風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第489回  南ア・最後の未踏区へ・・その4

『日本百景』 夏  第489回  南ア・最後の未踏区へ・・その4
               (荒川前岳~三伏峠の未踏区)〔静岡県・長野県〕

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未踏区であった三伏峠~荒川三山の
盟主たる峰としてそびえる小河内岳
※ ウィキペディア画像を拝借

  小河内岳 こかわちたけ (南アルプス国立公園)
長野県下伊那郡大鹿村と静岡県静岡市葵区の境界に位置する赤石山脈(南アルプス)の標高 2,802 m の峰である。 塩見岳と荒川岳との間にあり、三伏峠の南東に位置する。 赤石山脈の主稜線上では比較的里に近く、鳥倉林道を利用すると日帰り登山も可能である。

山頂からは荒川岳が南側に馬近くに望め、富士山、北アルプス、中央アルプスを望む事ができる。
山頂部は森林限界のハイマツ帯の砂礫地で、ライチョウの生息地となっている。 山名は、大鹿村側の小渋川の支流『小河内沢』の源流の山である事に由来している。 古くは『釜沢岳』と呼ばれていた事もあった。

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周囲が自社所有林であるのをいい事に
南アルプス南部を牛耳って
したい放題だった東海フォレスト
でも登山者からの苦情が相次いで
しめつけを緩和したみたい

静岡県側の東山腹は特種東海製紙株式会社の井川社有林で、明治から伐採・植林が行われていた。
その東海製紙が山荘経営に立てた子会社が『東海フォレスト』で、塩見岳山域から南アルプス主稜線最南部の光岳までの山荘・山小屋の運営管理及び、南アルプス南部の登山基地で、自社が運営する椹島ロッジに向けての登山者送迎バスの運行の受託などを行っている。



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南ア・最後の未踏区へ・・
前半部分の行程地図

   行程記録  ※ 今回実際にかかった時間ですけど・・、何か?
《1日目》 大井川鉄道・千頭駅よりタクシー利用(1:30)→畑薙・登山者駐車場(0:55)→椹島
《2日目》 椹島(3:00)→清水平〔水場〕(3:30)→千枚小屋
《3日目》 千枚小屋(0:45)→千枚岳(1:40)→悪沢岳(1:40)→中岳分岐
       中岳分岐より荒川前岳斜面のお花畑散策、往復1時間(2:30)→高山裏露営地
《4日目》 高山裏露営地(3:20)→小河内岳(2:20)→三伏峠(2:20)→鳥倉登山口よりバス
     (1:50)→JR・伊那大島駅
  ※ 前回の『第488回 その3』の続き

  《3日目》の続き・・
“20㎏超を担いでも撮りたかった情景”を前にすると、フイルムと時間はあっという間に消費される。
空が雲に覆われた『曇天』である事も考慮すると、2時過ぎまでには宿泊地の《高山裏露営地》に到着しておきたい。 という訳で、真に名残惜しいが30分少々で切り上げる。

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花の大斜面を登り返して
荒川前岳より先の未踏区へ

帰りは登りだが空身なので、荷物をデポした分岐まで順調に登り返す(かつてのパワー、ちよっち復活)。
荷物を回収して、荒川三山の中でも最も目立たぬ“末っ子”の荒川前岳 3068m の頂に立つ。

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お花畑の大斜面を抱くのに
頂上が貧祖で損をしている
荒川三山の末っ子・荒川前岳

これより《高山裏露営地》までは、標高差700mの“タダ下り”が待ち受けているのである。 
そして、これからが初めて通る南アルプスの『未踏区』だ。

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荒川前岳の北西斜面は
想像以上に切り立った岩稜だった

荒川前岳の頂上を過ぎると、途端に長野側が大崩落となって切れ落ちる痩せた岩稜となる。 
そして、『ナイフリッジ』そのままの岩稜の上を伝うようになる。 何気にかなりヤバいルートだ。
心なしか風も強くなってきているしィ。 雨でも降られたなら、転げ落ちる危険が跳ね上がりかなり厄介だ。 岩につまづかぬよう、浮石に足を乗せぬように、慎重にこの痩せた岩稜を伝っていく。

痩せた岩稜を伝っていくと、地図上にある2553mの突起との間にある瓦礫の大斜面にぶつかる。
ここで90°右折して、この瓦礫の大斜面を下っていく。 この情景は、まるで鋸岳の《角兵衛沢》の大瓦礫の斜面を思い起こさせる。 まぁ、アレは半端じゃないけどね。

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南ア北部の鋸岳・角兵衛沢の崩壊斜面
このルートは標高差1400mの
瓦礫の海を下っていくのである

川の如くの岩の波をジグザグを切って下っていく。 浮石は流れる波の如く、これを踏むと途端に足を取られて“沈没”してしまう。 当然、「やっちまう」と全身傷やアザだらけとなろう。

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鋸岳よりはマシなものの
転べば全身打撲必至の恐怖が
つきまとう瓦礫の海下り

浮石という“波”に気を使いながら、そして重い荷を担ぐ不安定な姿で下るので、下っている間はずっと転倒の恐怖がまとわり着いてくる(元来、転びやすい性質だしィ)。 それに加えて、そろそろに出発してから7時間が経過して、肩や腰に疲労が吹き溜まってくる。 何せ、何の訓練もせぬ者が20㎏超の荷を7時間担いで、標高差1000mを上下するのだから。

実際に、この瓦礫下りはかなりコタえた。 でも、約1時間かけてこの瓦礫を下りきっても、荒川前岳と高山裏のまだ半分しか進んでいないのだ。 瓦礫の大斜面の取付にある道標でこの現実を思い知らされて(『高山裏避難小屋まで90分』とあった)、さすがに荷を下ろして水を口に含む。

下りと決め込んで僅かしか持ってこなかった行動水(残量 600ml位)のほとんどを飲み干してしまう。 もう、こうなれば、地図上にある『水場』マークのある所に水があるのを願うのみだ。 まぁ、表記通りに水が無くてもその水場から20分位で小屋だから、何とか耐えれるだろうけど。

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掲載する写真がないので
何の脈絡もなく余った花の写真おば

ここからは完全なる『ヘバりモード』で、あちらこちらの「育ちの良さそうな」岩(平で座りやすそうな岩)に腰掛けつつ、約1時間チョイの時間をかけて“幸せ”の水場までやってくる。 水場の手前に『高山裏小屋 1k ⇒』の看板があって、ちょっとブルーが入ったけど。

山肌に沿ってルンゼ状に切られた登山道を伝って左右に振られると、細いが岩清水系のいい水場があった。 そして、その横に立札があった。 それを見て、ギョッ! その立札には、高『山小屋で泊る人は、ここで水を汲んだ方が楽』とあったのだ。 この水場でこのように書いてあるという事は、「高山裏の小屋前に水場はない」って事だよな。 という事は、2.5㍑の水をここから担がねばならないって事だよな。
ヘバリきっているっちゅ~に。

これを目にしてからの1kmは、《酔っ払いオヤジの愚痴》モード全開である。 「何で、水場からこんなにあるんだよ」、「なかなか着かんやんけ~ ホンマに1kmかぁ? 3km位(ちょっち、誇大表現)あるぞ!」、「うわぁ~、登り返しかよ~ 反則やろ~(最後は、小屋の見える位置から100m位タダ下りして、50m位の登り返しであった)」などと、不平不満をブツブツ念じながら歩いていく。

最後のタダ下りを終えると、テント場の如く段々に切られた仕切りを両脇に見る中を登り返していく。
その頂上が《高山裏》の避難小屋だ。 途中でテントを張ってる幕営者に、このテント場について尋ねてみると、「小屋でテントサイトを決められる」との事であった。

これを聞いて、「もし、一番下だったらヤダなぁ~」という思惑を抱きつつ、小屋内に声を掛ける。 ・・留守だった。 小屋内に、「ちょっと、出ています 用のある方は待っていて下さい」というダンボール紙に書かれた書置きがあった。

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元祖・山小屋な造りの
高山裏避難小屋
ここで小屋番の爺さんと
俄か漫才が繰り広げられたのだった

小屋の外で30分位待つ。 汗でダダぬれとなったTシャツを脱いで、上半身裸でクールダウンをしながら。 裸でいるとさすがに肌寒くなって、乾き始めのシケッたTシャツを着直すと程なく、『小屋番のオヤジ』そのままの爺さんが背負子に水を担いでやってきた。 爺さんが近づくにつれ、熊避けの鈴がチリンチリンとリズムを打つ。

しかし、見るからに達者そうな爺さんだった。 水を少なくとも40~50㍑は担いでいたようだった。
そして、口ぶりも『木こりのオヤジ』そのものだった。 取りあえずテントの申し込みをする。

『小屋番オヤジ』は始めはぶっきらぼうだったが、ある会話を境に対応がフレンドリーになっていった。 それは、ワテが最も上にある便所の側のテントスペースを希望したからである。 なぜ「上を希望したか」というと、下に降りるのが嫌だったからであるのは言うまでもない。

それを聞くと『小屋番オヤジ』は見る見る内に上機嫌となって、「そうじゃろ! そうじゃろ! 便所はワシがキレイにしとるからちっとも臭くない! 下の酒飲み(先程の幕営者)なんかは、夜にトイレに行くくせに「臭いからイヤ」と言いよる。 それに、一番上が水はけが一番いい最高の場所なんじゃ」と、テント場の解説をし始める。

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小屋番の爺さんは
イワベンケイのように名前はイカツイが
登山者思いの優しい爺さんだったよ

ひと通りテント場の解説が終わった後、「水は大丈夫か?」と心配りをしてくれる。 「もし無ければ、水はやるからな」という爺さんに対して、「2.5㍑の水を下の水場で汲んできた」と答える。 爺さんはそれを聞くと、「最近は汲んでこん奴が多いからなぁ」と言って満足そうに頷く。

続いて、ワテが「キツイ上り下りでバテましたわ。 昔はタッタカ歩けたけど、歳食って衰えたなぁ」というと、お定まりの「まだ、若いだろうが! 一番馬力のあるのがその歳じゃ!」と一喝される。
続いて「ワシも云々」と続くが、70歳で40~50㍑の水を担ぐアンタとは“モノ”が違うって。

すると、下の『酒飲み』がビールと水を買いにやってくる。 ビールは500ml缶で800円、水は天然水のボトル500mlで100円だった。 『酒飲み』達はビールと水をそれぞれ7~8本づつ買い溜めして、ついでに飯ごう(1000円)を借りて戻っていく。

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かつては「宿泊者以外は例え
行き倒れていても送迎バスには乗せるな!」
という高飛車経営だった東海フォレスト
でも今の御時勢それでは
やっていけないので
マトモな対応となったようである

この小屋の管理・経営元の《東海フォレスト》としては、こういう客の方が売り上げが上がっていいかもしれない。 大方、10000円也の売り上げとなるのだから。 でも爺さんは、淡々と小屋番の『業務』として対応していた。 その表情に、少し寂しげな感じさえ見えたのだが。

さて、何だかんだいっても、14時に小屋前に着く事ができた。 小屋番の爺さんとの愉快なひとときを終えても、まだ15時前。 時間が余っているので、テントの中で昼寝でもする。 疲れからかグッスリ寝込んで気付かなかったのだが、猛烈な夕立が降ったようである。 テントの隅が浸水していたしィ。

慌てて外を見てみると、下のテント場は所々に水が浮いている。 これを見て、「もし下に張っていたら、エライ目にあったなぁ 小屋番の爺さん、水はけのいい場所を有り難う」と呟く。 ちなみにこの雷雨は、近畿地方では水害になった程の豪雨だった(何でも、神戸で川が氾濫して2人死んだらしい)との事である。

土砂降りに気付かぬ程に熟睡したにも拘らず、17時半より飯食ってから寝入る。 よく寝れたよ。
明日は長時間の行程だし、4時起きの4時半出発だから睡眠は多く取るに越した事はない。



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鈍重な雲の切れ間に
赤石嶺南の山々が望めた

 《4日目》 小河内岳・三伏峠を経て鳥倉へ下山
目覚ましは4時に設定していたが、3時過ぎに目覚める。 まぁ、あんなに寝たんだから、早く目も覚めるわなぁ。 今日は《鳥倉》まで下山するのだが、その行程は地図上のコースタイムで8:20と、かなりのロングランルートである。 しかも《鳥倉》のバス停には、9:20と14:20の2便しかない。
9時台の便は論外なので、残る14時台の便に間に合うように着かねば、「帰れなくなったので、今日も休ませて下さぁ~い」と“泣き”を入れねばならなくなる。 コレを度々やったらクビかもね。

この8時間超のルートだが、かつての足ならばコースタイムを切る事も可能だったろうが、今は腹の脂肪が謀反を起こす『・・・』の状態なので、コースタイム通りに行けるかかなり不安だった。
なのでパンをかっ込んで、即刻テントを撤収して出発する。 時間は、まだ真っ暗闇の4:10。

小屋前に立つ道標に従って、小屋左手の草付を登っていく。 すると見通しのいい高台に出て、夜も明けやらぬ下界の灯が点々と灯っているのが見える。 カンテラで周囲を照らし見ると下界の光が見える方向に踏跡が見える。 そして、その真逆の山奥へ入り込んでいく方にも踏跡がある。 早速、ルートに行き詰ったようだ。

「安全策を取って明るくなるまで待つ」って手もあったが、時間に追われている事もあり、どちらかに決め打ちして進む事にする。 そして、「ルートは稜線上を伝う」というのを思い出して、下界の灯とは真逆の山奥へ入り込むルートを進路に決めて登っていく。 どうやらこれは正解だったようで、遭難せずにすんだよ。

しばらく鬱蒼とした夜明け前の森の中をゆき(常人なら結構ヒビリが入ると思うよ、風強かったしィ、森がざわめいていたしィ)、これを登りきると稜線上の展望の利いた所に出る。 そこに『1k 高山裏小屋 ⇔ 三伏峠小屋 7k』の道標(昨日の水場と同じヤツ)があり、「道は正しい」と確信した。

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どうやら荒川三山が
前線がもたらす雨雲の境目のようだ

ここまで約30分程登ったのか、夜明け時が近づいて空は薄っすらと明るくなってきた。 背後に独特の二つコブを魅せる笊ヶ岳が見える。 だが、肝心の荒川三山はドス黒い雲にスッポリと覆われていて姿は見えない。 そして風は、荒天を予期させるが如く荒川三山方向へ向かって吹きすさんでいた。
たぶん、東海沖に強い低気圧でもあるのだろう。

強い向い風が吹きつける中、信州側が崩壊斜面となった稜線を伝っていく。 中にはかなり踏跡の細い所もあり、キツい風でよろけたりしたなら“ヤバい”状況となる。 やがて、信州側が草付となったこんもりとした山の登りとなる。 体力が衰えてヘタっているハズなのに、この時はこの登りが有難かった。
なぜなら、崩壊斜面が草木に覆われて転落する危険がなく、また強風も凌げるからである。

この登りをつめると、板屋岳 2646m である。 だが、頂上を示す道標が立っているだけの質素なものだった。 まぁ、通過点程度の認識しかない所なんだけど。 とりあえず、張り詰めた気をクールダウンしよう。 只今の時間は5:10。 《高山裏》を出てからちょうど1時間ほどである。

しばらく休んで出発。 頂上を出てしばらくは樹林帯の中の穏やかな道であったが、程なく急下降となって下っていく。 そして最後は、信州側にパックリと口を開いた崩壊斜面の縁に向けて下っていく。
崩壊斜面の縁まで下ると、先に小河内岳が頭を黒雲に覆われた状態でそそり立つのが見渡せる。
そしてこれよりゆくルートが、小河内岳の頭を覆う雲の中へと続いているのが確認できる。

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信州側・駿河側・・再び信州側と
交互に崩壊斜面の縁を伝う尾根道

崩壊斜面の縁を周り込むように伝って、駿河側の樹林帯の中へと分け入る。 樹林帯の中に入ると、途端にダラダラとした登りともつかない緩やかな道が延々と続いていく。 この樹林帯を1時間程歩いた頃に、初の対向者と対面する。 この方は「《小河内岳避難小屋》から来た」との事で、これより(たぶん)荒天の中を荒川前岳を越えて《荒川小屋》まで行くそうである。 取り敢えず、「先ほど通ってきた崩壊斜面と、荒川前岳の瓦礫は注意した方がいい」とアドバイスをしてすれ違う。

長い樹林帯の中の緩やかな登りを1時間半程伝うと、ようやく森を抜け出して周囲が開けて岩がゴツゴツした山らしい取付に出る。 しかし、信州側は前にも増して崩壊が顕著なズル滑りの急坂である。
どうやら、小河内岳に取り付いたようである。 風はアゲインスト一辺倒から頂上から巻き下ろす風に変わり、頭上や顔面に風が吹きつけてくる。

登るにつれてルートは簡単な岩稜となり、強風を浴びながら岩稜を這い上がっていく。 先は先程に「黒い雲に覆われていた」と目にした通り、山の頂点が全くみえない白霧の世界だった。 登るにつれて手前の岩稜が頂上の如くヌボ~っと現れるものだから、「これを登りつめれば頂上だ!」という淡い期待を抱いては裏切られるという事を繰り返すハメとなる。 たぶん、6回は裏切られたんじゃないかなぁ(これは明らかな“逆恨み”だな)。

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未踏区の道中はずっとドン曇りか
パラパラ雨で展望はなく
未踏区の最高峰頂上到達の喜びも薄かったよ

何度か「裏切られる」と期待をしなくなり、その境地に達した頃に本当の頂上にたどり着く。
小河内岳 2802m 到着は7:20。 地図に記載されたコースタイムとほぼ同等であった。 
「景色でも見えないか」と山頂に立つ角柱の道標にヘタリ込み待機するが、濃い霧で何も見えそうにもなさそうだ。 5分程で諦めて避難小屋の方へ行く事にする。 小屋へは頂上より2~3分で行ける。

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近代的な小屋だったんだけど
天気が悪くてその良さを
写真でアピールできず
写真のウデが写真界の底辺を這いずる
『写真床』なので仕方ないよ

「《小河内岳避難小屋》は、赤石岳の頂上小屋と同じく10年程前に立て直された」と耳にしていたが、それはもう立派なシェルター小屋となっていた。 かつては兎岳の避難小屋(この小屋はさすがに放置プレイで 立て直される事は無かったみたい)と同等の荒れ小屋だったと聞いていたが、今や管理人常駐で食料一式も販売しているようである。 トイレも、科学分解機能の付いた最新式のようであった(確認はしてないけど有料だった)。

小屋の前で昨日の余り水にポカリを溶かして飲み、ひと息着く。 すると、霧が濃くかなり肌寒いにも拘わらず半袖Tシャツ1枚の小屋管理人と思しき方が出てきて、憩っているワテや小屋で宿泊・休憩をする登山者に行き先を尋ねてまわる。 どうやら荒川三山方面は天気が崩れるようなので、そちら方面行く人には無理をしないように注意して周っているみたいだ。

まぁ、天気が荒れたら、あの瓦礫の大斜面や前岳頂上直前の崩壊地はかなり“ヤバイ”だろうから。
ワテは《鳥倉》に下山なのでその旨を伝えると、「今からだったら、14時のバスに『オツリ』が来るよ」と笑っていた。

小屋の中は、これより出発する登山者でごった返しているし、小屋前では何もする事がないので時間を潰すのも限界がある。 15分程でその限界がきて出発してしまう。 でも、まだ8時前。 バス停での『オツリ』は確定的である。

ルートは、この稜線の中での最高峰の小河内岳を越えたのだから、当然この先は下り基調となる。
前小河内岳 2784m と烏帽子岳 2726m の2つの登り返しで多少ゴチャゴチャした岩場があったが、小河内本峰に比べると大した事もなく、簡単に登り返す。 もしかして、体力復活!? それはナイナイ。

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天気が良ければ富士を絡めた
絶景が望めるらしいけど
この日はドン曇りだった
※ ウィキペディア画像を拝借

天気も進む毎に良くなりうっすらと日が射す場面もあって、少し汗ばむ位となってきた。
それで、烏帽子岳の山頂で「塩見岳でも見えんかな~」と期待して待ったがこれは墓穴で、すぐさま灰色の雲が頭上を覆ってきた。 う~ん、山の天気は変わりやすいね。 今日は、まともなのは一枚も撮れそうになさそうだねぇ。

烏帽子岳から《三伏峠小屋》が整備したハイキングコース然の歩き良い道を伝うと、高山植物養生再生柵に出る。 この柵の外側を伝って大きく周り込むと《三伏峠小屋》だ。 只今10時2分前。 少しでも時間を潰すべく、小屋前でカップメンなどを食う。 いゃあ、今の小屋は何でも売ってるねェ。

《三伏峠小屋》でも思った程に時間を潰せず(「喫茶店で3杯目のコ~ヒーは頼み辛い」って気分)、10:20に出発。 ルートは、以前の《塩川》へのルートに取って代わって新たなメイン登路となった《鳥倉》への道だ。 豊口山を巻いていくので、『豊口ルート』と呼称されているらしい。 降りる毎に『ルート全体の9/10』などと10分率で目安が示してあり、かなり初心者を意識したルートのようである。

途中で《塩川》への道を分け、多少ルンゼ状の狭い切り通しと急ごしらえの木のハシゴに手こずるが難なく通過して、僅か2時間程度で植林帯に出る。 鹿の食害を防ぐ為だろうか、木の幹にビニールテープがぐるぐる巻きにされている。 それも、植樹された全ての樹林に。 東海パルプ、恐れ入ったよ。
これを抜けると、急ごしらえの空地に野外トイレとバス停がある《鳥倉登山口》に飛び出る。 

でも、ココは何もない殺風景な所だ。 只今、12:26。 これより、じっくりと『オツリ』を楽しむ事にするか。 空も「『オツリ』を目一杯楽しめ!」というが如く、雨粒を落としてきやがった。 仕方が無いので、唯一雨を凌げる登山届を記入する記帳台の櫓の中で雨宿り。 後続で下りついた他の登山者は、雨の中をこれより2km程先の《越路》という林道ゲートまで歩いていく。 マイカー利用の定めじゃ。
たんと濡れていけ!

長い、長い、1時間半を櫓の中で過すといつしか雨も上がり、14時少し過ぎにバスがやってくる。
いつの間にか、10人程の登山者がバス停前でたむろっている。 でも、この乗客のほとんどがマイカー利用で、ちゃっかりバスの時間に降りてきて、《越路》までの2kmだけバスに乗る不届至極(あくまでもバス会社にとっては・・ですよ)な奴らだ。

ちなみに、終点の《JR伊那大島駅》まで乗車したのはワテ一人。 あんまり乗らないと廃止になるぞ、このバス路線(現在はシーズンのみの運行)。 後は、高速バスと近鉄特急を伝って帰る。
でも、このルートだと、《鳥倉登山口》から《大阪》まで1万円切るんだからねェ。

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赤石岳とハクサンイチゲ
この山旅の締めくくりは
やはりこの情景かな


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