが、奴は真剣コレに取り組んでいたよ)と夏休みを謳歌!?していたが、筆者は子供の頃からダメっ子だったので、夏休みの宿題は休みの終わる3日前で、足りない分は誰かのノートの丸写しであった。 戦術としては、一つの教科だけを仕上げて、後は5人の仲間を募っての共同作業で宿題を仕上げる寸法である。
 
まぁ、ヨタ話はおいといて、伊豆にある別荘に連れて行ってもらった時は、まだ“青い果実”だった筆者にとっては大チャンスだったのである。 そう、東京発のブルートレインをゲットできるという・・。
だが、そのチャンスも、すんなり本願成就とはいかない。 それは、その別荘からブルートレインが撮れる東海道本線の駅までは結構離れていて、別荘村からはタクシーでも使わねば脱出できないのであった。
そして、金も別荘に泊まるにあたって、数千円の小遣いを渡されただけである。

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EF58
EF58牽引の臨時の【あさかぜ】
上の写真もそうだけど
これも上等の釣り餌ですね

この現状では、金が足りずに「棚にあるボタ餅を眺めるだけ」になってしまうのである。 何としてでも片道のタクシー代を確保せねば、『ブルートレイン』は手の届かぬ先に逝ってしまうのである。
タクシー代を捻出する為にゲストハウスのプールにも入らず、アイスも食わず、ジュースも飲まず、ひたすら最初の小遣いを死守する。 そんなこんなで、避暑地に出向きながらも同じ歳の親戚の子が謳歌する『避暑地の夏』は、タワケな小僧(筆者)には永遠に縁のないものとなってしまっていた。
 
だが、計算すると、最初の小遣いを死守しても金が足りない。 なので、小僧の頃からロクデナシ予備軍の筆者は究極の努力をする。 そのたゆまぬ努力の結果、今のナンチャッテ人生へのボタンの掛け違えが始まったのだが・・。 それは、近鉄と東海道線の普通を乗り継いでの三島へのアプローチである。
 
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今は九州シンカンセンの
不細工なカモノハシと
なった特急【みずほ】

別荘を持つ親戚には『名古屋にいる転校した友達に会ってから行くよ』などとホラを吹いて、夕方に三島駅で迎えに来てもらうように約束を取り付ける。 要するに、『名古屋に寄るから遅くなる』とホラを吹いて、普通の乗り継ぎで到着が夕方になる事を誤魔化しつつ、未だ年端もいかぬ年齢を利用して『遅れた上で三島まで迎えに来てもらう』という費用の二重浮かしを敢行したのである。

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小僧の頃に抱いた
『東京コンプレックス』は
東京発のみに掲げられたヘッドマーク付の
寝台特急が大阪に無かった事だよ

この涙ぐましい努力で、約1万円近い費用(もちろん最初に、親から新幹線代を含めての金を受け取っている)が浮くのである。 これと避暑地での倹約で、ようやく『ブルートレイン』が筆者の手に入る(撮影できる)のである。

話は外れてしまったが、この時は修善寺なんかに行ったりして時間を潰し、夕方に買い物に来る親戚のお迎えを待って帰りのタクシー代をもゲットするのである。

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修善寺
小坊が撮る被写体ではないわなぁ

修善寺駅に立ち寄ったのはお迎え待ちの「時間潰し」の事もあるが、「同じ年頃の少年と唯一同じ趣味」である三島駅で寝台特急撮影をした後の歴史探訪が目的だったのである。

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源範頼の墓
小僧が撮る・・以下同文
この頃NHKの大河ドラマで
名作『草燃える』をやっていて
小僧だったタワケガキは
この源平・鎌倉初期の争乱絵巻に夢中だった

それも歴史的にヒーロー視されている『源義経』ではなく、この地で謀殺された『源範頼』や『源義家』に興味を抱くという・・飛んだ思考を持つガキだったようである。

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高校生ともなると更にエスカレートして
『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』で
往復の新幹線代と正規の大人運賃の約3万円が
九州・宮原線めぐりの旅費に化けたのであった
でも宿代までは回らず
この山小屋駅でいつも駅寝だったけど

この手法は、『青春18キップ』が発売された5年後は更にエスカレートして、往復の新幹線代と正規の運賃の約3万円が、『九州・宮原線めぐり』の旅費に化けたのであった。 まぁ、この頃は、さすがに『ブルートレイン』とは決別!?していたけど・・ね。


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一度統計計算の世界にハマると
重箱の隅を嘗める様につつくのが
大好きなタワケはその計算に夢中となる

今は鉄道線の乗りつぶしを一発計算
できるソフトがあるらしいけど
ワテは全て手計算である
計算オタクにとってこんな
美味しい餌はそうはないのである

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計算結果は関東以外の未乗線は
境線・参宮線
九州の博多南線・宮崎空港線と
男鹿線の羽立~男鹿
紀勢本線の南海への連絡区間のみだ

以外にもすぐ近くな所が
乗り残しとなっている
九州の2線も吉都線に昼間に
もう1本あれば乗れたんだけど・・

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関東の乗り残しは千葉県・茨城県といった
ヤマのない所に集中して残っているよ
千葉県なんか木更津と大原で線を引いた
下部分が完全に未開の地だ

あと関東在住の人でも苦労する
武蔵野線の支線区間を含めての
都市近郊路線もほぼ未開に近いよ

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シンカンセンは「キライ」といいながらも
長野と新潟の一部と北海道以外は
日程に余裕のない勤め人の
悲しさだろうか・・全て乗ったよ

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踏破し終え登頂した峰の標高総計が
100万mを越えた今・・
『鉄』の完全制覇行っとく?






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