風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道 第57回 一畑電気鉄道・広瀬線

廃線鉄道  第57回  一畑電気鉄道・広瀬線 〔島根県〕

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広瀬線を行き交っていた
路面電車スタイルの車両
※ ウィキペディア画像を拝借

一畑電気鉄道・広瀬線(いちはたでんきてつどう・ひろせせん)は、かつて国鉄(現 JR山陰本線)荒島駅(島根県安来市)から、島根県能義郡広瀬町(現 安来市)にあった出雲広瀬駅との間を飯梨川沿いに結んでいた一畑電気鉄道の鉄道路線である。

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戦国屈指の堅牢な山城だった
尼子氏の居城・月山富田城址
※ ウィキペディア画像を拝借

戦国時代屈指の山城で、出雲国の戦国大名・尼子氏の居城であった月山富田城の城下町として栄えた広瀬は、江戸時代初頭に現在の島根県の県都・松江に繁栄を奪われて、以来は国鉄・山陰本線も町内を通る事がなく、近世(明治・大正時代)は没落の途についていた。

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城址公園に立つ
尼子氏の勇将・尼子経久公像
※ ウィキペディア画像を拝借

昔の繁栄(かつての出雲国の国府は広瀬に置かれ、月山富田城が築かれた中世より守護の居城は月山富田城となっていた)を取り戻したいと考えた広瀬地区の住民によって、山陰本線と広瀬を結ぶ鉄道が計画され、大正時代末期に広瀬鉄道を設立した。

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広瀬線の起点駅だった荒島駅
飯梨川を渡る建設費が捻出できず
「松江により近い」という理由付けで
町外れの荒島が起点駅となった
※ ウィキペディア画像を拝借

通例ならば能義郡の中心地である安来駅を目的地とするが、資金面の問題から飯梨川を渡る鉄橋建設が困難だった事や建設距離が短くて済んだ事、そして島根県の県庁所在地・松江との往来を念頭に置いた為に、接続駅を安来駅より1駅松江寄りとなる荒島駅に設定する。

地形的に困難な場所はなかった為に建設は短期間で済み、昭和時代初頭に開業して島根県では一畑電気鉄道の北松江線に次いで2番目に電車の走った路線になったのであるが、当初は旅客・貨物がそれなりにあって順調な経営状態だったこの路線も、時代の波に翻弄される事になる。

第二次世界大戦中には、国策によって鳥取県米子市から南方に路線網を有し、島根県能義郡伯太町(現:安来市)にも乗り入れていた(但し、県境を越えていた法勝寺線の支線・母里支線は、戦時不要不急路線として休止状態〔後に再開されないまま廃止〕にあった)伯陽電鉄(現、日ノ丸自動車)と合併して山陰中央鉄道の広瀬線になった。

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本線格の北松江線では
大型車両が導入されるなど
時代に応じた近代化がなされたが
営業不振に陥った広瀬線は
廃止する方針が打ち出されていた
※ ウィキペディア画像を拝借

戦後は独立して島根鉄道と名乗ったものの、戦後間もなくに経営難から一畑電気鉄道に吸収されて、同鉄道の広瀬線になった。 しかし、モータリゼーションの波や沿線の過疎化で乗客・貨物共に減少し、年を経るごとに老朽化する施設の更新もままならない状態となっていた。

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広瀬バスターミナルに残っていた
旧出雲広瀬駅の駅舎
広瀬の市街地にある
バスターミナルへの移設当初は
駅名を示した文字板はそのままだった
※ 『バス車庫めぐり』より

一畑電気鉄道の1路線となって間もなくの一畑電気鉄道の株主総会で、施設の老朽化が著しく経営状況も芳しくない為に、当路線を廃止してバスに転換するという決議がなされる。 そのことを知った広瀬地区の住民は、「道路事情が悪い」「バスでは定時運行できるかどうか疑問」「バスの運賃のほうが高いので経済的な損失も大きい」などと主張して何年にも渡って強硬な廃止反対運動を展開し、島根県にも調停を要請した。

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路線廃止を前提としていた
広瀬線は旧態依然の車両のままで
運行がなされていた
※『鉄道ファン・半世紀の歩み』より

しかし、広島陸運局(現:中国運輸局)が保安監査を行った所、鉄道としての存続は困難という結論を出した事で地域住民側も折れて、1960年6月20日に路線廃止となった。 鉄道が存在した期間が32年と。短命に終わった路線であった。

なお、広瀬から南下して国鉄木次線出雲横田駅に出る延伸構想もあったが、同じく吸収合併で一畑電気鉄道の1路線になった立久恵線(旧、大社宮島鉄道→出雲鉄道)とは異なって、具体的な動きはないまま消滅している。

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一畑電気鉄道・広瀬線の予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
路線距離(営業区間):荒島~出雲広瀬 8.3km、軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:全線(直流600V)
駅数:12(始点駅含む)〔荒島〕・仲仙寺・西赤江・西中津・田頼・小原・飯梨。植田・鷺ノ湯・
            鷺湯温泉前・温泉前・出雲広瀬
  ※ 飯梨・出雲広瀬のみ停車場で、残りは全て停留場だった
    また、唯一の交換可能駅は飯梨であった
運行本数:1日12往復で、所要は全線で25分だった

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広瀬線の最新鋭車両だったデハ6号機
※『鉄道ファン・半世紀の歩み』より

   一畑電気鉄道・広瀬線 年表
1924年(大正13年)  9月25日   鉄道免許状下付(能義郡荒島村~同郡広瀬町・動力蒸気)
1925年(大正14年)11月  2日   広瀬鉄道株式会社設立
1928年(昭和  3年)  7月24日   荒島~出雲広瀬  開業 開業当初から電化
1929年(昭和  4年)  4月18日   西中津  開業
           6月  8日   植田→鷺ノ湯と駅名改称
           6月21日   植田・温泉前  開業
1933年(昭和  8年)12月15日   仲仙寺・小原  開業
1944年(昭和19年)10月31日   伯陽電鉄と合併して、路線名称を山陰中央鉄道・広瀬線に改称
1946年(昭和21年)~1952年(昭和27年)にかけて、 西赤江・小原・鷺ノ湯・温泉前の各駅を廃止
1948年(昭和23年)  4月  1日   山陰中央鉄道から独立して、島根鉄道と改称する

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現在の一畑電気鉄道は
北松江線の1路線のみだが
かつては広瀬線と立久恵線の
計3路線を有していた
※ ウィキペディア画像を拝借

1954年(昭和29年)12月  1日   一畑電気鉄道に吸収合併され、路線名称が一畑電気鉄道広瀬線と改称
                される
1955年(昭和30年)  6月21日   温泉前駅を鷺湯温泉前に改称
1957年(昭和32年)  4月    一畑電気鉄道の株主総会で路線の廃止が決議される
                この事を契機に沿線住民による反対運動が起きる
1959年(昭和34年)10月    広島陸運局(現:中国運輸局)の保安監査で存続は困難という結論が
                示される
1960年(昭和35年)  4月28日   島根県が示した調停案(鉄道は廃止するが、跡地は地元に寄付する事
                、並行して通る島根県道180号・広瀬荒島線の整備を推進する事)に
                会社側・住民側双方が妥結し、廃線合意書に調印
           6月20日   全線廃止

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貨物輸送は電動車が貨車を
牽引する形で行われていた
※『鉄道ファン・半世紀の歩み』より

  輸送実績
第二次大戦最中の1943年がピークで、年間輸送人員は59万1千人(1日あたり1619人)と、都市部を通らない事から業績は振るわなかった。 戦後に入ると、設備の老朽化の補填費用が出せないなど、深刻な経営難に陥っていた。 貨物は1955年の年間17650トン(1日あたり48.4トン)がピークであった。

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広瀬線の主力であったデハ1形
※ ウィキペディア画像を拝借

  車両
  電車
保有車両は、全てトロリーポール集電方式の両運転台の制御電動車で、屋根はダブルルーフの木造車であった。
 デハ1形(デハ1・デハ2)
開業時に蒲田車輛で新造導入された車両で、台車はブリル製四輪単台車を装備していた。
前照灯は、前面中央の屋根側に装備されていた。 広瀬線廃線時に廃車。
 デハ5形(デハ5)
開業翌年の1929年に予備車確保のため名岐鉄道(現・名古屋鉄道)より譲受した車両。 名古屋電気鉄道当時に新製されたデシ500形・502である。 前照灯は前面中央下部に装備していた。 デハ6入線に伴って1948年に客車代用となったが、1955年8月に廃車された。
 デハ6形(デハ6)
山陰中央鉄道時代の1947年に、名古屋鉄道より譲受した元尾西鉄道デボ102のモ100形102で、広瀬線の車両で唯一のボギー車である。 法勝寺線(後の日ノ丸自動車法勝寺電鉄線)に導入されたモ103(法勝寺線デハ6→デハ205)と1両ずつ配置され、廃線時まで使用された。 前照灯は前面中央の屋根側に装備。
 客車
客車は電車が牽引していたので、運用実態としては後付付随車であった。 2両存在した。
 貨車
有蓋車2両・無蓋車3両・有蓋緩急車2両の計7両が在籍していた。 いずれも木造車であった。

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安来市のコミニュティバスは
白ナンバーのマイクロバスの委託運行だ
※ ウィキペディア画像を拝借

  廃線跡と代替バス
線路跡のほぼ全てが、島根県道180号・広瀬荒島線の道路拡張用地として収用されている。 代替バスは安来市が委託運行するコミニュティーバス・通称〔イエローバス〕で、ほぼ全区間を廃線跡を拡張した島根県道180号・広瀬荒島線(この県道の一部は国道432号線と供用)を通っている。

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出雲広瀬駅の旧駅舎が
バス待合所として使用されているが
このバスターミナルは
旧駅跡地とは別の所にあって・・
※ 『バス車庫めぐり』より

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出雲広瀬駅舎であった事を示す
駅名を示す文字看板を削った跡
※ 『バス車庫めぐり』より

遺構としては、安来市の運行するコミニュティーバス〔イエローバス〕の広瀬バスターミナルで、旧出雲広瀬駅の駅舎がバス待合所として使用されている。 だが、このバスターミナルは、出雲広瀬駅のあった場所から1km程南に下った市街地にあり、出雲広瀬駅から移設されたものと思われる。


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日本の国と日本人の命
ひいては自身の命を守る為に
小さくとも行動に移そうかと考えている

それは地元・大阪選挙区の自民党議員に
五輪開催の中止を訴える事である
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確実に何百何千の単位で死者が出る
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この状況下で開催する意義・理由の説明もなく
「やっても影響は軽微」という誤魔化しだけで
魔の選択である五輪が開催されたなら

参加選手や関係者など一部の人間のみが
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国民は後回しにされる事は確実で
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それがチョンの日本人成り済ましの
天皇信奉右翼が求める状況であり
開催を推進する自民党議員のほとんどが
天皇信奉右翼の総本山である
『日本会議』に所属しているのである


ワテを皮切りに今まで沈黙している人も
反対の意志を表明して欲しい
そう・・日本人の命とこの国を守る為に

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天皇信奉右翼共の
日本乗っ取りを阻止する為に





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