風来梨のブログ

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廃線鉄道 第67回 名鉄一宮線、岩倉支線

廃線鉄道 第67回 名鉄一宮線、岩倉支線 〔愛知県〕

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道路建設の疎外となる為
1964~65年に相次いで廃止となった
小牧線の岩倉支線と一宮線
※ CBCテレビ『いっぽう』より

一宮線(いちのみやせん)は、愛知県岩倉市の岩倉から同県一宮市の東一宮までを結んでいた名鉄の鉄道路線である。 1965年4月25日に路線廃止となっている。

1941年までは名古屋市内の柳橋から、枇杷島橋(現・枇杷島分岐点)を経由して岩倉に至る区間も一宮線の区間であったが、同年に新名古屋(現在の名鉄名古屋)が開業した際に柳橋~枇杷島橋間が廃止となり、枇杷島橋~岩倉は犬山線に編入されている。

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在りし日の一宮線列車
※ 図書館で借りた『名古屋鉄道・路線史』より

この路線は、名鉄の前身となる名古屋電気鉄道(名電)が、創業初期に開業させた路線である。
名鉄の前身会社である名古屋電気鉄道は、元々名古屋市内における路面電車(市電)の運営を行っていた会社であったが、後に当時アメリカで発展を見せていたインターアーバン(都市間電車)の流れに乗って、尾張北西部地域に『郡部線』と呼ばれる路線、即ち現在の名鉄が営業している各地方路線を建設していく事になった。

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岩倉駅から西へ分岐していく
一宮線の線路跡を転用した県道
※ 『名鉄一宮線・廃線探訪』より

その最初の路線として選ばれたのが、市街外れに設けられた押切町駅を起点として、岩倉を経由し一宮に至る一宮線で、当初は名古屋本線が開業する以前だった為、岩倉を経由する一宮線が、名鉄で名古屋から一宮へ向かうルートとされていた。

1910年に押切町~枇杷島が開業したのを切っ掛けに順次路線を延ばしていき、1913年には東一宮駅までを全線複線で開業させている。 この時は名古屋電気鉄道の中でも最重要路線として位置づけられ、名古屋~尾張一宮間で並行する東海道本線に比べても、距離こそ遠回りであったが、本数では格段の差があって多くの利用客があった。

しかし、1928年に名岐線(現在の名古屋本線)として枇杷島橋~新一宮(後の名鉄一宮)が開業すると、距離的に短い名岐線ルートが本線とされた為、一宮線の岩倉~東一宮間は衰退をしていく事になる。 1935年に名岐間を結ぶ路線が完成し、特急や急行電車が頻発運行されるようになると、いっそうその流れは進んだ。

1941年には柳橋~枇杷島橋が廃止の上で枇杷島橋~岩倉が犬山線に編入され、一宮線は残りの岩倉~東一宮のみとなった。 それでも、尾張北部地域における連絡を図る路線として、ある程度の需要が存在した為に、長らく一宮線には犬山線からの直通急行・普通電車が設定されるなど、尾張北部を横断する路線として使命を負い続ける。 なお、資材供出の為、戦時中に不要不急線に指定され、一宮線は単線化されている。

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宅地化された花岡町駅跡に
ひっそりと残る大江川鉄橋の橋台
※ 『名鉄一宮線・廃線探訪』より

戦後、モータリゼーションの発展に伴い、支線のバス化が積極的に推し進められる中、国道22号名岐バイパスの建設に伴い、交差部の高架化か廃線かの判断を迫られ、最終的には一宮線は1965年4月25日をもってバス転換の上で廃止された。

廃止区間の大半である岩倉~花岡町は道路(岩倉~浅野羽根交差点間は《県道浅野羽根岩倉線》、浅野羽根交差点~花岡町は一宮市の市道)に転用され、残区間は民有地となっている。 県道区間は代替バスルート上であり、羽根、元小山両駅の跡地には同名のバス停留場が設けられている。

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一宮線の線路を跨いでいた
岩倉跨線橋は(下の県道が廃線跡)
廃止後50年放置されたが
県道の拡幅工事の為に撤去された
※ 『愛知県道149号・浅野羽根岩倉線』より

顕著な遺構としては、《県道名古屋江南線》(通称名草線)と線路の交差地点に設置された名草線岩倉跨線橋(土盛り、片側1車線ずつ)が一宮線廃線後50年を経た2017年まで残り、立体交差として活用されていたが、名草線の拡幅による平面交差化に伴い撤去されている。



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岩倉駅に停車中の
岩倉支線・小牧行列車
※ ウィキペディア画像を拝借

岩倉支線(いわくらしせん)は、愛知県岩倉市の岩倉から同県小牧市の小牧までを短絡して結んでいた名鉄の鉄道路線で、名鉄小牧線の支線である。

元は名古屋電気鉄道(名古屋鉄道の前身)が、メインルートである犬山線の培養線として、小牧までを結んだ路線であり、路線名も開通当初は『小牧線』であった。 しかし、『城北線』(後の大曽根線で現在の小牧線)が開業すると、名古屋方面へのメインルートの座を名古屋市電・御成通線と連絡できる『城北線』に奪われ、当線はローカル線となって『岩倉支線』と改称された。

結局、名古屋市内への鉄道連絡は直結路線である『城北線』(現小牧線)に託される。 更に国道41号線の《名濃バイパス》の建設が決まり、バイパスとの交差の問題もあって当線は廃止となる。
現在は、名鉄バスが当線廃止後の代替バスを運行している。

後から建設された直結路線にメインルートの座を奪われ廃止になるという経緯は、同じ岩倉から分岐していた上述の一宮線と同様である。 しかし、現小牧線のターミナル駅の上飯田は、当線廃止の7年後の1971年2月に名古屋市電・御成通線(大曾根電停~上飯田電停 1.7km)が廃止された事によって、名古屋市中心部への鉄道連絡がなくなってしまった事から、「小牧以北から犬山線を経由して名古屋まで鉄道で結ぶ当線の廃止は尚早だったのではないか」という意見も少なからずあった。

その後、小牧と名古屋市中心部が鉄道で結ばれるのは、2003年3月の地下鉄上飯田線(平安通~上飯田 0.8km)の開通まで待つ事となった。

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名鉄一宮線と岩倉支線の予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
  一宮線
路線区間と距離(営業キロ):岩倉~東一宮 7.1km、軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:全線(直流1500V)
駅数:7駅(起終点駅含む)〔岩倉〕・元小山・羽根・浅野・印田・花岡町・東一宮
  ※ 戦前の開業当初は印田~花岡町の間に終点駅として西印田が設けられたが、1913年の全線
    開業に伴って駅廃止となっている。

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岩倉支線の路線図
※ ウィキペディア画像を拝借

  岩倉支線
路線区間と距離(営業キロ):岩倉~小牧 5.5km、軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:全線(直流1500V)
駅数:5駅(起終点駅含む)〔岩倉〕・中市場・小木・小針・西小牧・〔小牧〕

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元広島藩主で侯爵の浅野長勲が
先祖である浅野長政の旧邸跡を訪れた際に
最寄りの浅野駅から貴賓車両に乗り込む
※ ウィキペディア画像を拝借

   名鉄一宮線、岩倉支線 年表
1910年(明治43年) 5月  6日   名古屋電気鉄道により、枇杷島線として押切町~枇杷島間を開業
                 当時は当時は軌道条例による軌道線
1912年(明治45年) 3月29日   軽便鉄道法に基づく鉄道に変更
1912年(大正 元年) 8月  6日  枇杷島~枇杷島橋(現材は枇杷島分岐点)~岩倉~西印田が開業
1913年(大正  2年) 1月25日   西印田~東一宮間が開業 延伸に伴い西印田廃止
1914年(大正  3年) 4月15日   名古屋電気鉄道に対し、鉄道免許状下付(丹羽郡岩倉町~東春日井
                 郡小牧町)
1920年(大正  9年) 9月23日   名古屋電気鉄道が小牧線として、岩倉~小牧を開業
1921年(大正10年) 7月  1日   名古屋電気鉄道が名古屋鉄道へ路線を譲渡
1930年(昭和  5年) 1月25日   花岡町開業
1941年(昭和16年) 8月12日   一宮線の柳橋~枇杷島橋が廃止となり、枇杷島橋~新鵜沼が犬山線、
                 岩倉~東一宮が一宮線となる
1944年(昭和19年)      (一宮線)羽根・印田、(岩倉支線)中市場 休止
1945年(昭和20年) 5月  1日   大曽根線の新小牧に乗り入れ開始し、これまでの初代・小牧駅を廃止
                 また、新小牧を小牧と改称
1946年(昭和21年)  9月15日  羽根 営業再開
           11月  5日  西小牧 開業
1948年(昭和23年)  5月12日  一宮線・岩倉~東一宮の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧
           5月16日  岩倉支線に路線名改称(同時に大曽根線は小牧線に改称)
1954年(昭和29年)  1月  1日  印田 営業再開
1955年(昭和30年)  1月22日  岩倉支線・岩倉~小牧の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧
1964年(昭和39年)  4月25日  岩倉支線・岩倉~小牧が廃止
1965年(昭和40年)  4月25日  一宮線・岩倉~東一宮が廃止

  廃線跡
両路線とも廃線跡のほとんどが、県道などの道路に転用されている。



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複線時代は相対式ホームで
単線化後も貨物側線として
旧下り線の一部が残されていた
※ ウィキペディア画像を拝借

元小山駅(もとおやまえき)は、かつて愛知県一宮市千秋町小山(開業時は愛知県丹羽郡千秋村小山)にあった名鉄一宮線の駅である。 1965年4月25日の一宮線の廃止に伴い、駅廃止となった。

戦時に不要不急線指定により単線化されて単式ホーム1面1線の駅となったが、それまでの複線時代は相対式2面2線で、単線化後も旧下り線は、廃線時まで貨物側線として残されていた。

名鉄一宮線の跡は、そのほとんどが《愛知県道149号・浅野羽根岩倉線》になっている。
名鉄バス岩倉線(一宮・川島線)の元小山バス停が駅の跡地であり、バス停の道幅が広くなっている。



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単線化後に復活した当駅は
無人化され棒線駅となっていた
※ ウィキペディア画像を拝借

羽根駅(はねえき)は、かつて愛知県一宮市千秋町浅野羽根(開業時は愛知県丹羽郡千秋村)にあった名鉄一宮線の駅である。 1965年4月25日の一宮線の廃止に伴い、駅廃止となった。 終戦前年の1944年に駅休止となり、終戦後の1946年に復活している。 なお、駅復活と同時に無人化されている。

単式ホーム1面1線の駅だった。 名古屋鉄道一宮線の跡は、《愛知県道149号・浅野羽根岩倉線》になっている。 名鉄バス岩倉線(一宮・川島線)の羽根バス停が駅の跡地であり、バス停の道幅が広くなっている。



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単線化後も島式ホームを有し
線内で唯一列車交換が可能だった
※ ウィキペディア画像を拝借

浅野駅(あさのえき)は、かつて愛知県一宮市浅野にあった名鉄一宮線の駅である。 1965年4月25日の一宮線の廃止に伴い、駅廃止となった。 島式ホーム1面2線の駅で、廃止直前まで有人駅で駅舎も存在していた。

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駅の近くには豊臣家の五奉行・
浅野長政公の別邸跡公園がある
※ ウィキペディア画像を拝借

近くには浅野長政旧邸跡(現浅野公園)がある。 大正時代に元広島藩藩主・浅野長勲が、先祖である浅野長政旧邸跡を訪れる際、数回に渡って押切町駅より最寄駅である当駅まで使用したという。
その際には、貴賓車トク1・トク2号が使用された。

名鉄一宮線の跡は、《愛知県道149号・浅野羽根岩倉線》になっている。 浅野公園の南、約300m付近が駅の跡である。 駅舎跡地はJA愛知西浅野支店になっている。



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単線化後に駅復活した際は棒線駅となり
駅の位置が少し岩倉側にズレていた
※ ウィキペディア画像を拝借

印田駅(いんでんえき)は、かつて愛知県一宮市印田(現・浅野大曲り)にあった名鉄一宮線の駅である。 1965年4月25日の一宮線の廃止に伴い、駅廃止となった。 終戦前年の1944年に駅休止となり、10年後の1954年に復活している。 なお、駅復活と同時に無人化されている。 かつては相対式2面2線だったが、単線化後に復活した駅は単式ホーム1面1線となっていた。

名鉄一宮線の跡は、《愛知県道149号・浅野羽根岩倉線》になっている。 当駅の跡地は、国道22号浅野交差点の西、約300m付近である。

また、一宮線が東一宮まで全線開業するまでの間、暫定的な終着駅として西印田駅が設けられたが、東一宮への延長によって1913年1月25日の東一宮の開業日に廃止されている。 西印田が存在した期間は、僅か半年足らずであった。 位置としては、東一宮駅より岩倉駅へ0.6km付近に存在した。



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単線化後は棒線駅となっていた
※ ウィキペディア画像を拝借

花岡町駅(はなおかちょうえき)は、かつて愛知県一宮市花岡町(現・一宮市城崎通)にあった名鉄一宮線の駅である。 1965年4月25日の一宮線の廃止に伴い、駅廃止となった。 一宮線の東一宮駅への延伸開業と共に廃止された西印田駅を復活させた駅とも解釈できるが、当駅の位置は300mほど東一宮駅に近かった。 単式ホーム1面1線の駅で、現在の駅跡は宅地化されている。



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名岐線(今の名鉄本線)が開業する
までは一宮市の中心駅で
立派な駅舎を有していた東一宮駅
※ 図書館で借りた『名古屋鉄道・路線史』より

東一宮駅(ひがしいちのみやえき)は、かつて愛知県一宮市にあった名鉄一宮線の終着駅である。
1965年4月25日の一宮線の廃止に伴い、駅廃止となった。 廃止直前には、線路1本の単純な折り返し駅構造になっていたが、線路を挟んだ両側にホームがある2面1線の『コの字型』の終端構造の駅だった。
駅舎は木造で、廃止時まで『東一宮驛』と旧字体での表記がなされるなど、終着駅の風格を備えたものになっていた。

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複線時代は櫛型構造だった駅構造は
2面1線のコの字型構造に変えられていた
※ ウィキペディア画像を拝借

駅の往時から併設してバスターミナルが設けられ、交通の接点としても機能していた。 新一宮駅と国鉄の尾張一宮駅(この当時は共同使用駅)へは、徒歩7~10分程度の距離であった。 東一宮駅の廃止後もバスターミナルは残っており、駅跡には丸栄と名鉄百貨店の共同出資で名鉄丸栄百貨店が建てられ、後に丸栄の提携解消で一宮名鉄百貨店(現・名鉄百貨店一宮店)と改称したが、2000年に同店が名鉄一宮駅併設の現在地に移転したため取り壊され、バスターミナルも名鉄一宮駅前に移転している。

また、一宮線から転換されたバスは現在も名鉄一宮駅~岩倉駅を運行しており、尾張一宮駅前の次に『一宮名鉄百貨店前』のバス停が存在したが、同店の移転後はバス停名称が再び『東一宮』に戻された。
現在の東一宮駅跡地には、マンションが建っている。



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航空写真で撮った中市場駅周辺写真
※ ウィキペディア画像を拝借

中市場駅(なかいちばえき)は、かつて愛知県丹羽郡岩倉町岩倉(現在の岩倉市中本町)に存在した名鉄(旧)小牧線の駅である。 岩倉町史を引用した『岩倉市史 中巻』によると、1922年当時の一日平均乗車人員は34人、1926年当時の一日平均乗車人員は60人であった。 

1944年に駅休止となり、休止のまま岩倉支線が廃止となって、そのまま駅廃止となっている。



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航空写真で撮った小木駅周辺写真
※ ウィキペディア画像を拝借

小木駅(こきえき)は、かつて愛知県小牧市小木東1丁目に存在した、名鉄小牧線〔岩倉支線〕の駅で、1920年9月23日の同線開業と同時に開業した。 途中(1952年)で駅が無人化され、1964年4月25日の岩倉支線の廃止に伴い、駅廃止となった。



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航空写真で撮った小針駅周辺写真
※ ウィキペディア画像を拝借

小針駅(おばりえき)は、かつて愛知県小牧市外堀2丁目に存在した名鉄小牧線〔岩倉支線〕の駅で、1920年9月23日の同線開業と同時に開業した。 終戦後3年経った1948年に駅が無人化された後、1964年4月25日の岩倉支線の廃止に伴い、駅廃止となった。



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航空写真で撮った西小牧駅周辺写真
※ ウィキペディア画像を拝借

西小牧駅(にしこまきえき)は、かつて愛知県小牧市桜井本町に存在した名鉄小牧線〔岩倉支線〕の駅で、1946年11月5日に新線上に開業した。 開業時より無人駅だった。 1964年4月25日の岩倉支線の廃止に伴い、駅廃止となった。 岩倉支線の廃止後は代替措置として、休止していた小牧線(旧・大曽根線)の小牧口駅が営業を再開した。


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