2021-05-29 (Sat)✎
『路線の思い出』 第444回 日高本線・荻伏駅 〔北海道〕
他の貨車駅舎とひと味違う
貨車駅舎だった荻伏駅
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
苫小牧~様似 146.5km 185 / 812
運行本数(’10)
苫小牧~様似 下り5本・上り6本 静内~様似 下り2本・上り1本
苫小牧~静内 下り3本・上り2本(内1往復 土日運行)
苫小牧~鵡川 2往復(土日上り1本増便) 浦河~様似 1往復
※ ’15年の高波による土砂流出の為、鵡川~様似 代行バス運行
運行休止後もそのまま佇んでいた
荻伏駅の駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借
荻伏駅(おぎふしえき)は、北海道(日高振興局)浦河郡浦河町荻伏町元浦河にあったJR北海道・日高本線の駅である。 2015年1月の高波による路盤流失で、鵡川~様似が長期運休となって代行バスの運行となっていたが、JR北海道と沿線の7町とが鵡川~様似の長期運休区間の廃止バス転換に合意した為に、2021年3月末をもって同区間は路線廃止となり、それに伴って当駅も駅廃止となった。
単式ホーム1面1線を有した駅で、ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側)に存在した。
転轍機を持たない棒線駅となっていたが、かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。 駅舎側が上りの1番線・駅舎と反対側が下りの2番線となっていた。
かつての荻伏駅は立派な木造駅舎を
有する交換可能駅だった
※ 『北海道690駅』より
使われなくなった旧2番線は、交換設備運用廃止後も苫小牧方の転轍機が維持されて、側線としてホーム様似寄りの端まで線路が残っていた(但し、転轍機の先の部分に車止めが設置され、ホームは撤去されていた)が、その線路も1993年頃に撤去された。
貨車駅舎には地元の高校美術部の
イラストが描かれていた
静内駅が管理していた無人駅で、駅舎は構内の南西側に位置し、ホームとは通路で連絡していた。
有人駅時代の駅舎は撤去されて、ワフ29500形有蓋緩急車を改造した貨車駅舎となって、出入口扉がアルミサッシに変更されていた。 貨車駅舎の塗色は浦河高校美術部の生徒の手によるイラストが描かれていた。 また、正面から見て駅舎右側斜め向いに、別棟でトイレ棟を有していた。
貨車の乗務員室部分を改装した
切符売り場窓口を設けて
乗車券を販売していた
※ ウィキペディア画像を拝借
長い間簡易委託駅(近隣の個人の受託)となっていて、駅舎内の貨物室部分の一番奥の場所に管理人室を設けて乗車券を発売していたが、2011年5月に受託者高齢の為に終了した。 受託者は、1940年から当駅に勤務していた元国鉄職員の夫婦だった。 国鉄退職後も簡易委託の受託者として勤務し、駅の管理も行っていた。
『道の駅・みついし』で売っていた
日高本線の乗車券セット
:
1駅2枚セットで1000円とチト高いが
売上の一部は日高本線の復旧の為に
寄付されるという事で購入したよ
駅名の由来は当駅の所在する地名からで、地名はアイヌ語の「オ・ニ・ウシ」(そこに木の多い所)、つまり当地周辺が『森』であった事に由来する。 2014年(被災運休前)の1日平均乗車人員は37人との事。 2019年(被災後の代行バス運転)の1日平均乗車人員は15人との事である。
荻伏集落は、浦河町内では役場のある浦河駅周辺に次いで第二の規模の集落で、役場支所が置かれている。 また、郵便局や農協の支所もあるなど小規模ながら市街地を形成しているが、当駅はその荻伏集落の中心街からは少し離れていた。
2015年1月の高波被害で
長期運休となって
それ以来放置され続けた荻伏駅
※ ウィキペディア画像を拝借
長期運休から目線廃止までの経緯は、2015年1月8日に厚賀~大狩部で高波の被害を受けて、列車の運行が休止となる。 同年の1月27日に当駅を含む静内~様似の区間運行を再開したが、1ヶ月後の2月28日に被災区間の厚賀~大狩部間で土砂流出が進行し、静内より先への車両の回送が不能(それまでは土砂流出区間を最徐行で回送していた)となって、鵡川~様似の列車の運行が休止となる。
風光明媚な所を通る区間は
自然災害に対して脆いのは自明の理
運行休止後は、路線復旧に多額の費用がかかる事から経営難に陥っていたJR北海道が路線の復旧を拒否し、被災したまま長年放置状態となっていた。
長期の運休で風雨に晒され
設備が朽ち果て
もはや復旧が不能となった
その間に相次いで台風や豪雨災害に見舞われて、放置状態となった運休区間の各地で路盤流失が進行し、また橋梁の流失やそれに伴う通信ケーブルの断線などで、鵡川以遠の運行がもはや不可能な状況となっていた。
ワテが見つけた
ワテだけのパラダイスに
再び列車が行き交う事を夢見たけど
それも叶わぬままに
長期に渡って
不通となって朽ち果て
一度も復活する事なく
日高本線は休止のまま
『廃止』というピリオドを打った
運行休止が長期化する中で、路線復旧を要望する沿線の7町と復旧困難によりバス転換を主張するJR北海道との協議が何度となく催されたが、2020年9月28日の協議でJR北海道と沿線の7町が翌年4月からの鵡川~様似の廃止に合意し、2021年3月末をもって同区間は廃止となり、翌日の4月1日よりバス転換となった。
『廃止ローカル線』が
淘汰という帰結となった後は
次の『撮り鉄』のターゲット
として想定していた日高本線
今回、この『路線の思い出』で急遽日高本線の駅を取り上げたのは、いつの間にか日高本線の長期不通区間が路線廃止となっていたからであるっていうか、この記事を書く前日まで、日高本線が今年の3月末限りで正式に廃止されて、代行バスがそのまま廃止代替バスになっていた事を知らなかったのである。
まぁ、こういう所が『ローカル線・命』と言いながら、鉄道知識や動向に全く言っていい程に疎い「ナンチャって」な『○鉄』たる所以である。
路線の復旧はムリと
薄々勘付いたせいもあって
この記事を書く前日まで、日高本線の不通区間の正式廃止を知らなかった事は差し置くとして、日高本線での思い出の駅は、終点の様似やら「ワテだけのパラダイス」な撮影場所の節婦、太平洋の大海原を前にして橋梁を渡る厚賀、勇払原野の湿地帯を渡る現存区間の勇払など、鵡川など他路線の乗り継ぎ以外で降りた駅以外はほとんど取り上げていて、ネタとなる駅が無かったのである。
日高本線の動向から気が離れて
最後の時を迎えた事にすら
気づかなかったよ
:
例え気づいていたとしても
廃止日が『残念』の
手術明けから日が浅く
どうする事もできなかったけど
なので、鉄道とあまり関係のない事まで掘り下げて日高本線の駅ネタを探すと、「足チョン着け下車認定」の駅やら車で立ち寄っただけの駅など、『B級グルメ』ならぬ『ナンチャって訪問駅』が、かなりの数で挙がってきたのである。 もう、それは、日高本線の所属駅の約半数で・・。
その内容は「トイレを借りただけ」やら、誰も立ち寄らない無人駅の駅前でレンタカーを止めて昼寝をした前々回の記事ネタの『初田牛バージョン』の踏襲など、真剣に『駅降り鉄』をしておられる方々に石を投げられかねないネタ展開となるのである。
そして、今回の荻伏駅もそれと「似たり寄ったり」なのであるが、行きと帰りに立ち寄った状況の違いが劇的だったので、「これは『駅ネタ』にできる」と踏んで取り上げたのである。 それは、この荻伏駅に立ち寄ったのが高波によって被災し不通となった年の前年(2014年)で、その時は未登頂の残りがあと数峰と迫った〔名峰次選〕の完全制覇を目論んでいた時であった。
登山口に建つこの山荘に
向かうだけで通常の倍の苦労を
要する難関峰・ペテガリ岳
今回登頂を目指した日高のペテガリ岳であるが、海沿いを走る国道235号線から60kmも山奥に建てられた『ペテガリ山荘』に登山口があるのだが、山荘へのアクセス道の『道道111号・静内中札線』(日高山脈を貫いて横断する道路計画)の建設が凍結されて、そのまま建設中の道路ごと放棄され、それ以来のペテガリ岳登山は、山の南側に流れる元浦川の源頭まで沢をつめて、この源頭の峠を乗っ越してペテガリ山荘まで至る沢歩きが必須となったのである。
いきなり沢渡渉があるなど
我が〔名峰次選〕の中でも
最難関峰であるぺテガリ岳
このように登頂には沢歩きが必須となるなど、このペテガリ岳は我が〔名峰次選〕の中でも1~2を争う難関峰だったのである。 まぁ、〔名峰次選〕の中でこのペテガリ岳と難度で肩を並べる峰は、同じ日高で標高がそのまま山名となった『1839峰』位だろうか。 あと、戸隠の西岳もキツかったなぁ。
この時の思考としては、ターゲットの日高山脈の〔名峰次選〕峰・ペテガリ岳の登頂が全てで「鉄道などガン無視」であるハズなのだが、未練たらしく駅めぐりをしたり、レンタカーの予約日待ち(盆休みは混んでいて、希望日から1日待たされた)の日の夜を厚賀駅で駅寝していたのである。
そして、駅寝した厚賀から始発に乗って苫小牧に戻り、朝一の8時にレンタカーを借りて、日高・ペテガリ岳に向かったのである。 山のガイド本に乗っていた『南日高の山々へのアクセス林道である元浦川林道への行き方』の説明では、「神威橋方面の道は荻伏駅傍の踏切を渡った先に続いているので、荻伏の駅が林道入口の目印となる」と記載されていたので、レンタカーのナビに荻伏駅をセットして荻伏駅までレンタカーで乗りつける。
つまり、『ペテガリ山を始めとした南日高の山々へアクセスする林道』へ入る目印が、ちょうどその林道(荻伏駅前では道道384号・荻伏停車場線)との交差点にあった荻伏駅だったのである。
荻伏着いたのが11時前とさすがに登山開始には遅すぎるので、今日の所は林道入口となる荻伏駅の下見に留めて、この日はクアハウスが隣に併設されている日高三石の『道の駅』で1泊する。
その時に駅を訪問して駅舎内を見学し、ついでに便所を使用したのが、今回の荻伏駅との「往路での関わり」である。 駅は国道沿いにある荻伏の集落の中心街より約1kmほど山側に入った所にあって、街外れとはいっても近くにセイコーマート(コンビニ)や農協のAコープ(スーバー)があるなど、駅の体裁を保っていた。
この貨車駅では
訪れたほんの2~3年前まで
乗車券を売っていた
※ ウィキペディア画像を拝借
そして驚いた事に、つい2~3年前までこの貨車駅内で切符を売っていたのである。 その為の窓口もあって、他の貨車駅舎とは一線を画していたのである。 そして便所も、こういった貨車駅舎にありがちな倒壊寸前のバラックか、工事現場用の仮設トイレではなく、ボットンではあったが小キレイに手入れの行き届いた便所だったよ。
ペテガリ岳へのアクセス道
元浦川林道は沢が道を
寸断する形で行き止っていた
普通なら今回の記事は「コレにてお終い」となるのだが、そうならないのが筆者であるワテのタワケ満開の『オチャメ』クオリティなのである。 それは、翌日から2泊3日で荻伏の駅から続く林道が沢で途切れた終点より沢に入って、ペテカリ山荘からペテガリ岳を目指したのである。
難関峰・ペテガリ岳には
登頂できたものの
着いたのは正午を周ったビリッケツで
キッチリ『遭難フラグ』を
はためかせていたよ
この山行で念願のペテガリ岳の登頂が叶ったとはいえ、衰えヘタった体力ゆえに往復に14時間もかかってしまって、朝の5時に山荘を出発したのに、山荘への帰着が午後7時の日没の真っ暗闇の中となってしまったのである。
そして、最後の最後、山荘まであと200mを残すばかりの地点で、沢のまろみを帯びたツルツルの一枚岩に見事な『出足払い』を食らって、脇腹が岩に叩きつけられたのである。 ヤッた直後は1~2分悶え苦しんだだけで立ち上がる事ができて、そのまま平然と200m先の小屋に戻ったが、就寝の頃になると痛みが走り出しで、その痛さは放物線を描くが如く上昇していった。 コリはヒビなどではなく、完全に脇腹が折れているようである。
マジでこの下品な
絵の如き状況だったよ
翌朝は「下手するとヘリのお世話もありえるかも・・」と思ったが、ヘリを呼ぶ通信手段もなく、結局は肋骨が折れているであろう身体で、元浦川の源頭の峠をよじ登り、沢を下ってレンタカーを止めている沢の渡渉点まで戻らなくてはならなくなった訳である。
その時の状況は
腹から火を噴いて一躍有名となった
183形気動車と被るのである
※ 『JR北海道・重大インシデント』より
肋骨2本折れた身で
この粘土質ズル滑りの坂を
登ったのデス
でも、「『オチャメ』ると途端に冷静かつ的確な判断を取れるようになる」という、事故に遭う事が前提の困った才能を発揮し、脇腹が折れて「腹太鼓がズンドコ鳴り響く」状態だったにも関わらず、道を間違えた(この腹ズンドコ状態で道を間違うか?)事を差し引いての所要時間を比較すると往路より早く戻れたよ。
で・・、何とかレンタカーの止めてある林道の終点に戻るが、そこには渓流釣りと思しき釣り竿を持った何人かがいて、素っ裸になって着替えるなど帰り支度する事も適わず、靴だけ車に置いていたスニーカーに履き替えて、沢から下りた格好そのままで逃げるように帰路に着く。
登山口で支度できなかったが、このままの格好で苫小牧にレンタカーを返す訳にもいかないので、人目に着かず素っ裸になれる「落ち着ける場所」を探す必要ができたのである。 こうしてそのターゲットとして挙がったのが、行きに立ち寄って見学した荻伏駅だったのである。
別棟でトイレがあり隔離場所が確保できて
車で乗り着ける事ができて
建付けのいい綺麗な駅舎の荻伏の貨車駅舎
※ 往路時に撮影
この駅にはトイレがあり、トイレの中で裂けてズタボロとなったトランクスを履き替える事が可能だし、トランクスさえ履き替える事ができれば、誰も立ち寄らない駅舎の中で他の身支度ができる。
中には椅子があり
柔らかいザブトンもあって
「俄か重症者」にはいい
看護支度先だった荻伏駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
そう、この荻伏駅は、着替えに要する『隔離施設』のトイレがあり、駅舎の中に椅子はあるしザブトンもあるので、「俄か重症者」にはいい看護支度先だったのである。 また近くに農協の『Aコープ』がある事も把握していたので、テーピング用の包帯を買って、取り敢えず駅舎の中で上半身裸となって、包帯をぐるぐる巻きにして固定させたよ。
身体の損傷部分が暴走して
火を噴かないように
荻伏駅舎内で応急処置をしたよ
これで、何とか苫小牧までは、『腹太鼓』の盛大な演奏を抑える事ができそうだ。 レンタカーを返すべくの運転中に、『腹太鼓』が盛大に鳴り響くと洒落にならんしィ。 後は、レンタカーを返した苫小牧駅や、風呂に入りにいった糸井駅でギャグをかまして北海道を離れ、盛岡でも体力的な自信が粉々に砕ける偉大なギャクをかましつつ、2日かけて何とか大阪に戻る。
戻ってレントゲンで撮ると
右の第9と11の肋骨が
完全にへし折れていたよ
戻ってレントゲンを撮ってもらうと、右の第9と11の肋骨が見事に2本へし折れてたよ。 いわゆる『完全骨折』というヤツですね。 でも、入院すればクビになりかねないので、盆の休み明けは黙って仕事に出たよ。 もちろん、骨折は自然に治癒(放置プレイ)したっていうか、この1ヶ月半後に骨折が完全に治らぬままに、〔名峰次選〕のラス前峰(99峰目)となる富士山に登ったよ。
毎年訪れていた『撮り鉄』の
新たなるターゲット・日高本線
最後に、一度も復活する事もなく廃止となった日高本線であるが、廃止ローカル線を追っかけていた30数年前の若き日には、この『本線』が廃止になるとは夢にも思わなんだよ。 そう、ワテにとって日高本線は、札幌からの急行が走る『幹線』で、当時は『廃止ローカル線』のターゲットにも挙がらなかった路線であった。
だがこの路線は35年前の
『廃止ローカル線』を
追っかけていた若き日のワテには
撮影想定外の『幹線』だったよ
:
だからあの時撮らなかった事に
一抹の悔いを残すが
それは「全てを手に入れようと欲する」
傲慢な考えなのだろう
だが、あれから時が経ち、鉄道という交通手段が地盤沈下し、『幹線』だった日高本線も当時の『廃止ローカル線』並の輸送量しかない閑散線区となっていた。 それでもワテは「廃止されるには至らないだろう」と踏んでいたが、自然災害という牙にはあがなえず、折から進んだ経済状況の変化による鉄道全体の地盤沈下も伴って、脆弱な経営環境のJR北海道は早々とサジを投げたのである。
ウミネコの彼の珠玉の名演が
ただの『黒潰れ』を救ってくれた事も
このパラダイスでこのシーンに
出会えた事も生涯忘れない
こうして、今まで撮った日高本線の写真は、もう二度と撮れないし行き交う姿も見れない過去のモノ・・、即ち「二度と撮れない貴重な思い出」である『お宝写真』となってしまったよ。 だから、こういうシーンを撮れた『奇跡』と体験を生涯忘れないと思う。
※ 掲載している日高本線の『撮り鉄』写真は全て荻伏駅以外で撮ったモノで、今回の荻伏駅の
ネタとは全く関連がありません。 悪しからず。
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