2011-09-17 (Sat)✎
『私の訪ねた路線』 第53回 土讃本線 〔香川県・徳島県・高知県〕
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
多度津~窪川 198.9km 2928 / 164
運行本数
琴平~阿波池田
琴平~阿波池田 特急 1時間に1~2本
普通 8往復
阿波池田~高知
特急【しまんと】、【南風】 上下とも毎時1~2本
普通 阿波池田~大歩危 上下とも2本づつ
阿波池田~高知・須崎 上下とも6本づつ
高知~窪川
特急【しまんと】(高松始発着) 1往復
特急【あしずり】(高知始発着) 9往復
普通 伊野・須崎・窪川行 上下とも毎時1~2本(列車の大半が須崎行)
普通 須崎~窪川 下り6本・上り7本
《乗車記》
四国の二大幹線という事で、早くから鉄道建設が行なわれている。 1889年に、讃岐鉄道によって多度津~琴平を開通する。 1906年に国有化され、『讃岐線』と称されるようになる。
以降は『讃岐線』の支線として建設が進められ、1923年に讃岐財田まで、1929年に佃まで開業する。
以降は『讃岐線』の支線として建設が進められ、1923年に讃岐財田まで、1929年に佃まで開業する。
一方、阿波池田へは、徳島からの徳島本線が路線の延伸という形で1914年に開通させていたので、これを『讃岐線』に編入している。 1931年には次の三縄まで延伸。
この頃は人並みに特急も撮っていた
特急【南風】号
西佐川~佐川
高知からの区間は、1924年に『高知線』として須崎~日下~高知が開業する。 その後も延伸を続け、翌1925年には土佐山田まで、1932年には大杉まで、そして1935年には三縄まで延伸させて『讃岐線』区間と路線がつながる事となる。 これによって、多度津~須崎が『土讃線』と改称される。
中坊の時に撮ったDF50
その後は須崎より西に向かって延伸を続け、1939年に土佐久礼まで、1951年にようやく窪川まで開通する。 窪川より先は、1963年に中村線という独立線として中村まで開業している。 なお、窪川より先は、国鉄再建法により中村線が第三次廃止対象路線になった事から、1986年に第三セクター運営の『土佐くろしお鉄道』に経営移管されている。 また、1987年に予讃線の電化区間の延伸工事と平行して、琴平までの電化も行なわれている。
急行が最もカッコいい
気動車ファンで『四国』といえば、ヘッドマークをつけた急行列車を思い浮かべる事だろう。
キハ58の統一された編成美は、今の鉄道車両が失った“列車”としての魅力が溢れているのである。
その頃を惜しむ多くの鉄道ファンに後押しされて、かつての急行色塗装を施したリバイバル列車が度々運行されている。
列車も秋の絶景を見ながら
木造駅舎という東屋でひと休み
《秘境駅訪問記》
土讃本線は長大路線であるし、全区間を通して乗ったのは、四半世紀以上前の中坊の頃。
しかも、そのほとんどの区間が当時運行していた窪川行夜行快速での乗車で、それ以来乗った事ないのである。 これでは、乗車記を記するのは不可能であろう。 従って、去年に『滝と鉄道の旅・四国秘境編』と銘打って、思い入れ深い『フォーエバーの滝』のついでに“秘境”つながりで訪れた坪尻駅ハチャメチャ訪問記を語ろうかと。
この時は時刻表ナシで、普通列車の坪尻駅発車時刻を紙に適当に殴り書きしただけの下準備である。
当然、通過する特急列車の時刻など全く調べていないし、それどころか「アンパンマンはパス!」(鉄なら知っているだろうが、四国の列車は何故か『アンパンマン』がメインキャラクターとなっている)と全く想定していなかったのである。 もちろん、坪尻駅がどのように秘境駅なのかも調べもず、“オチャメ”の卵をキッチリと育んでいたのは藪の中に。
で、着いたのは6:15頃。 国道32号の何もない所に『坪尻駅 600m →』の道看板が掲げてあった。
その看板の100m程先にモーテル跡なのか、閉鎖された建物と車が6~7台駐車できるスペースがあった。 取り敢えずここに車を駐車して、看板の方へ向かってみる。
で、着いたのは6:15頃。 国道32号の何もない所に『坪尻駅 600m →』の道看板が掲げてあった。
その看板の100m程先にモーテル跡なのか、閉鎖された建物と車が6~7台駐車できるスペースがあった。 取り敢えずここに車を駐車して、看板の方へ向かってみる。
看板の指し示す所には慰霊碑が立つだけで下る所はなかったが、その20m程下方のガードレールに人間ひとり分だけの隙間があった。 そこから、「通路と言えば通路かな」という切通しが下方へ続いていた。 これが駅への下降路とはにわかに信じ難く、モーテル跡を挟んだ逆の方向へ索敵に向かう。
逆の方向には民家が2~3件あり、道のレベルは先ほどの切通しと変らないが幅は軽トラ一台分位と広く、見た目もこちらの方が駅への通路らしかったので、こちらを駅への下り口と定めて下っていく。
逆の方向には民家が2~3件あり、道のレベルは先ほどの切通しと変らないが幅は軽トラ一台分位と広く、見た目もこちらの方が駅への通路らしかったので、こちらを駅への下り口と定めて下っていく。
これが『小さなオチャメ』のプロローグである。
道は3件目の民家と軽トラックを見やると、ごみが散乱する廃道と化し、藪や茨が進路を塞ぎ始める。
道は3件目の民家と軽トラックを見やると、ごみが散乱する廃道と化し、藪や茨が進路を塞ぎ始める。
だが、何故か山や沢でお馴染みの『道標リボン』が枝に括りつけてあるなど、微妙な迷彩がかかっていたのである。
「日頃お世話になっている『道標リボン』はウソをつかない!」と勝手にゴタクを並べて、タワケはゴミが散乱する踏跡に入っていく。 「ここまで下ったので、もはや戻るのはダルくてイヤだ!」というオーラを全開にして。
「日頃お世話になっている『道標リボン』はウソをつかない!」と勝手にゴタクを並べて、タワケはゴミが散乱する踏跡に入っていく。 「ここまで下ったので、もはや戻るのはダルくてイヤだ!」というオーラを全開にして。
そして、ワイヤーを止める座金が所々にあった。 たぶんこのワイヤーは、線路への土砂崩れを防ぐネットを吊る為の座金であろう。 ネットの中に入ってしまっては脱出が不能となるので、ワイヤーを全て跨いでその土砂崖の端までトラバースをする。 “トラバース”(三点支持移動)が入ったこの時点で、「このルートは正しい駅へのルートではない」と98%確信が持てた。
後の2%は、その・・なんだ、信じたい気持ちと間違いを認めたくないアオい感情である。
だが、ワイヤーを跨ぎきると、その50m位下に線路が見えてくる。 これで、残念だか『100%間違い』の烙印が押されたのである。
ここまで来ては、もうこの土砂崖をモンキーダウン(木を持って猿のように下っていく)するしかなかろう。 ああ、『フォーエバー』の番匠谷以来だなぁ、こんな目に遭うのは。 まぁ、あの時よりも数段傾斜は緩いが。
しかし、こんな崖をモンキーダウンするなど想定さえしなかった(でも、想定してたら完全無欠のアホですわ)ので、スニーカーよりちょっとスポーツモードのズック靴履きだったから滑ったよ。
・・で、約30分かけて線路際まで下りきる。 下りついた線路際は、坪尻駅の100mほどトンネル寄り(高松側)であった。 駅が見えるので、駅まで線路を伝っていく。 そのすぐ横が先ほどの予想通り、ワイヤーで吊られた落石防止用の防護ネットであった。 坪尻の駅は停車する列車だけスイッチバックで入線する線路配置となっているようである。
崖の下り口から100mの線路伝い歩きを終えて、停車列車用の線路を跨いで駅裏に出た瞬間、アンパンマン(特急)が全速力で通過しやがった。 全く不徳の致す所で弁明の余地は皆無だが、これはチトやばかった。 特急の通過時刻調べとけば良かったね。 いや、それよりも、キチンと駅への下り口を調べておくべきだったよ。
坪尻駅はアンパンマンの
アンパンマンによる
アンパンマンの為の
退避駅に過ぎなかった
まぁ、とにかく、「車の進入ルート皆無の秘境駅」として全国的に名高い坪尻駅に(土砂崖を)下り立ったのである。 即ち、『秘境駅』をサバイバル的に『秘境踏み』した筆者(タワケ)であった。
『秘境駅』に辿り着く者は数多くあれど、『秘境駅』をサバイバル的に『秘境踏み』したのは筆者をおいて他にはいまい。
さて、秘境駅についたのだから、早速列車の撮影に勤しもう。 最初の列車は7:03発の多度津行きだ。
土砂崖を下って線路を跨いで駅裏に入った瞬間にアンパンマンが轟音を上げた(アト1分遅かったらヤバかった)ので、着いたのは6時52分頃である。 アト10分しかないので、取り敢えず一番スタンダードな28mmを着けて構える。
土砂崖を下って線路を跨いで駅裏に入った瞬間にアンパンマンが轟音を上げた(アト1分遅かったらヤバかった)ので、着いたのは6時52分頃である。 アト10分しかないので、取り敢えず一番スタンダードな28mmを着けて構える。
車道もない無人地帯に在する駅でも
定時に列車はやってくる
定時に列車はやってくる
7時を周った瞬間に、前が新型で後ろがキハ54の2両がやってきた。 当然下車客ナシ。 朝の通勤便との事らしく、車掌も乗務する空気輸送列車だった。 まぁ、琴平と多度津の間だけ、列車としての体を成すのだろう。
琴平から通勤列車となる
空気輸送列車がやってきた
列車はゆっくりと奥の引込み線に入り、本線へ移動していく。 つまり、一列車でインとアウトと本線走行の3回の撮影機会があるのだ。 でも、風景を交えて撮るとなると、そのいずれも“撮影チャンス”には当てはまらない。 なぜなら、車両本位の走行撮影となるからだ。 即ち、画面に入るのは、車両とスイッチバックの線路と周囲の森林だけの“どこでも撮れるつまらないアングル”なのだ。
坪尻駅に停車する定期列車のみ
スイッチバックで往来する
まぁ、最初のは様子見という事もあるし、未だ朝日が昇って間もないので光量不足という事もあるので、取り敢えずシャッターを切るタイミングをつかむ為にカメラを向ける。 これをする事によって、周囲を見回して必要なレンズとアングルを想定する余裕ができた。 それを次の列車に活かせば良い訳だ。
さて次は・・、アンパンマン(特急)を撮る気は皆無なので、次の普通列車は8:29発の多度津行である。
次の列車まで1時間半あるな・・とタガを括っていると、下りの普通が快速を飛ばして通過した。
早速、時刻表を持たないナンチャッテ○鉄の弊害が形として現れた。 これは、見事なまでに完璧な“見逃し”である。 行きがけのアンパンマンの事といい、この事といい、本鉄さんがいたなら吊るし上げられる体たらくである。
さて次は・・、アンパンマン(特急)を撮る気は皆無なので、次の普通列車は8:29発の多度津行である。
次の列車まで1時間半あるな・・とタガを括っていると、下りの普通が快速を飛ばして通過した。
早速、時刻表を持たないナンチャッテ○鉄の弊害が形として現れた。 これは、見事なまでに完璧な“見逃し”である。 行きがけのアンパンマンの事といい、この事といい、本鉄さんがいたなら吊るし上げられる体たらくである。
7:30位に“見逃し”をした後1時間程あるので、俯瞰できるかもと裏山へ向けて続く踏跡を伝っていく。
100m程つづらの坂を登っていくと石垣があり、線路から離れていく。 そして見えていた線路は樹木に隠れて見えなくなり、諦めて引き返す。 でも、この石垣って、いったい何の為に積まれたのだろうか。
この山道はどこにつながっているのだろうか?
この石垣って何?
昔に庄屋の屋敷でもあったのか?
やがて8時を周り、そろそろに次の列車の為にスタンバる時がやってきたと思ったら、8時15分に入線してきた。 どうやら、アンパンマンとバイキンマンの通過待ちのようだ。 結果としてまたもや“見逃した”のであるが、スイッチバック側は日光がギラギラと差し込む『ピーカン・ド逆光』で写真にはならず、この“見逃し”は結果オーライという事で。
車止め側の山肌は見事な紅葉が彩り、そろそろに日差しを浴びて色彩豊かになってきて、「ここに来て撮りたい」という情景になってきた。 木造の味わい深い駅舎と山肌を彩る紅葉と、旧国鉄型のキハ54という美味しい情景が15分にわたって撮り放題となるのである。 それでは、この地で楽しんだ情景をごろうじろ。
秋色満開の秘境駅にて
“オチャメ”なければ
この踏切に下り着くハズ
まだまだ楽しんでいたいが、次の列車は10時前までない(アンパンマンはあるけど)し、「朝メシも食いたいなぁ」という事で引き上げる。 今度は踏切を渡って、通常の通路を行く事にしよう。
踏切を渡ると、30年以上も前に廃屋になったであろう倒壊寸前のバラックがあり、その先にすごぶる良い道(下り時の土砂崖に比べて・・です、ハイ)がつづら折でつながっている。 国道までの距離は、国道にあった表示板の如く600m程だろう。 当然、モンキークライムをする必要も、ズル滑りする危険も、ワイヤーを跨ぐ必要も、ヤブ漕ぎする必要も無い。 後で知った事だが、このヤブの中にはマムシがいるんだってね。
・・で、教訓。 「見知らぬ駅を訪れるには、先人の到達者の書き記した記録を調べるべし もしくは、鉄道駅は鉄道で下り立つべし」であろうか。 ちなみに、最初に見た駅案内板のすぐ下のガードレールの隙間から下る切通しが駅への入口だったよ。
この撮影記はまだまだ続きますが、興味のある方はコチラからどうぞ・・
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No title * by 風来梨
tmisatojpさん、こんばんは。
土讃“本線”と名乗っているとはいえ、県境区間は超閑散線区です。
鉄道も地域開拓の為に敷かれたのがほとんどで、当時は国策の為に線路が敷かれ、旅客輸送を想定すべくもなかったと思います。
そして、数少ない入植者も街に流失して、鉄道施設のみが残った訳ですね。 とはいえ、昔は集落もあっただろうし、もう少し活気があったと思います。
ご覧頂きまして、ありがとうございます。
土讃“本線”と名乗っているとはいえ、県境区間は超閑散線区です。
鉄道も地域開拓の為に敷かれたのがほとんどで、当時は国策の為に線路が敷かれ、旅客輸送を想定すべくもなかったと思います。
そして、数少ない入植者も街に流失して、鉄道施設のみが残った訳ですね。 とはいえ、昔は集落もあっただろうし、もう少し活気があったと思います。
ご覧頂きまして、ありがとうございます。
No title * by オータ
こんばんは。
漫画家の西原理恵子がずっと以前、出身地の高知県がいかに遅れていたか…自虐的に書いていましたが…確かに鉄道を敷くにもタイヘンだったようですね。 昭和20年代発行の岩波写真文庫「高知県」でも、鉄道が高知市まで通ったのは昭和も11年になってから…人々は大阪との行き来には船のほうが早くて重宝していたとか(今でも 大阪高知特急フェリーがありますが)
もちろん予土線ができる前のことですから、松山との行き来は山道をバスが走っていたそうで、全く普通の乗り合いバスが夜行運転をしていた貴重な記録(岩波写真文庫の写真を見て、昭和31年の時刻表で確認)もありました。 この坪尻駅もすごいですね… 傑作!
漫画家の西原理恵子がずっと以前、出身地の高知県がいかに遅れていたか…自虐的に書いていましたが…確かに鉄道を敷くにもタイヘンだったようですね。 昭和20年代発行の岩波写真文庫「高知県」でも、鉄道が高知市まで通ったのは昭和も11年になってから…人々は大阪との行き来には船のほうが早くて重宝していたとか(今でも 大阪高知特急フェリーがありますが)
もちろん予土線ができる前のことですから、松山との行き来は山道をバスが走っていたそうで、全く普通の乗り合いバスが夜行運転をしていた貴重な記録(岩波写真文庫の写真を見て、昭和31年の時刻表で確認)もありました。 この坪尻駅もすごいですね… 傑作!
No title * by 風来梨
こんばんは。
何でも、秘境駅探検家の牛山隆信氏によると、全国7位の秘境駅だそうです。 1位は、室蘭本線の小幌だそうです。
でも私的には、廃止されましたが深名線の白樺に勝る秘境駅はなかったような・・。 あそこは、完全無欠の無人廃村でしたから・・。
何でも、秘境駅探検家の牛山隆信氏によると、全国7位の秘境駅だそうです。 1位は、室蘭本線の小幌だそうです。
でも私的には、廃止されましたが深名線の白樺に勝る秘境駅はなかったような・・。 あそこは、完全無欠の無人廃村でしたから・・。
No title * by オータ
拝復、小幌…家から車で一時間くらいです。たまに上のほうの国道で仕事したりする準地元になりますが…
そう…列車以外で行くのがタイヘンなのです。その国道から踏み跡のようなのを何百mも降りて、海岸に出たところに駅があるそうで…まだ、行ったことありません。
そう…列車以外で行くのがタイヘンなのです。その国道から踏み跡のようなのを何百mも降りて、海岸に出たところに駅があるそうで…まだ、行ったことありません。
No title * by 風来梨
別の鉄道サイトで、小幌駅まで未知なき道を伝っていく体験記を見た事があります。 また、小幌駅の詰め所には“仙人”が住んでいたとか・・。 お亡くなりなった時は、新聞記事にも取り上げられたとの事です。
No title * by vanvan
こんばんは
私も本当はこのような旅がしたい
しかし全線乗りつぶしという目標があるため完乗後に楽しみます
私も本当はこのような旅がしたい
しかし全線乗りつぶしという目標があるため完乗後に楽しみます
No title * by 風来梨
vanvanさん、こんばんは。
トラックバックを御承認頂き、有難うございます。
完全乗車という目的をもってするのも鉄道旅行の楽しさですね。
私は新幹線とかがあるので、永遠に80%を維持で良し・・としていますが。 とはいっても、新幹線での未乗区間は、九州新幹線と山形・秋田新幹線、長野新幹線と上越新幹線の一部で、70%は乗っているようですが・・。
トラックバックを御承認頂き、有難うございます。
完全乗車という目的をもってするのも鉄道旅行の楽しさですね。
私は新幹線とかがあるので、永遠に80%を維持で良し・・としていますが。 とはいっても、新幹線での未乗区間は、九州新幹線と山形・秋田新幹線、長野新幹線と上越新幹線の一部で、70%は乗っているようですが・・。
以前四国の友の所に行った時 なばり線に乗って室戸岬までゆきました。
その時初めてスイッチバックをする車両に乗り合わせていました。
この駅だったんですね・・
この駅の少し前の小歩危駅にむかし叔母が住んでいて もう35年ほど前かな・・
懐かしいです。