2021-06-13 (Sun)✎
『路線の思い出』 第446回 岩泉線・岩泉駅 〔岩手県〕
雛にはもったいないほどの
大きな駅舎だった岩泉駅
:
大きな駅でどう撮ればいいか
迷って中途半端なアングルに
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度(’13) / 営業係数(’09)
茂市~岩泉 38.4km 23 / 758
廃止年月日 転換処置 廃止時運行本数
2014年3月31日 東日本交通バス 茂市~岩泉 3往復
茂市~岩手和井内 1往復
ワテにとって国鉄型の気動車が
入っていた頃の岩泉線は
「日本最後のローカル線区」だったよ
※ ウィキペディア画像を拝借
岩泉駅(いわいずみえき)は、かつて岩手県下閉伊郡岩泉町中野にあったJR東日本・岩泉線の駅で、同線の終着駅であった。 2010年7月31日に押角~岩手大川で土砂崩れに列車が乗り上げる脱線事故が発生し、以降は岩泉線全線が不通となってバス代行運転となっていた。
その後は復旧に莫大な費用がかかる事からJR東日本が同線の廃止方針を打ち出し、復旧の手は着けられず放置されたままでバス代行運転が続けられていたが、2013年11月にJR東日本と沿線自治体が路線廃止に合意し、2014年3月末をもって岩泉線は正式に廃線となる。 この事によって、当駅も駅廃止となった。
単式ホーム1面1線であったが、一見すると島式交換形のホームだった。 だが、ホームの駅舎寄りには線路が敷かれておらず、駅舎より少し高い位置にあるホームと駅舎はスロープ階段でつながっていた。
これは、岩泉線が宮古線・小本駅(現三陸鉄道リアス線・岩泉小本駅)まで延伸する計画で建設された路線であって、小本への延伸がなった際には当駅を交換設備を備えた駅にする計画だったと推察できる。
駅の開業当初は時の運輸大臣
直筆の駅名碑が建立されるなど
肝入りの駅だったようだ
※ ウィキペディア画像を拝借
茂市駅管理の簡易委託駅で、駅舎の1階に『きっぷうりば』があって岩泉からの切符(常備券)を発売していた。 また、JRバス東北の早坂高原線で盛岡駅まで出て東北新幹線を利用する利用客の為に、盛岡から仙台・大宮・東京(都区内)までの片道乗車券と新幹線指定席特急券(料金補充券)を発売していた。
だが、列車が発着するのは朝晩だけだった為に、係員は日中時間帯はほとんど不在であった。
1日平均乗車人員は、2009年の列車運行時(土砂崩れによる脱線事故で運休となった前年)は22人、バス代行後の廃止前年で17人であった。
駅舎の2階に岩泉町観光協会と岩泉商工会が併設されていた為、列車本数が朝夕3往復のみと極めて少なかった岩泉線にあっては、二階建ての大きな駅舎だった。 また、JRバス東北の乗務員休憩所も入居しており、早坂高原線の夜間滞泊に使用されている。 バス車両は、岩泉消防署前のバス専用駐車区画に留置している。
廃止後の駅舎内は岩泉町の
商工会の物置となっていたよ
※ スマホ撮り
岩泉線廃止後も駅舎は解体されず、岩泉商工会・JRバス東北が引き続き利用している。 かつて入居していた岩泉町観光協会は龍泉洞付近に移転している。 国の天然記念物に指定されている龍泉洞の最寄り駅(徒歩30分、バスで10分ほど)となっている。
民家が見える高台にあった
二升石駅跡
:
岩泉町は岩泉駅から
国道に沿って二升石までが
町の市街地となっている
また、岩泉町の中心市街地は国道455号(小本街道)に沿うように展開していて、商店街やスーパーもある。 当駅はその国道455号より、岩手県道221号・岩泉停車場線で小本川に架かる橋を渡った先にあった。 「周囲を緑に囲まれた静かな山間の駅」として、『東北の駅百選』に選定されていた。
駅舎は残され引き続き
旧テナントに使用されているが
使用されない駅ホームは
原野に回帰し始めていた
表題では『岩泉駅』にしたのだが、列車で立ち寄ったのは遠く・・、初めて岩泉線に乗った35年前の小僧の時以外に無いのである。 その時はさして駅には興味がなかったし、有人駅だった事もあって写真は撮らず終いとなっていた。
川の氾濫で沢に架かる橋が流失して
たどり着けない秘境駅となった押角駅跡
そして、この岩泉を訪れた目的は秘境駅・押角(当時は、まだ『鉄』の趣味・カテゴリに、秘境駅めぐりの概念がなかったけど)での『撮り鉄』と、我が国の三大洞窟である龍泉洞への探勝だった。
岩泉線での主要宿だった
岩手刈谷駅は
撤去されて更地となっていた
でも、龍泉洞への入場料が怖くて、その費用を捻出する為に前夜は岩手刈谷駅で駅寝し、朝の始発の岩泉線(30年前当時は1日4往復あった)に乗って、龍泉洞へは歩いて往復したのである。 龍泉洞は足早に見学して早めに岩泉駅に戻って、茂市行きの2番列車に乗って押角に出て、下り(岩泉行)3番列車を撮って、上り3番列車に乗って岩泉線の行程を終える一見すると過密スケジュールな計画を立てたのであった。
押角駅がかつてスイッチバック駅
だった遺構も撮れたよ
だが、岩泉線の列車が1日4往復しかないが為に、空き時間を有効に使う意味では『ベストチョイス』な計画だったのですね、これが・・。 それは。朝の始発1往復の後は、昼前まで列車がなかったのである。 従って、歩いて龍泉洞の往復&探訪は「いい時間潰し」となったのである。
初日は岩手刈谷付近で
「春遠からじ」な情景を
それで初日に岩手刈谷付近と押角で『撮り鉄』、2日目に龍泉洞探訪と押角で2度目の『撮り鉄』と、文で書き記すと神業的な計画が成し得たのであった。
2日目は秘境駅・押角で
峠を越えてきた列車の
『一番星』をゲットできたよ
でも、これが可能だったのは1986年のダイヤ改正(というより改悪)で1往復減便されるまでで、3往復だと絶対にムリですね。
減便されて3往復となってからは
ひと所での『撮り鉄』が精一杯だったよ
その3往復となった末期も、車両が国鉄型気動車・キハ52が行き交っていた時に訪れているが、その時は駅寝をしてでも『撮り鉄』が手一杯で岩泉への往復も端折ったので、現役時代に岩泉を訪れたのは文の冒頭で記したが如く、30年前の一度きりとなってしまったのである。
その後に災害で不通となり
放置のままで廃止となり
この夜の『一番星』が岩泉線での
『お宝写真』となってしまった
そして、その間に列車が土砂に乗り上げる災害が発生して不通となり、輸送密度が46人/キロと日本一の閑散線廃止となった路線に、JR東日本が多額の費用をかけて復旧させるハズもなく、3年半の放置の末に2014年3月末をもって路線廃止となったのである。 そして、廃止となって久しく時が経った去年の5月連休に、この岩泉線を訪ねる機会がやってきたのである。
岩泉線の線路が残るのは
観光レールバイクとして利用されている
岩手和井内~中里の区間だけだった
でも、廃止代替のバスも「利用客がいない」事から路線バスも早々に撤退し、岩泉町が集落ごとに運行する形式のコミュニティバス化されて、岩泉線が通じていた押角峠は公共交通機関皆無となっていた。
そして、岩泉線の廃線の遺構も、観光レールバイク化された岩手和井内~中里以外の線路・設備は撤去されるか廃墟となっていた。
地元・浅内地区の熱意により
撤去されずに残されたという浅内駅舎
でもホームは
放置プレーで荒れ始めていた
完全に原野に回帰した中に
駅名標の枠がポツリの岩手大川駅跡
だが、物置となった浅内と雛には勿体ない大型駅舎だった岩泉駅の駅舎は撤去されずに残されたのである。 恐らく、岩泉駅は巨大過ぎて撤去費用がが掛かり過ぎる事から、元から使われていた町の商工会の物置とバスの営業所がテナントとして入っていて、駅前はバス乗り場兼バスの転回場と駐車場となっていた。
岩泉駅の『名所案内』に
記載された距離は
車がないと立ち寄るのはムリですネ
※ ウィキペディア画像を拝借
この時は、岩泉線の遺構めぐりと35年ぶりの龍泉洞を主目的にやってきたのである。 特に龍泉洞は、写真を1枚も撮れずに「訪ねただけ」に終わった35年前の『リベンジ』のヤボーを抱いていたのである。
そう・・、「透きとおるエメラルド・ブルー」の地底湖を是非ともゲットしたいと、意気込んで訪れたのである。
エメラルド・ブルーの輝き・・
是非とも撮りたかったよ
※ 楽天トラベルより
駄菓子菓子・・、ホント駄菓子菓子!、『武漢ウイルス』が蔓延の兆しを見せて最初の『緊急事態宣言』が発令された中で、龍泉洞も「他府県から訪れる観光客による感染拡大防止」の為に、この年の5月連休中は閉鎖されていたのである。
国民に苦難を強いるなら
為政者こそ更に襟を
糺さねばならんだろうに
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、なら・・なんで、この時より10倍以上の感染拡大となった今年に、更に感染拡大の多大なリスクである東京五輪を開催するんだよ! それも、国民には「オマエらは感染拡大原因となるので店を閉めろ!」、「外を出歩くな!」、「オマエら商店が潰れようが、感染患者が増えようが一向に構わないし、人の命より巨大利権・東京五輪という国家プロジェクトが優先されるのだ!」、「オマエら民間人は、国家プロジェクトの開催と利権確保の為の肥しとなれ!」と宣っているのである。
その観光レールバイクも
当時の『緊急事態宣言』
発令の為に閉鎖中だった
:
生活・生存権の規制で
国民が窮乏する最中に
オリンピック利権の為だけに
日本の国を潰し日本人の命を危機に陥れる
日本人成り済ましのヒトモドキ共がいる
もし、ワテが商店の経営者なら、東京五輪の開催を煽る奴をコロ▽たくなるね。 日本のイチ国民としても、不条理に掛替えのない命が危険に晒される事に憎しみしか感じないよ。 タダが数十億という利権の為に商店主を始めとした国民の生活・生存権を奪い、新たに感染源を呼ぶ東京五輪は真に日本国と国民の死を呼ぶ厄疫なのである。 それに、「日本人の命より五輪の開催」と、東京五輪の開催を煽る輩に日本人の素質を感じない。 つまり、このヒトモドキ共は、『在日チョンの日本人成り済まし』だと確信している。
こんな国民を苦しめるだけの厄疫・東京五輪は去年の内に中止を決定し、その時間・金・人材・パワー・思考をワクチン接種などの感染拡大防止とウイルス厄災終息に向かわせていれば、今頃一般国民の半数以上にワクチン接種が行き渡り、マスク無しの状況に差し掛かっていたかもしれない。 マスク無しの状況となると、商店の営業再開にも拍車がかかり、経済の復活期に踏み込む事ができたであろうに。
櫃取湿原までの道中には
大川七滝という河床瀑があった
この事になるとアツくなるのでこれまでに止める事にして、龍泉洞がダメだったのでガッカリして岩泉線の遺構めぐりに向かったのだが、押角峠に向かう国道340号線の道路標識に『櫃取湿原48km』とあるのが目に入って、距離は有り過ぎるものの「ただ単に通り抜けるよりはマシ」と立ち寄ってみる事にしたのである。
距離は大阪~京都以上に遠かったが
満開のミズバショウ花咲く楽園だった
これが「大当たり」で、ミズバショウが満開の絶景の秘境だったよ。 この約50kmの往復で、龍泉洞に立ち寄る事でかつての4往復時代の岩泉線での『ヒマ』な時間をやり過ごしたのと同じく、旅の時を有効に・・、しかも秘境で満開のミズバショウに出会える「旅での至福の1日」を堪能できたよ。
それでは、満開のミズバショウがおりなす絶景にて記事を締める事にしよう。
真に手付かずの自然に咲く
ミズバショウに出会えたよ
真に感動の処女地だった櫃取湿原
政府というより国を滅ぼす東京五輪の
開催を推進する『日本会議』所属議員の
子飼いの犬に成り下がった読売新聞が
「東京五輪開催に賛成する国民が
50%を超えた」と報じた
コレに日頃は「マスゴミは嘘報道ばかり」と
ホザいていた『天皇信奉右翼』のヒトモドキ共が
「国民の過半数が五輪の賛成に同意した」
「我が意を得たり」と大ハシャギしている
だが『武漢ウイルス』の感染拡大が
終わらない中で開催する
意義に対して確たる説明もなく
また「感染者ゼロの日を記録した」など
終息へ向けての確たる動きもなく
一般国民へのウイルス接種も始まらない状況で
何ら国民の意志が賛成に回るソースも示されぬまま
賛成が20%伸びて中止が15%減じて逆転するとは
盛っている(世論操作)以外に
有り得ないだろうがよ
それをハシャグこのヒトモドキ共は
間違いなく『チョンの日本人成り済まし』だわ
それにこの世論調査では
どこでどれだけの数が調査対象となった
とかの調査方法に関するデータが
一切示されていないのだ
真に日本を乗っ取る巨悪が
日本の国を貶める為に情報操作という
国家反逆罪級の犯罪に手を染め始めたよ
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