2021-06-20 (Sun)✎
よも”ヤマ”話 第145話 飯豊連峰・大日岳 その1 (石転ビ沢雪渓) 〔山形県・新潟県〕 '96・8
滝見台より望む
石転ビ沢雪渓の全容
石転ビ沢雪渓 いしころびさわせっけい (磐梯朝日国立公園)
飯豊連峰登山コースの一つで、長さ2.8km・標高差1000mに渡る大雪渓の直登ルートである。
『石転ビ』の名の通り、初夏の融雪時には尾根からの落石が多く、更に雪渓の崩落など危険が多い。
また、雪渓が広大過ぎるゆえに、雪渓中に生じるクレバスやルートと違う雪渓に踏み込んでしまうなどの事故を誘発する要因も多々あり、ベテラン登山者でも注意が必要なルートである。
だが、7月末から8月中旬頃までは、天候及び雪渓の状態が安定して比較的に危険も少なく、雪渓からの風が冷たく涼しい人気のコースとなっている。 また、途中の『雪渓の鼻』と呼ばれる草付には、様々な高山植物の花が目を楽しませてくれる。
今回の山行の全行程・詳細図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 JR小国駅より車(0:55)→飯豊山荘(2:20)→石転ビ沢出合(3:20)→十文字鞍部
《2日目》 十文字鞍部(0:50)→烏帽子岳(2:00)→御西小屋(1:25)→大日岳
※ 大日岳よりは往路を戻る・十文字鞍部まで所要4:00
《3日目》 十文字鞍部(0:30)→北股岳(1:00)→門内小屋(0:30)→扇ノ地紙
(0:50)→梶川峰(3:40)→飯豊山荘より車(0:55)→小国駅
飯豊・大日岳は遠かった
:
思えばこの山行が
今のヘタレに転がり堕ちる
「事始め」だったのだろうね
《1日目》 石転ビ沢大雪渓から十文字鞍部へ
このコースは、バリエーションルートとなっている《石転ビ沢大雪渓》を登っていくのである。
この《石転ビ沢大雪渓》は長さ2.8km・標高差1000mの大雪渓を直登するルートで、最大傾斜45°の急傾斜を持ち、毎年少なからずの山岳遭難の出ているコースなのである。
石転ビ沢雪渓はこの北股岳より
標高差1000mをイッキに落とす
壮大なスケールの雪渓だ
従って、お粗末な装備や午後出発などの無計画・無謀は事故の元である。 ここは、確実な雪渓装備を用意して、前日に《飯豊山荘》に入っておいて、翌朝早くに出発するといった時間のゆとりを確保すべきであろう・・ていうか、このタワケはこのルートにまだ雪渓が安定せぬ7月の初めにアタックする『無計画・無謀』で、山で初めての撤退・引き返しをしている。
ヘタレまくった今は、山での撤退・引き返しが数多くあるが、『奇跡の体力』を保持していたこの時は例えで言う「飛ぶ鳥も落とす勢い」だったのである。 だが、いくら『奇跡の体力』のホルダーと言えども、放浪山旅の1発目で北海道に渡る前の「北海道のヤマへの足慣らしの山」としてこのバリエーションルートを選んだ事自体が、慢心という以外になかったのである。
最初の雪渓アタックは
『無計画&無謀』でタイムオーバの
撤退・引き返しとなり
稜線上からのこの風景はお預けとなった
その時の我が状況は、『奇跡の体力』のホルダーで体力はあれど、雪渓を登高する技量が乏しく、アイゼンの着脱も適当(しかも、前爪のない8本爪)という真に『無計画・無謀』な状況だった。 ちなみに、なぜ1発目に飯豊を選んだかというと、「フェリー乗り場の新潟に一番近かったから」である。
そんな『無計画・無謀』でアタックしたので、案の定・・まだ『雪渓の鼻』と呼ばれる草付も現れていない深い雪渓にまごついて(途中でアイゼンが外れたりした)、タイムオーバーとなって撤退したのであった。 撤退して戻ったのは、日が完全に落ちて暗くなってからだった。
撤退して降りた翌日の北海道へ渡るフェリー待ちの1日で石転び沢の情報を集め(集めると言っても山岳センターに電話で雪渓の情報を問い合わせるだけだが)、雪渓登降の最適期は8月上旬と知り得て、先に北海道を周ってから飯豊にアタックする事にしたのである。
『大御所』のヤマです
数年後この峰で
1st『オチャメ』をカマシました
ちなみに、この放浪山旅では最大の目的である『大御所』が控えていて、この1発目の撤退によって、8月上旬に飯豊山を登った後に再び北海道に渡る計画に修正となった。 つまり、「この『大御所』は、それなりの体力を積まねばならん」と思っていたので、8月初旬に回した飯豊山行と時期が被るからである。
まぁ、プーで放浪してるからこそ・・できる事ですな。
石転ビ沢雪渓の登山基地
となる飯豊山荘
:
まさかここで3回風呂に入って
2回車寝するとは思わなんだよ
山形県の情報サイト『やまがた山』より
話は脱線したが、この「危険だが魅力ある」《石転ビ沢大雪渓》に再アタックする。 《飯豊山荘》から、車止めのゲートをまたいで砂利道の林道に入っていく。 約20分程この砂利道を歩いていくと、《ダイクラ尾根》を登る長大ルートを分けて山の方へ入っていく。 しばらく広い砂利道が続くが、《梅花皮沢》が寄り添ってきて砂防ダムが立ちはばかると、道は細り登山道らしくなってくる。
この砂防ダムを越えると、沢沿いの土手の上につけられた道を伝っていく。 辺りは鬱蒼としたブナ林帯だ。 このブナ林が尽きると、いよいよ山頂から続く長大な雪渓が視界に入ってくる。 雪渓の端は年度によって、また月によって異なるが、おおむねこの《地竹沢出合》まで延びている。
8月初めの
石転ビ沢雪渓状況図
沢床が雪渓となっていたなら、土手から雪渓に下りる。 ここから、いよいよ雪渓歩きが始まるのだ。
始めのうちは傾斜も緩くアイゼンがなくとも歩けるが、《入り門内沢》を分ける《石転ビ沢出合》辺りから徐々に傾斜を増してくる。 また、この出合は、道が判りにくいので注意が必要だ。
長さ2.8km・標高差1000m
という壮大なスケールの
石転ビ沢大雪渓を登っていく
それは、進むべき《石転ビ沢》が左にそれているのに対して、《入り門内沢》は幅が広く傾斜も緩やかで、なおかつ進行方向も直進なので誤って入り込みやすいからだ。 ガスに巻かれた時などは、特に注意が必要だろう。 《石転ビ沢出合》で進路を左に取り、徐々に傾斜を増していく雪渓を登っていく。
この辺りから、そろそろアイゼンが必要となってくる。
あるガイドでは「“キックステップ”だけで登れる」としているが、これはとんでもない事で、アイゼン・ピッケルは必需品である。 滑落したくなかったら絶対に用意すべきだし、またアイゼンも四本爪の簡易的なものではなく、雪を蹴り込む事のできる前爪付の10本爪以上の物を使いたいものだ・・っていうか、この時8本爪のタワケには言う資格ないわ・・なぁ。
アイゼンをつけてから30分も歩くと傾斜はますますキツくなり、ピッケルなしでは前に上がれないようになってくる。 ひと息つくにも、だだっ広い“滑り台”の上に立っているようなもので、立って前屈みでの休憩を余儀なくされる。 ここで腰を下ろしてくつろぐなどはもっての外で、そんな事すると“滑り台”を滑っていくようなものである。 見る見るうちに、滑り落ちてしまうだろう。
雪渓の上部は
“奈落の底”への天然の滑り台だ
従って、傾斜が急になってからは、『雪渓の鼻』と呼ばれる草付きの中島までの間までロクに休憩が取れない。 そして振り返ると、下から登ってくる人が点に見える“雪の滑り台”に神経を張りつめて登っていく。 約2時間程この緊張に耐え抜くと、まるで『雲上の楽園』が如く『雪渓の鼻』と呼ばれる草付きの中島が現れる。 既にこの中島に上陸している人達は、思い思いにくつろいでいる。 まるで、地獄と極楽の境界にいるようだ。
『雪渓の鼻』という
草付の中島より
下方の雪渓を見下ろして
そして苦労の末、晴れて上陸して下方を見下ろすと、「蜘蛛の糸」を手繰るが如く、次々と登山者がこの草付きを目指して登ってくる。 何とも面白い光景である。 この草付きの中島は雪渓の中の「心のオアシス」が如く、花が咲き乱れる楽園である。
『雪渓の鼻』に咲く花・その1
ハクサンフウロ
しかし、ここを『元』としての落石も結構多いのだ。 下の雪渓を登っている最中、ここから落ちてきた石つぶてが谷に響きながら落ちていくのを垣間見たなら、なおさら怖ろしい思いをするのである。
この草付きの中島を登っていく時は、石を落とさぬように注意したい。
草付の上は常に
雪渓からのガスで見通しが悪い
この草付きの中島の上まで登りつめると、ゴルジュ(雪渓の中の滝=雪渓間の段差の事)のすぐ下をくぐって、対岸の草付きにトラバースする所がある。 ここは僅か5m程なのだが、この雪渓の最も危険な場所で、過去の滑落事故もこの地点でよく発生しているのである。 雪渓の中ゆえに、普通の難所のように鎖やロープなど頼る物がなく緊張させられる。 ここは、慎重かつ速やかに渡っていく。 この難所を乗りきって、対岸の草付きのお花畑を登っていく。
『雪渓の鼻』に咲く花・その2
ミヤマキンポウゲ
この草付きは湧水の沢が中央を流れていて、ちょっとした沢登りのようである。 この草付きの最上部まで登りつめると、いよいよ《梅花皮避難小屋》の建つ《十文字鞍部》が見えてくる。 だが、小屋の建つ稜線上との間に、45°という最大傾斜の雪渓を登りつめねばならない。
『雪渓の鼻』に咲く花・その3
イワギキョウ
思わず、「どこか巻き道でもないか」と探したくなる状況だ。 だが、そんな都合のいいものなどある訳もなく、最後の最後まで緊張する場面が続くのだ。 さぁ、あとひと踏ん張りだ。 確実に登っていこう。
登ってきた雪渓を見下ろすと
やり遂げた高揚感で
全身が熱くなるだろう
・・これら数々のスリルある場面を乗り越えて稜線上に立つと、素晴らしい山岳風景と共に、この難所を乗り越えた自信と充実感が全身をみなぎる事だろう。
登り着いて余裕があれば
北股岳に登って雪渓を
見下ろすのもいいだろう
ひと息ついて余裕があれば、北股岳 2025メートル へ登って、上から今日歩いた雪渓を見下ろすのもいいだろう。 北股岳へは、1時間もあれば往復できる(北股岳は最終日に通るので、ここでは割愛)。
洗濯平ではこの山の固有種
イイデリンドウが咲いていた
暮れゆく飯豊連峰の山なみ
今日は、ここでストップとしよう。 周りのお花畑や《洗濯平》の花の波、飯豊連峰の山なみに明日の夢がだんだんと膨らんでくる。
明日の素晴らしき夢をひとつまみ
北股岳と梅花皮小屋を振り返り
明日は長丁場なので
早く小屋を発って
陽が昇る中を登っていこう
陽が昇る中で登っていくと
朝日が魅せる絶景に出会えるだろう
でもあまりの絶景に見入って
進む足を長々と止めてはダメですよ
往復9時間の長丁場なのだから
※ 続く《2日目》の行程は、次話の『第146話 その2』にて
読売新聞さんの世論調査で
五輪開催賛成が50%を超えて
過半数となったのに開催を歓迎する
国民の声が全く聞こえないのはなぜ?
賛同したG7首脳より
開催決定の祝電が届いたり
開催を支援する人員が
派遣されないのはなぜ?
現実的な感染爆発の懸念に
あれだけ煽っていた奴らが
口をつぐみ出したのはなぜ?
「安心・安全の五輪開催」と
政府が出した根拠は何?
その安心を数値で示して
その数字に違える感染拡大が
見られた時の責任の取り方は?
皆さん憶えておきましょう
開催を進めた政治屋と
開催を煽った竹田恒奏や天皇信奉右翼の
在日チョンのヒトモドキの名前を
五輪の開催で感染拡大が起こり
多くの日本人が犠牲となったら
「日本人を殺した憎むべき仇敵」として
必ず糾弾する為に
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