風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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『ネームトレイン』 第1回 AIZUマウントエクスプレス

『ネームトレイン』 第1回  AIZUマウントエクスプレス

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快速〔AIZUマウントエクスプレス〕は
JR東日本・会津鉄道・野岩鉄道・東武鉄道と
4つの会社線を跨ぐ快速列車だ
※ ウィキペディア画像を拝借

  快速〔AIZUマウントエクスプレス〕 ・・ 会津鉄道
AIZUマウントエクスプレス(あいづマウントエクスプレス)は、会津鉄道が保有する優等列車用の車内設備を備えた気動車の愛称、及びこの気動車を使用した快速列車の愛称である。 2013年3月までは、AIZU尾瀬エクスプレス(あいづおぜエクスプレス)も運行されていた。

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〔AIZUマウントエクスプレス〕の
『マウント』とは尾瀬の事だろうね
燧ヶ岳より望む尾瀬ヶ原

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尾瀬のシンボル・燧ヶ岳と
でも高速バスが充実した現在に
東武・野岩鉄道・路線バスと乗り継いで
尾瀬に行く奴なんて皆無だろうね

上述の通り、元来は列車名ではなく車両に与えられた愛称で、使用車両の愛称がそのまま列車名となっていた。

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車内は特急車両仕様の
ロマンスシートである

2002年3月23日より運行開始となり、車両は名鉄の高山本線乗り入れの特急【北アルプス】号(新名古屋~飛騨古川・かつては富山地方鉄道・立山まで直通)で使用されていたキハ8500形が、特急【北アルプス】号の運行廃止を受けて譲渡されて使用されていた。

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でも特急【北アルプス】は
コッチの方が思い入れがあるよ
名鉄キハ8000形・初代【北アルプス】

初代のAIZUマウントエクスプレス・キハ8500形は、2010年5月30日で運用を退いている。
その後は、会津鉄道の自社発注車両であるAT-700形・AT-750形が運用に就いている。

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この車両の運用離脱理由は高山本線という
山岳路線をゆく特急列車向けの
高速走行性能を有していた為に
会津鉄道の各駅停車にほぼ等しい運用だと
変速機のトラブルが多発した為だという
※ ウィキペディア画像を拝借

列車としては、会津若松~鬼怒川温泉・東武日光をJR東日本の只見線・会津鉄道線・野岩鉄道の会津鬼怒川線・東武鬼怒川線を経由して1日2往復運行されている。 うち1往復は、鬼怒川温泉より東武日光線の東武日光まで運行されている。 全車両普通車自由席で運行されて、特別料金は不要である。
会津若松方面が下りを表す奇数、鬼怒川温泉方面が上りを表す偶数となっている。

土休日は1往復が、会津若松より磐越西線の喜多方まで乗り入れる延長運転している。 なお、この乗り入れは臨時運行で、延長運転されない時もある。 また、磐越本線内乗り入れ時の喜多方の停車駅は塩川のみで、臨時運行のこの区間のみ快速列車らしさを保っている。

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現在のAIZUマウントエクスプレスは
会津鉄道の路線内容に合わせた
会津鉄道自社発注の気動車である
※ ウィキペディア画像を拝借

《列車データ》
運行区間:会津若松~鬼怒川温泉・東武日光(会津若松~東武日光 114.5km)
運行開始:2002年3月23日~現在も運行中
運行本数:会津若松~鬼怒川温泉 1往復、会津若松~東武日光 1往復
停車駅:JR只見線、野岩鉄道、東武鉄道の乗り入れ区間は野岩鉄道の男鹿高原を除き各駅に停車
    快速運転は会津鉄道(自社線内)区間のみで、通過駅も会津田島~会津高原尾瀬口の
    七ヶ岳登山口・会津山村道場・会津荒海・中荒井駅及び男鹿高原のみで、東部日光発
    着の3・4号はこの4駅にも停車するので、3・4号の通過駅は秘境駅の男鹿高原のみで
    ある。
使用車両:キハ8500系 (2002年3月23日~2010年5月30日)
      現在はAT-700形・AT-750形
乗車経験:アリ(2回・全区間乗車と会津若松~会津田島)、撮影経験:ナシ


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今日12月25日は去年に
『残念』の手術をして
スーパーオチャメ』に続いて
この年2度目の生還を果たした日である

えっ・・クリスマス?
磔になった小汚い外人のオッサンを
崇める気など毛ほどもないしィ
それに宗教は大キライだしィ

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でも手術で『残念』を取り除いてからは
身体がメッキリ弱くなったよ
あの時までは無敵だったんだけと
今は「敵ばかり」になっちまったよ

1度目の『スーパーオチャメ』の時なんかは
右足首の剥離骨折と8本の肋骨骨折+
骨折ショックからの十二指腸潰瘍+
手足指全ての1度凍傷+脱水症状の『数え役満』で
テント一式20㎏担いで山をほっつき歩いてたしィ

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山岳警察隊の調書の時には
「よく生きてたね・・普通の人なら
動けなくなって死んでたよ」って
言われて増長していたしィ
それに9日で退院する驚異の復活ぶりたったしィ

手術前までは30日の退院後は
いつもの年より軽めの計画である
山陰本線・長門や北長門海岸への
年末年始の『駅寝+撮り鉄旅』を目論んでいたしィ
ちなみにこの計画は本年末回しとなりますた

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だが手術後は熱出て倒れる寸前となって
それどころじゃなかったよ
でも術明け旅に出てそれがバレたなら
一族内で村八分になっていただろうね
まぁ親父が死んだ今はほぼ天涯孤独たけど









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