2021-06-25 (Fri)✎
廃線鉄道 第59回 松本電気鉄道(現 アルピコ交通)・上高地線(末端区間)〔長野県〕
1986年の架線昇圧時に全車廃車となり
新島々の構内留置線として数十m残された
廃止区間に放置されたモハ10形
※ ウィキペディア画像を拝借
松本電気鉄道(現 アルピコ交通)・上高地線(まつもとでんきてつどう・かみこうちせん)は、長野県松本市の松本駅から同市(かつては東筑摩郡波田町)の新島々駅までを結ぶアルピコ交通の鉄道路線であるが、かつては新島々より更に1.3km先の島々駅までの路線を有していた。
かつては典型的な
地方私鉄だった松本電気鉄道
※ 『鉄道100年史(長野県編)』より
当路線は松本市西部地域を東西東方に横断する路線で、沿線の通勤・通学をはじめとした生活路線として利用されている。 また終点の新島々駅にはバスターミナルが設けられ、北アルプス南部の上高地・乗鞍方面への観光や登山のアクセス手段としても利用されている。
1921年(大正10年)10月2日、筑摩鉄道(後の松本電気鉄道、現在のアルピコ交通)により島々線として松本~新村 6.2 kmが開業したのが始まりで、翌1922年の9月26日に島々駅までの15.7 kmが全線開通している。 現在の路線名である『上高地線』は1955年に改称されたものである。
1966年に、それまで島々駅にあったバスターミナルを赤松駅(現在の新島々駅)へ移転し、翌1967年からは国鉄からの直通列車も運行され、戦後の登山ブームを支えた。 だが、1983年に台風10号による土砂災害で新島々~島々 1.3 kmが不通となる。 同区間は利用客が減少しており、復旧費用も多額となる事から1985年1月1日をもって正式に廃止となった。
車両も大手私鉄の廃車両からの譲り受けなど
ギリギリの経営をしていたが
2007年12月についに経営破綻した
※ ウィキペディア画像を拝借
2007年12月に、松本電気鉄道を中核とするアルピコグループが債務超過に陥り経営破綻する。
この事で上高地線についても、鉄道施設の更新に多額の費用が必要であり「単独での継続は困難」との見方が示された。 これを受けて、2010年に沿線自治体の松本市が支援を表明し、翌年より老朽化した鉄道施設の更新を進めている。
アルピコ交通となってからは
『萌え鉄』を取り込むべく
アニメキャラをイメージキャラに据える
涙ぐましい増収策を展開している
2011年にはアルピコグループの経営再建の一環として、松本電気鉄道がグループ内の川中島バス・諏訪バスの2社を吸収合併し、鉄道・路線バス事業を統合して、同年4月1日に『アルピコ交通株式会社』が発足した。 これに伴い、鉄道事業についても正式名称は「アルピコ交通上高地線」となったが、利用者に向けた案内では従来の『松本電鉄・上高地線』を使用している。
松本電気鉄道・上高地線
廃止区間の予想路線図
:
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線廃止区間と距離(営業キロ):新島々~島々 1.3km、軌間:1067mm
廃止区間の駅数:2駅 〔新島々〕・島々
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:全線(直流750V)
『中途半端な登山電車』が災いして
常に経営危機だったようだ
※ 朝日新聞デジタル『日本の鉄道』より
松本電気鉄道・上高地線 年表
1921年(大正10年)10月 2日 島々線 松本~新村6.2kmが開業
1922年(大正11年) 5月 3日 新村~波多(現在の波田)4.9kmが開業
9月26日 波多~島々4.6kmが開業し、全通となる
10月31日 商号を筑摩電気鉄道に改める
1924年(大正13年) 8月26日 赤松(現在の新島々)駅開業
1932年(昭和 7年)12月 2日 商号を松本電気鉄道に改称
1955年(昭和30年) 4月 1日 島々線を上高地線に改称
1957年(昭和32年)11月 1日 架線電圧を600Vから750Vに昇圧する
750V昇圧時に投入された
モハ10形電車
※ ウィキペディア画像を拝借
1966年(昭和41年)10月 1日 赤松を新島々に駅名改称し、バスターミナルを新設
同時に島々は無人駅化される
1967年(昭和42年) 7月15日 名古屋駅始発の国鉄急行列車【こまくさ】(気動車)が、新島々
まで直通乗り入れ開始(1973年に廃止)
1973年(昭和48年)12月 1日 貨物営業廃止。
1983年(昭和58年) 9月28日 新島々~島々が台風10号による土砂災害で不通となり休止すとなる
1985年(昭和60年) 1月 1日 休 止中の新島々~島々が廃止となる
一度経営破綻して
松本市による支援で
再建中のアルピコ交通
※ ウィキペディア画像を拝借
1986年(昭和61年)12月24日 架線電圧を1500Vに昇圧し、ワンマン運転が開始となる
2011年(平成23年) 4月 1日 商号をアルピコ交通に改称
新島々より廃止区間の
数十m先に設けられた車止め
※ 『廃線跡を歩く』より
廃線跡
新島々駅から西に廃線跡がある。 上赤松集落内を通り国道と並走する。 御岳社の付近が廃止の原因になった土砂災害現場である。
土砂災害発生現場なのだろうか?
※ 『廃線跡を歩く』より
その先の前淵集落入口から廃線跡上に国道が付け替えられており、島々駅ホームがあった場所は前淵バス停の西側道路上であるなど、廃止区間の約半分が国道の拡幅用地に転用されている。
鉄道駅としてより上高地方面への
バスターミナルとしての役割が
重要視されている新島々駅
※ ウィキペディア画像を拝借
新島々駅(しんしましまえき)は、長野県松本市波田赤松にあるアルピコ交通上高地線の駅である。
以前は島々までの路線であったが、1983年の台風災害により新島々~島々が廃止され当線の終着駅となった。 白骨温泉・乗鞍高原・上高地への玄関口としてのバスターミナルの役割がほとんどであり、鉄道駅としての存在価値は薄い。
新島々駅発車情景
※ 『40年前の鉄道風景』より
島式ホーム1面2線を有する地上駅で、直営駅である。 駅前に上高地方面へのバスの発着拠点である新島々バスターミナルを併設している。 自動券売機を設置し、近距離乗車券を発売している。
窓口では硬券の購入も可能。 長野や東京都区内など、JR線連絡の乗車券も窓口で購入できる。
島々への廃止区間の線路が残されて
夜間留置などに使われている
※ ウィキペディア画像を拝借
廃止された旧島々駅方面への線路が西へ数十メートル残されており、車両点検・入れ違い・夜間留置に使われている。 また出発信号機も撤去されずに残っているが、使用停止状態となっており横を向いている。
新島々の道路対面に
復元建築された旧島々駅舎
※ スマホ撮り
島々駅(しましまえき)は、かつて長野県東筑摩郡波田町(現在は松本市波田)前渕にあった、松本電気鉄道(現在はアルピコ交通)・上高地線の駅である。 1面2線の島式ホームで、構内踏切を渡ってホーム端から出入りする構造であった。 この他に側線1線を有していた。
在りし日の島々駅ホームと
停車するモハ10形電車
※ 朝日新聞デジタル『日本の鉄道』より
かつては上高地線の終点駅であり、上高地方面などへのバスが駅前から発着していた。
しかし、1965年に隣駅の赤松が奈川渡ダムなど梓川の3つのダム工事の資材運搬拠点となり、さらに翌1966年にはバスターミナルが整備されて新島々駅と改称された。
バスターミナル移転後は、新島々~当駅の利用者が減少する。 更に1983年9月28日に台風10号による土砂災害で当区間が不通となり、そのまま復旧される事なく1985年1月1日付で正式に路線廃止となった。
線路跡は国道158号線の拡幅用地に
駅舎跡地はバス転回場に転用されている
※ 『アルピコ交通・上高地線 島々駅(廃止)』より
駅舎は、1988年春に解体されて、駅舎跡地はバス転回所として使用されている。 ホームのあった場所は、付け替えられた国道上である。 駅舎解体後は、新島々駅の向かいに旧島々駅の駅舎を再現した『波田町観光案内所』が建設された。
廃止となった新島々~島々は、筑摩鉄道らよって1922年9月26日に波多(現在は波田)から延伸開業して全通した区間である。 鉄道免許は、梓川上流の竜島までだったが、着工する事はなく、島々駅が終着駅となり失効している。 北アルプス登山や上高地・乗鞍高原観光への出発拠点駅として賑わった。
島々という駅名は
かつての登山基地としての
知名度を意識したモノだった
駅は前渕にあったが、当初から『島々』と名づけられた。 なぜなら、安曇村(現松本市安曇)島々の登山基地としての当時の知名度の高さと、山岳観光の入口としてのイメージから命名されたものである(島々集落は島々駅から西へ2kmほど奥にある)。
また、筑摩鉄道(後に筑摩電気鉄道、更に松本電気鉄道に改称)に与えられていた免許区間は、梓川を挟んで島々集落と向かい合う龍島(現松本市波田竜島)までだったが、路線敷設工事が困難な事から建設は断念されている。
観光客・登山客の増加に伴い、周辺に平地の少ないこの駅では、これらの乗降・乗換客に対応するバス・ターミナル用地の確保が困難であり、旧赤松駅にこの機能を移す事にしてバス・ターミナルを新設する。
バスターミナルの移転が完了した1966年10月1日に旧赤松駅は新島々駅と改称され、同時に島々は無人駅になっている。
「下手クソ!」・「初心者」・
「何も考えて撮っていない」と
プロの写真家や批評者から散々に貶される
失敗の見本市のような写真は
『日の丸構図』・『黄金分割』
『レンズの開放値の使用によるピン浅』・
『三脚を使わない事による小さなブレ』
の概ねこの4つだそうで
このどれか一つでも当てはまると
写真コンテストなどでは
即効落とされるそうだ
そして「考えて撮ってないズブの初心者」
評定が下されるらしい
プロ写真家の主催する写真クラブなどでは
定例会やコンテスト提出作品に
コレに当てはまるモノを出すと
スポイル(下手すると退会勧告)されるらしい
でもワテ・・三脚は夜か滝撮影以外に使わないし
レンズの開放値・日の丸構図・黄金分割が
大好きで撮った写真の約7割が
このどれかに当てはまるよ
しかもワテが生涯の『お宝写真』と
するコマの約半分が
『日の丸構図』か『レンズ開放値』
で撮ったものである
でもレンズの開放値・日の丸構図・黄金分割を
否定するって事はそれでしか表現できない
世界を否定する視野の狭い奴でしかないし
三脚は手ブレが防げるという一つの利点の為に
重く嵩張って行動力を奪い
撮影の自由や一瞬のチャンスをも奪う
自分により刃の向いた『諸刃の剣』だと思うしィ
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No Subject * by 鳳山
昔鉄道だったところが採算が合わなくなり廃線、バス路線に切り替わったケースは多いですね。バスの方が費用が掛からないんでしょうね。
Re: No Subject * by 風来梨
鳳山さん、こんにちは。
歴史的観点からすると鉄道が筏で木材などを運ぶ水運を滅ぼしたように、また人力・馬力・牛力で北海道などの大規模開拓を成し得たのと同じく、鉄道はコスト・利便性の面で陸送(トラック)に敵わないようになりました。 要するに、「とにかく大量に、一方向に速く運べばいい」から、「家の前に届けて欲しい」やら「費用をかけないで運んで欲しい」に需要が変った時から鉄道は衰退し始めましたと思いますね。
そして、「とにかく大量に、一方向に速く運べばいい」という鉄道のニーズに適って利益を上げれる項目のシンカンセンも、東海道・山陽・東北・上越以外は思うように利益を上げれない事が判明してきました。 でも、政府は何も考えずに、国策で北海道やら北陸・九州の末端と、不要な所にもシンカンセンを敷いて更に自らの首を絞めてます。
そして、その赤字のツケを在来線のせいにした事から、鉄道そのものが淘汰され始めているのが、路線の廃止問題ですね。
そしてバスは、鉄道よりもドライで、客がいなければ即運行廃止されるので、地方はますます僻地化が進行されかねませんね。
歴史的観点からすると鉄道が筏で木材などを運ぶ水運を滅ぼしたように、また人力・馬力・牛力で北海道などの大規模開拓を成し得たのと同じく、鉄道はコスト・利便性の面で陸送(トラック)に敵わないようになりました。 要するに、「とにかく大量に、一方向に速く運べばいい」から、「家の前に届けて欲しい」やら「費用をかけないで運んで欲しい」に需要が変った時から鉄道は衰退し始めましたと思いますね。
そして、「とにかく大量に、一方向に速く運べばいい」という鉄道のニーズに適って利益を上げれる項目のシンカンセンも、東海道・山陽・東北・上越以外は思うように利益を上げれない事が判明してきました。 でも、政府は何も考えずに、国策で北海道やら北陸・九州の末端と、不要な所にもシンカンセンを敷いて更に自らの首を絞めてます。
そして、その赤字のツケを在来線のせいにした事から、鉄道そのものが淘汰され始めているのが、路線の廃止問題ですね。
そしてバスは、鉄道よりもドライで、客がいなければ即運行廃止されるので、地方はますます僻地化が進行されかねませんね。