風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第441回  北上線・ゆだ錦秋湖駅

『路線の思い出』   第441回  北上線・ゆだ錦秋湖駅 〔岩手県〕

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かつての『駅寝の思い出』は
フェンスの張られた荒地となっていた

《路線データ》
       営業区間と営業キロ        輸送密度 / 営業係数(’15)     
       北上~横手 61.1km           335  /  257

運行本数(’21)
       北上~横手    下り7本(うち快速3本)・上り6本(うち快速1本)
       北上~ほっとゆだ 2往復
       北上~藤根          1往復(休日運休)

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駅名も隣駅も
名前が変ってしまったなぁ
※ ウィキペディア画像を拝借

ゆだ錦秋湖駅(ゆだきんしゅうこえき)は、岩手県和賀郡西和賀町耳取(みみどり)にある、JR東日本・北上線の駅である。 湯田ダムの建設・完成に伴って線路が湖底に沈む事から、1962年の北上線の線路付け替えによって駅の位置が現在地に移転した経緯をもつ。

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通路を仕切るように張られた
フェンス左右の広い空き地が
かつて駅舎が建っていた敷地なのだろう
※ ユキサキナビより

単式ホーム1面1線を有する駅で、北上駅管理の無人駅である。 1986年10月までは島式ホーム1面2線を有する交換駅であったが、JRに経営移管される前年(1986年)の駅無人化と共に交換設備も撤去されている。

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かつてこの駅は
陸中大石駅と名乗っていて

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その駅は交換設備を有し
大きな駅舎を有していた

かつて当駅は『陸中大石』駅と名乗っていて、駅員配置駅として立派な駅舎を有していたが、無人化及び交換設備の撤去からしばらくした1998年1月にJR移管後の経費削減策として駅舎が撤去され、簡易的な待合室に建て替えられている。 また、駅名は1991年6月に現駅名の『ゆだ錦秋湖』に改称されている。



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この待合室機能だけの駅舎に
かつての思い出が消去された
ような気持ちを抱いたよ
※ ユキサキナビより

この駅も駅寝した「思い出の駅」が撤去され、待合室に減築されていたのを目の当たりにして「寂しい気持ち」を抱いた駅である。 コレって、少しオーバーかもしれないけど、思い出が消去されたような気がしたんだよね。

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建て直された待合室に
駅の抱く暖かさはなかった

だから、今の待合室を目にして、時の流れあがなえずに歳だけを食っていく無常感と、鉄道というモノの衰退をヒシヒシと感じたよ。 かつての若き日に必死になって追い求めた対象が、ただ黙々と運行される交通機関・・、いや公共的な交通機関を名乗る程に客もなく、性能のいい新型気動車がその力を発揮する事無く、単行で空気とマイクロバスでも間に合う数人の乗客を運ぶのみに落ちぶれていたのだから。

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グリーン車連結の急行が
運行されていた路線が
マイクロバスで事足りる数名の乗客を
乗せるのみの閑散線区となっていた

でも、かつて熱中したモノの変わり果てた姿を見ているワテも、この地へはレンタカーで来ている矛盾を抱えているのだよね。 そして訪れた時は、運の悪い事に『武漢ウイルス』の最初の感染拡大期で、最初の緊急事態宣言が発せられた2020年のゴールデンウィークなんだよね。

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人類がウイルス災禍に見舞われた
時も自然は同じように春を魅せていた

でも、日本人の暮らしや移動を制限しても、根本原因であるウイルスを撒き散らす外人(特にシナやチョン)の入国を規制しない限り、終息する事は有り得ないのである。 そして当時の安倍政権も、オリンピック外交でのシナの酋長・臭菌屁の来賓を控えて、シナの顔色を伺うべくシナ人の入国制限をしないという、極めつけの失政で感染拡大を助長させていたのである。

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原因を取り除く事をせずに
その責任を国民に押し付ける姿は
在来線のみに赤字の責任を
押し付けて淘汰していく
今の鉄道の姿に相い重なるね

それでいて、日本人には『移動制限』だの『消費税の増税』だのと不利益を課し、一方の外人には媚びて『免税店』という自国民を蔑ろにする安倍政権を、オリンピックに関わって失政を繰り返す安倍政権を見限ったのもこの時である。 まぁ、安倍政権を見限ったといっても、売国野党は論外なので「無党派となった」という事ですね。

でも、今はこの時の10倍以上の感染拡大となっているが、根本原因の外人の入国を制限しないが為に一向に収まる気配がなく逆に感染拡大する一方で、日本の国民も「外人は規制せずに国民だけ規制する」今の政府の施策に辟易しているのである。

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現に国民だけに責任を押し付けて
規制する政府の対策を「間違いだ」と
従わなかったワテは感染せずに
規制に従って感染まみれの都会で
自粛した者がより多く感染したのだ

だけど、初期の感染拡大防止に失敗した政府施策に不信感を抱いた一部の者によって、他府県からの旅行者を見境いナシに『ウイルス保持』の疑いをかけて検閲するという、観光地では自殺行為の『観光客排除』が行われていたのである。

その上に一部の調子に乗ったバカモノが、『自粛警察』やら『自粛監視団』を名乗って悪さをしていたのである。 この『自粛警察』やら『自粛監視団』を耳にして、「コイツ等は日本人に危害を加えたいだけの在日チョンだな」って思ったモノである。

それも東北では一段と対応がキツく、旅先で余所者が銭湯に入る事も規制していたのである。 
昨今の営業規制で窮地に陥っている店は応援したい気持ちを抱いているが、この時に同じ日本人の観光客を『余所者』として排除した業者や店は潰れてもらっても構わないと思うしィ。

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「おもてなしの心」を受けた旅人は
次もその地へ赴きたくなる
※ 湯田温泉郷のウェブサイトより

そういった訳で、秋田・岩手県境の峠にある巣郷温泉の温泉宿さんは、日帰り湯の旅人を分け隔てなく受け入れてくれたので感謝の気持ちと、「もう一度訪れたい」という旅に誘う気持ちを抱かせてくれたのである。 こういう対応の違いが、苦難に打ち勝つ業者と生き残れない業者の違いなんだろうね。

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「余所者」排除を受けた
緊急事態宣言下の旅先で
身体も心も温まりました
※ 湯田温泉郷のウェブサイトより

話は『武漢ウイルス』拡大防止対応に対する称賛と不満を愚痴る方向に脱線してしまったが、せっかく『思い出の駅』に立ち寄ったので、あの時の頃に戻って錦秋湖を背景に『撮り鉄』しようと思う。

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あの頃と違って橋は赤く塗り直され
車両も高性能車両が投入されていたよ

でも、あの時と違って、錦秋湖を横切る橋梁は赤く塗り替えられて、その橋梁の撮れる場所に行くのも車(レンタカー)だけどね。

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駅から歩いて撮影地に向かっていた
かつての情熱も消え失せて

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撮影地にはレンタカーで乗り付けて

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列車が来る数分前まで
車の座席を倒して寝転がり

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車の中でお菓子をバリバリと
食いまくるぐうたら撮影に
撮影スタイルが退化していたよ

まぁ、かつてのような鉄道を必死に追い求める情熱も気力もなくなった今・・、飽きたらすぐに撤退する事もできて、天候の急変でも車の中に逃げ込めばOKで、待ちの時間も車の中で座席を倒して寝てればいいという、グータラ中年の必須アイテムである旅先で借りるレンタカー。 もう、この利便にカマけてしまって、『撮り鉄』の準必須アイテムになっちまったよ。

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最近はこういう待合室だけの
駅で駅寝する事が増えたよ
※ ユキサキナビにて

でも、『準』必須アイテムとしたのは、『撮り鉄』でもかつてのように徒歩で撮影地に向かう事もあるし、未だに駅寝旅の現役だし・・ね。


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75年前にチョンの背乗り天皇ヒロヒトを
処罰して戦争に負けた事を
キチンと清算しておけば
在日チョンによる今日の
日本の国の侮辱の限りは無かったのである

そして今チョンの背乗り天皇ヒロヒトを
処罰せずに逃げて招いた過ちと
同じ轍を踏もうとしている
それが有事発生が予測される状況での
自滅行為そのものの東京五輪の開催だ

『武漢ウイルス』の感染拡大が
収まらない中での開催は
取り返しのつかない程の
感染爆発に陥るのは必至だし

『武漢ウイルス』を撒き散らした敵である
シナやその配下のチョンの工作員の
フリーパス同然の入国を許して
有事の際の国内テロの危険が増し

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ウイルスの国内蔓延により対シナの
西側諸国との連携に綻びが生じ
また感染拡大を招いた失敗を追及されて
タカラれる理由となり得るのだ


そのどれもこれも対シナ有事に際し
シナに利する利敵行為であり
日本の国と国民を窮地に至らしめる
国家反逆行為そのものなのだ
東京五輪開催の推進という亡国行為は・・



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