風来梨のブログ

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廃線鉄道 第56回 大分交通・豊州線

廃線鉄道  第56回  大分交通・豊州線 〔大分県〕

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根室拓殖鉄道で見た事のある
エンジンを前面に埋め込んで
「チワワ」顔となった単端
※ 宇佐市民図書館のウェブサイトより

大分交通・豊州線(おおいたこうつう・ほうしゅうせん)は、かつて大分県宇佐郡高家村(現 宇佐市)の国鉄・日豊本線の豊前善光寺駅から、同郡四日市町(現 宇佐市)の豊前四日市駅を経て、同郡東院内村(現 宇佐市)の豊前二日市駅までを結んでいた大分交通の鉄道路線である。

当初から経営は苦しく、少ない客貨の輸送量の上に自動車の攻勢と久大本線の開通で収入は減少し、さらに自然災害にも苦しめられた。 元々、玖珠郡玖珠町まで路線を延ばす予定であったが、経済的理由から放棄された。 累積赤字を抱えバス代行にした矢先に、ルース台風の被害によって路線廃止となった。

豊州線は国鉄・日豊本線の四日市駅(豊前善光寺駅)を起点とし、高家・八幡・四日市町・豊川・両川を経て安心院村までの軽便鉄道を敷設し、将来は日出生台にある陸軍演習場(現在は陸上自衛隊・日生台演習場)に延長する路線延伸計画を地元有志が立案した事が始まりであった。

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この鉄道に勢いがあったのは
路線建設時の「夢が見れる時」
だけだったかもしれない
※ 『廃線跡を訪ねて』より

1911年7月に鉄道免許状が下付され、会社設立に向け株式募集を進める。 翌1912年5月28日に創立総会を開催し、名称を日出生鉄道(資本金を30万円)として起業する。 1913年2月15日より敷設工事を着工し、1914年3月に発注していた機関車2両・客車2両・貨車8両が到着すると敷設工事用の列車として使用した。

3月31日に新豊川まで完成し、鉄道院の竣工監査を合格すると、5月に豊前四日市~新豊川が開業となった。 その後延伸開業を繰り返し、1922年2月に豊前二日市まで開通したが、安心院村までの敷設免許は失効した。 開業したものの経営は苦しく、社長交替や減資を繰り返した。

1926年に乗合自動車(路線バス)に対抗するべく、ガソリンカーを導入して増発するもの経営は好転せず、さらに1929年12月に久大本線が豊後森駅を開業した事によって、日出生台行きの貨物は皆無となった。

そんな苦しい経営状況の中で社長に就任したのが、当時相模鉄道の社長であった南俊二であった。
南は1929年4月に社長に就任すると豊州鉄道と社名を変更し、軌間を国鉄と同じ1067mmにする為に資本金を50万円(前年に資本金3万円まで減資していたので、47万の巨額増資となった)にして再建に乗り出す事となった。

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ヤリ手の経営者を招聘して
会社の立て直しを図るが
マネーロンダリングに失敗して
資産を処分するハメに
※ 『廃線跡を訪ねて』より

なぜ、巨額増資を行ったかというと、新社長・南の狙いは「ハイリスクを承知で不振企業に照準を合わせ、最安値で株式を取得し経営権を握り、強引に整理を推進して株価急回復後に売り抜けて、短期間に極大の利鞘を狙う」事にあったのである。 ところが不況で思うように事が運ばず、南の投資は失敗に終わって1931年1月に社長を退任している。

また豊州鉄道は、同年上期に債務不履行の為に、債権者である日本勧業銀行より競売に付せられる事となった。 だが、競売価格が僅か11万円と評定された為、保有機関車やガソリンカーの処分による整理を図り、勧銀の債務額を除いた借入金及び未払金を桐田益夫ら旧重役3人で弁済する事になった。

南の騒動の後、前任の日出生鉄道社長の桐田が復帰したがまもなく過労と心労から死亡し、後任社長は京王電気軌道取締役で四日市町出身の渡辺孝が就く事になった。 その後、終戦直前の1945年4月に大分交通に合同し、大分交通・豊州線となる。

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線路跡は国道の拡幅用地として
収用されるかサイクリング道化された
※ 『廃線跡を訪ねて』より

だが、その後も業績は振るわず、また会社合同先が本業がバス事業の大分交通だったが為に、鉄道貨客のバス路線への誘導の経営施策が取られたのである。 こうして、終戦より6年後の1951年1月に、鉄道は混合列車1往復のみの運行とし、他は全て自社の代行バスとする事となり、同年8月には貨物もトラック便へと引き継がれていった。

そんな鉄道事業の整理に乗り出した矢先、10月にルース台風が九州を襲い、拝田~三又川に架かる第2駅舘川橋梁の橋脚が倒壊する被害を受け、1日1往復の混合列車も全面運休となる。 そのまま復旧は見送られて2年ほどの放置の末、1953年9月末をもって正式に路線廃止となったのである。

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大分交通・豊州線の予想路線図 その1
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
路線距離(営業区間):豊前善光寺~豊前二日市 15.5km
駅数:9 豊前善光寺駅・城・豊前四日市・新豊川・拝田・鷹栖観音・三又川・香下神社前・香下・
      円座・豊前二日市
軌間:762mm(特殊狭軌線)、複線区間:なし(全線単線)、電化区間:なし(全線非電化)

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大分交通・豊州線の予想路線図 その2
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

   終戦直後まで
運行本数:豊前善光寺~豊前二日市 11往復(他に朝に1往復、豊前善光寺~豊前四日市の区間便アリ)
所要時間:全線55~69分
  1950年5月当時
運行本数:豊前善光寺~豊前二日市 6往復
所要時間:全線76~78分
  1951年1月より
貨客混合列車が日に1往復、他は自社代行バスによる振替
同年10月のルース台風被害によって全線運休となり、2年後の1953年9月に路線廃止された

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第1駅舘川橋梁
ルース台風ではこの橋は落ちずに
小さい方の第2駅舘川橋梁が崩落した
※ 宇佐市民図書館のウェブサイトより

  輸送実績
終戦直後の1945年がピークで、年間輸送人員は38万8千人(1日あたり1063人)と、業績は振るわなかった。 貨物は戦前1922年の年間15220トン(1日あたり41.6トン)がピークであった。

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開業行事で賑わう豊前二日町駅
※ 宇佐市民図書館のウェブサイトより

  大分交通・豊州線 年表
1911年(明治44年)  7月 18日  鉄道免許状下付(高家~安心院)
1912年(明治45年)  5月 28日  日出生鉄道(ひじゅうてつどう)株式会社設立
1914年(大正  3年)  5月 23日  日出生鉄道により、四日市(後の豊前善光寺)~新豊川が開業する
1915年(大正  4年)  2月   2日  城井駅を城駅に改称
            12月  6日  新豊川~三又川 開業
1918年(大正  7年)  6月 10日  鉄道免許取消(宇佐郡東院内村~同郡安心院村)
1919年(大正  8年)  4月 26日  三又川~円座 開業
1921年(大正10年)  6月 16日  鉄道免許状下付(宇佐郡東院内村~同郡安心院村)
1922年(大正11年)  2月   4日  円座~豊前二日市 開業
1923年(大正12年)  7月 19日  鉄道免許失効官報掲載(指定の期限内に宇佐郡東院内村~同郡安心
                院村間の工事施工認可申請を為さざる為)
1924年(大正13年)  2月   1日  四日市駅を豊前善光寺駅に改称
1925年(大正14年)  1月   1日  四日市町駅を豊前四日市駅に改称
1929年(昭和  4年)  4月 24日  豊州鉄道と改称
1929年(昭和  4年)  5月 13日  競売期日決定
1945年(昭和20年)  4月 20日  大分交通へ合同し、大分交通豊州線となる
1951年(昭和26年)  1月 10日  業績不振の為、列車運行は混合列車1往復とし、他は全てバス代行
                運転とする
            8月11日  トラック便により貨物代行となる
          10月14日  ルース台風により拝田~三又川に架かる第2駅館川橋梁の橋脚が倒壊
               し全線休止となる
1953年(昭和28年)  9月30日  正式に全線廃止となる

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単端式エンジンを撤去され
客車化したジ3号機

  車両
 機関車
タンク型蒸気機関車を数両保有。 1931年に当時の社長による投資失敗で、機関車2両を処分している。 ガソリン機関車を試作導入したが、能力父祖真菜上に故障がちで導入後8年で廃車となり失敗に終わっている。

 客車
数両保有。 1931年の投資失敗により、数両が処分された。

 ガソリンカー
1926年より、単端式ガソリンを3両導入。 1931年の投資失敗で1両処分。 他2両は客車化。 1931年以降に両運転台式のガソリンカー3両を導入し、路線廃止まで在籍。

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駅跡のバス停には
駅名標型の駅跡碑が
立てられている
※ 『廃線跡を訪ねて』より

  代替バス
現在の代替バスは、同社バス系列(大分交通100%出資の子会社)の大交北部バスが、豊前善光寺~四日市と四日市~二日市~安心院の2系統に分けて運行している。


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日本の国が感染爆発に陥るのが解っていて
『日本人憎し』『国の体制を我が物にしたい』
という思想で日本を自爆に導く
東京五輪の開催を煽る在日チョンの
日本人成り済ましのヒトモドキ共

このヒトモドキ共は「アカヒ新聞が
反対してるから」とか「反対するのは
全て反日パヨク」と決めつけ
開催を煽るべく署名活動までしている

そして「もし五輪が開催されない
なら賠償金は反対した者の
税金で支払え!」と宣っている

なら五輪開催という魔の選択によって
日本人が倒れ命を失ったなら
開催を煽ったこのヒトモドキ共に
全責任を負ってもらおう

日本の国が感染爆発により
国民が命の危機に晒されるのが
解っていて開催を煽ったのだから
刑法で言う扇動罪が適用されるだろう

もし五輪開催という魔の選択で
感染者や死者が増えたらこのヒトモドキ共の
扇動罪の適用を求めていこう
扇動罪は国家反逆罪の一つで
有罪は極刑しかない刑罰だ

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感染拡大で死者が増えたならば
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開催を煽るPONCOとかいう天皇信奉右翼共
には必ず責任を取ってもらおう








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