2021-11-08 (Mon)✎
よも”ヤマ”話 第158話 尾瀬ヶ原 〔群馬県・福島県・新潟県〕 '96・8
尾瀬にそびえ立つ燧ヶ岳と
尾瀬を散策する軽装ハイカー
尾瀬ヶ原 おぜがはら (尾瀬国立公園)
福島県(南会津郡檜枝岐村)・新潟県(魚沼市)・群馬県(利根郡片品村)の3県にまたがる広大な盆地状の高層湿原であり、阿賀野川水系最大の支流只見川の源流域となっている。 その中心となる尾瀬ヶ原は約1万年前に形成されたと考えられている。
尾瀬ヶ原の成り立ちは
燧ヶ岳が深く関わっている
尾瀬の二大シンボル・至仏山
一般的に尾瀬とは、『尾瀬ヶ原』の他に『尾瀬沼』や『至仏山』・『燧ヶ岳』等が含まれる国立公園の特別保護地域を指している。 前述の通り尾瀬国立公園に指定され、我が国を代表する著名景勝地となっている。
ヒツジグサ
深夜・未の刻に花開くという
事から名付けられた花だ
尾瀬は活火山である燧ヶ岳の噴火活動によってできた湿原であり、ミズバショウやミズゴケなど湿原特有の貴重な植物群落が見られる。 ほぼ全域が国立公園特別保護地域および特別天然記念物に指定されており、歩道以外への立ち入りが厳しく制限され、ごみ持ち帰り運動の発祥地であるなど、我が国の自然・環境保護運動の象徴となっている。
♪静かな尾瀬の青い空・・と
童謡でも謡われる絶景が広がる
この高層湿原は夏の花期となると様々な湿性の高山植物が咲き乱れ、童謡でも謡われる程の我が国を代表する景勝地で、数多くのハイカーが訪れる。 また、湿原内は完全に木道が敷設され、山荘がブロック化された『田代』と呼ばれる湿原の要所に配置され、初心者でも気軽に訪れる事ができるが、入山者の増え過ぎにによるオーバーユースの問題や過ぎたる開発の危惧も浮上している。
燧・尾瀬・至仏 周遊ルート 行程詳細図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 会津高原駅より車(1:40)→尾瀬・御池(1:40)→熊沢田代(1:45)→燧ヶ岳・柴安嵓
(2:40)→下田代十字路より尾瀬ヶ原を散策しながら山ノ鼻へ・所要3~4時間
※ 寄り道せずに行くと山ノ鼻まで所要1:40程であるが、尾瀬ヶ原の全域を
網羅して歩くと半日かかる
《2日目》 山ノ鼻(1:10)→鳩待峠(2:30)→至仏山(1:50)→鳩待峠(1:00)→山ノ鼻
山ノ鼻より東電小屋のある尾瀬ヶ原の北側散策路を通る・所要2~3時間 →下田代十字路
※ 寄り道せずに行くと下田代十字路まで往路と同じく所要1:40程
《3日目》 下田代十字路(0:30)→元湯山荘(0:50)→三条ノ滝(0:40)→燧裏林道分岐
(1:40)→上田代(0:30)→尾瀬・御池より車(1:40)→会津高原駅
※ 前話『第157話 至仏山』からの続き
今話は尾瀬ヶ原の散策をしてみよう
今回は往路に燧ヶ岳側から歩いた《竜宮》・《中田代》などの表路と、復路に至仏山側から歩いたヨッピ川に跨る三県境など裏路の完全周回と、下山の日の朝に魅せられた朝の尾瀬の爽快な情景などを語っていこうと思う。
さぁ・・尾瀬ヶ原の
広大な湿原に繰り出そう
燧ヶ岳から降りてくると、山荘が並び建つ尾瀬ヶ原の東端の《下田代十字》に出る。 ここからが、尾瀬の広大な湿原の始まりだ。 湿原内は完全に木道が敷かれ、訪れたハイカーは木道を踏み外さぬように歩く義務がある。
夜露光る朝のコオニユリ
:
湿原に踏み入れるとその1歩が
回復に100年のダメージを与えるという
それでも下に記述するような
人とは思えぬ自然破壊行為が横行している
それは、湿地へのひと足の踏み入れによる湿原のダメージは、完全に影響から脱するまで100年かかると言われていて、国立公園の指定を受けなかった尾瀬周辺の湿原などは、観光客の踏み入れによる湿地帯の乾燥化消滅などの影響が出ている。 その代表例が南会津町にある駒止(こまどめ)湿原で、ここでは悪質なハイカーがペット犬を湿原内に連れ込んで湿原を荒らしまくり、湿原の大部分が乾燥化による地割れを引き起こし消滅したという。
ペット犬が持ち込んだ
ディステンバーウイルスに
感染した野生のタヌキ
約20年ほど前から、ペット犬をヤマに連れ込む日本人とは思えない悪辣な自然破壊行為が横行した為に、監視の行き届かない多くの湿原が消滅し、またペット犬の持ち込んだディステンバーなどの伝染病や犬の身体についたダニによる皮膚感染症の『疥癬』などに野生動物が感染して、山域の野生動物が死滅する事態を引き起こしているのだ。
立山のライチョウが標高2500mの高山では有り得ない下界のペット犬のダニによる『疥癬』で死亡した事例を始め、雄国沼の野生のテンやタヌキ・関東の丹沢のオコジョなど多くの野生生物が、『動物の麻疹』と言われるディステンバーウイルスによってコロニーごと死滅して、山域からその野生動物種が消滅した事実もあるのだ。
こんな自然環境破壊が平然と
行われているのが今の日本である
※ 下手な絵でスミマセン
しかも、こういった自然破壊や野生動物の虐殺行為を行っておきながら、証拠を上げて指摘してもその罪を認めようともせず「多くの登山者のせい」と登山者に責任転嫁し、「他人の趣味に口出しするな!」と自らの自然破壊・野生動物の虐殺行為を正当化するなど、日本人とは思えないチョンそのままの人間の出来損ない=ヒトモドキっぷりである。 嘆かわしい事に自分の国の自然環境の破壊行為が、定着・横行しているのである。
本年度に発生した明らかに東京五輪の開催が原因である『武漢ウイルス』の感染爆発災禍もコレと同様で、利権や個人の欲望の為には国民の命を度外視する人間のクズな行為で、感染爆発を引き起こして多くの国民の命を奪い、その責任を『ペット犬の連れ込み』同様に日本人の若者層に擦りつけるなど、日本人とは思えない国の破壊行為が日本政府の手で行われたのだ。 そして、それを問い質しもしない日本人の倫理観の低下も問題となろう。
アララ・・、この件になるとヒートアップするので、ここらで引き揚げて『よも“ヤマ”話』を記していくとしよう。
真っすぐ続く木道を振り返ると
燧ヶ岳が悠然とそびえ立っていた
《下田代十字》を出ると、緑眩しい湿原の中に真っすぐに延びる一本の木道を歩いていく。
眼前には、山裾を優雅に広げる至仏山がそびえている。 背丈の高い草に覆われた草原状の丘を30分程歩くと、《尾瀬ヶ原》を蛇行しながら流れる福島・群馬の県境である《沼尻川》を渡って、ほどなく《竜宮小屋》の建つ《中田代》に着く。 《尾瀬ヶ原》の景観は、これからいよいよ往路のクライマックスへと向かっていく。
ヒツジグサは
竜宮付近で最も多く魅られる
《竜宮小屋》を出ると木道に沿って大小様々な池塘が点在し、その水面にオゼコウホネ・ヒツジグサ・カキツバタ・ナガバノモウセンゴケなどの水生植物が咲き競っている。 中でも、ヒツジグサの清楚な白とオゼコウホネの黄色には目を奪われる。 またこの辺りは、珍しい《竜宮現象》を見る事ができる。
湿性植物の女王・コオニユリ
《竜宮現象》とは、湿原の一方から流れ出た水流が池塘の中をくぐり抜け、他方に流入する現象だ。
木道もこの現象を見やすいように、流入口と流出口で二手に分かれて敷設されている。
池塘に影を映す燧ヶ岳
尾瀬の代名詞たる景観だ
そして、真に最高潮なのは、《尾瀬沼》・《尾瀬ヶ原》の重鎮・燧ケ岳と至仏山の美しきその姿を眺める事である。 眼前には優雅でしとやかな至仏山、振り返ると雄々しくそびえ立つ燧ヶ岳。 そして、これらの山々を水面に映し出す池塘の数々。 『尾瀬』の魅力とは、真にコレであろう。
夜露輝くミズギボシ
:
人の雑踏を避けるには
人が出歩かない朝の時間帯に
繰り出すのも一つの手だ
だが、カメラを構えるとなると、国民的行楽地『尾瀬』ゆえにその人だかりに悩まされる。
もし、日程に余裕があるのなら《竜宮小屋》辺りを基点にして、早朝の人のいない時間帯に湿原散策するのもいいだろう。 早朝の『尾瀬』は、きっと格別の情景を魅せてくれるハズだ。
大草原広がる中田代
さて、この《中田代》を過ぎると、《東電小屋》へ至る《ヨッピ川》沿いの道と合わさって、カキツバタの群落が咲き競う《牛首》を経て《上田代》へと続いていく。 《牛首》は《尾瀬ヶ原》の幅が最も狭まった所で、周りには大きな池塘が数多く点在する。 この池塘に影を落とす燧ヶ岳は、また格別である。
池塘を漂う浮島
そして《上田代》。 ここは、コオニユリ・クルマユリ・リュウキンカ・オトギリソウ・といった花は元より、池塘に浮かぶ『浮島』の妙が楽しめる所だ。 花を愛でて、そよ風にのって漂う『浮島』を楽しみながら歩いていくと、さしも広い《尾瀬ヶ原》もそろそろ終わりを告げる。 《ヨッピ川》を渡ると林の中に分け入り、その中を15分位歩いていくと、行楽客で賑わう《山ノ鼻》に着く。
北側に続く裏道は通行する
ハイカーが比較的少ない穴場だ
《山ノ鼻》から折り返す復路は、尾瀬ヶ原の北側に敷設された裏路を経由していこう。 《牛首》あたりで北方に延びる木道に進路を取る。 コチラ側の木道は《竜宮》などがある『表路』よりハイカーが少なく、また燧ヶ岳に向かって進んでいくので池塘と燧ヶ岳を絡めた撮影スポットが目白押しとなる。
ヨッピ橋の袂にある県境看板
※『フォートラベル』より
また、《竜宮》に渡る連絡路との交点付近には、湿原内を蛇行するヨッピ川が分流する群馬・福島・新潟の『三県境』が見えてくる。 本当の『三県境』はヨッピ川が分流する湿原内であるが、便宜的に分流点付近に架かる《ヨッピ橋》に『三県境』の案内板が立てられている。
『尾瀬の裏道』では
表道にはお目にかかれない
ワタスゲなどが魅られる
ここから先は『尾瀬の裏道』が如く、ハイカーの数もめっきり少なくなる。 まぁ、少ないといっても、普通の山よりは断然多いハイカーがいるのだが・・。 東電小屋という山荘付近には、今まであまり見られなかったキンコウカやミツガシワなど半湿性植物が魅られるなど、尾瀬のちょっとした穴場である。
この道を進んでいくと、やがて三条ノ滝を擁する只見川源流域を通る『裏燧林道』への下山路と合わさる。 この日も至仏山を往復してのロングラン行程なので、この下山路を少し戻って燧ヶ岳側の宿場街《下田代十字》でこの日の行程を終えるとしよう。
早起きは三文以上の徳
:
朝の尾瀬ヶ原と
朝もやにけむる至仏山
《3日目》 三条ノ滝・裏燧林道を通って下山
朝、少し早く起きて、まだ人の歩かぬうちに《尾瀬ヶ原》に出てみる。 本来、《尾瀬ヶ原》が抱く、静寂な雰囲気を味わう事ができるだろう。 さて、朝の尾瀬を堪能したなら、早いうちに出発しよう。
あと2時間もすると、《尾瀬ヶ原》も雑踏と化するからである。
尾瀬が雑踏と化する前に
フィールドに出てみよう
《下田代十字》から《尾瀬元湯》までの間、少しではあるが《尾瀬ヶ原》の朝の静寂とした雰囲気を味わおう。 朝日を浴びて黄金色に輝く草原、その奥にそびえる至仏山、夜露を浴びて輝くモウセンゴケやキンコウカの花々など、“尾瀬”を心ゆくまで満喫できるひとときである。
朝の光に眩く輝くキンコウカ
ゆっくり歩いても、30分もあれば元湯山荘の建つ《尾瀬元湯》に着く。 いつもは「早く到着したい」と思うのだが、今日ばかりは早く着くのが口惜しい気さえする。
一本のか細いモウセンゴケが
朝の光を吸収して輝きを放つ
この《尾瀬元湯》で《尾瀬ヶ原》は終わり、道は湿原内に敷設されている木道から、滑りやすい濡れた露岩の急下降となる。 所々、ハシゴや鎖場のある露岩帯を下っていくと、只見川の早瀬が下方に寄り添ってくる。 只見川に沿って一番急な鎖場とハシゴを下っていくと、大きな岩崖の上に立つ。
平滑ノ滝は常に影となって
写真が撮りにくい
ここから見下ろす只見川は、大きな一枚岩の岩盤を滑滝となって流れている。 これが《平滑ノ滝》である。 この岩崖の上はこの滝の展望台となっているのだが、岩崖のせり立っている角度が悪く、また周囲の樹木が邪魔をしてあまりいいアングルで見る事ができない。 そして、樹林帯の陰で薄暗いので、写真撮影にも不向きだ。
ワテもカメラを構えてはみたが、どうも今イチのようである。 《平滑ノ滝》からは展望台の岩崖より右手に折れて、再び濡れた露岩帯を急下降していく。 約30分、樹林帯の中の薄暗い露岩帯を下っていくと、《三条ノ滝》への分岐に出る。
名瀑・《三条ノ滝》へは、ここから10分下るといい。 但し、《三条ノ滝》の展望台へは、3つの鎖付きの急なハシゴ(現在は木製の階段となっている)があるので慎重にいこう。 展望台からは、《三条ノ滝》を正面きって眺める事ができる。
只見川を流れる水の全てを
集めて落とす豪壮な三条ノ滝
只見川を流れる全ての水・・、すなわち、あの広大な《尾瀬ヶ原》より流れ出る全ての水を集めてイッキに瀑布を落とす様は迫力満点だ。 我が国でも有数の名瀑を、心ゆくまで眺めたなら分岐へ戻ろう。
分岐まではかなりの急な登りとなるので、重い荷物は分岐にデポしておいた方がいいだろう。
分岐からは、《兎田代》に向かっての150mの急登だ。 これを登りつめると、《兎田代》の湿原に出る。 ここは、乾いて荒れ果てた湿原跡といった感じで、あまり見るべきものもないので先を急ぐ事にしよう。 この湿原跡の少し上で《渋沢温泉》から《小沢平》に抜ける道を分け、更に5分程進むと、《尾瀬ヶ原》への短絡道の『段吉新道』を分けて『裏燧林道』へ入っていく。
『裏燧林道』の前半はブナの樹林帯の中でのアップダウンで、やや退屈な道である。 また、コースのほとんどに木道が敷設され、ワイルド味にも欠ける。 《尾瀬ヶ原》の探勝路と違って、こういう道は早く抜け出たいと思うのだが、こういう道に限ってなかなか思い通りに早く抜け出せないものである。
しかし、これを抜け出せば、待ちに待った素晴らしい景色が広がるのである。
この田代は湿原としては乾燥が進み
過ぎているが草原として眺めれば
ライトグリーンの情緒あふれる風景だ
《西田代》・《横田代》・《上田代》と続く、見晴らしのいい湿性の草原地帯である。 これらの田代は、乾燥化が進みすぎて湿原としてはあてはまらないが、ライトグリーンに輝く草原としてみれば情緒ある風景である。
上田代より望む
平ヶ岳と越後三山
また西側には、平ヶ岳が魅力ある容姿を魅せてそびえ立っている。 平ヶ岳はこれら“田代”のどこからでも眺めることができるが、最も眺めがいいのは《上田代》付近であろう。
やっぱり尾瀬の魅せる力は凄い
:
再度訪れる事を約束して
尾瀬を後にしよう
やっぱり『尾瀬』は凄い。 最後の最後まで魅せてくれるのだから。 《上田代》から約20分で、登りの時に分けた分岐に戻り着く。 ここから駐車場へは、砂利道を約5分である。 無事下山したなら、《尾瀬・御池》より15km先にある《桧枝岐温泉》で汗を洗い流すとしよう。 ひと風呂浴びると、今回の山旅の思い出が次々と思い浮かんでくる事だろう。
最近『撮り鉄』のカテゴリで
密かなブームとなっている撮り方が
『ゆる鉄』という撮り方のようである
今までの車両中心で迫力が全ての
悪く言えば「それ以外写ってない」
『ガチ鉄』写真と対極的な撮り方だ
ホームで列車を待つ乗客のしぐさや
乗客の学生の女の子のカバンについてる
今時のアクセサリーなどに視点を向ける
ともすれば鉄道車両が
ほとんど写ってないなど
『ガチ鉄』派にすれば邪道な撮り方だ
『ゆる鉄』は確かに他と視点を変えた
魅惑的な撮り方だと思うが
アングルに人間が入ると
画面を汚す『黒点』と捉えるワテには
難しすぎる撮り方だぁね
そこで『ゆる鉄』でもなく
ましてや車両だけしか写らない
従来派の『ガチ鉄』でもなく
撮る魅力を見いだせない
編成写真でもないワテだけの撮り方
それは『サバイバル風景鉄道』
略して『サバ鉄』である
それは登山や自然探勝のついでに
登山の装備や経験を駆使して
撮る『撮り鉄』手法だ
ヤマから降りてその夜は担いでいる
テントで駅寝して翌朝に撮るとか
ピッケルを一脚代わりに使って撮るとか
登山靴でしか入れないぬかるみや
ブッシュを掻き分けて撮るとか
究極は装備を活かして
真冬の駅寝で夜討ち朝駆けとか
『3フィーバー』や雪原のラッセル突破など
誰にもマネができない『撮り鉄』手法である
あぁ・・モノ投げないで下さい
- 関連記事
スポンサーサイト