2021-11-01 (Mon)✎
『路線の思い出』 第465回 湧網線・北見平和駅 〔北海道〕
夏はフイルム間違いで全ボツ
『リベンジ』も『撮り鉄』は不出来で
結局悔しさだけが残った
湧網線の能取湖畔区間
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’79) / 営業係数(’83)
中湧別~網走 89.8km 177 / 2322
廃止年月日 転換処置
’87/ 3/20 網走バス・北見バス
廃止時運行本数
中湧別~網走 5往復
中湧別~佐呂間 上り1本
湧網線は1987年3月20日という
国鉄がJRに経営移管される10日程前に
当局の思惑通り廃止となってしまった
北見平和駅(きたみへいわえき)は、かつて北海道(網走支庁)網走市字平和に存在した国鉄・湧網線の駅である。 湧網線の廃線に伴って、1987年3月20日に廃駅となった。
乗降場と同じサイズの駅名標と
『ホーム』と示した黄色い看板が
ホームの両端に立っていたが
駅名標が破損したのか廃止を控えた末期は
『駅名標のない駅』となっていた
廃止時点で1面1線の単式ホームを有する駅で、ホームは線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在した。 転轍機を持たない棒線駅となっていた。 無人駅となっており、有人駅時代にあった駅舎は撤去されたが、ホーム南側に待合所を有していた。 ホームはレールと枕木を枠に再利用した、盛土のホームであった。
待合室あったっけ?
でも記事トップに掲載した自身で撮った
写真にも待合室が写っているなぁ
※『プラットホームの旅』より
乗降場同様の立て札形式の駅名版が設置されていたが、末期は破損して撤去されたようで駅名標が無かったようである。 当駅が芦などの雑草が生い茂った広漠とした場所に位置し、駅として視認し辛かった為か、ホーム端に『ホーム』と書かれた看板が設置されていた。
縁起のいい駅名から
『寿』スタンプが押された
乗車券が販売されていた
駅名の由来は当駅が所在した地名からで、旧国名の『北見』を冠していた。 その地名は、平和を願って付けられたと考えられる。 旧国名は、北道道内に夕張鉄道の平和駅が存在した事から、つけられたモノである。 縁起のいい駅名から、当駅の管理駅であった常呂駅では『寿』のスタンプ入りの乗車券が販売されていた。
現在の線路跡は道道1087号の
サイクリングロートとなっているが
駅跡は草が茂り放題の荒地となっている
※ ウィキペディア画像を拝借
駅跡地は草木が生い茂り、駅の設置場所が辛うじて確認できるのみであったが、線路跡は『北海道道1087号網走常呂自転車道線』として、サイクリングロード化されている。
若かりし頃に課せられたしがらみを
全てかなぐり捨てて我が望みを
『半分命懸け』で追い求めたから
このさよなら列車を我だけのプライベート
ステージ(東富丘仮乗降場)で撮れたのだ
若かりし頃は留年ギリキリまで学校をサボりまくり、金がないので真冬の北海道で駅寝するなど、『地位や将来の見通し』をかなぐり捨てて、『半分命懸け』で追っかけていた北海道の廃止ローカル線・・。
『さよなら湧網線乗車記念証』の
裏面に記載された『湧網線の歩み』
:
少しばかりの地位と身分の確保の為に
多大な我慢と諦めを強いられる
学歴からの立身出世というシステムに
納得がいかなかった小僧の頃のワテ
だからこのシステムに反する生き方を選んだのだ
でも、今になって思うけど、元からなかった将来の地位保証などをかなぐり捨てて、『自身が欲する事を追いかけた』のは正解だったと思うよ。 言っちゃぁ何だが、全く保証されてない将来を賭けて、若い活動期を勉学や特定のスポーツに明け暮れる方が、ワテは生き方として悲しく感じるわ。
自身が欲する事をすると
必ず結果が手元に残るのだ
それで成功するのは、ほんの一握りだけだしね。 負けたり結果が出せなかったらその時点で終わりだし、成功しても給料と地位が高いだけで、重い責任を背負わされボロ雑巾のようにコキ使われる社会の家畜のような暮らしが待ってるだけだしね。
現に、面白おかしく、我の望むように生きてきたワテが、ちょっと機転を利かして副業に精を出しただけで、『スーパーオチャメ』で非正規に格下げられたにも拘わらず、大学出の管理職なみの所得があるし・・ね。
撮る事ができなかった情景
:
「心の欲するまま生きた」とはいえ
それに相反する状況的限界と
いう壁がいつも立ち憚っていた
※ 写真集『北海道鉄道百景』より
話は初めから脱線してしまったが、その『自身が欲する事を追いかけた』北海道のローカル線の追っかけであるが、やはり『若い=金がない』、『若い時はほんの一瞬』、『追っかけている対象が消えゆく事が確定的なモノ』という贖えない現実があって、『半分命懸け』で追っかけたにも拘わらず、全てにおいて納得できず悔いを残す事が大いにあったのも確かな事である。
そういえば常呂の流氷も
『リベンジ』が叶わなかったよ
※ 旅人宿のオリジナルテレカより
それは、乗る前に廃止となった線もあれば、乗ったのに車内で爆睡して何も憶えてない路線、乗っただけの路線と様々あるが、コレらの路線は悔しい思いはあるけど、次に出すシュチュエーションよりは悔しくないのである。
湧網線は別の撮影場所では
それなりに撮れたのだけど
その「最も悔しく感じた」シュチュエーションとは、『撮り鉄』に一度失敗して、『リベンジ』を掲げるも成し得なかった路線である。 その計画が到底無理な計画だったとしても、結果も残せずに『リベンジ』も叶わなかった事自体が悔しさをMaxにさせるのである。
コレを撮る事を『リベンジ』として
掲げたけれどそれを成し得る前に
「さよなら湧網線」となってしまった
※『さよなら湧網線』オレンジカードより
その『悔しさMax』の『リベンジ』を掲げるも、成し得なかった路線・・、成し得る前に廃止されてしまった路線が、今回の『路線の思い出』のお題である湧網線なのである。 だが、最後の『お別れ』はできたので、幾分マシにはなったけど。
最後に我一人だけで
湧網線とお別れができたので
幾分悔しさは紛れたのだが
その『リベンジ』を掲げるも、成し得なかった湧網線の撮影シーンとは、能取湖を真っ赤に埋め尽くすサンゴ草(アッケシソウ)を前景に湧網線を撮るシーンである。
サンゴ草で赤く染まった
能取湖と湧網線の情景だった
※ 写真集『さよならローカル線33』より
でもこの情景ある事を知ったのは
湧網線が廃止となる1年前で
高校出たての小僧にはどう足掻いても
念願成就は無理な状況だった
※ ウィキペディア画像を拝借
まぁ、サンゴ草が湖面を埋め尽くす時期は秋で、大阪に住む人間でしかも金のない小僧が、秋の北海道を訪れる自体で計画は破綻しているのだが・・。
あれからもこの情景は
未だに未訪の情景だ
※ 網走市観光協会のウェブより
上に述べた通りに到底無理な計画だったとしても、結果も残せずに『リベンジ』も叶わなかった事自体が、悔しさをMaxにさせるのである。 それは最初の失敗が、救いようのないデキだったから尚更なのである。
正確には『リベンジ』に訪れるも
その『リベンジ』でも結果が
残せなかったのがこの湧網線だった
それは、ヤマと同じく『半分命懸け』でやっていた事だから、余計に悔しく感じるのである。
まぁ、大まかに言って人には2通りある。 思いが叶わないとスッパリ諦める奴と、ワテのように怨念がましく『リベンジ』を目論む奴である。 そしてその比率は、1対9で「スッパリ諦める」が大勢を占める事だろうと思う。 いや・・、もしかしたら1対9で利かないかもね。
普通ならスッパリ諦めてしまう事を
いつまでも諦めきれずにいる
極々少数派の一人がこのワテであり
ワテの生きる原動力ですね
※『レスポンス・網走市の挑戦』より
でも、それが『計算尽く』で得られる結果なら、途端に冷めてしまうのもワテである。 だって、写真において『計算尽く』が全てなら、計算機や計算ソフト片手に撮れば済む事で、そんなのに情熱を注ぐ事はできないし、撮ったとしても有りふれたつまらない写真が手元に残るだけだからである。
そう・・、概ねの撮影計画だけ立てて、訪れた時の状況や撮影のシチュエーションは「その場でのお楽しみ」にして、自身の足で歩いて実際に目にして見つけた撮影地で、その場の偶然からなる奇跡を目一杯味わうのが撮影の醍醐味だと思うから。
空が魅せた偶然の奇跡
『白鳥雲』
:
『計算尽く』からは決して感動は
生まれないと言うのがワテの基本理念
計算などできない情景の数々に
心が動かされるのだ
この考えは、たぶんヤマなどの自然風景を撮っていて、そういった写真には『計算尽く』といった概念は全くと言って存在せず、その場の奇跡的な偶然を求めてシャッターを切ってきたからだと思う。
その場で目にして偶然に
気に入った場所で撮ったから
我だけの写真として
いつまでも記憶に残るのだ
:
『計算づく』でプロと名乗る誰かの
猿マネ写真なんか撮りたくはない
要するに、今の『計算機』のような写真を製造するデジタルにも、それを駆使して『計算尽く』の写真を撮るプロと名乗る奴の撮った写真にも、その良さを見い出せないからですね。 だって、『完璧な計算尽く』な写真って、誰かが撮ったありふれた写真のコピーな写真でしかないしィ。 写真がそんな見込みのない世界だったら、ワテは即効写真をやめてるよ。
今週に行った山行では
計画通り以上に事がこなせて
ようやく3分けを含む
4連敗でストップができた
そして新しく買ったテントで
山行にして7山行目(うち2山行は中止)
幕営回数にして8泊目で
始めて無雨(含む台風と雪)&
無事故で設営できたよ
でも九州のヤマ
(九重に行ってたのでした)
とはいえ秋の夜は寒いね
テント内の温度が2.1度まで下がったよ
それと今年の紅葉は
10月中旬までの夏のような気温から
いきなり寒くなったので
紅葉の色着きがハズレ年のようだったよ
でもそれなりに楽しめたけど
それよりもスゴかったのは
目的の山の往復は荷物をデポって
空身で行ったのだけと
テント一式20㎏を担いだ登りでは
コースタイムより遅かったのが
カメラとレンズだけの
4㎏の空身になるとゴボウ抜きで
コースタイムより15分アンダーだったよ
でも下りはもう足に踏ん張る力が無く
逆にゴボウ抜かれで15分
オーバーとなってトントンだったよ
でもヘタレを予測して立てた計画より
1時間早く下山できたよ
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リンクのお願い * by kite
今晩は
いつもお世話になっている「凧と浜風」のkiteと申します。
コロナ禍の下、写欲低下からブログ更新も滞ていましたが、漸く活動を再開致しました。
これを機に、ブログ環境整備の一環として「リンク先」の見直しを進めています。
風来梨さんのブログを拝見した上で、これからもお付き合い頂きたいと希望を持ちました。
と言う事で、私のブログからリンクを張らせて頂いて宜しいでしょう?
宜しくお願い致します。
いつもお世話になっている「凧と浜風」のkiteと申します。
コロナ禍の下、写欲低下からブログ更新も滞ていましたが、漸く活動を再開致しました。
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風来梨さんのブログを拝見した上で、これからもお付き合い頂きたいと希望を持ちました。
と言う事で、私のブログからリンクを張らせて頂いて宜しいでしょう?
宜しくお願い致します。
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
実際に車窓から赤く染まるサンゴ草をご覧になってましたか。
でも、湧網線は1日5往復しかなく、乗車を優先させると『撮り鉄』どころではなくなりますね。
私は、年齢が自由に北海道に行けるまでに達しておらず、金&の面も含めて北海道を訪れる余裕がなく、『リベンジ』は叶いませんでした。 秋の北海道は特に遠いですね。 大雪や日高のヤマと共に訪れたいのですが・・。
実際に車窓から赤く染まるサンゴ草をご覧になってましたか。
でも、湧網線は1日5往復しかなく、乗車を優先させると『撮り鉄』どころではなくなりますね。
私は、年齢が自由に北海道に行けるまでに達しておらず、金&の面も含めて北海道を訪れる余裕がなく、『リベンジ』は叶いませんでした。 秋の北海道は特に遠いですね。 大雪や日高のヤマと共に訪れたいのですが・・。
Re: リンクのお願い * by 風来梨
Kiteさん、こんばんは。
リンクをして頂けるとの事で嬉しく思います。
是非とも宜しくお願いします。 こちらも、『凧と浜風』さんをリンクに加えました。
今後とも宜しくお願いします。
リンクをして頂けるとの事で嬉しく思います。
是非とも宜しくお願いします。 こちらも、『凧と浜風』さんをリンクに加えました。
今後とも宜しくお願いします。
湧網線に乗ってこの景色を見に行ったことがあるのですが、写真を撮っていないのです。
この湧網線は北海道の中でも一番好きな路線だったのに写真がほとんどない(泣)
今になって大後悔ですよ。。