風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  路線の思い出 >  路線の思い出 451~500 >  『路線の思い出』   第469回  北陸本線(現 えちごトキめき鉄道)・親不知駅

『路線の思い出』   第469回  北陸本線(現 えちごトキめき鉄道)・親不知駅

『路線の思い出』 第469回 北陸本線(現 えちごトキめき鉄道)・親不知駅 〔新潟県〕

r469-t.jpg
こういう駅写真を撮ったのは
『私の訪ねた路線』の後釜の
プログ新企画として『路線の思い出』の
駅シリーズを考えていたから

《路線データ》
えちごトキめき鉄道
       営業区間と営業キロ                  運転本数(’21)
妙高高原~直江津 37.7km(妙高はねうまライン)       上下とも毎時1~2本
※ 経営区間は新潟・長野県境からの0.3kmを含む38.0km    新潟から北陸新幹線接続の    
  妙高高原より先はしなの鉄道・北しなの線に接続している   特急【しらゆき】5往復
  元はJR東日本の信越本線の直江津からの新潟県管内      特急を含め一部列車は新井・二本松
                               止まり

       営業区間と営業キロ                  運転本数(’21)
直江津~市振 59.3km(日本海ひすいライン)         上下とも毎時1本      
※ 経営区間は新潟・富山県境からの1.0kmを含む60.3km    一部時間帯で糸魚川折り返し
  市振の2つ先のあいの風とやま鉄道の駅・泊までの運行    の区間列車があり毎時2本となる
  元はJR西日本の北陸本線で直江津からの新潟県管内       日に2本糸魚川と市振発着の急行が
  全線電化されているが、輸送量が小さい上に交直流の      運行されている
  デットセクションがある事から自社所有の気動車を
  単行で運行している

r469-w.jpg
寂れた波止場跡にある親不知駅
※ ウィキペディア画像を拝借

親不知駅(おやしらずえき)は、新潟県糸魚川市大字歌字平にあるえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの駅である。 元はJR西日本・北陸本線内の駅であったが、2015年3月14日に北陸新幹線が長野~金沢を延伸開業させた事に伴って、第三セクターのえちごトキめき鉄道へ経営移管されている。

線路は西から東に通り、駅舎は南側に設けられている。 島式ホーム1面2線を有し、南側(内陸側)の線路に泊方面の列車・北側(海側)の線路に直江津方面の列車が発着する。 島式ホームの青海方の端がスロープになっていて、そこから遮断機つきの構内踏切が駅舎につながっている。

r469-w2.jpg
駅舎はかつて貨物ホームがあった
土台の上に建っている
※ ウィキペディア画像を拝借

駅舎は泊方面の線路に面したホーム状の土台(かつては貨物用ホームだった)の上にあるが、線路よりやや離れているので旅客用のホームとしては扱われていないが、駅舎の市振方に貨物用の切欠き部があって、かつてはそこに側線が入っていた。 また、場内・出発信号機も配備されている。

駅舎は木造瓦葺で、一見すると民家のような建物である。 基本的には一階建てであるが、駅事務室の一部のみが2階建てとなっている。 駅舎内部には待合所と駅事務室があるが、無人駅となってからは駅事務室は使用されず、待合所にある出札窓口も閉鎖されている。 待合所の内部には長椅子が設置されている他、親不知の観光案内が掲示されている。

JR西日本時代は糸魚川地域鉄道部が管理する無人駅で、1994年の駅無人化からの一時期は自動券売機が設置されていた。 線路に並行する形で北陸自動車道が延びている。 また、親不知海水浴場や『道の駅・親不知ピアパーク』も近い。

r469-me (4)
相次ぐ盗掘に危機感を覚えた
行政によってヒスイの巨大原石が
道の駅に移設されて天然記念物に
指定の上で展示保存されている
※『道の駅・親不知ピアパーク』のウェブより

この付近を流れる青海川の上流域は、天然記念物にも指定されたヒスイの原産地であるが、盗掘が絶えずに1998年に一時的に指定が解除され、この道の駅に併設されている『翡翠ふるさと館』などに巨大なヒスイの岩塊が移設されている。 なお、この道の駅に移設された原石は、1999年に再度天然記念物の指定を受けている。

駅は市振駅の附近から青海駅の近くまで続く親不知のほぼ中間に位置し、親不知はこの附近を境に市振方が『親不知』、青海方が『子不知』に分別される。 駅は歌川の河口に位置し、親不知の峻険な地形にあって若干の平地が開けた『歌』という集落の近くに所在する。 『歌』の集落へは当駅から東へ100メートルほどの距離であるが、駅前にも県道に沿って建物が点在している。

r469 (1)
駅に沿った海岸べりには
高速道路と国道の高架が
あって景色を殺いでいる

北側は高架された道路と線路が海岸線に沿って東西に走り、駅舎は南側を走る県道525号に面して設けられている。
駅から北の方向を望むと海を見る事ができるが、海岸線附近から海沿いに掛けて北陸自動車道と国道8号の高架が並行して走っている為、景観的に台無しとなっている。

r469-me (2)
高速道路の橋脚が親不知の
美しい砂浜を消滅させた歴史がある
※『道の駅・親不知ピアパーク』のウェブより

かつて海岸線にそって旧線が通っていた時は、砂浜と松並木の風光明媚な情景が広がっていたが、道路建設で海の中に橋脚を建てた為に海流が変わって砂浜が浸食されて消失してしまった。 直近数年では浸食速度が著しく、かつて駅構内から望めた美しい砂浜や岩肌は消失し非常に寂しい景観となった。

r469-me (3)
道の駅にあるウミガメの像
※『道の駅・親不知ピアパーク』のウェブより

駅から県道を西側へ700メートルほど行くと外波川河口に開けた外波の集落に至る。 この附近には、親不知インターチェンジや『道の駅・親不知ピアパーク』の他に小さな港がある。 親不知に沿って駅附近から天嶮を経て市振までは、徒歩でおよそ2時間ほどの道のりである。



r469-wtugami (1)
かつてはヤマのヤボーの
下山口に目していた親不知の天嶮
白馬岳から海際のここまで
稜線を伝う壮大な山の旅
※ ウィキペディア画像を拝借

親不知駅には、鉄道に乗って訪れた事はない。 だが、車やバイク(勢いだけで大型二輪持ってます)では6回位訪れて、しかも駅前車寝もしている。 そして、ヤマでの最盛期である『奇跡の体力』のホルダー時は、この地に降り立つヤマでのヤボーも抱いていた。 それでは、その一つ一つを語っていこう。

r469-2 (1)
白馬岳の山頂で
遠く槍ヶ岳を望む
このヤボーを達成したなら
後立山連峰での未踏区間は
針ノ木~種池のみとなるなぁ

最初にこの駅に立ち寄ったのは、『山旅放浪』での北海道からの帰りである。 その時から連続して4回この駅に立ち寄って、内4回は駅前道路に車を止めて車寝している。 もっと掘り下げて言うと、狭いハッチバックの車の中は寝苦しいので、夏だった事もあり駅の長い椅子に車に積んであった毛布を掛けて寝転がった『半駅寝』もあるのだ。

r469-hnf (2)
直江津~岩内に就航していた
東日本フェリー『はあきゆり』
新潟出航の新日本海フェリーより
断然使えたフェリー便だったけど
※ Wikiwand より

だが、何故にこの駅で旅の一日を終えて駅車寝に至ったかというと、北海道の岩内・室蘭から直江津へ東日本フェリーが、交互に週6便運航されていたのですね。 そして直江津には、夕方18時前に入港していたのである。

この他にも、新日本海フェリーに新潟から小樽への便があったのだが、こちらの方は新潟入港が朝の10時で折り返しの出航が12時、小樽入港が翌日早朝5時で小樽出港が17時と、途轍もなく時間が悪くて使えなかったのである。 だから新潟から北海道に渡る時のフェリーの選択肢は、新潟・北海道共に出航は夜の9時・入港は16時~17時と統一運行していた東日本フェリーの一択だったよ。

r469-hnf (1)
東日本フェリーのファンネルマーク
2003年に会社更生法を申請して
航路を大幅に縮小して再起を図るも2009年に
道南自動車フェリー(現 津軽海峡フェリー)
に合併吸収されて解散消滅
※ ウィキペディア画像を拝借

でも、この東日本フェリーは、2003年に倒産してしまったんだよね。 船はチトボロいが運賃は新日本海フェリーより若干(1000円ほど)安く、空いていて予約が取りやすかったし、食堂の価格が新日本海フェリーのレストラン価格に対して、定食価格で安かったのである。 コレは『山旅放浪』のプーの身の上では、ウェィトの大きな事であったしィ。

そして、何故に舞鶴や敦賀でなく新潟かというと、北海道へ行く前と帰りに東北の飯豊山や朝日連峰、頚城の苗場山や鳥甲山、魚沼や奥只見の越後三山や浅草岳・会津朝日岳、糸魚川から入って後立山連峰や戸隠連峰、また富山の立山連峰へと、方々に北海道から引き続いての『山旅放浪』ができたからである。
この頃は『奇跡の体力』の最盛期で、連チャンで山に登っても余裕な位に体力があったのだ。

r469-2 (4)
白馬の山頂で撮った落日写真
最盛期はテント一式とカメラレンズを
担いで一般登山者をゴボウ抜きできる
『奇跡の体力』があったよ

まぁ、この約15年の『山旅放浪』期間で、北海道に9回・東北は北海道と絡めたのを含めると8回、北ア・中ア・南アの中央高地はほぼ毎年+αの20回以上で、都合150回以上の山行と480峰以上の登頂(標高が記載された山頂全て)を記録していたよ。 新規登頂も380峰位マークしていたよ。 まぁ、「これだけよう登れたなぁ」と、ワテ自身でさえ『奇跡の体力』をホンモノの奇跡か幻のように感じるよ。

r469-wtugami (2)
『奇跡の体力』を以っても
「後ずさり」した難ルート『栂海新道』
※ ウィキペディア画像を拝借

そして、この親不知は、この『奇跡の体力』を以っても「後ずさり」した難ルートの『栂海新道』の下山口でもあるのだ。

r469-wtugami (3)
踏破には数日かかり
途中で無人小屋に
泊まらねばならない
※ ウィキペディア画像を拝借

そのコンセプトは、標高3000m一歩手前の後立山の主峰・白馬岳から雪倉岳・白馬朝日岳を経て、その先は名も知られぬ山々の稜線を忠実に辿って日本海の親不知の海まで至る壮大な山のロマンな道である。
もちろん、親不知駅に立ち寄った際には、『栂海新道』の下山口を確認するべく立ち寄って、壮大な山の夢を馳せていたよ。

r469-siratori.jpg
今のヘタれた状況なら
『栂海新道』にあるもう一つの
無人小屋・白鳥小屋にも
泊まらねばムリだな
※『白鳥小屋』より

『栂海新道』という登山路は、ルートの全てで稜線上を伝うその距離50km以上の縦走路で、白馬朝日岳からの『栂海新道』だけでも登降差総計は4000m、白馬の登り(1500m)や雪倉・白馬朝日の各峰々のアップダウンを含めると7500mにも及ぶ稜線道である。

標高2932mの白馬岳から
海抜ゼロの親不知まで歩く壮大なロマン
r469-2 (2)
始まりはシーズンオフで
小屋も閉まり誰もいない白馬岳の頂上

r469-2 (3)
普段は多くの登山者で賑わう
白馬岳の頂も
秋の哀愁が漂っていた

r469-2 (7)
白馬朝日岳へ向かう縦走路

だが、白馬朝日岳からの未踏区を延々と伝う不安に加えて『奇跡の体力』が陰り始めた頃で、大人しく蓮華温泉から大糸線の平岩にヒッチハイクで抜けますた。 それでは、その時の情景をひとつまみ。

r469-2 (6)
既に山荘も営業を終えて閉められて
静けさ漂うシーズンオフの朝日平
雪はなかったが
この時の気温は氷点下3℃

r469-2 (5)
白馬朝日岳の頂上でまだ未踏の
『栂海新道』の山々を望む

r469-2 (9)
白馬朝日岳の肩にある
『栂海新道』の分岐点
この時は「後ずさり」して
蓮華温泉から平岩へ逃げてしまった

r469-2 (8)
歳と共に身体がヘタって
あの海までを伝う道は
『憧れ』から叶いそうにない
『夢』になりつつある

そして、『奇跡の体力』のホルダー時の『憧れ』が、歳食って身体がヘタって想いが叶わぬ『夢』となって、次に親不知に訪れた時は、派遣バイト先で流行っていたバイクに洗脳されて、「コイツ(ワテ)にだけは免許を与えてはならない」という禁を破った激甘教習所にて、このタワケはついに禁断の果実を手にする。 大型二輪免許に受かったのである。

その激甘教習所では、コーン走行の基準6秒以内通過を8.6秒(-15点)、一本橋の基準12秒以上の橋上待機を「落ちる(落ちたら即不合格)よりマシ」と1.8秒でとっとと通過(-10点)。 乗車姿勢の悪さ(-5点)のギリギリ70点の合格だった。

r469-ninja.jpg
ワテのはポテこけ×5回で
カオルにヒビが入って
白いシールでごまかしてるので
Gooバイクの写真おば・・
※『Gooバイク』より

そして、ガラにもなく『漢!カワサキ』で、映画トップガンで主演のトム・クルーズさんが乗った通称『ニンジャ』と呼ばれるレーサーバイクを大人買いしてしまったよ。 まぁ、その前年の有馬記念でハーツクライさんがディープインパクトを破る連単(配当30200円×3000円)を当てて90万を手にしたのが購入資金となったのであるが・・。

r469-tom.jpg
『トップガン マーヴェリック』で
再びニンジャに乗るトム・クルーズさん
男前が乗ると更にカックイイねぇ
※『フロントロウ』より

それで、マレーシア仕様の逆輸入車の『ニンジャ』を地獄の座席の『あんこ抜き』で10cm落として足がベタ着きになるようにして、購入したバイク屋さんの主催するツーリングに参加したのだが、バイクってヤマ登るよりハードだわ。

ケツは痛いし、股は攣りそうなほどに突っ張るし、腕は後に五十肩で経験するような鈍痛が走ったし、降りたら歩くのもフラついたよ。 行きは時折200km/h以上でかっ飛ばす事もあった(でも200km/h以上は猛烈な風圧)が、帰りはスロットルを握る手が痺れて100km/h以上出せず、軽を始め250ccのビックスクーターにも抜かれたよ。 幸い軽トラには抜かれなかったようだけど、観光バスには抜かれたな。

r469 (3)
最後の訪問時の駅前車寝の時に
始めて駅の写真を撮ったけど
駅舎か民家か判らんデキに

そして最後の訪問は、不動産屋を喧嘩してヤメて3ヶ月プーとなった7年前だ。 この時は東北の〔名峰次選〕の制覇を狙って、最も多く(残り23峰中13峰)残っていた東北に『山旅放浪』に出た最初の宿泊地としてだ。 もちろん、駅前に車を止めての車寝だ。 そしてブーとなったので、大阪から全て下道(国道8号線)であるのは言うまでもない。

r469-me (1)
親不知駅近くに『道の駅・親不知』が
あるが高速道路の高架下で
高速を走行する車の音がうるさく
車寝には適していない
※『道の駅・親不知ピアパーク』のウェブより

でも、この近くに『道の駅・親不知』があるのだが、そこは北陸道の高架下であまり車寝に適していないので、この地での車寝は親不知駅となるのですね。 この日の朝は、訪問6回目で初めて駅舎やホームを撮ったよ。 でも、撮った写真をブログで使うとは、夢にも思わなかったよ。


にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ
前回の記事及びバナー下は事実だが
恐らく反感だけで受け入れられないだろうし
状況は更に悪化したり再び災禍を繰り返す
だからワテは半分投げている
なので今回のバナー下は砕けていこうかと

・・で今回はアニメの話題って事で
それは二大戦闘アニメの
ガンダムとマクロスの
どっちが好き?ってお題で

にほんブログ村 写真ブログ 山・森林写真へ
ワテは断然マクロスである
なぜならガンダムって
『ニュータイプ』と言ってるが
基本的にサイコが主人公で
ヤラレキャラは力を持たない無能力者なんだよね

常識で考えればサイコが思念で操る
ビット攻撃なんて絶対に回避不能だよ
それで無能力のその他大勢は
意味なく爆発して散っていく

にほんブログ村 鉄道ブログへ
要するにサイコでなければ
戦場で生き残る事は叶わず
無能力者はモブや悪役の支配層として
簡単にヤラれちゃうのだ

そして味方の戦死でさえ無能力者の
死は物語上では軽く扱われている
歴代ガンダムでキャラの死に
意味を持たせているのは
鉄血のオルフェンス位だよ

PVアクセスランキング にほんブログ村
それに宇宙戦艦がMSという戦闘機一機に
簡単に沈められるって戦闘にならないジャン
アレ一隻撃沈(爆発)すると
一隻あたり乗組員4~5千は死ぬよ
・・まだまだ続く









関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可