容疑者は脅されるまま借用書を書き、その借用書の保証人として、車内に残していた事件被害者と同姓同名の彼女の名前と電話番号を彼女に無断で書いてしまったのである。
だが、無職でプラプラしている容疑者に払う金などなく、その後も借用書に書いた迷惑料120万円を支払わないまま、彼女と2人で逃亡生活を送るようになる。 その逃亡から1年が経過した2008年5月、容疑者は某掲示板系インターネットサイトに、『先輩・Z』が容疑者の名前と顔写真を晒して行方を探している書き込みがあるのを目にしたのである。
これに恐怖を覚えた容疑者と彼女の2人は、警察署に駆け込んで『先輩・Z』を被疑者とする恐喝の被害届(この被害届を出した日時も判明しているが伏せておこう)を提出したのである。
その被害届提出後1ヶ月近くが経った6月28日の午前中、容疑者が原因での逃亡の日々に嫌気がさし、また日頃から容疑者の傲慢な態度にも耐えかねていた(事件被害者と同姓同名の)彼女は、隙を見て容疑者の下から逃亡し、宮城県の実家へと向かったのである。
この逃亡に、容疑者は金もなく車のガソリンも残り少なかった為に後を追う事ができず、携帯電話で「戻ってきて欲しい」と懇願するが、彼女はこれを拒否したのである。
彼女が逃亡した日の夜遅く、途方に暮れた容疑者はおもむろに彼女と同姓同名の事件被害者の携帯電話に連絡を入れる。 この時、容疑者の彼女と同姓同名の事件被害者は、初めに知り合って交付き合っていた容疑者の友人とは別れており、容疑者とも疎遠となっていた。
容疑者は、6月28日の22時頃に「恋の悩みで相談したいので今から会いたい」と言って、(彼女と同姓同名の)事件被害者を呼び出す。 この時、一緒にいて容疑者と携帯電話でやり取りする事件被害者の様子を見ていた男性は、「とても嫌そうな様子だった」と証言しているとの事である。
事件被害者の元女子高生は容疑者から連絡があった直後に、宮城県の実家に逃げ帰った同姓同名の容疑者の彼女の携帯電話に連絡を入れるがつながらず、その10分ほど後の22時20分頃に仕方なく、待ち合わせ先として指定されたコンビニへと出向いたのである。
それから更に10分後の22時30分頃に、事件被害者の元女子高生は宮城に逃げ帰った(自身と同姓同名の)容疑者の彼女の実家に電話を入れ、「容疑者とは今どうなっているのか?」、「やり直すつもりはあるのか?」と問い質したとの事である。
また、容疑者と会った宮城県登米市のコンビニの防犯カメラに、22時43分~23時にかけて雑誌を立ち読みする事件被害者の映像が記録されていたのである。 これが生前の事件被害者の姿を捉えた最後の映像となるとの事である。 その後、事件被害者の元女子高生は、容疑者より宮城の実家に逃亡した(自身と同姓同名の)容疑者の彼女とメールでやりとりを続けていが、日付が変わった翌日の午前0時30分頃のメールを最後に連絡が途絶えている。
事件被害者と会った後の容器者の足どりだが、事件被害者と宮木県登米市のコンビニで別れたかは不明である。 容疑者はその日の深夜に岩手県盛岡市内のセルフ式のガソリンスタンドで給油を行っていて、その姿がガソリンスタンドの防犯カメラに、午前2時14分の時刻で3分間ほど記録されているのである。
また、この時点で事件被害者が容疑者の車に乗っていたかは不明であるが、3分間の映像で1度も確認されなかった事から、恐らく乗っていなかったモノと思われる。
その時には右手に白い布のようなものを巻いていて、右手をケガしている事も確認されている。
その後、その日の午前9時頃、容疑者は岩手県田野畑村の弟夫婦の家を訪れている。
その時は事件被害者は同行しておらず、右手に大怪我をしていた事から
岩泉町にある病院(田野畑村の近隣の町だが30km位離れていて、当時は道も悪かった=病院への往復にはかなりの時間がかかる)を受診している。
病院で容疑者は、「酒に酔って壁を殴って怪我をした」と説明したとの事だが、診察した医師は「壁を殴ったようなケガには見えなかった」と証言している。 その後の容疑者は、被害者殺害推定日時の6月30日まで弟夫婦の家に滞在している。 また、遺体発見日の翌7月1日の20時過ぎに再び弟夫婦の家を出た事が確認されているとの事である。
なお、弟夫婦のいる田野畑村から事件現場までは100km程離れていて、現在ほど道が整備されていない状況では、車でも3時間以上かかる事が予測される。
また、容疑者が弟夫婦の家に滞在している間は、右手のケガなどを耳にした父親が様子を見に訪れているという。 その際に容疑者は、父親に「『先輩・Z』からの脅しが弱くなったので被害届を取り下げたい」と相談している。 この相談を受けた父親は6月30日の昼頃に警察に連絡してその意思を伝えるが、警察側は「後2~3日で逮捕できる」、「家族の安全は保障する」と言って被害届取下げを拒否したのである。
そして、警察に被害届の取り下げが拒否されたその翌日の2008年7月1日の16時半頃、岩手県川井村(現在の宮古市)の松章沢という小河川にかかる橋の下で、何者かに殺害された事件被害者の遺体が発見されたのである。
遺体の状況から、事件被害者は何者かに首を絞められて瀕死の状態になった後、橋の上から河川に投げ落とされた可能性が高いと現場見識報告がなされている。
事件被害者の遺体が発見された7月1日の20時半過ぎに車で弟夫婦の家を出た容疑者は、その約30分後の21時頃に、陸中海岸シーサイドラインで対向車線側の電柱に突っ込む単独事故を起こしている。 容疑者は事故後に事故現場を通りかかった地元の男性に救助され、実家まで送ってもらうが、この時の容疑者は酔った様子で「俺はもうお終いだ! 死ぬしかない!」などと口走っていたそうである。
※ 前編ではお題の内容追及がほとんどできず、事件の時系列のみとなっちまったよ。
なので、お題の内容の追及は長くなった事もあるし、後編に・・
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