2021-07-27 (Tue)✎
『路線の思い出』 第453回 小野田線〔本山支線〕・長門本山駅 〔山口県〕
路線の完乗目的で訪れるにしても
目ぼしいモノは何もなく更に乗車困難な
小野田線・本山支線の終着駅・長門本山
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
伊能~小野田・雀田~長門本山 13.9km 431 / 785
運行本数
小野田~宇部新川 9往復
宇部新川~雀田 下り1本(本山支線への直通列車)
雀田~長門本山 3往復 (下り1本・上り2本は宇部新川より直通)
長門本山駅(ながともとやまえき)は、山口県山陽小野田市大字小野田字三の奈良原にある、JR西日本・小野田線の支線(通称:本山支線)の駅で、同支線の終着駅である。
典型的な盲腸線の棒線
折り返しの終着駅・長門本山
※ 『海の見える駅』より
車止めに向かって、左側に1面1線の単式ホームを持つ駅で、来た列車がそのまま折り返すだけの構造となっている。 宇部新川駅管理の無人駅であり、自動券売機等の設備はない。 かつては駅舎があったが取り壊され、待合室とホームのみとなった。 また、汲み取り式の男女共用トイレがあったが、現在は閉鎖されている。
かつてはトイレもあったが
撤去されたようだ
※ 『海の見える駅』より
今は閑散線となった当支線であるが、かつて駅周辺に本山海底炭田(1963年3月閉鎖)があって、その石炭輸送の為に敷設された『運炭路線』であったのである。 また、御多分に漏れず、JR西日本と宇部市によって宇部線を含めての専用バス〔BTR〕への転換も検討されたが、BTR化整備の事業費が多額になる事から断念となった経緯がある。
朝夕のみの1日3往復と
「使いようがない」本山支線
※ ウィキペディア画像を拝借
現在当駅は朝と夕方しか列車の発着がないが、2002年3月22日までは22時台まで列車が設定されていた。 また、学校が週5日制となった2002年のダイヤ改正で、通学利用者の為に土曜日の昼に運行されていた列車1往復が削減されて、以来年間を通じて日中の列車運行はなくなった。 2019年度の1日平均乗車人員は18人との事。
駅前にある小野田方面に
向かうバスのバス停
:
1時間に1本のバスがあって
本山支線は沿線住民に必要と
されていない現実があった
※ ウィキペディア画像を拝借
当駅は山陽小野田市南端部の周防灘沿いに位置し、。駅前を山口県道354号妻崎開作小野田線が通っている。 駅周辺は住宅地となっている。 現在の列車本数は朝2往復・夕方1往復と極端に少ないが、駅前に『本山駅』バス停があり、本山岬行き及び小野田駅・船木方面行きの船木鉄道バスが1時間に1本程度運行されている。
JR西日本管内で最も乗り辛い路線は
この小野田線の本山支線であろう
※ウィキペディア画像を拝借
現在、JR西日本管内で最も乗り辛い路線と云えば、今回に挙げる小野田線の本山支線であろう。
この支線は列車の運行が朝夕のみの1日3往復で、この区間を完乗するなら、1日この地域で滞在する必要があるようなのだ。
それは、小野田線の本山支線が主幹線の山陽本線から離れていて、本山支線に乗り継ぐ為には小野田や宇部からの始発列車に乗車する事が必須だし、夕方の列車なら主幹線の山陽本線の接続駅である小野田や宇部に戻り着くのが夜の20時を越えてしまい、当地周辺での宿泊地を探さねばならなくなるのである。
周防灘が少し見えるだけの
駅舎もない折り返し駅だった
※ 『海の見える駅』より
しかし、当地に訪れた所で目ぼしい観光地は何もないし、路線の所在する位置も大阪にしたって、感覚的には北海道より遠いのである。 だから、当駅を訪れるのは当地に宿を取ってでも訪れる志の高い『駅降り鉄』さん以外にはなく、車で訪れてホームに足をチョン着けでも『下車カウント』に認定する(駅降り鉄さんから石を投げられそうな)ワテでも、ワザワザ訪れる事もない路線である。
駅周辺は公営団地が建つ
住宅地で何もなく乗り鉄目的でも
訪れる事を躊躇してしまう
※ ウィキペディア画像を拝借
だが、ワテ・・、この支線に乗った事あるんだよね。 それは、もう35年以上前の鉄を追っかけていた時の事で、この本山支線は山小屋駅・麻生釣を定宿として追っかけていた九州の宮原線をめぐる旅のついでに宇部線と共に乗ったんだよね。
でも乗った事あるんだけどね
30年以上前のこんなのが
行き交っていた時だけど
※ 『小野田線・本山支線』より
『鉄』ではあったが、特段に『チャレンジ20000km』など国鉄(当時)全線完乗には固執しておらず、『鉄』といっても廃止ローカル線以外に眼中になかった当時のワテが、何故に宇部線や小野田線に立ち寄ったかというと、九州の宮原線に逢いに行くのに使った切符は当時は年相応で恥ずかしい呼称でなかった『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』で、こういった路線へ立ち寄る事が自在だったからである。
夜行普通列車〔山陰〕に乗り継ぐまでの
時間潰しである路線めぐりの
ターゲットとなった本山支線
※ ウィキペディア画像を拝借
そして、当然の如く『セ・セ・セ・セ青春18きっぷ』ではシンカンセンには乗れない(乗る気もなかったけど)ので、九州の宮原線から大阪へ帰るのには2泊を要したのである。 更に付け加えるなら、大阪(京都だけど)への最終到達の列車は山陰本線で運行していた夜行普通列車〔山陰〕で、この列車に合せる為に時間調整が必要だったのである。
詳細を言うと、宮原線の最終日を麻生釣で駅寝して翌朝の列車で帰路に着くと、普通列車の乗り継ぎなら厚狭辺りがこの日の限界となる。 そして次の日は、夜行普通列車〔山陰〕の発車駅である出雲市に、この列車の発車時刻の夜20時頃までに着いていればいいので、1日ヒマとなるのである。
小野田や宇部で小野田線の
始発にさえ乗れれば
本山支線の朝の便に乗る事ができた
※ウィキペディア画像を拝借
厚狭で行き止って待合室で駅寝(当時は東京発のブルートレインがあったので、駅の待合所は24時間解放の駅が多かった)したのだから、厚狭の隣駅の小野田で小野田線の始発に十分に間に合うのである。
小野田線の始発にさえ乗れれば、当時も朝夕のみの運行であった本山支線の乗車が叶うって寸法である。
車両は現代の車両となったが
路線としての利便性は
以前より更に悪くなった
※ 『フォートラベル』より
また、当時の小野田線の本山支線は朝夕のみの運転は今と変わらないものの、1日6往復くらいあって朝便も9時頃まであったし、夕方の便は16時頃からあって比較的乗りやすかったよ。 ちなみに、この時に宇部線も完乗してるしィ。
「我が青春のローカル線」であった九州・宮原線には5回逢いに行ったが、この帰りに厚狭での駅寝を駆使(有人駅の駅寝は巡回ポリに見つからないかとヒヤヒヤモノだったが、2回目以降は「勝手知ったる」だったよ)して、三江線や木次線・福塩線の中国地方のローカル線の完乗がかなったよ。 もちろん、今は廃止となった大嶺支線の大嶺にも立ち寄る事ができたよ。
カメラをぶら下げた『撮り鉄』の身で
こんな貴重な車両の前を素通りすれば
今なら石を投げられかねないね
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、宮原線以外に『撮り鉄』の眼中になくて、勿体ない事に本山支線では旧型国電が最後の仕事場として運用されていたが、「旧型国電はガキの頃に片町線で見た事あるし、旧型電車は近鉄の方がカッケー」と、フイルムを惜しんで一枚も撮らなかったよ。
だが今でも「近鉄の方がカッケー」
って思うしィ
もちろん、長門本山駅に着いても5分折り返しでそのまま戻り、駅への下車もホームに足を『チョン着け』したのみである。 アリバイ写真も駅名標も撮らず・・である。 足の『チョン着け』下車認定といい、旧型国電を目の前にしての「not of 眼中」といい、『駅降り鉄』さんは元より『撮り鉄』さんをも敵に回す大胆な『○鉄』(ナンチャッてな『鉄』の事)だったよ。
まぁ、この時の『フイルム代』という金を惜しんで、貴重過ぎるモノの前を素通りする『若気の至り』を、数十年後の今となって後悔するんだからねぇ。 人間というモノは、成長・特化するのは一方向のみ(ワテの場合はゴキブリなみの生命力と『オチャメ』った時のみ冴える「使えない」能力だけど)で、大半の事柄は『大魚を逃す』結末となるのだろうね。
今年の8月はものすごく
用事があるよ
それは身体がヘタッた事で
『残念』『歯医者』『眼医者』と
医者三昧になっちまったから
通常は盆休みの山行に向けて
その準備をするだけだったけど
『残念』の大きな病院は土曜日休院だし
仕事をしながらだと休みの土曜は
医者通いにもっていかれるしィ
身体がヘタれて病院通いとなる事は
更に身体に負担がかかる
スパイラル状態となるねぇ
困ったもんだ・・
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No Subject * by ねむろ大喜
花咲線百周年がもうすぐあります。イベント用にホタテの貝ひもカレー味を無料で配る予定です(^^)
Re: No Subject * by 風来梨
ねむろ大喜さん、こんはこんばんは。
行きたいなぁ。 でも、根室は遠いですね。 予定では、今年の年末年始に野鳥撮影メインで根室に行くつもりです。 冬も何かとイベントがあれば・・なぁ。
行きたいなぁ。 でも、根室は遠いですね。 予定では、今年の年末年始に野鳥撮影メインで根室に行くつもりです。 冬も何かとイベントがあれば・・なぁ。