2022-01-09 (Sun)✎
『路線の思い出』 第473回 小野田線・雀田駅 〔山口県〕
一晩の住処とする事で
肝心なとこがおざなりな改装だった
事が露呈した雀田駅
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
伊能~小野田・雀田~長門本山 13.9km 431 / 785
運行本数
小野田~宇部新川 9往復
宇部新川~雀田 下り1本(本山支線への直通列車)
雀田~長門本山 3往復 (下り1本・上り2本は宇部新川より直通)
Y字構造の駅に進入する
小野田線の単行電車
雀田駅(すずめだえき)は、山口県山陽小野田市大字小野田字小中原にあるJR西日本・小野田線の駅である。 当駅から長門本山駅への支線(本山支線)が分岐している。 小野田方面と長門本山方面に各1面1線で、Y字構造のホームをもつ駅である。
無人駅で、宇部新川寄りの駅直前で2本に分かれた線路に挟まれたデルタ型のホームの真ん中に、小さな駅舎がある。 2018年8月1日に、駅舎の屋根や雨どいなどを山陽小野田市立山口東京理科大学のスクールカラーであるオレンジ色に塗り替えるなど、駅のリニューアルをしている。 2020年度の1日の平均乗車人員は95人との事。 だが、トイレは改修されずに閉鎖されていて、トイレはない。
この駅の駅名標は
故あって真夜中フラッシュ撮影
:
その『故』とはSTB
全国の鉄道路線分岐駅でも、見事な位に駅でY字分岐しているこの雀田駅であるが、駅としてはとても「残念な駅」である。 それは様々な複合技から言える事なのである。 まず一つ目は、列車接近時になる案内兼注意喚起のアラームであるが、メチャクチャ不快な音で夜なんかは「ビクッ」とくる音なのである。
この列車接近表示器が灯ると
鵺(ぬえ)が鳴くような
奇怪なアラーム音が鳴り響く
※『日刊スポーツ』のウェブコラムより
2つ目は、これよりの旅先の九州の無人駅でのスタンダードである『吹き抜けの駅』なのである。
それはホーム側は引き戸サッシ不設置で、駅舎出口側もサッシはあるのだが、レールが潰されて閉める事ができない『完全吹き抜け』な駅なのである。
ホーム側も入口側も
扉は不設置か機能停止で
Y字構造な上に
風の吹き抜けな駅だった
そして、ハットトリックの3つめは、最寄りにある大学に合わせて改装した駅だというのに、トイレは手を付けられずに閉鎖されていたのである。 「トイレの建物に貼られた大学案内の看板が泣くぞ!」という位に残念な駅だったのである。 ここは大学の先進イメージに合わせて、トイレも洋式ウォシュレット化して欲しかったよなぁ。 最近、足腰が弱くなって洋式以外は敬遠気味な我が身には、コレ結構切実な事だったりするのである。
コリは先進の理科学を志す
大学のイメージが潰れるぞ
トイレも先進的な
ウォシュレットにすべきなのでは?
※『日刊スポーツ』のウェブコラムより
でも、普通の人が駅に抱く感覚で『残念』と思う事は減便であったり、接続が不便だったり・・であるのだが、このタワケの場合は『一晩の住処』として使う気なので、他の利用客がそれほど気にしない上に挙げた3つの事が至極残念に思えたのである。
学生が勉強するのに最適な
環境をアピールしたいのだろうが
トイレを何とかしなきゃ
全て台無しじゃね?
※『日刊スポーツ』のウェブコラムより
もう一つ上げると、学生が勉強できるスペースのイメージ付けであろうか・・、テーブルとイスが駅舎全体に設置されているのだが、そのイスとテーブルは固定化されて使用に耐えないのである。 駅舎内には詰めれば20人分のテーブルと椅子があるのだが、椅子が地面に固定されて動かせないので「使えない」のである。 つまり、駅舎のスペースを殺しているだけのイスとテーブルであった。 まぁ、テーブルは使えるけどね。
この机を使って勉強する
『ニノミヤ(二宮金次郎)』な
学生はもういないだろうね
※『日刊スポーツ』のウェブコラムより
このようにイスとテーブルにスペースを消されて、テントを張る場所が駅舎出口の吹きっ晒しの風がテントを揺さぶる寒い環境のスペースしかないし、駅舎外からも丸見えでバツが悪いのである。
でも「何故に、この駅を九州への往路での住処としたのか?」というと、九州での乗り残し路線が数路線あって、「九州上陸初日で、その全てを片付けてしまおう」と思ったからである。
だが、山陰側と違ってシンカンセンが並行する山陽側はそのほとんどが駅寝NGの終日有人駅で、駅寝するとしたなら、宇部線が小野田線位しかないのである。 なぜなら、山口線や美祢線の無人駅に「駅寝の神様が宿る駅」が多々存在するのだが、これらの駅では九州に入るまでに時間がかかり過ぎて、「九州上陸初日で、その全てを片付けてしまおう」という目論見が水泡と帰すからであった。
まぁ、小野田線の乗り残しである雀田~小野田も片付けたかったしィ。 それに30数年ぶりに、旧型国電の時に乗って以来の本山支線にも乗りたかったし・・ね。 でも、雀田駅の『残念っぷり』を目にした途端、「(宇部新川2つ手前の)東新川辺りの駅にすれば良かった」と思ったが、途中で買った時刻表を見ると、東新川で降りてしまうと本山支線の始発に乗れなかったりして(30分後の朝の最終便には乗れるがすぐに折り返し)。
着いて5分で折り返しでは
はるばる来た意味がないのでは?
:
到着する列車の
写真も撮れないしィ
でも、30年前の旧型国電が行き交った頃は10往復くらいの運行があって、乗るのが苦とならない支線だったのだけど・・。 あの時は『1路線完乗ゲット』を優先して宇部線で山陽本線に戻ったので、小野田線の残り区間は未乗のまま『鉄』期を終えて、30数年未乗のまま放置だったんだよね。
それと普段は「据え付けがメンドいし重いので三脚を持たない」・「ロケハンなど事前準備をしない」・「古いのとさほど変わらないし重くてかさ張るので時刻表は持たない」の『3ナイ運動実施中』なのに、何故にこの旅で時刻表を持っていたかというと、旅立ちの時に慌て過ぎて旅の行程を書いた紙を忘れてきたのですね。 でも、どう行くかは暗記していたので、それを確認するべく時刻表が必要となってkioskで『コンパス時刻表』を買ったんだよね。
「重たいから」と三脚や時刻表は持たないのに
ベンチに乗っかるテントと食料一式20㎏の
黒い物体を担ぐ言動不一致なタワケ
:
今回はF-1でないのでカメラは軽いが
食料は5日分で重くいつもと同じ20㎏
まぁ、トイレはないしほとんど吹きっ晒しでテント内温度も5℃まで落ちたが、ヤマや北海道に比べると暖かくて湯たんぽ不要の好条件だし、トイレも駅から30m出た市道にコンビニがあって、100円ほど必要(何か買って帰らないとバツが悪い)だがトイレもクリアできるし、今は年末なので学生などの利用者皆無で、列車接近アラームが不気味にこだまする程に静か(年の瀬は、市道も車の通行がほとんどない)だしィ。
今回はリハビリ旅なので
タダでもらったF-1の半分以下の重さの
AFフイルムカメラをAF外して使用しますた
:
フイルムも足元見られてフイルム・現像代共に
値段と倍なったのでネガフイルムを使ってみますた
※ コニカミノルタの製品ラインナップより
あと、もう一つの問題噴出のカメラの電池切れ(旅立つ前に確認しなかったのか? このタワケ)も、シュラフの中に入れて体温で温めれば、博多のヨドバシカメラまで持ったよ。 ちなみに、この旅での使用カメラは、「デジタルに変わって不要だから」とタダでもらったミノルタ(今はSony)のα-303iに、同じくタダでもらった28~80mmと100~300mmのズーム2本で、電池も「前に電池切れじゃなかったから」と気にも留めてなかったのである。
まだこの形の電池売っていたのね
F-1の4LR44は製造打ち切りとなって
倍の値段の酸化銀電池しかなくなったしィ
※ ハナソニック電池ラインナップより
去年の暮れに『残念』の摘出手術をして体力が落ちた病み上がりなので、気楽な『撮り鉄オンリー旅』by オールテント駅寝を企画したのだけど、コレって手術明け退院のその日から即効でしようと目論んでいた『テント駅寝&撮り鉄旅』だったりして。
♪トントントンカラリンの隣組ィ~
掟を違えば村八分
どうにもならない村八分
今日もとうとう村八分
※ Chakuwiki より
でも実行してたなら、一族内で「この常識知らずのタワケ」と罵倒されて、一族内『村八分』となってただろうね。 まぁ、今も半分『村八分』状態だけど。 でも、手術で身体切って臓器取り出した後に、テント担いで旅に出るのはさすがにムリでした。
天候も寒い冬が予想された割には暖かく、えびのと立野以外はテント内温度が5℃以下になる事はなく、10℃越えの日もあったりして、暖房設備が劣っている我が家よりも暖かかったりして。 でも九州は、総じて寝苦しい駅が多かったけど。 なお、えびのや立野など九州の駅ついては、また別の機会に・・。
昔も今も特に全国JR線の
完全踏破にはほとんど執着がなく
「永遠に80%を維持できていたら
それでいい」と思っていたのだが
今回の九州駅寝撮り鉄旅で
気がつけば94%を上回っているよ
でも100%になる事は永遠にない
なぜなら第三セクターなどに経営移管
された路線を含めた廃止路線も
路線全体の分母に入れているからだ
それはワテが鉄道を追っかけ
始める切っ掛けとなった
白糠線が廃止となった1983年10月
の時点で存在した国鉄全路線を
路線計算の分母にしているからである
だから東日本大震災でBRTとなり
正式に路線廃止・バス路線となって
鉄道路線ではなくなった気仙沼線の一部や
倉吉線や九州の勝田・室木・勝田線など
国鉄時代に未乗のまま廃止された路線や
第三セクターに転換されてから乗車した
会津線や三陸鉄道など東北で特に多い
第三セクター転換線は計上してないのだ
国鉄時代に未乗のまま
廃止となった12路線170kmや
第三セクターとなった7つの未乗線156km
第三セクター後に乗車した9路線257kmは
永遠に未乗のままとする拘りを持っている
だから現存するJR線を対象とすると
10路線7区間とシンカンセン未乗区間で
残り879.5kmでJR線の総路線延長が
19586kmだそうだから実質は95.6%である
現存路線での未乗は乗るのが嫌な
北海道・北陸・長野のシンカンセンの一部
300kmと関東に大部分(513km)で
関東以外は4路線2区間63.1kmのみとなったよ
もう特段立ち寄る計画が上がらない路線ばかりだ
こうなったら悪いクセが出て
踏破したのと同じく
『鉄』も完全踏破に向けて
無駄にシンカンセンに乗っちゃうかも
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Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
返信が夜半となりスミマセン。
こういった中途半端な改装は、大学にとってもーにかならないと思いますね。
そして、本山支線の終点・長門本山駅も朝夕のみの日に3便で、駅にトイレも有りません。
小野田線には古い駅便所が多々あったようですが、全ての駅で閉鎖や撤去が行われているようですね。
まぁ、維持費の事からすれば、致し方ないのでしょうね。
私も、本山支線に初めて乗った時は、焦げ茶色の旧型国電でした。 その頃は昼も運行していて、1日10往復位あったようです。
>ここまできたらJR完乗もやってみては如何でしょう?
踏破をやりだしたら、必ずオチャメってズッコケるからね~。
〔名峰次選〕の踏破も、ラス5の池口岳で大雨&暴風、ラス3のペテガリ岳で脇腹2本ポッキン、ラス前の富士山では骨折明けで山荘泊まりで行ったのに山荘は全て店じまいして、3000mでテントナシ野宿(幸いシュラフは持ってきていた)、大ラスの広河内岳では、誰にも会わずに1人踏破の喜びにニヤついていました。
あと、関東の複雑な路線は難解ですね。 乗った路線と乗ってない路線の判別ができないかも・・。
返信が夜半となりスミマセン。
こういった中途半端な改装は、大学にとってもーにかならないと思いますね。
そして、本山支線の終点・長門本山駅も朝夕のみの日に3便で、駅にトイレも有りません。
小野田線には古い駅便所が多々あったようですが、全ての駅で閉鎖や撤去が行われているようですね。
まぁ、維持費の事からすれば、致し方ないのでしょうね。
私も、本山支線に初めて乗った時は、焦げ茶色の旧型国電でした。 その頃は昼も運行していて、1日10往復位あったようです。
>ここまできたらJR完乗もやってみては如何でしょう?
踏破をやりだしたら、必ずオチャメってズッコケるからね~。
〔名峰次選〕の踏破も、ラス5の池口岳で大雨&暴風、ラス3のペテガリ岳で脇腹2本ポッキン、ラス前の富士山では骨折明けで山荘泊まりで行ったのに山荘は全て店じまいして、3000mでテントナシ野宿(幸いシュラフは持ってきていた)、大ラスの広河内岳では、誰にも会わずに1人踏破の喜びにニヤついていました。
あと、関東の複雑な路線は難解ですね。 乗った路線と乗ってない路線の判別ができないかも・・。
私が小野田線に乗ったのは社会人になって間もなくの頃でしたが、この三角ホームの駅は印象に残っていました。写真ないですけど(泣)
本山支線の旧型国電もチョコレート色だけでなく、前面には黄色塗装ももあったと記憶しています。
ここまできたらJR完乗もやってみては如何でしょう?