風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  日記 >  人の能力を殺ぐ恐怖のシステム

人の能力を殺ぐ恐怖のシステム

当初はバナー下でクドクド書き連ねる予定だったけど、膨大に膨らみ過ぎたので日記記事にしますた。

その一連の話題は、「人の能力を徐々に奪い去っていく」という、人にとって『恐怖のシステム・デジタル』の事である。 あまりにも便利で、何でもできるようになった成れの果てが、このような結果を生むのである。

それを端的に表現するとしたなら、一つの世代で一世風靡したアニメ『エバンゲリオン』でのセリフである「進化の終着点は破滅である」という言葉だ。 

過ぎたる便利は人の能力を錆付かせて、それは能力の枯渇や消滅につながっていくのである。

そう、今のデザインは、全てパソコン内に登録されたデザインアイテムの組み合わせであり、人が一から創造して編み出したものではない。 だから、奇抜以前に気色悪いデザインが横行して見るも無残で、昔のような購買意欲につながる商品のデザインなど皆無だ。 それは、車や鉄道車両のデザイン一つを見れば明らかだろう。

昔のスカイラインGT-R・シルビア・180SX・RX-7・インプレッサWRXなどの車、キハ22・キハ40・キハ58などの国鉄型気動車、DD51・EF65-1000番台に代表されるような機関車、201形や103形に代表される国鉄型電車、583形や485形に代表される特急車両など、昔は写真に撮っても絵になるカックイイモノばかりだったし、カメラもCanon F-1やNikon F3など「これぞカメラ」という精悍な顔つきなモノばかりだった。

また、実際にそこに訪れてホンモノを目にする労力を惜しんで、バーチャル(仮想空間)やICチップが造り出したモニターに頼りきりとなり、パソコンで出た答えが全ての思考=パソコンに思考が乗っ取られている危惧を感じる。

要するに、ホンモノではなく機械が造り出したニセモノ画像で満足するという、あまりにも安い感覚に陥っているのである。

それを患い悪化の一途を辿ると、パソコンから離れる事ができなくなって、俗に言う『ヒッキー(引きこもり)』となって、足腰が退化してロクに歩けなくなってしまうケースも考えられるのである。
これは、『ネトゲ』と言われたオンラインゲームで、実際に社会現象化して問題となった事でもある。
ネット中心の世の中になって、少なからずネットに携わる機会が多くなったワテも、歳のせいもあるけど身体がヘタって来ているのをヒシヒシと感じるよ。

前置きが長くなったが、これらの事を端的に表すのが、デジタルの申し子であるデジタルカメラであろう。 そして、その事例で最も判りやすいのが鉄道写真撮り・・、即ち『撮り鉄』の撮影マナーの事であろう。

『撮り鉄』のマナーの悪さが取り沙汰されて久しいが、そのマナーの悪さは、デジタルカメラとなってから断然増えている。 いい歳をした分別を弁えているであろうオッサンやオバハンでさえ、若い衆以上に傍若無人な態度が目についているのだ。 それは、金の力や地位的な差も持ち出しているのでタチが悪い。

しかも歳に関係なく、悪質かつ犯罪そのものの案件も増え続けている。 かつてのフイルム時代でもあるにはあったし、置き石などエゲツないのもあったが、総じて『撮り鉄』同士の喧嘩や、列車を止めるような悪質なモノはほとんどなかったよ。 そして、制御する側も福知山線の事故で叩かれまくって以来、バッシングを恐れてキツイ対応に出なくなってきている。 昔なら即逮捕でも、今は散らすだけのソフトな『一応・・お客さん』対応となっているのである。

だから、今のように乗客に「ドケェ!」と喚き散らしたり、ストロボを一斉照射したり、写りの邪魔となる列車待ちの乗客の荷物を無断で移動させたり、脚立を持ち込んで歩く場所さえ塞ぎ、その脚立や三脚に触れると逆ギレしたり、場所取りで大喧嘩したり、写りの邪魔となるからと木の枝を手で折りまくり、邪魔な草や看板を手あたり次第引っこ抜く。 中には枝切りばさみを持ち歩く奴さえいるのである。

まぁ、昔のようにストロボが着脱式だったなら面倒だったが、デジカメはほぼ全ての機種でストロボが着いていて簡単にストロボが焚けて、それを列車に向けて一斉照射するのである。 ストロボ発光を目にすると、2~3分は発光の残像が消えないよ。 それに、勝手に荷物を除けられる犯罪行為はワテ自身も被害に遭っていて、列車待ちで乗車口に置いていたワテの山用ザックが、駅ホームの端に放り投げられていたよ。

また、タイフォンカバーが壊れて開いたままとなった車両のタイフォンカバーを接着剤で貼りつけた奴もいたそうで、軌道敷地内にリモートを取り付けたカメラ三脚を置いて列車を止める騒ぎも日常茶飯事であるそうだ。 踏切の内側で構えたり、私有地に入ったり、田んぼを踏み荒らしたりしているなどの悪態もよく耳にする。

それは、線路のすぐそばに機材を置いて、自身は離れたところからリモート操作で撮ったり、手持ち可能な程に軽くなった超望遠レンズでドアップビタ止めを狙って線路敷地内に入り込んだりして列車を止めているのである。

リモートなど無かった昔のフィルム時代にこんな撮り方をするなら、カメラと三脚は元より身体も敷地内に入れねばならないし、そういったバカもいるにはいたが、こういったバカが列車に轢かれて死ぬケースも年に1~2回発生していたのである。

つまり、昔のフィルム時代の悪質なマナー違反は、その代償として自身の命を落とす事もあり得たのである。

そして、超望遠レンズは数十万円(中には百万超えもあった)して一般の人は容易に買えなかったし、重さもレンズだけで数㎏あって手持ちなどムリで、敷地内に入る層は『デカイ高価なレンズを巨大三脚に据え付けた奴』とおのずとから決まっていたし、その見分けも着いたのである。

要するに、一般の『撮り鉄』ではそんな高価なカメラ機材を持つ事ができない=一般の『撮り鉄』における線路際で危険行為に及ぶ分子(要素となるアホ)の数が『ゼロ』なのである。

また、当時はネットなどはなく、イベント列車などの情報がなかなか行き渡らず、『撮り鉄』がタムロする状況も少なかったのである。 それに加えて、運行側が事前に「線路際に人が侵入している」という情報を得て徐行運転するなど、危険回避があまり取られなかったのである。 それで路際に入って撮るバカが轢かれて死ぬケースが結構あって、「線路際は危険」と誰もが認識していた為に、今と比べても悪質なマナー違反は少なかったのである。

だが、デジタルカメラとなって、手持ち可能な程に軽くなった超望遠レンズが一般ユーザーの手が届く程の安価で売り出され、またリモートの高性能化など自身の身の安全が確保された事も伴って、列車を止めるような悪質なマナー違反が横行しだしたのである。

そういった事が可能になれば、おのずとかやりたくなるのが人の弱さであろうし・・。

要するに、爆発的に増え続ける写真撮りの悪質なマナー違反の根底には、デジタルというシステムによって奪われた『善悪など基本的な事を判断する人の能力』・・、つまりこれらのマナー違反の爆発的な増加の遠因に、デジタルのシステムが大きく絡んでいるのだ。

デジタルシステムの申し子であるデジタルカメラは、道具やアプリを使うと何でも自在に撮れるし、画像ソフトを使うと夜間のビタ止め&最深部までピントが合った有り得ない画像への改変(改変と言うより偽造であるが)もできるし、余計に写り込んだ不要な部分を取り除いたり、小さくしか写ってないモノをの大きく目立たせる偽造もお手のものだ。

そして、失敗や撮り損ねは、始めから無かったモノとして消去できる。 だが、同時に失敗を「なぜ失敗したのか?」と吟味する事がないので、失敗から学ぶ機会を逸して成長と進歩が止まり、「何でも撮れる」という事は裏を返せば「誰でも撮れる」という事で、オリジナリティーが喪失するのだ。

また、モニターで撮ったモノがすぐに確認できて、アプリを検索するとその場所で撮った作例が簡単に出てきて、撮る前から結果が判ってしまう。 要するに、結果を心待ちにするワクワク感が皆無の虚しい世界なのだ。

しかも『RAW』とやらで、写した画像の色着けや改変ができる事で、人の大切な能力である『創造力』も使われる事なく枯渇していくのである。

成れの果ては、線路敷地内に入って撮れば列車を止める騒ぎになり、下手すれば列車に轢かれるという『創造力』以前の『想像力』さえも失うのである。 同時に『善悪を判断する能力』も麻痺するのである。

また、こんな「誰でも簡単に何でもできる」デジタルでオリジナリティーを出すには、マナー違反をしでかして、常人が真似できない違法行為(違法行為なので普通の頭脳を持つなら真似しないしィ)というシチュエーションを作り出すしかないし、善悪を判断する能力が麻痺したなら、そのシチュエーションを作り出す為に簡単にツボを踏んでしまうのである。

だが、線路際なんて危ないだけで、そこで撮った所で「車両と鉄道施設だけしか写ってない」という、つまらぬ駄作(情報量がきわめて少ない)にしかならない事など撮る前から解る事なのだ。 それは、過去に線路際で撮って列車に轢かれた奴が、その落とした命を以って証明しているのだ。 そういう事も、「見て・聞いて・結果を吟味(この場合は線路際で三脚を立てて、列車に轢かれて命を落としたバカが当てはまる)する」事の繰り返しで身に着くのである。

この前、脚立を立てて電柱に昇り、地上からではムリなアングルで撮った画像をブログに公開した奴がいたそうだが、真にデジタルシステムによって思考をゆがめられて善悪の判断さえ着かなくなったのだろうね。 初めは問い質されると逆ギレしていたらしいしィ。 コイツはいい歳したオッサンのようだけど、デジタルにドップリとハマって、デジタルというシステムに善悪を判断する能力を奪われたんだろうね。

善悪の判断を始めとした「可能か不可能か?」、「やっていいかダメか」の判断力は、幼い頃から小さな失敗を体験して、あるいは周りから諭されて、『見て・聞いて・五感で感じて』体得するモノなのだ。

それをデジタルというシステムによって一切合切奪われて、残るは自身のハズれた行為を諭す人を『自分に歯向かう敵』として逆ギレするだけなのだ。 だから、そういった奴ら同士が居合わせると、キレあって罵り合いの大喧嘩となるのである。 また、そいつが不当に場所を占拠している脚立や三脚に触れると、烈火の如く怒り狂うのである。

ワテは、あらゆる事で多くの失敗をしてきた。 それが財産となって、物事に対する己の限界は解るし、もしかの時には切り抜ける術も持ち合わしている。 現に、普通の人なら死んでる『スーパーオチャメ』も、切り抜けて自慢のタネ(こういう所がクソタワケ)にしているしィ。

今思う事は、写真を知った時がフィルム時代で本当によかった。
いや、心底助かった! 大切な人としての能力を失わずに済んだ!という事である。

それにカメラ業界も、何故にカメラ市場が縮小する一方なのか考えてみるといい。 それは、デジタルカメラがユーザーから『撮影の楽しみ』を奪い、そしてユーザー自身も心の底で無意識に、デジタルカメラで撮影する事のつまらなさを感じているからだよ。

また、フイルムという消費財を捨てた事で利ザヤを捨てる愚を犯し、ついでに現像やプリントで上げる利益も失い(カメラ屋に出さずとも家庭用パソコンで全てできる)、究極は50万円もするフラッグシップ機とスマホで撮った画像の画質が家庭所有のパソコンの解析能力の上では同じになるという、致命的な事実があるからだよ。


にほんブログ村 写真ブログへ
『福岡県内での連続強盗殺人事件』及び
『警察庁広域重要指定事件105号事件』で
10人の殺人を犯したF・S
『連続ピストル射殺事件』で4人を殺害したN・N
「戦後最悪の連続殺人」と言われ5人を殺害したN・A

8人の女性を強姦の上で殺害した
『連続婦女強姦殺人犯』のO・K
『藤沢母娘ら5人殺害事件』でストーカ殺人は
元より見張り役の少年も殺害したF・S

にほんブログ村 鉄道ブログへ
東海・近畿で8人の殺人を犯した
『警察庁広域重要指定113号事件』の犯人K・K
『夕張保険金殺人』にて手下に寮の放火を指示し
共同正犯で断罪されたヤクザのH夫婦
そしてオウムの13人の死刑囚

これらはいずれも極刑を言い渡され
既に極刑の執行済みである
己の都合や利益・権力の維持・
欲望・思惑の為に多数の人を殺めた事は
当然その命をもって償うべきだと思う

にほんブログ村 写真ブログへ
だが開催すればこのような事態に
なる事を承知で東京五輪の開催を強行して
感染者が160万人に及ぶ感染爆発を引き起こし
17000人もの国民を殺害した開催推進派の奴ら
おまエラはなぜ能々と生きている?

東京五輪の開催が感染爆発の原因で
感染源は東京五輪開催で
日本に来た外人共だとの証拠も挙がっている
ただ被害に遭った日本の国民が
糾弾・訴追する行動を表さないだけだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ
それは感染爆発は自粛規制に従わない
日本人の若年層が原因とウソぶいているが
ウイルスが外国由来の『デルタ株』で
日本人同士での感染拡大は有り得ず

開催に向けて五輪関係の外人の
入国がフリーとなっていった
3月の始めから先月までの前後4か月間で
感染者総数160万と死者17000を出した事

ブログランキング・にほんブログ村へ
そして海外では以前感染拡大が続いているのに
五輪の影響が終了した今は世界で
日本だけ感染終息状況にある事
これらが感染爆発の原因が東京五輪に参加した
外人であった事の明白な証拠だ

二度とこんな災禍を繰り返さない為にも
こういった利権の為に国民の命を犠牲にした
政治屋どもは訴追して極刑に処すべしだと思う

PVアクセスランキング にほんブログ村
現に東京五輪は日本に感染爆発という
災禍をもたらしただけなのだ
そしてあれだけ「カンドーした」と
ほざいていた奴らが一様に口をつぐんで
黙り込むか話題を反らす事もしかりである









関連記事
スポンサーサイト



コメント






管理者にだけ表示を許可