風来梨のブログ

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私の訪ねた路線  第55回  妻線

『私の訪ねた路線』  第55回  妻線  〔宮崎県〕
 

西都原古墳を図案化した
妻駅のスタンプ
 
《路線データ》
         営業区間と営業キロ          輸送密度 / 営業係数(’83)
         佐土原~杉安 19.3km             869  /   684  

         廃止年月日       転換処置       廃止時運行本数
         ’84/12/ 1        宮崎交通バス         6往復

   《路線史》
妻線の建設は古く、最も早く宮崎に乗り入れた路線との事である。 計画では官設で建設される吉都線が先に乗り入れるはずだったらしいのだが、工事が遅れて軽便鉄道で建設された県営鉄道の妻線が先に開通してしまったとの事である。 その後、妻線も国有化、1922年には妻~杉安が開通して全通する。

戦時中には妻~杉安が不要不急路線として休止されたが、1947年に復活。 建設予定では市房山域を越えて湯前まで至る計画だったのだが、着工されないままに省営(国鉄)バスが湯前まで路線開設された。
一時期は、国鉄バス『日肥本線』として主要幹線となっていたようであるが1997年に国鉄バスも撤退し、今は宮崎交通と西米良村バスにより細々と運行されているとの事。

この建設計画には、日向(宮崎)と肥後(熊本)を結ぶにあたり“矢岳越え”のある吉都・肥薩ラインを避け、幾分なだらかな市房~湯前を経て人吉に合流させようとの狙いがあったようである。

完成してからの妻線は、沿線の過疎化と路線延長計画の頓挫から典型的なローカル線として扱われ、気動貨車の試験運用とかにも使われていたそうである。 そのような位置取りにあった為に1968年の『赤字83線の廃止勧告』の一つにも挙げられ、これは何とか凌いだものの、次の国鉄再建法では廃止対象の一次候補に指定され、1984年11月末をもって廃止された。
 

妻駅入場券
 
廃止に当たっては地元の愛着が深く、廃止時の交渉にて「将来の復活に備えて、今後20年間全線に渡り線路を撤去せず残す事」という覚書が交わされたとの事である。 20年以上経った今は、線路跡はサイクリングロードに整備されて利用されているようである。

妻線は佐土原~妻だけなら宮崎の郊外都市圏であり、廃止基準もクリアできそうな輸送量(といっても、
利用のほとんどが学生)があったそうだが、延伸区間の妻~杉安が足を引っ張ったようである。
だが、鉄道趣味の観点からすると素朴な風景を抱いていたのはこの区間であり、かつて賑いを見せた木材輸送の名残を残す広い構内や雰囲気のある木造駅舎などに、心を虜にされたものである
 

 

杉安駅でいっぷく
ローカル線の終着駅の割には
明るい雰囲気であった妻線
 
  《乗車記》
妻線の行き交う西都市は宮崎市のベットタウンで、運行される列車の2/3が宮崎を起点としていた。
そして佐土原駅では、母屋寄りの1番線が妻線専用ホームであった。 佐土原を出た列車は暫く日豊本線と併走した後、左へそれていく。
 
次の西佐土原は、元々『佐土原』を名乗っていた佐土原町(現 宮崎市)の中心市街地にある駅だ。
日豊本線の佐土原駅(1965年の駅名改称まで広瀬駅と名乗っていた)が町の中心から離れた所にあったので、この区間は本線への連絡の役割を果たしていたみたいである。 駅舎も集落の中心にあったので、寺子屋のような立派な駅舎であった。
 
西佐土原を出ると、国道219号線と一ツ瀬川から分かれてすぐの三財川を跨いで黒生野に着く。
駅舎は簡易駅舎で、築堤上をゆく線路に合わせて高台に駅があった。
 
次の妻は西都市の代表駅で、駅舎も庄屋造の立派な駅舎であった。 また、『妻』という駅名が縁起切符ブームに乗り、入場券がバカ売れした駅でもある。 線内最大の駅という事で列車交換可能の設備はあったが、末期は全線が一閉塞扱いとなって列車交換は行われず、駅員も入場券の販売の為に委託販売員を日中に配置していたのみであった。
 
また、国道219号線に面して駅母屋があり、駅前より路線創始記に妻線が目指した湯前まで国鉄バス・日肥線が出ていた。 だが、モータリゼーションの発達と過疎化によって市房越えの利用者が激減し、国鉄バス自体も撤退している。
 

美しい杉林と純和風の
農村風景を往来した妻線
杉安~穂北
 
妻を出ると、純和風の農村地帯の眺めが広がる。 またこの辺りは杉木材の産地で、杉の美林が周囲に現れ出す。 次の穂北は利用客がほとんど無さそうな駅だが、木造駅舎があって業務委託の駅員が配置され、駅構内もかつては木材の搬出の為に取られた側線跡が侘しく広がっていた。
 

木造で古き良き時代を
偲ばせる杉安駅
 
再び杉の美林と純和風の素朴な田舎風景を見やると、同じく広い構内に杉の原木が野積みされた杉安駅に着く。 駅舎は木造でその姿は古き良き時代を偲ばせる造りであった。 また、駅の先に流れる米良川にある杉安峡は、夏に花火大会が催されるなど避暑地として知られている。

   ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『妻線』を御覧下さい。
 
 

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No title * by オータ
廃止されてしまったから…といってはなんですが、やはりローカル線のムードが漂っていますね。

No title * by 風来梨
本当に、純和風ののんびりムード漂う路線でした。

もっと撮っておきたかったなぁ・・。
1日6往復って、かなりチャンスが少ないんですよね。
しかも、徒歩撮影だったし・・。

コメント






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No title

廃止されてしまったから…といってはなんですが、やはりローカル線のムードが漂っていますね。
2011-10-13 * オータ [ 編集 ]

No title

本当に、純和風ののんびりムード漂う路線でした。

もっと撮っておきたかったなぁ・・。
1日6往復って、かなりチャンスが少ないんですよね。
しかも、徒歩撮影だったし・・。
2011-10-14 * 風来梨 [ 編集 ]