2022-01-04 (Tue)✎
『ネームトレイン』 第3回 西海
急行【西海】だから
撮ったのではなく
好きな機関車EF65-1000番台
だから撮ったこの写真
急行【西海】 ・・ 国鉄時代の急行
1954年10月1月より運行を始めた列車であるが、列車自体の前身は終戦後に米駐留軍の専用列車として運行された〔Dixie Limited(南部特急)〕で、駐留軍の兵隊以外の日本人旅客の乗車が可能となったのが1952年4月の事である。 当時は〔Dixie Limited〕がそのまま使われていたが、日本人旅客の乗車が許可されて2年半後の1954年10月1月に、急行【西海】の列車名がつけられた。
進駐軍専用列車時代から【西海】の列車名がつけられた当初は、東京から重要軍港である佐世保まで、まる1日をかけて走行したロングラン列車であった。 ちなみに、東京を10時半に出て大阪に20時頃着、佐世保には翌日昼前の11時過ぎに到着するダイヤであったそうである。 また、〔Dixie Limited〕時代の1951年10月より、長崎行で後の急行【雲仙】を併結するようになった。
だが、1968年10月1日のダイヤ改正で運行区間が大阪~佐世保に短縮となり、季節臨時の増発列車を除いて単独運転となる。 また、1975年3月10日の山陽新幹線の博多までの全線開業に伴って新大阪発着となり、再び【雲仙】との併結運転に戻されている。
この1975年3月の改正によって寝台車は連結されなくなり、14形客車によるオール座席車の急行列車となる。 それから5年後の1980年10月1日に、急行列車が大幅に淘汰された俗に言う『5510(ご-ごーとう)』のダイヤ改正によって急行【雲仙】と共に廃止された。
この手の客車は北海道の
夜行急行で使っていた
大音響付きの半自動イス車12形が
あるのであまりいい印象はないなぁ
※『客車列車を追って』より
《列車データ》
運行区間:東京~佐世保 1313.6km
運行開始:1954年10月1日~1980年10月1日(1968年10月1日からは大阪・新大阪~佐世保
の運行となる)
運行本数:列車廃止時は長崎行の急行【雲仙】との併結運転で1往復
停車駅:東京・横浜・小田原・熱海・沼津・富士・静岡・浜松・豊橋・蒲郡・名古屋・岐阜・大津・
京都・大阪・三ノ宮・神戸・姫路・岡山・倉敷・福山・尾道・糸崎・三原・瀬野(下りは通過)
広島・岩国・徳山・小郡(現 新山口)・小野田・厚狭・下関・門司・小倉・八幡・折尾・
博多・鳥栖・佐賀・肥前山口・武雄(現 武雄温泉)・永尾(上りは通過)・有田・早岐・
佐世保に停車
使用車両:寝台車連結時はスハ43系などの旧型客車と10系寝台車。 客車列車化された晩年は14形客車
乗車経験:ナシ
撮影経験:小学生の時に新大阪駅で撮影
新快速が大きな看板を掲げたコレで
新大阪も通過していた頃の思い出です
《撮影にまつわる思い出》
この列車はもちろん乗った事はないというか、撮ったのは小学校5年の時の写真クラブ(何故か小学校に暗室と白黒ではあるが現像設備や暗室があって、写真部が存在した)の定例提出写真として撮ったのが、この貴重な2枚である。
当時は道徳の時間や部活動の時間があって、確か週2時間は授業として必須科目であり、放課後は時間は延長して部活動に勤しむのも可だったのである。 まぁ、多くの児童(男)はキックベースボール(野球の代わり)やドッジボール、バスケット・バトミントンなどのスポーツもどきに入っていたが、ひと固まりの運痴なのが工作部や写真部などに属していた。 ちなみに女子は、料理部や手芸部・読書部・音楽部などの今に通じる部活動があったようである。
まぁ、部活と言っても授業の一環であり、大会に出て競うなんて事はなく、体のいい『お遊びの時間』だったのである。 逆にこんな所で熱血な奴になると、恐らく「何いきがっているんじゃ!」とクラス内で村八分になっていた事だろうね。 僅か週2時間で放課後も生徒は皆帰ってしまって集まらないので、運動部活が放課後も活動していた試しがなかったなぁ。 まぁ、真剣にやる奴は、少年野球のリトルリーグに入っていただろうしィ。
でも、小6の時に何故か知らんが、地域の小学校対抗で野球やサッカーの大会が開かれるようになって、運動神経のいい奴と運痴との差が露呈されていく事となり、運痴はますます引き籠っていくようになったみたいだけど・・。 ちなみに、小僧の頃のワテは運痴集団に属していますた・・ハイ。
運痴にとっては、その競技の『上手い下手』でより分けられるのは苦痛でしかなく、またバレーボールなどのクラス全員参加の『球技大会』も、クラス対抗戦で勝ちを意識する奴らから「(オマエが)出たら負ける」、「代われ!」と嫌われ、コートの端で砂をホジっているしかない迷惑千万な催しだったのである。 要するに、校内リクリエーションって、皆が皆な楽しめる訳ではないのだ。
『儲からない』で切り捨てられる在来線と
「却って要らない」シンカンセン
勉学に無駄な時間を費やし
挙句の果てに競争に敗れた奴との
相対関係に似ていると思うワテ
※『マップルトラベル』より
でも、その数年後には勉強が『できる・できない』で振り分けられる高校受験が控えていて、更には『お受験』と言われる中学や果ては小学校・幼稚園から学力を競う世の中となって、だいたい2対8の割合で正規ルートをゆく層と「凡庸で見込みがない」とレッテルを押される層とに分かれてたよ。
その2割の中での数%が俗に言う『エリート路線』で、見込みがないと断じられた8割の中からでも、『スポーツができる』やら『トップクラス』の奴のほんのひと握りには上の正規ルートへの復活の道が開いていたが・・。 要するに、ワテが小僧の時代は、受験戦争真っ只中な頃だったのですね。
まぁ、ワテはこういう事情を嗅ぐ嗅覚には優れていたので、「勉学に励んでも勝ち残れるのはひと握りで、多くは若い時間を勉学というムダに費やした挙句に負け組となる」と、早くから勉学による立身出世ルートには見切りをつけ、学暦なんかに捉われなくとも学歴ある奴よりいい暮らしができる方策を考え実践して、好き勝手に生きる事には成功したけど・・ね。
デデゴイチ(DD51)の初期型・№8
塗装の塗分けやアコーモーションが少し違って
何気にかなり貴重な写真だと思うよ
またいつもの如く話が反れたが、その写真部活動で提出する定例写真を出す為に撮りに行ったのが、この新大阪駅だったのである。 ちなみに、この写真部は毎月1回の定例写真の提出で、『ストーリー性のある組み写真』・『人形劇部の芝居を撮る』・『好きなモノを撮る』・『動物を撮る』・『家族を撮る』などと撮影の『お題』が出され、それに則した写真を出さねばならなかったのである。
でも、この時点で母親が3回変わった挙句に産んでくれた実の母親の顔と名前も知らなかったワテ(親父の葬式での家系図で、アラフィフにして初めて実の母親の名を知ったよ)は、『家族を撮る』が出た時はピンチだったよ。
3番目の母親は出て行ったし、親父は帰ってこないし、姉は友達の家に行って帰ってこないなど、『家庭崩壊して家族ナシ』状態だったしィ。 コレをどう凌いだかの記憶もないけど、『家庭崩壊小僧』にこんなお題を出す先公を軽く恨んだよ。 まぁ、小学校や中学校の学費・給食費免除の件で皆がいる中で呼ばれた時も、先公の空気の読めなさ加減を恨めしく思ったよ。 だから・・でしょうな。 『旅』を住処とするようになったのは・・。
アララ・・、もの凄く話が重くなったので、新大阪駅での撮影の事に戻るとしよう。 コレはたぶん、駅で撮らせたら今よりも上手いでしょうな。 でも、この頃は特急【白鳥】などは知っていたが、『コロタン文庫』の『特急大全科』に載っていない急行列車は知らず、東京発のヘッドマーク入りのブルートレインを牽引する電気機関車で、最もカックいいと思っていたEF65-1000番台が牽引していたから撮ったに過ぎなかったのである。
この頃の車両には旅に誘う
夢が想い描けたなぁ
でも、これが化けて、かなり貴重な列車写真となりましたね。 これがフイルムの力である。
デジタルなら、40年以上の時を越えて残ってはいまい。 要するに、デジタルでは歴史を語る事ができないのである。
そしてこの写真は、写真部で自ら現像液に浸してプリントしたモノで、半紙に大伸ばししたモノが、小学校の卒業式に『ワテの作成したモノ』として飾られたよ。 でも、小学生に劇物である現像液を触らせるなんて、考えるとスゲェ危ない小学校だったみたいですね。
順番から言えば廃線鉄道か
『路線の思い出』の駅シリーズが
次の掲載記事となるのだが
慌てて年末年始の旅に出たので
書きかけの記事を出す事にしますた
ちなみにもう一つ書きかけの記事が
あるのと『駅シリース』は
今回の九州『撮り鉄』の旅で
立ち寄った駅を取り上げたいので
『駅シリース』は後回しにしまっす
でも正月早々小僧の頃のロクでもない
家庭事情を題材にするなど
このタワケの思考は変わってませんねぇ
なおこの記事で掲載した写真は
オールマニュアルの
このトプコン T-35Lで撮ったモノです
二回巻き上げでシャッター速度は
1/500が最高でピント合わせから
絞り・シャッター速度まで全部手動で
しかもファインダーに露出の情報全くなし
の玄人でも使用困難なカメラで
しかも重さが800gと今使っている
キャノンF-1なみの重量でした
でも貴重なレンジファインダーで
動くように整備すれは
10万以上の高値が着くそうです
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No Subject * by 山本裕人
ありがとうございました。
Re: No Subject * by 風来梨
山本裕人さん、こんばんは。
>ありがとうございました。
何の事だが解りかねますが
取り敢えず、こちらも見て頂いて「おおきに」と・・。
>ありがとうございました。
何の事だが解りかねますが
取り敢えず、こちらも見て頂いて「おおきに」と・・。