風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第448回  山陽本線・岩国駅

『路線の思い出』   第448回  山陽本線、岩徳線・岩国駅 〔山口県〕

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駅の周辺整備事業によって
橋上駅舎化された岩国駅
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
山陽本線
       営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数(’15)      
  神戸~門司・兵庫~和田岬 537.7km          38534  /   95
運行本数 (山陽本線・岩国発着列車)
     下り下関方面 毎時1~3本、
     上り広島方面 毎時2~3本、ラッシュ時5~6本(快速〔通勤ライナー〕もあり)

岩徳線
       営業区間と営業キロ            輸送密度 / 営業係数(’15)      
      岩国~櫛ヶ浜 43.7km              1347  /  630
運行本数
         下り12本・上り11本(岩徳線列車は全て岩国~徳山の運行)
         錦川鉄道(錦町方面)10往復

    ※ 当駅乗り入れ路線は、他にも旧国鉄岩日線からの第三セクター転換線である錦川
      鉄道があるが、錦川鉄道の正式な起点駅は岩徳線の川西であり、岩国駅のデータ
      には含まない。

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だがワテが知っているのは
この駅舎の岩国駅だ
※ ウィキペディア画像を拝借

岩国駅(いわくにえき)は、山口県岩国市麻里布町一丁目にあるJR西日本・JR貨物の駅である。
3面6線のホームを持つ駅で、橋上駅舎を有している。 1番線は西口に面した単式ホームで、0番線は1番線の下関側にある切欠きホームである。 3・4番線、6・7番線がそれぞれ島式ホームとなっている。

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岩国駅3面6線の構内配線とホーム
※ ウィキペディア画像を拝借

1番線が岩徳線、3・4・6番線が山陽線上り広島方面、6・7番線が山陽線下り下関方面の使用ホームとなっている。 当駅終着折り返し列車が多数設定され、当駅を境に下関方面の運行本数が半減する。
従って、6番線は原則的に、当駅折り返しの広島方面行が使用している。 なお、1番線の下関側切欠ホームの0番線は、錦川鉄道が使用している。

山陽本線を所属線とし、当駅を起点とする岩徳線を加えた2路線が乗り入れている。 山陽本線における広島シティネットワークの西端駅であり、当駅発着列車が多数設定されている。 また運転取扱駅であり、岩国駅構内の運行管理は当駅で行なっている。 2019年の1日平均乗車人員は5691人で、山口県内の駅では下関・新山口・徳山についで第4位だが、在来線のみ乗り入れ駅としてはトップの乗客数を示している。

また、岩徳線経由で錦川鉄道錦川清流線の列車も当駅まで乗り入れてくる。 但し、当駅から川西までの間は二重戸籍ではなく片乗り入れという扱いの為、川西駅までの運賃はJRの運賃として計算される。
当駅はICOCAエリアに含まれるが、岩徳線では全線がエリア外のため利用できない。 山陽線についてもエリアは隣駅の南岩国駅までとなっているが、2022年春に徳山駅までエリア拡大予定である。

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橋上駅舎に向けて
大改装中の岩国駅
※ ウィキペディア画像を拝借

橋上駅舎化で跨線橋もバリアフリー化され、エレベーター・エスカレーター・点字案内・点字ブロック・音声案内等が設置された。 管理駅長が配置された直営駅であり、山陽本線の和木並びに南岩国~柳井の各駅と、岩徳線の西岩国~米川の各駅を管轄している。 橋上駅舎化前にあった旧東口の駅業務は、錦川鉄道に簡易委託されていた。

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駅表口の西口に比べて
殺風景な造りの岩国駅・東口
※ ウィキペディア画像を拝借

なお、地名の『岩国市岩国』は隣駅の西岩国や錦帯橋の周辺であり、地名の上では当駅は本来の『岩国』から離れている。 その事は、駅名の改称にまつわるエピソードに色濃く示されている。

それは、当駅は山陽鉄道によってこの地域に鉄道が敷設された際に、線形の都合で駅は岩国町の市街地から離れた麻里布町に置かれたのである。 その為に1929年に部分開業した岩徳東線(後に山陽本線を経て岩徳線となる)が岩国町の市街地近くを通るようになると、そちらに岩国駅が設けられて当駅は地名通りの『麻里布』と改称した。

しかし、新しい岩国駅には特急・急行が停車しなかった為、「町の代表駅として相応しくない」という声が挙がったり、また麻里布駅周辺の発展が著しかった事や、1940年に麻里布町と岩国町などが合併して岩国市が発足した事から、市の代表駅としての実情に合わせる為に、1942年に『麻里布』から再び駅名を『岩国』に改称し、1929年に開設された岩国駅は西岩国駅と改称されている。

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かつての急行【ちどり】は
岩国機関区仕立ての急行列車だった
※ 急行【ちどり】
      木次線・出雲坂根駅にて

当駅にはかつては岩国機関区が置かれ、1984年2月1日のダイヤ改正時の機関区運用廃止まで、岩徳線や岩日線(当時)その他、当駅始発の芸備線・木次線経由米子行きの急行【ちどり】で使用される気動車の整備基地として使用されていた。

岩国機関区の施設(車両整備建屋や転車台など)は、国鉄分割民営化以降に順次撤去され、現在は電留線や駐車場・分譲マンションの敷地などになっていて、現在は広島方面の電車の運転を主に担当する岩国運転区の建物のみが残存している。

JR貨物の駅は、専用線発着のコンテナ貨物と臨時車扱貨物の取扱駅となっている。 2014年3月改正時点では、1日2往復の高速貨物列車が広島貨物ターミナル駅との間で運行されている。

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駅の東側に敷かれた
日本製紙・岩国工場への専用線
※ ウィキペディア画像を拝借

駅の東側に日本製紙・岩国工場へ続く専用線があり、主にコンテナによる製品の発送が行われている。
広島方面へと向かう本線線路を挟んで東側へ専用線が、反対側(西側)には貨物列車の入れ換え作業や、線路保守用車両の留置等に使用されている側線施設がある。

かつては帝人・岩国工場へも専用線が続いていた。 また、当駅~南岩国に存在した川下信号場から在日米軍岩国基地へ専用線が分岐していた。 なお、岩国駅においてかつて使用されていた有蓋車用貨物ホームは2006年5月頃に取り壊され、本線東側にあった川下信号場の跡地は岩国市の管理下にある。



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この駅の思い出は
夜中に補導逃れに逃げ回った
ロクデナシ予備軍の
ロクでもない思い出だった
※ ウィキペディア画像を拝借

岩国駅の思い出は、ハッキリいうとロクでもない思い出ある。 それは、かつて国鉄で第二次廃止対象路線となって第三セクターに移管された岩日線の始発列車を待って、岩日線の始発列車のみ入線していた1番線のホームのプラスチック椅子で寝転がっていた「侘し過ぎる」思い出である。

それも時折見回りにくる駅の鉄道公安官に見つかれば、「深夜徘徊する中坊の小僧」=『家出少年』の嫌疑で「十中八・九」の確率で補導されて、駅の鉄道公安室の詰所でカビ臭い布団が用意され、深夜のカツ丼が振る舞われ、実家に連絡の上で大阪に強制送還ともなりかねない=初めての旅である『四国全線完乗+岩日線の旅』が空中分解する所だったのである。

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小僧の頃よりボリから逃げ回る
このタワケは人畜無害の
「腐ったミカン」だな
※ ウィキペディア画像を拝借

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でも『腐ったミカン』でなければ
補導されて初めての四国の旅が
霧散していただろうね

だからオチオチ寝てもいられず、キョロキョロと見回りにくる駅の鉄道公安官の気配に神経をとがらせていたのである。 まぁ、この頃は『3年B組金八先生』で、かの有名な加藤クンのセリフの「俺は腐ったミカンじゃねェ!」と、中島みゆきの「♪シュプレヒコールの波ィ~」が一世風靡した校内暴力最盛期で、当然不登校や家出少年・少女が流行った時期で、深夜の駅などは重点警戒区域となっていたのである。

ちなみに、加藤クンは中年太りのハゲ親父となり、スケバンは国会議員になり、松浦クンは首吊っちゃったしィ。 まぁ、加藤クンと松浦クンの・・あの逮捕・連行シーンのスローモーションは、国内ドラマ史上屈指の名シーンとなったけど。

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『鉄道公安官』は
コチラの方が有名ですね
※ アマゾンのDVD-BOXの写真より

もう一つ「ちなみに」、『鉄道公安官』は『鉄道警察隊』とは別組織で、分割民営化時に同組織は廃止となっている。 また、身分上では『鉄道公安官』が国鉄の職員であるのに対し、『鉄道警察隊』は地方(都道府県)公務員で、都道府県警に所属する警察官である。 ちょっとした『ウンチク』です・・ハイ。

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この時は間違いなく補導案件だったけど
ブルートレインの『撮り鉄』オーラを
醸し出していたから捕まらなかったのかも

でも考えたら、最初の遠出で深夜の駅を徘徊したこの時に、よく補導されなかったよなぁ。 
この時の行動は、このブログの読者がドン引きして消え去る位の「小僧の頃からの筆者のロクデナシぶり」があからさまになってるしィ。

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それともビーナス
(金星=女神)のお陰?
このタワケ何気に
閲覧者を釣りに走りやがる

鉄道公安官が徘徊しそうな時は便所や跨線橋の上に逃げたり隠れたりしてやり過ごし、幸い見つかって補導される事もなく朝を迎えた。 首にカメラをぶら下げていたので、もしかしたら鉄道公安官が『ブルートレインの撮り鉄』と察して見逃してくれたのかもしれないけど。

やがて、まだ夜が明けやらぬ「待ちに待った」4時半過ぎを迎える。 この時刻は、この駅でやり過ごした目的である岩日線の始発列車が、駅母屋寄りの1番線に入線する時刻である。 通常は「岩国駅で最も格下の路線」である岩日線は、ホーム長の短い切欠ホーム・0番線が専用ホームとなるのだが、この始発列車だけは1番線に入線していたのである。

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この頃は『列車サボ』という
とりとめのないモノを
必死に撮ってたなぁ

それはなぜか・・というと、この始発列車は岩日線の線内に車両を送り込む列車で、早朝にもかかわらず6両の長大編成で、短い切欠ホームには到底停まれないからである。 そして、この列車は前2両が終点の錦町行で、後ろ4両は岩日線の途中駅で最大の駅・河山止となる。 河山で後ろ4両を切り離して、1日で最も乗客の多い朝7時台の上り岩国行通勤列車として、折り返し運用する為である。

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1番線に入線した
岩日線の始発列車は
準急用グリーン車を含む
6両の長大編成だった

それも、準急用ロマンスカーのキハ26が当てがわれていて、それが朝5:06岩国発と今の錦川鉄道より2時間近く(現在の錦川鉄道の始発列車は6:56とかなり遅い)も早い始発列車だったのである。
おかげで、1番ホームベンチでの「神経過敏な一晩」は短くて済んだよ。 「今のように『7時前始発』だったら持たなかったよ」っていうか、『7時前始発』ならこの線に立ち寄る計画を立ててなかっただろうし・・ね。

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始発が5時と早く
ロマンスカーだったからこそ
岩日線の完乗ができたのかも

そして、「ローカル線の始発列車で(乗客もいないのに)ロマンスカーで6両編成」というのも、当時はまだ幼き中坊で、「乗客もいないのに6両編成」の理由が判らぬ小僧にして「興奮モノ」だったよ。
もう、「喜んで」転換クロスシートのロマンスカー車両に乗る。

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結局ほぼ一睡もしてなくて
撮影地・南桑駅のベンチで
昼下がりは寝入ってしまったよ

でも、昨日からの『神経戦』でほぼ一睡もしてなかったせいか、列車が発車する頃にはロマンスシートで完全に寝入ってしまったよ。 幸い、河山の直前で目が覚めて、眠りこけて河山で置いてきぼりを食らう事なく、終点の錦町まで行く前2両に乗り移る事ができたけど。

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生涯で2枚しか撮った事がない
貴重な『流し撮り』の1枚

こうして、『初めての廃止対象ローカル線』である信楽線に次いで2線目の廃止ローカル線と、これより始まる『初めての四国完乗の旅』で濃い過ぎる路線の完乗と、今でも掲載すればそれなりの『鉄』閲覧者が釣れる『釣り針』となる『お宝写真』のゲットができたのである。

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初めての四国旅行は
周遊券の有効期間10日全てを
夜行急行や快速で過ごし

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日本一短い廃止線のこの線や

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ローカル線時代の木造駅舎の
この駅を訪ねるなど
『お宝写真』ゲット満載の旅ですた


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周遊券と各地で夜行急行が
運行されていた時代は

間違いなく鉄道は
際限ない旅の夢を魅せてくれた
旅人にとって力強い味方だった

でも「見かけ上の利便性」に歯車を狂わされ
結果は前より余計に赤字を生む
『飛行機に敵わないシンカンセン』の建設を
国策として強引に推し進めたのである

その赤字のツケは
赤字全体の5%にも満たない在来線に
責任転嫁されて淘汰の対象となり
毎日2億という北海道や北陸
シンカンセンの赤字が加算されていく

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コレって感染が再拡大の兆候を示す中で
国民の命を踏み台にして
一部のチョンの日本人成り済ましが
強引に開催しようとする
東京五輪と似ているね






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