2011-09-12 (Mon)✎
『私の訪ねた路線』 第51回 近鉄・橿原線 〔奈良県〕
《路線データ》
営業区間と営業キロ 運行本数
大和西大寺~橿原神宮前 23.8km 近鉄発行の時刻表を見てください
《路線史》
近鉄の前身である『大阪電気軌道』が奈良線の次に建設した路線。 建設当時は『畝傍線』と称した。
建設は1921年の西大寺~郡山から始まり、翌年には平端まで、1923年には西大寺~橿原神宮前が全通している。
この路線でも、鉄道敷設免許をめぐる争いがあったようである。 その経緯は、この路線建設に当たって免許交付の条件として『天理軽便鉄道』(現 天理線)と『大和鉄道』(現 田原本線)を買収する事が義務づけられたが、『天理軽便鉄道』は1921年に合併したものの、『大和鉄道』は合併吸収に激しく抗したとの事である。 その事情は近鉄・大阪線の経緯に大いに関わる事なので、そちらの項目に記す事にしたい。
事の顛末は、この『大和鉄道』を傘下においた(つまり、会社を乗っ取った)のが1924年、そして完全に『大和鉄道』の路線が自社線となったのは、『大和鉄道』が『信貴生駒電鉄』に合併されて『大阪電気軌道』も『近鉄』となった1964年の事である。 大げさにいえば、鉄道敷設免許をめぐる争いの禍根は40年間も続いたのである。
建設当初は大阪から橿原へ向かうルートの役割を担っていたが、現在の大阪線が1925年に八木まで延伸されると、大回りルート故にその役目は解消した。 だが、1928年に『奈良電気鉄道』(現 京都線)が開業すると相互乗り入れを実施し、京都から橿原・吉野・伊勢への連絡ルートとしての役目を任ずる事になる。 なお、『奈良電気鉄道』は、1963年に近鉄により買収・合併されている。
その後は、京都~伊勢の直通特急を走らせるべく、大阪線へのバイパス路線建設や大型車輌の運行が適うように路線改良を行い、これが今の『近鉄特急ネットワーク』形成の重要な基礎となっている。
沿線はさして大きな都市はなく、バイパス線の要素が強い路線である。 それゆえに、奈良線の中古車輌が転属され使用されていたようである。
建設は1921年の西大寺~郡山から始まり、翌年には平端まで、1923年には西大寺~橿原神宮前が全通している。
この路線でも、鉄道敷設免許をめぐる争いがあったようである。 その経緯は、この路線建設に当たって免許交付の条件として『天理軽便鉄道』(現 天理線)と『大和鉄道』(現 田原本線)を買収する事が義務づけられたが、『天理軽便鉄道』は1921年に合併したものの、『大和鉄道』は合併吸収に激しく抗したとの事である。 その事情は近鉄・大阪線の経緯に大いに関わる事なので、そちらの項目に記す事にしたい。
事の顛末は、この『大和鉄道』を傘下においた(つまり、会社を乗っ取った)のが1924年、そして完全に『大和鉄道』の路線が自社線となったのは、『大和鉄道』が『信貴生駒電鉄』に合併されて『大阪電気軌道』も『近鉄』となった1964年の事である。 大げさにいえば、鉄道敷設免許をめぐる争いの禍根は40年間も続いたのである。
建設当初は大阪から橿原へ向かうルートの役割を担っていたが、現在の大阪線が1925年に八木まで延伸されると、大回りルート故にその役目は解消した。 だが、1928年に『奈良電気鉄道』(現 京都線)が開業すると相互乗り入れを実施し、京都から橿原・吉野・伊勢への連絡ルートとしての役目を任ずる事になる。 なお、『奈良電気鉄道』は、1963年に近鉄により買収・合併されている。
その後は、京都~伊勢の直通特急を走らせるべく、大阪線へのバイパス路線建設や大型車輌の運行が適うように路線改良を行い、これが今の『近鉄特急ネットワーク』形成の重要な基礎となっている。
沿線はさして大きな都市はなく、バイパス線の要素が強い路線である。 それゆえに、奈良線の中古車輌が転属され使用されていたようである。
《乗車記》
近鉄線内のジャンクション駅・大和西大寺より南下する路線だ。 列車種別は、京都からの急行と西大寺からの普通と京都と橿原神宮や伊勢へと進む特急とある。 乗車してこの路線を語るとするなら、特急は線内は大和八木まで無停車なので除外として、急行か普通かという事になる。
それでは、普通列車に乗り込もう。 次は、奈良市の郊外にある尼ヶ辻。 近くに垂仁天皇陵があるらしい。 次の西ノ京は、最近になって脚光を浴びている駅。 昔は普通列車しか停まらなかった駅であったのに、今や特急の一部も停まる駅にまで昇格した。 それは、唐招提寺や薬師寺への観光客の対応に加え、近年より恒例行事として開かれるイベント『薬師寺ライブコンサート』への観客輸送にもあるようだ。
まぁ、ワテは芸能音楽には全く興味がないので、あまり詳しくは知らないが。
次の九条は、駅舎を奈良の寺院を模っているようだ。 周囲はマンションが並び立つ住宅街となっている。 次の近鉄郡山は、豊臣秀吉の弟にして名君の呼び声高い豊臣秀長の城下町である。
また、液晶技術で世界企業となったシャープの城下町である。 駅は、極々普通の特徴の無い駅である。
次の筒井は高架駅。 利用客は普通のみの停車駅としては最も多いらしい。 次の平端は、天理線の分岐駅。 本線である橿原線の2面4線と、明らかに別系統の如くに位置する天理線の相対2面ホームからなる。 急行停車駅だが、利用客は西大寺から続く駅では最低の実績である。 なお、天理線へは、急行の約半数が直通している。
近鉄の“天(鈍)才たまご”
昔の奈良電(近鉄の前身)の
昔の奈良電(近鉄の前身)の
流れを汲んだ特急車輌
平端
この駅からは急行に乗り換えたので、通過駅は過ぎ去る姿しか見ていないので悪しからず。 通過駅の一つ目は、ファミリー公園前。 ファミリープール開園時の臨時駅が、本駅に昇格したとの事である。
何でも、1日の利用客数は3ケタで、近鉄内の営業駅ではかなり下との事である。 もちろん、無人駅である。 次の結崎・石見と通過して、田原本に着く。
この田原本は近鉄の孤立路線・田原本線の西田原本と200mの位置にあり、乗り換えの連絡通路もある。 尚言えば、定期列車の往来はないが、連絡する線路は駅構内の外れにあるとの事である。
田原本を出ると、急行は大和八木まで停まらない。 笠縫・新ノ口と通過して、大阪線と橿原線の2路線がクロスする3階建ての大和八木駅に着く。 橿原線は南北に連なる2階の相対2面ホームだ。
なお、京都から伊勢へと抜ける特急は、連絡線を伝って上の大阪線ホームに発着する。 一応、橿原市の代表駅で近鉄百貨店も併設される半ターミナル駅だ。 最近では名阪甲特急の一部も停車する。
次の八木西口は大和八木と同一駅扱いされている駅。 急行も停まるが、運転停車の如くの扱いとの事である。 次の畝傍御陵前は神武帝の御陵が近くにある。 橿原神宮の神殿を模した駅舎と、広いロータリーが特徴である。 そして、終点の橿原神宮前。 駅舎の中央口は、完全に橿原神宮の神殿の形そのままのデザインである。 何でも、歌舞伎座を設計した建築士が設計担当をしたとか。
そして、狭軌の南大阪線と標準軌の橿原線の接続駅である。 この狭軌と標準軌の違いは、血塗られた諜略と合併を繰り返した近鉄の先代・参宮急行と大軌の歴史を語る現物だといえる。
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No title * by 風来梨
こんばんは。
近鉄という会社は、もう戦国武将さながらの国取り合戦ならぬ、鉄道敷設免許争奪戦を展開しています。 この血なま臭い歴史は、歴史を紐解くのが好きな人には興味深い事例ですね。
以前、楽天やソフトバンク・ライブドアなどで有名となった敵対的株買収(M&A)の先駆けが、この近鉄の手法だったのですね。 米国のM&A考察において、近鉄の前身・大軌が研究対象となった・・との事です。
近鉄という会社は、もう戦国武将さながらの国取り合戦ならぬ、鉄道敷設免許争奪戦を展開しています。 この血なま臭い歴史は、歴史を紐解くのが好きな人には興味深い事例ですね。
以前、楽天やソフトバンク・ライブドアなどで有名となった敵対的株買収(M&A)の先駆けが、この近鉄の手法だったのですね。 米国のM&A考察において、近鉄の前身・大軌が研究対象となった・・との事です。
No title * by 鷹峯 源光
18000系は奈良電の足回りを再利用した「似非」特急車ですね。下の800型は近鉄初の高性能車として「バンビ特急」(今の快速急行)で活躍した車輌で奈良電の車輌ではありませんよ。大和鉄道が大軌との合併に抵抗したのは伊勢延長を計画していたからでしょうね、最終的に免許も得ていますし。この「伊勢延長免許」が欲しくて大軌は「初瀬鉄道」との接続を理由として八木ー桜井間を延長、大和鉄道から利用客を奪い最終的に合併させ、自社線と被る桜井ー田原本間を廃止。伊勢への延長免許は傀儡会社の「参宮急行電鉄」に譲渡して今の大阪線となったんですよね。でも大和鉄道と信貴生駒電鉄とは合併していませんよ。
No title * by 鷹峯 源光
大阪線の歴史は「布施(当時は若江)-国分」間から始まります、大軌は国分から大和川沿いに路線を進め郡山に出る「郡山線」として計画していたのですが途中に亀の背地すべり地帯を通過するので継続調査とし、問題の無い「国分ー八木」間の「八木線」を先に建設する事になり八木線開業で目的(橿原線と接続する)を達した為に「郡山線」は事業廃止となりますその後の伊勢進出については上記の通りです。また「吉野鉄道(畝傍ー吉野間)」は大鉄開業時には、すでに大軌と合併しています(大軌畝傍線・吉野線)。
No title * by 風来梨
他人のブログの間違い探しやアラ探しをして楽しいですか?
間違い指摘するにしても、相手の事を思って内緒コメントやそこらの配慮があってもいいハズでしょ? それに、18000系は似非じゃありませんよ。 れっきとした特急車です。
あまりアナタとは趣味が合いませんね。 できれば、二度と来ないでください。
間違い指摘するにしても、相手の事を思って内緒コメントやそこらの配慮があってもいいハズでしょ? それに、18000系は似非じゃありませんよ。 れっきとした特急車です。
あまりアナタとは趣味が合いませんね。 できれば、二度と来ないでください。
No title * by 風来梨
あのまのかりす殿。
残念! 1961年に『大和鉄道』は『信貴生駒電鉄』に合併されておりますよ。 かなり恥ずかしいですよ。 他人の所へアラ探しをしにきて、横柄な態度で指摘している自身の説が大間違いだなんて・・。 私なら、恥ずかしくて外を歩けませんねぇ・・。
コレを機に、知ったかぶりで他人の所のアラを探すようなしょうもないマネはヤメなさいな。
このように人間的な下らなさが露見して、アナタの人間としての値打ちを落としますよ。
残念! 1961年に『大和鉄道』は『信貴生駒電鉄』に合併されておりますよ。 かなり恥ずかしいですよ。 他人の所へアラ探しをしにきて、横柄な態度で指摘している自身の説が大間違いだなんて・・。 私なら、恥ずかしくて外を歩けませんねぇ・・。
コレを機に、知ったかぶりで他人の所のアラを探すようなしょうもないマネはヤメなさいな。
このように人間的な下らなさが露見して、アナタの人間としての値打ちを落としますよ。
西大寺から天理まで 30年前に乗ったことがありました。
写真も懐かしい感じですね。18000系は西大寺で偶然にも写しており、拙ブログでも先日upしています。