2021-08-13 (Fri)✎
廃線鉄道 第62回 江差線 その1 〔北海道〕
檜山支庁(現 振興局)庁舎所在地駅なのに
晩年は日に6本到着列車が折り返すだけの
棒線駅となっていた江差駅
江差線(えさしせん)は、かつて北海道函館市の五稜郭駅から檜山郡江差町の江差駅までを結んでいたJR北海道の鉄道路線である。 2014年に木古内~江差が部分廃止され、残る五稜郭~木古内も、2016年に道南いさりび鉄道に移管された。 ここでは、路線廃止となった木古内~江差の区間のみを取り上げる事にする。
1909年に上磯村峨朗の石灰石を函館に運ぶ目的で、函館区の有志が鉄道院に敷設を請願したのが建設のきっかけである。 これを受けて1910年の軽便鉄道法を準用して建設が開始され、1913年9月15日に上磯軽便線として五稜郭~上磯が先行開業し、1930~36年にかけて檜山郡江差町の江差まで延長したものである。 江差までの開通日時は、1936年11月10日であった。
国策上の重要路線として
建設された路線だったのだが
当路線は、改正鉄道敷設法別表第129号前段に規定する予定線(「渡島國上磯ヨリ木古内ヲ經テ江差ニ至ル鐵道」)に準拠する鉄道路線で、軌間は1,067mmで敷設された。 当路線は檜山の木材や海産物などを運ぶ貨物輸送手段となった他、檜山と函館を往来する住民の足としても活用された。
五稜郭~木古内の区間は青函トンネルの北海道側の接続路線とされ、1988年3月13日の海峡線開業に合わせて交流電化等の改良工事が実施され、北海道と本州を直結する幹線ルート『津軽海峡線』の一部とされたが、木古内~江差の区間は非電化のままローカル線として取り残された。 なお、当路線は、1968年に選定された『赤字83線』にも挙げられていたが、これを切り抜けて全線で存続したのは、輸送量の多い五稜郭~木古内の区間が含まれていたからともいわれている。
晩年の江差線廃止区間は
乗客が最大の江差で70人
2番手の湯ノ岱は23人という少なさだった
※ ウィキペディア画像を拝借
だが、非電化区間の木古内~江差の輸送密度(1km当たりの1日平均利用客数)は、JR発足当初の1987年度は253人だったのが、2011年度には1/6以下の41人に減少し、JR北海道管内では乗降客が最も少ない区間となった為に、北海道新幹線の開業に先立って2014年5月12日に廃止された。
廃止直前には臨時列車が運行され
鉄道趣味団体が設けた駅ではない
モニュメントの『天ノ川駅』の前で
運転停車するファンサービスが行われた
※ ウィキペディア画像を拝借
これにより、檜山管内から鉄道路線が消滅した。 なお、JR北海道の廃線は、1995年9月4日に廃止された深名線以来19年ぶりで、北海道内の廃線としては2006年4月21日に廃止された旧池北線の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線以来8年ぶりとなった。
木古内~江差の区間廃止から北海道新幹線の開業までの間は、JR北海道のウェブサイトの路線図では『江差線』の路線名称を使用せず、『津軽海峡線』の一部として案内されていた。
赤字を産み出す轍・シンカンセンの
開業で本線格の函館~木古内も
第3セクター払い下げとなった
※ 函館駅にて別の時に撮影
北海道新幹線開業に伴う江差線の動向
2016年3月26日の北海道新幹線の新青森~新函館北斗の開業に伴い、江差線・五稜郭~木古内はJR北海道から道南いさりび鉄道に経営分離された。 それは本州~北海道の貨物輸送は鉄道が重要な役割を担っていて、青函トンネルにおける北海道新幹線工事でも、狭軌による貨物輸送の存続を前提とした施工が行われた。
だが、JR北海道は新幹線規格の車両に在来線列車を載せるトレイン・オン・トレイン方式によって、北海道新幹線を経由した貨物輸送を行う事を検討しており、これを実現して江差線全線を廃止する事を模索していたという。
この区間の廃止には
概ね合意していたのだが
経営危機に陥ったJR北海道が
「江差線全線を廃止する意向」と
合意の『ハシゴ』を外して・・
だが、これには沿線自治体が猛反発し、五稜郭~木古内は旅客のみならず、新幹線で代替できない貨物列車が一日に上下合わせ約50本運行されている現状を示して、「道やJRには路線の存続を強く求め続けたい」との声明を出している。 その上で、利用者数の少ない木古内~江差については、新幹線開業と同時にそのまま廃止・バス転換する事に概ね同意していたという。
明治維新の漢達が
渡った江差の海
:
このすったもんだに
維新の漢達も苦虫を
噛み潰しているだろうね
だが、経営危機が表面化したJR北海道の救援策として、2011年10月31日に北海道(庁)は、江差線の全区間の廃止バス転換する方針を提案した。 この提案に五稜郭~木古内の存続を陳情していた北斗市及び函館市が猛反発し、3市町との調整を経た2012年1月に、北海道(庁)はバス転換案を撤回し、第三セクター方式で鉄道を維持する方針を表明した。
更に2012年の8月には、JR北海道は北海道新幹線新函館北斗開業に際して、特に利用客が少ない木古内~江差を廃線・バス転換する方向で検討に入り、沿線の江差・上ノ国・木古内3町との間で沿線住民との連絡協議会を立ち上げる旨を表明する。
江差の港
:
こうした「すったもんだ」の末に
維新の歴史薫る檜山支庁所在地・江差から
鉄道が消えてしまった
その翌月の9月3日に、沿線自治体に対して2014年度初頭に木古内~江差を廃止したい旨を説明する。
説明を受けた沿線3町も代替輸送確保が成されれば廃止を了承する意向で、翌2013年3月28日に「木古内~江差を廃止しバス転換する」旨に、沿線の江差・上ノ国・木古内3町の首長が同意して同区間の廃止が確定した。 この同意を受けて、2013年4月26日にJR北海道が国土交通省に廃止届を提出して、2014年5月12日付で廃止する事を発表し、予定通りに路線廃止となった。
江差線廃止区間の路線図
《路線データ》
路線廃止区間と距離(営業キロ):木古内~江差 42.1km、軌間:1067mm、
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:なし(全線非電化)、運行最高速度:65 km/h、
閉塞方式:木古内~湯ノ岱は特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)で、
湯ノ岱~江差はスタフ閉塞式票券閉塞式と分けられてあった
廃止区間の駅数:10駅〔木古内〕・渡島鶴岡・吉堀・神明・湯ノ岱・宮越・桂岡・中須田・
上ノ国・江差
鉄道趣味団体が設けた
モニュメントの『天ノ川駅』
:
営業駅ではないので
客扱いの停車はなかった
※ ウィキペディア画像を拝借
※湯ノ岱~宮越の間に鉄道ファン向けのモニュメント・『天ノ川』駅があったが、
営業駅ではなかった
※廃止区間の交換駅は湯ノ岱のみで、終点の江差も到着列車が折り返すだけの棒線構造
の駅だった
路線廃止区間の2014年度の営業係数:314
廃止時の運行本数:普通列車のみ1日6往復で、その多くは函館駅から直通していた。
また渡島鶴岡・吉堀・神明は一部の列車が通過していた。
廃止区間内で唯一の
列車交換駅だった湯ノ岱駅
※ ウィキペディア画像を拝借
江差線(木古内~江差)における年表
1935年(昭和10年)12月10日:木古内~湯ノ岱 21.4km が延伸開業
同区間に吉堀・湯ノ岱の2駅を新設
1936年(昭和11年) 11月10日:湯ノ岱~江差 20.7km が延伸開業し、江差線・五稜郭~江差が
全通する
この全線開業と同時に江差線に線名改称
同区間に桂岡・上ノ国・江差を新設
1948年(昭和23年) :中須田仮乗降場を新設
1949年(昭和24年) 6月 1日:日本国有鉄道法施行に伴い、公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に
移管
1955年(昭和30年) 3月 5日:中須田仮乗降場を駅に変更
1957年(昭和32年) 1月25日:神明を新設
10月 1日:全列車が気動車での運行となる
1960年(昭和35年)10月 1日:函館~江差を運行する準急列車として【えさし】が単行で運行開始
臨時列車だったが、毎日運行していた
1961年(昭和36年)10月 1日:準急【えさし】が定期列車化
1963年(昭和38年)12月 1日:函館~江差に準急【おくしり】・【ひやま】が、松前線直通の函館~
松前に準急【松前】が、いずれも単行で運行を開始
1964年(昭和39年)12月30日:渡島鶴岡・宮越駅を新設
1966年(昭和41年)10月 1日:函館~江差を運行する準急列車の名称を3往復とも【えさし】に
統一
1968年(昭和43年)10月 1日:準急【えさし】・【松前】が急行列車に昇格
1972年(昭和47年) 3月15日:急行【えさし】が1往復減便され、2往復での運行となる(いずれも
2両)
1973年(昭和48年)10月 1日:急行【えさし】の下りが1本減便され、上り函館行き2本・下り江差
行き1本のみの運行となる 上り1号は松前行きを併結し3両、
他は2両で運行
1980年(昭和55年)10月 1日:急行【えさし】・【松前】を廃止 以降、海峡線開通に伴う本州
連絡列車まで優等列車の設定は無くなる
1982年(昭和57年)11月15日:上磯~江差の貨物営業を廃止
民営化以後
1987年(昭和62年) 4月 1日:国鉄分割民営化に伴い、JR北海道が第一種鉄道事業者として全線を
承継する
1988年(昭和63年) 2月 :木古内~湯ノ岱を特殊自動閉塞化と同時にCTC化
湯ノ岱~江差をスタフ閉塞化
1990年(平成 2年) 9月 1日:木古内~江差でワンマン運転を開始
1994年(平成 6年) 9月 23日:豪雨による土砂崩れ等により、木古内~江差で運転見合わせ
10月 19日:湯ノ岱~江差で運転を再開
11月 10日:木古内~湯ノ岱で運転を再開し、全線が復旧
2012年(平成24年) 9月 3日:木古内~江差を2014年度初頭までに廃止する事を、木古内町・
上ノ国町・江差町に正式に伝達した旨をJR北海道が正式に発表
2013年(平成25年) 3月28日:木古内~江差を2014年5月限りで廃線とし、バス転換する事に
沿線の江差・上ノ国・木古内3町の首長が同意したと発表
4月26日:JR北海道が木古内~江差の廃止届を国土交通省に提出
2014年(平成26年) 5月12日:木古内~江差 42.1km を廃止し、バス運行に転換
同区間の廃止に伴い、渡島鶴岡・吉堀・神明・湯ノ岱・宮・桂岡・
中須田・上ノ国・江差が廃駅となる
キハ22やキハ21で運行された
『遜色急行』だった急行【えさし】
:
こういうのが撮りたかったなぁ
※ 『国鉄急行列車・東日本編』廣田尚敬 著 より
輸送形態
急行【えさし】
海峡線が開業する以前は、函館から江差へと直通する急行【えさし】が運転されていた。
【えさし】は、1960年10月1日に毎日運行の臨時準急列車として運行を開始し、1961年10月1日に定期列車となった。 1963年12月1日には、同一区間を運行する準急【おくしり】・【ひやま】が運行を開始し、1966年10月1日にはこれらの列車を統合して3往復の運行となって、1968年10月1日のダイヤ改正で急行列車に昇格した。
【えさし】は当初単行での運行だったが、3往復となった数年後には2両編成で運行されていた。
また、函館~木古内では、松前線に直通する準急(後に急行)【松前】を併結していた。
だが、国鉄再建法が成立し、松前線が第二次廃止対象路線に指定された事から、国鉄再建法成立その日の1980年10月1日のダイヤ改正で、【松前】と共に廃止された。 急行【えさし】の廃止時の停車駅は、函館・上磯・木古内・上ノ国・江差であった。
廃止代行バスとなった
函館バスの江差営業所
※ ウィキペディア画像を拝借
廃止後の鉄道代替バス
路線廃止となった木古内~江差は、路線廃止当日の014年5月12日より、函館バスの江差木古内線に転換された。 運行開始の2014年5月12日から9月30日までは、木古内駅前~函館バス江差ターミナルで運行され、同年10月1日以降は木古内駅前~道立江差病院・江差高校間で運行されている。
北海道道5号江差木古内線と
※ ウィキペディア画像を拝借
並行道路
道道5号江差木古内線(上ノ国~江差は国道228号重複)が、廃止区間にほぼ平行してあった。
この道路の未整備が当区間の廃止の先延ばし理由となっていたが、沿線自治体と北海道(庁)の同意事項では、この道路の全区間舗装整備の約定が含まれていた。
※ 記事が長くなってしまってパソコンが作動不能となるので、《乗車記》などの続き
は、次回の《その2》にて。
ついにハソコンが虫の息となった
もう「アウト オブ メモリー」乱発
それで何度作成途中の記事が消えたか・・
この記事も2分割しても後半記事は
もはや書き込みもできないしィ
この記事も途中で書き込み不能の
恐怖に怯えながら書いてるよ
だから辛うじてここまで書けた
この記事の製作だけで
1日半の時を要したよ
これから新しく買った
オニューのパソコンへの切り替えだ
でもグーグルクローム
ビルダー・フォトショップの
ソフトウェア起動やら
データの移設やらと難関だらけだ
なので立ち上げにシクじったら
当分記事が書けないかもしれません
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No Subject * by ねむろ大喜
似たような廃線風景ですね(〃ω〃)
Re: No Subject * by 風来梨
ねむろ大喜さん、こんばんは。
昔の廃止線、根室地域で挙げると厚床から別海を通って中標津に出ていた標津線などは、完全な原野か牧場を行き交っていて、民家を見つけることも希でしたが、利用状況は団地が建つ江差線より4~5倍あったみたいです。
不思議ですね。
昔の廃止線、根室地域で挙げると厚床から別海を通って中標津に出ていた標津線などは、完全な原野か牧場を行き交っていて、民家を見つけることも希でしたが、利用状況は団地が建つ江差線より4~5倍あったみたいです。
不思議ですね。