2021-06-19 (Sat)✎
『路線の思い出』 第447回 近鉄名古屋線・近鉄名古屋駅 〔愛知県〕
地下改札口
JR在来線・シンカンセン・名鉄共に
相互改札のできるこの改札口が
メイン改札口だと思ってたよ
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
近鉄大阪線営業区間と営業キロ 運行本数(’21)
近鉄名古屋~伊勢中川 78.7km 特急(大阪~名古屋)毎時2本
甲特急【ひのとり】と主要駅停車の〔アーバンライナー〕
(名伊特急)毎時2本
宇治山田・鳥羽行と賢島行が毎時各1本
急行 毎時3本(伊勢中川~鳥羽行)
準急 毎時2本・ラッシュ時は毎時3~4本(冨吉・四日市行)
普通 毎時3本・ラッシュ時は毎時4~5本(冨吉・津新町行)
近鉄名古屋駅の主改札口
※ ウィキペディア画像を拝借
近鉄名古屋駅(きんてつなごやえき)は、愛知県名古屋市中村区名駅1丁目にある近鉄・名古屋線の駅である。 正式には名古屋線の終点であるが、直通運転の関係上で当駅発が下り列車となっている。
近鉄の前身となる大軌グループ(大阪電気軌道)の東方進出の区切り駅となった駅である。
近鉄名古屋駅のホームは
列車種別だけでなく
列車の長さにも対応している
※ ウィキペディア画像を拝借
頭端式ホーム4面5線の地下駅で、ホーム頭端部にはホーム直前に設けられた地下改札口の他に、JR線と東海道新幹線連絡改札口、名鉄線連絡改札口も設けられている。 また、各ホーム中央にある階段、エスカレーターを上った先で、近鉄ビル(近鉄パッセ)中地下1階に繋がっていて、正面改札口が設けられている。 2019年の1日平均乗車人員は63474人との事。
現在は駅の商用テナントビル
『近鉄パッセ』の地下に駅がある
※ ウィキペディア画像を拝借
近鉄名古屋線の前身の一つである伊勢電気鉄道(桑名~大神宮前 82.7km)が名古屋進出を計画した当初は、現在の名古屋駅のかなり南方の地点に設ける予定であった。 だが、国鉄との連絡確保の為に、鉄道省の用地を利用して桜通側に地下ループ線(方向転換を要しない構造)を建設し、その上に駅ビルを建設する計画に変更された。
伊勢電が果たせなかった
名古屋への延伸の夢は
『敵対的M&A(株式買収)』で台頭した
近鉄の前身・大軌が伊勢電を呑み込む
合併吸収劇で成し得られた
※ ウィキペディア画像を拝借
その後、伊勢電気鉄道は無理な伊勢進出(伊勢神宮への直通路線を建設し、特急電車の高速運転を行ったが、過剰投資によって最終的には経営に行き詰まって破綻した)で経営に行き詰まり、大阪電気軌道傘下の参宮急行電鉄(参急)に合併される。 伊勢電気鉄道が果たせなかった名古屋進出は、大軌・参急などが出資した新設会社の関西急行電鉄(関急)によって成し得る事となる。 この時に、通常の折り返しターミナル構造に変更されている。
地下出入口は当初、当駅と同時期に計画されていた名古屋鉄道(名鉄)の新名古屋駅(現在の名鉄名古屋駅)の駅舎を共同使用する協定であったが、名鉄側の工事が遅れて、名鉄新名古屋駅開業時においても駅の主要部が未着工の状態であった為に、取り急ぎ関西急行電鉄独自の仮地下出入口を設置して開業に至っている。 遅れる事3年後の1941年に、ようやく名鉄の新名古屋駅が開業すると、当初の計画通りに当駅との間で新たに建設された駅舎と地下連絡通路の供用を開始している。
当駅の開業により、大軌グループによって大阪から名古屋に至るまでの路線が完成した。 特に名古屋~伊勢の輸送では、鉄道省の運営する参宮線(当時は亀山~鳥羽)の乗客が7割も減るほどの影響を与えたという。
なお、予算の都合から1面1線の配線にする計画も存在したが、結局は将来の発展を見込んで3面3線となった。 しかし、それでも戦後の輸送量増加には対応できず、1967年に4面5線への拡幅改造が行われている。 この大幅な改良工事により駅の収容車両数は17両から33両とほぼ倍増し、ラッシュ時の列車本数の増発が可能となった。 またホームの総面積も従来の920㎡から3500㎡に増加した為に、ラッシュ時の混雑の緩和につながった。
改軌により軌間が替わって
連絡不能となって埋められた
名鉄・新名古屋駅との渡り線跡
※ 中日新聞のウェブ記事より
前述の通り、1941年に隣接して名鉄の新名古屋駅が開業したが、この当時は近鉄名古屋線も狭軌(1067mm)を採用していた為に、戦中・戦後を通じて名鉄と線路が接続され、戦後の一時期には、団体専用列車に限って相互直通運転が実施されていた(現在は壁で塞がれているが、上下線を仕切る支柱がなく名鉄線側の壁が窪んでいるなど、その連絡線があった跡が視認できる)。
駅長が置かれ、当駅から近鉄八田駅間の各駅を管理している。 5つのホームは1番線・普通、2番線・準急、3番線・急行、4番線・特急の降車ホーム及び名伊特急、5番線・名阪特急と、使用ホームが列車種別でほぼ完全に区分けされている。
伊勢神宮参拝などで要人が利用する事がある為、貴賓室が設置されている。 また、2009年3月20日に阪神なんば線が開業した事で、山陽網干駅や山陽姫路駅から当駅まで標準軌私鉄の路線が繋がった。
同様に、阪神なんば線などを経由して阪急電鉄の京都河原町駅・宝塚駅(但し、新開地まで出る必要あり)や神戸電鉄の粟生駅・有馬温泉駅・三田駅、能勢電鉄の各駅などへも改札を出ずに行けるようになった。
しかし、近鉄名古屋から大阪難波以西への定期直通運転は行われておらず、近鉄から阪神電気鉄道・山陽電気鉄道の連絡乗車券も2021年時点では発売されていない。
【ひのとり】の出現で
名阪乙(主要駅停車)特急に
固定されたアーバンライナー
※ スマホ撮り
放浪山旅から社会復帰して、もう15年も経ったなぁ。 時の流れとは早く、そして残酷なモノです。
時の流れと共に『奇跡の体力』を持っていかれて、その代価に老いによる身体の異変(血と闘う値〔血糖値〕の増大・残念・腰痛・老眼・十二指腸潰瘍 etc)など、間違いなく健康体ではなくなっている。
ヘタりまくっても
ゴキブリ並の生命力だけは
なぜかそのまま残ったよ
:
「よく生きてたね」って言われたしィ
でも、踏んづけても死なないゴキブリ並の生命力と、骨折に異常な程強い(去年の『オチャメ』では肋骨と右足くるぶし剥離の9本の骨折で、テント一式20㎏担いで山をのたうち周っていたしィ)事が効を奏し!?て、去年の我が『天中殺』での2度の「死にかけ」を乗り切ったしィ。
始めから話が脱線したので元に戻すとしよう。 放浪山旅から会社勤め(といってもブルーカラー)となって、当然ながら長期の休みが取れなくなって、休みも年末年始・GW・盆の1週間、又は土日に有給を付け足した3連休(家電大手以外の工場に「祭日はお休み」の概念はありません・・ハイ)以外に取れなくなるのだ。 そう・・、長期連休を取りたければ『退職願』を出す以外にないのである。
まぁ、副業の家主業が今の工場勤めの給料と逆転してオツリが付く位になれば、「ムカついたら『退職願』」って筋もできるけど。 でも今のクソ会社、半年前に残念で手術した患者上がりを最もキツい工程(プレス)に組み込みやがる。 まぁ、大阪でも1~2を争う作業場環境劣悪で、「アソコだけは就職したらダメだよ」と口コミされる会社だけど。 新卒入社の子の1割近くが、入社1か月後の5月で辞めていくような所だしィ。
またまた話が脱線したが、この少なく短い休暇で山に行くなら、『土日に有給』は単発の山行で、行きは登山口に近い所まで運行している夜行高速バスや登山ツアーバスを使わねば成し得なくなったのである。
そらそうだ。 仕事を終えてからマイカーで繰り出した日にゃぁ、登山口のある町に着くのでさえ夜半過ぎで、それから車寝+早朝4時起きで登山開始なんて身体持たないわ。
・・で、帰りも、渋滞なんかに巻き込まれたら、下手したら翌日の勤務欠勤→クビ一直線のルート確定だしィ。 なので帰りは、後立山や穂高などの『山銀座』である大糸線沿線から松本に出て、中央本線の特急【しなの】に乗って帰るのがメインとなったよ。
でも、特急【しなの】は名古屋行で、普通の人が大阪に戻るなら名古屋より先はシンカンセンとなるのであるが、大阪の鶴橋より南側に居住するなら、この法則が当てはまらないのである。
それは、シンカンセン利用だと自由席利用なら最果ての1~3号車で、特急【しなの】の降車ホームよりそこまでたどり着くのに約12~13分、もちろん新大阪での降車の際も同じく12~13分、大阪で環状線乗り換えに要する時間が6~7分と、乗り換えに要する総所要時間が30分以上となるのである。
しかも、シンカンセンの自由席は「座れる保証がない」というか【のぞみ】ならほぼ確実に座れないし、また山の荷物の置き場に苦労する(大荷物所持者は、車両最後の席を指定して、荷物をその座席後ろに格納するように車内規範が改定され、デッキに置くと必ず車掌から文句を言われる)のである。
山のリュックのような重い荷物を網棚に乗っける
のは(20㎏を網棚に上げますか?って事)ムリだし
荷物棚はいつもトランクケースで満杯で背後の席が
取れなきゃシンカンセン乗れないジャン!
※ JR東海のウェブより
その大荷物所持者が予約必須の車両最後部の席は、グリーン車を除く15両で左右の2ヶ所・15×5席(スペースにすると15両で2ヶ所づつなので30ヶ所分)しかなく、混雑時はまず取れそうにないのである。
自由席なら3両分の15席(スペースは6ヶ所)のみだしィ。
しかも、指定席を取ると運賃・料金を含めて近鉄の名阪特急より2000円高いし、かといって鶴橋以南に住むワテならば、乗り換え時間とかを差し引くとシンカンセンとは15分程しか変わらないのである。
その近鉄は、乗車率は半分位で空いていて、しかも全座席指定なので必ず座れて、荷物専用デッキがあって山の荷物も収納できて、移動も鶴橋までの切符を買えば環状線連絡口のエスカレーターに近い所に停車する車両の席を取ってくれるので、移動の手間もほとんどないのである。
シンカンセンは近鉄の名阪特急より1時間速く新大阪に着くが、これらの待ち時間と新大阪から環状線に乗り換えて天王寺方面に出るまでの時間を差し引くと、その差は僅か15分程となるのである。
なので、最近は東京からの帰阪の際も、大阪の店屋(ヨドバシカメラや石井スポーツ〔山の用品店〕)に用がない限り、名古屋で近鉄に乗り換えているよ。
今はなき急行【きたぐに】に続いて
シンカンセンを打ち砕く
(早く着く)英雄が現れた
※ スマホ撮り
それに名古屋へ向かう行きも、天竜浜名湖鉄道の「カモメさんと『撮り鉄』」しに行って判った事だけれど、大阪から天竜浜名湖鉄道の新所原までは、シンカンセンより近鉄の方が早く着くのだよね。
それはシンカンセンの始発が遅い事と、在来線からシンカンセンの乗り継ぎは配慮されているものの、その逆は全くと言っていい程に配慮されてないしィ。
ちなみに、東海道本線の毎時1本しかない豊橋以遠行きが出た2分後到着だったりするのだよね。
恐らく、この「折り返し浜松行」となる列車の名古屋着には、シンカンセンはキッチリ接続しているモノと思われ・・。
・という訳で、ワテにとってシンカンセンってのは「あまり使えない」のだよね。 特に、乗り換えが増えて、前より遅くなったにも拘らず料金が高くなった『逆・逆転現象』の北陸や、赤字垂れ流しを在来線に責任転嫁する北海道なんかは・・。 それに旅人たるモノ(特にバックパッカー系)は、基本的に飛行機やシンカンセンが嫌いだし・・ね。
列車種別が発着番線によって
キッチリと区分けされている
近鉄では珍しいケースの駅だ
:
列車種別だけでなく編成の長さも
区切られて普通と準急は4両以上
増結される事は有り得ない
※ ウィキペディア画像を拝借
さて、その近鉄名古屋駅であるが、同じ近鉄でも到着番線がバラバラの上本町地上ホームと違って、種別ごとに発着ホームがほぼ定まっているのである。 しかも、列車編成の長さに応じて、ホームの長さも変えている念の入れようだ。 でも、ワテ・・、名古屋駅からは名阪特急しか乗った事ないので、名阪特急発着ホームの5番線以外に足を踏み入れた事がなかったりして。
ワテが近鉄名古屋駅で踏み入れるのは
いつも名阪特急が発着する5番線
※ ウィキペディア画像を拝借
そういえば、行きに伊勢中川で急行に乗り継いで名古屋に来た時は、名古屋駅の3番線(急行発着ホーム)に降りた事があるなぁ。 でも、名古屋線は大阪線と違って急行の本数が少ないので、クロスシート車に当たる確率が高いよ。
まぁ、都会の駅を語るネタは、ワテにとっては総じて話題性が貧弱なので、駅に関してはシンカンセンとの差を愚痴る内容しか書き記す事がないので、近鉄のこの手の話題でこの記事を締めようと思う。
約50年間走り続けた近鉄特急の雄
12200形『元』スナックカー
※ ウィキペディア画像を拝借
それは、ガキの頃に「お世話になった」っていうか、写真の撮り方と露出の知識を体得できたのが、今里駅での近鉄特急の『駅撮り』撮影である。
『撮り鉄』のウデを叩き込まれたのも
この時の『今里駅撮り』でっす
:
齢9~10でフルマニュアル・重さ800gの
レンジファインダーカメラで
手持ち撮影していたよ
その近鉄特急の押しも押されぬ主力が、この度定期運用から外れる12200形の元スナックカーである。
運用離脱直前には
「ありがとう特急12200形」
の看板が掲げられた
※ ウィキペディア画像を拝借
でも根性がモロに大阪商人の近鉄は
2代目ビスタカーで在籍した
18編成全てで廃車を迎える毎に
「さよなら運転」をした前科があるしィ
※ ウィキペディア画像を拝借
その後、スナックコーナーは運営元の近鉄・都ホテルの撤退で全車両から撤去されて、12200形はコレといって特徴のないタダの特急車両となってしまった。
特別な列車の雰囲気満点だった
アダルトチックなスナック・コーナー
※ 近鉄のウェブより
確か小学校の頃、近鉄の奈良行き特急に乗せてもらった時に、ワテはこのスナックコーナーを見た記憶がある。 営業していたかどうかは憶えてないけど。 ちなみに、運賃・特急料金は親類が出しているっていうか、ウチの親に限ってはそんなのは絶対に出さない人種だったしィ。
この『スナック・カー』のロゴは
ひと言・・カッケーすぎるよ!
※ 近鉄のウェブより
でも、あのスナックコーナーはカックイかったなぁ。 スナックコーナーの別窓と『Snack car』のロゴ・・。 コレ・・、ソソるわ。 そして、前面の特急を示すサインマークも良かったし、ハメ込みパネル式の行先表示板もカックイかったなぁ。 でも、電光表示幕になって、少しブサイクになったよ。
いつもは撮らないけど
12200形が近々引退するって
耳にしたのでスマホでお手軽撮影
:
けれど行先表示幕が電光になって
ますます平凡な容姿になったね
※ スマホ撮り
12200形の前面に掲げられた
『特急サイン』はやっぱりコレだよね
:
でも中坊の時に撮った『撮り鉄』写真が
今のウデを凌駕してるのは何故!?
それに、近鉄特急の伝統であるオレンジと濃紺のツートンから、見るも無残なキャラメルマン塗装(あの塗装を目にすると、どっかの製菓メーカーのキャラメル箱が頭に浮かんでくる)に変更となったよ。
12200形があの無残な塗装にならなかったのは、12200形にとっては少し幸運な事だったのかも・・ね。
このキャラメルマン塗装は
デザイナーのセンスを激しく疑ったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
今のデザイナーって、ワテから見るとホントにセンスないねぇ。 車・カメラ・鉄道車両・・と、ありとあらゆるデザインの全てがブサイクになってる気がするよ。 それはたぶん、パソコン上にあるグラフィクデザインを組み合わせるだけで、自身で創作したモノがないからだろうね。 自身で創作したなら、自然との調和や人の感性というコンピューターでは表現しきれない『要素』が入って、周囲と調和した落ち着いたモノとなるのだしィ。
正直言うと、今のデザインの車に購入意欲は湧かないが、昔のスカイラインのR32なんかは「買える買えない」は別として、一度は乗ってみたいと夢が見れたモノだよ。 鉄道車両でも同じ。 キハ20系列や統一されたツートン塗装の急行型車両・キハ58なんかは「遠く、ローカル線区まて追いかけてでも撮ろう」って気になったし、家の中をNゲージで走らせる空想を何度も夢見たけど、今の車両に旅に出張ってまで撮りに行く気は湧かないねぇ。
パソコンって便利なモノだけど、人の持つ創造性や創作力、空想力を殺す『諸刃の剣』でもあるよね。
創作デザインというカテゴリーが皆、無意識の内に極一部のプログラマーの思考に先導されて、それが押しも押されぬ『グラフィクデザイン』となってるのだから。
♪痩せたみたい~ね あおぞら号
※ ウィキペディア画像を拝借
そこには、進歩も革新も新たなる発見も有り得ないのである。 要するに全て「計算尽くの既存品」で、時が経って失敗を見直す事で偶然に化ける『偶然の奇跡』は、日の目を見ない内に「失敗として即消去」されてしまうからだ。 それは、失敗はすぐに消す「成功以外に有り得ない」システムのデジタルによって、画一的で創造性を感じられないつまらぬモノが量産される『デジタルの弊害』そのものなのである。
♪アイツはアイツは顔デカぁ~い!
浮き輪が上から入らなぁ~い!
というほどかつてはデカかったのに・・
:
デザインがデジタル技術に
「おんぶにダッコ」となってからは
笑いを誘う奇抜なデザインも無くなったね
だから、ワテが写真を知った時がフイルムで、本当にラッキーだったと思うよ。 自分の能力を自らで削ぎ落とすデジタルカメラのシステムは、そら恐ろしくて使えないわ。 パソコン技術に長けても、想像力を失ってしまうと残るのは虚しさだけなのだから。 それはパソコンのソフトウェアという、プログラマーの製作物に自分が創造したモノの全てを「おんぶにダッコ」させる事なのだし。 ワテには、それが自身の創作物とは到底思えないし・・ね。
G7が東京五輪開催を後押しした
のではなく呆れ果てて日本を
見放したと見るべきだろうね
これで調子に乗って開催して自爆したら
各国の首脳は「それ見た事か」と
手のひらを返すだろうよ
当然日本が感染爆発に陥っても
自国に飛び火しない事だけに
全力を尽くすだろうね
そうなれば日本は半分見棄てられるよ
外国なら国民を裏切って利権に走った
政治屋は必ず血祭りに挙げられるよ
まぁ日本は暢気すぎるよ
だから開催を進めた政治家や
開催を煽った奴(チョンのヒトモドキ)は
五輪の開催で日本が感染拡大に陥ったら
落選させるだけでは済まされないし
だんまりを決め込んで逃げる事も許されない!
「国民に対する重大な裏切り」として
必ずその命を持って責任を
取らせなければならないのだ
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