2021-05-08 (Sat)✎
『日本百景』 春 第475回 大峰・奥駈 その3 (大峰・八剣山~釈迦ヶ岳) 〔奈良県〕
大峰の頂点である大峰・八剣山より望む
釈迦ヶ岳と大峰奥駈道の尾根道
大峰・釈迦ヶ岳 おおみね・しゃかがたけ (吉野熊野国立公園)
奈良県南部の吉野郡十津川村と下北山村の境界にある大峰山系の南部の山で、標高は1,800 m。
大峰山最高峰の大峰・八剣山以南の山域では、盟主となる峰である。 山頂には1等三角点が設置され、1924年に安置された釈迦如来の銅像が建立されている。 山名の由来は、頂上に建立された釈迦如来の銅像ゆえであろう。
こんなの担いで登ったのね
:
なお釈迦如来像は逆光黒潰れとなったので
※ ウィキペディア画像を拝借
その山頂の釈迦如来像は、大正13年に『鬼マサ』の異名で知られていた岡田雅行という強力の強者(背丈は190cm・体重は120㎏と伝えられている)が、たった一人で道をつくりながら銅像を3分割して担ぎ上げたと伝えられている。
この一帯は1936年に吉野熊野国立公園に指定され、また2004年7月にユネスコの世界遺産に『紀伊山地の霊場と参詣道』として登録された史跡『大峯奥駈道』では、そのルート上での南部域の主峰と位置付けられている。
かつては山奥深くに位置する登頂の困難な峰であったが、現在は縦走路(大峯奥駈道)とは別に十津川村側と下北山村側の両方から登山道があり、十津川村側からの登山道(旭ダム上流)は初心者でも楽に登れる。 下北山村側の『前鬼』には古い歴史のある宿坊がある。
山容は台高(だいこう)山脈の南端・サンギリ峠から大峰山脈の南部の山なみを望むと、大小2つの尖峰が望める。 右の大きい方が大峰山南部の盟主・釈迦ヶ岳で、左の小尖峰が行場となる岩峰の大日岳である。 釈迦ヶ岳は西方の古田ノ森から見るとお椀を伏せたように見えるが、それ以外はどこから見ても三角錐の鋭峰である。
古田ノ森より望む釈迦ヶ岳は
唯一穏やかなお椀を伏せた容姿を魅せる
※ ヤマレコより
北の尾根はやせ尾根で、大峰山脈の中で最もアルペン的な岩稜をなし、東面は前鬼川の深仙股(しんぜんまた)谷に切れ落ち、極楽ノ都津門と呼ばれる行場を持つ。 南方尾根は急坂となって深仙ノ宿に下り、大日岳へ三十三尋のスラブとなって登り返している。 山頂付近では稀少種のシコクダケカンバや、シロヤシオ・シャクナゲなどの植生が見られる。
大峰・奥駈《3日目》(大峰・八剣山~釈迦ヶ岳)の詳細図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
《1日目》 大阪・阿部野橋駅より鉄道(1:15)→下市口駅よりバス(1:30)→洞川バス停
(0:15)→稲村ヶ岳登山口(2:20)→山上辻(0:50)→稲村ヶ岳(1:30)→山上ヶ岳
(0:55)→小笹ノ宿跡
《2日目》 小笹ノ宿跡(2:00)→大普賢岳(2:45)→行者還岳(2:00)→石休場ノ宿跡
(1:00)→聖宝ノ宿跡(1:00)→弥山小屋
《3日目》 弥山小屋(0:35)→大峰・八剣山(2:00)→舟ノ垰(3:50)→釈迦ヶ岳
(1:00)→太古ノ辻(1:50)→前鬼
《4日目》 前鬼(0:40)→林道ゲート(0:30)→不動七重ノ滝展望台
(1:20)→前鬼口バス停よりバス(2:25)→大和上市駅より鉄道
(1:20)→大阪・阿部野橋駅
※ 前回『第474回 その2』の続き
縦走3日目でやっと
晴天となってくれた
《3日目》 八剣山・釈迦ヶ岳を連ねて前鬼へ下山
朝、テントを出てかぎろい色の空を望めたなら、「幸運であった」と思うべきだろう。 それは大峰山の南部域から熊野にかけての一帯は、年間降水量が4000mmとも云われる我が国でも有数の多雨地帯だからである。
昨日の夕方までずっと雨だった
:
1日は確実に降られるのが
大峰・奥駈道を行く者の定め
だが、雨の多い地域だからこそ、より素晴らしい山岳風景を望めるのである。 入道のように頭をもたげた大普賢岳、そしてそれをスライドさせる三段の山なみ、その奥には台形の立て屏風を成した稲村ヶ岳と山上ヶ岳と、昨日一日かけて歩いてきた道程が雲海の上に映し出されている。
大峰・八剣山より望む
奥駈道の峰々
対面には日出ヶ岳を盟主とした台高の山なみが、ずっしりと節々を大地に伸ばしている。 また周囲の山々も、1500m足らずの山なみを多く連ねる山塊とはとても想像しえない威風堂々とした山岳風景を魅せている。 真に素晴らしくなかなかに去り難いが、今日も長い行程ゆえに遅くとも6時には出発できるように準備したい。
八剣山の頂で朝の写真が
撮れる位の早立ちが望ましい
弥山を出ると一度鞍部に下って、数ヶ所あるオオヤマレンゲ自生地の保護柵をくぐりながら登っていく。 大峰連山最高峰・八剣山 1915メートル の頂上だ。
頂上に突き立てられた錫杖と
背後の釈迦ヶ岳を借景に
贅沢なアリバイ写真を撮る
大峰・八剣山より望む
雲海に光る熊野灘
この頂上の展望の素晴らしさはワテの拙い文章では表現し難く、初冬に訪れたこの記事を参照頂くとしよう。
これより歩く奥駈道
南部の峰々を望む
:
美しい三角錐を魅せるのが
大峰南部の盟主・釈迦ヶ岳だ
大峰連山最高峰の上に立って、これから向かう釈迦ヶ岳への山なみのうねりを眺めたなら、いよいよ大峰連山の核心部へ向かって足を踏み入れる。
その端正な三角錐の峰に魅せられて
望遠で引っ張ってみると奥駈道の
うねりを目にする事ができた
八剣山の頂上からは、シラベやトウヒ林のワラ状となった倒木帯を下り気味に伝っていく。
道端の所々に“行”を奉納したお札を飾った岩屋や大木を見るにつけ、「宗教色の濃い山なのだ」と感じさせられる。
八剣山からはワラ状となった
シラベやトウヒの倒木帯を
下り気味のトラバースで伝っていく
樹林帯の少し開けた所は《禅師ノ森》・《楊枝ノ森》などと、たいてい『森』という名称がつけられていて、また庭園状を成しているので、これらの『森』を目安に休憩を入れていくといいだろう。
1500~1600mの山域とは思えぬ
重厚な山なみを見ながら歩いていく
八剣山南面の大岩壁がそそり立って見える程に歩いていくと、《舟ノ垰》と呼ばれる船窪状の所に出る。
前面には、こんもりとそびえる仏生ヶ岳が行く手の嶮しさを物語っている。
垂直に立つ岩塔《大嵓》を
直立させる奇怪な容姿の七面山
また横に迫り立つ七面山は、大きく崩れ落ちた《大嵓》を従えた奇怪な姿を魅せている。
《舟ノ垰》から少し先で七面山への玄人好みの道を分けて(『七面山遥拝石』という白い石柱で道を示してある)、《楊枝ノ森》という森林庭園を抜けると、いよいよ仏生ヶ岳の急登に取り付く。
このログハウス調の避難小屋は
近年に建てられたのだろうね
※ 『大峰山の山小屋一覧』より
なお、《楊枝ノ森》にはキレイな避難小屋があって未確認だが水場もあるそうなので、前鬼までの長丁場を2日に分ける事もできるが、ワテが訪れた時は避難小屋など無かったから、後に建てられたのだろうね。
樹林帯で見通しの悪い中を
仏生ヶ岳までイッキに登っていく
樹林帯の中の標高差200mの急坂に汗を搾り取られる事だろう。 だが、ある程度登りつめると、八剣山南面の大岩壁が樹間より望まれて心強い。 この登りはより深くなった森の中で終わりを告げ、仏生ヶ岳 1805メートル の仮の頂上を示す札の横を通る。 縦走路は、仏生ヶ岳の本当の頂上は通らないようである。
樹林帯の際まで出ると
背後に端正な三角錐を魅せる
釈迦ヶ岳が望めるようになる
この頂上から少し歩くと、樹林帯の際に出て見通しが良くなる。 ここで馬ノ背状に連なる山の先に、ようやく釈迦ヶ岳がピラミタルな山容を魅せてくれる。 でも、そこまではまだまだ距離がある。
孔雀岳の背後に
釈迦ヶ岳の山体が望める
大峰山の西側は
奇怪な容姿の山々が連なっている
樹林帯の際を数回上下しながら、この馬ノ背状の尾根筋の直下を巻いていく。 いつの間にか孔雀岳 1779メートル というピークを越えて少し下り気味となると、八剣山~釈迦ヶ岳の間では唯一の水場の《鳥ノ水》に出る。
長い縦走路の道中では余力のある出だしは
写真を多く撮ってるが終わりの部分は
ダレてほとんど撮ってないね
この水場を過ぎると、一度大きく切れ込んでから釈迦ヶ岳への「最後の踏ん張り所」が待ち受けている。
キレット状に切れ落ちた《孔雀覗》の悪場を鎖片手に下りていくと、《小尻返し》・《貝ズリ》・《両部分け》などの岩場をトラバース気味に伝っていく。 東側の《前鬼川渓谷》の源流部に向けてそそり立つ『五百羅漢』の巨石群は、真に圧巻の眺めである。
五百羅漢岩の巨岩群が
そそり立つ釈迦ヶ岳へ
この鎖場のある巨岩の基部下りは、右手前方に《阿吽の狛犬》という岩塊を見ると終わり、これより徐々に高度を上げて《掾ノ鼻》と呼ばれる巨大岩盤の上に出る。 ここから見上げる釈迦ヶ岳は、真に端正な三角錐の“山”の姿を示している。
なぜか釈迦ヶ岳方向はあまり撮らず
八剣山方向をよく撮ってるよ
:
大普賢山や行者還の山など
奥駈道北部の山なみが見渡せた
迫力ある威容に生唾を飲み込んだなら、ダケカンバの茂る急傾斜を「釈迦の手のひら」へ向けて一心不乱に登りつめるだけだ。 岩の切れ間から這い出るように登り着いた釈迦ヶ岳 1800メートル の頂上は、一等三角点が示す通り遮るもののない大パノラマが広がる。
『奇跡の体力』最盛期は
こんなに太ってますた
:
コリは我が持論の
「過ぎたる脂肪は力なり」
の証明になりますね
頂上には山名の通り『釈迦如来像』が、「この雄大な眺めは我の手の内だ」と言わんばかりに片手の手のひらを上に開けて立っている。
釈迦如来像は逆光で判別不能な
黒影の写りとなりますた
弥山・八剣山からの山なみ、高野の山なみ、南奥駈にそびえる緑濃き山々、節々に重量感を感じさせる台高の山なみと、四方山なみの絶景である。 しばし、絶景が広がる山頂でそよ風に当たりながら、山を踏破した充足感に身を委ねよう。
釈迦ヶ岳に着いたのは午後
を周っていて大峰・八剣山は
逆光でくすんでいた
大峰・奥駈《3・4日目》(釈迦ヶ岳~下山)の詳細図
さて、釈迦ヶ岳からは本格的な下山となり、《前鬼》の宿坊まで標高差1000mを下りきらねばならない。
釈迦ヶ岳に登り着くまでの長い道のりでかなり疲れているだろうから、下りの一歩一歩が足の裏にズシリと効いてくるだろう。
トイレなく何とか泊まれる
レベルの深山ノ宿避難小屋
:
雨が降ってなければ
テントを張った方が快適
※ ウィキペディア画像を拝借
もし、バテてどうしようもない状態に陥ったなら、釈迦ヶ岳から下り40分の所にある《深山ノ宿》のお堂の前で“バタンキュー”も一つの手段となる。 ここには《香精水》と呼ばれる岩清水もあるので、条件的には十分だ。 但し、確実に下山口での朝のバス便には乗車できないが・・。
深山ノ宿のお堂(権頂堂)の脇には
香精水というよい水場があり
"バタンキュー"の誘惑にかられる
※ 『大峰・奥駈道をゆく』より
なおここは、釈迦ヶ岳での御来光目当ての幕営者が多いみたいである。 このお堂を越えると、大日岳の岩峰を分ける尾根筋まで登り返す。 大日岳は長さ三十三尋といわれる一条の鎖が掛かる“荒行の地”である。 この山の東側は絶壁となっていて展望も申し分ないので、余裕があれば登ってみよう。 大日岳へは、所要50分位で往復できるだろう。
大日岳の分岐を過ぎて少し下ると、《太古ノ辻》という釈丈の突き立てられた分岐に着く。
これを直進すると『南奥駈道』に入り、笠捨山・玉置山を経て《熊野》へと向かっている。
《前鬼》へは、進路を左に取る。 急斜面をどんどん下り、沢沿いの岩がゴロゴロ転がる歩き辛い道を伝っていく。
ここまでくると早く着いて
休みたいという気持ちが強くなり
ほとんど無視で通り過ぎたよ
※ 『大峰・奥駈道をゆく』より
途中の景勝はというと、《二ッ岩》(セイタカ童子岩とコンガラ童子岩が向き合っている)位だろうか。 だが、疲れがピークに達している頃なので、気にも止まらないだろう。 沢を2回渡り、寺の支配地らしい小さな祠が両脇にチラホラと現れ出すと、程なく《前鬼》の小中坊の門前に出る。 今日は、門前下に広がる快適な芝地でキャンプを張ろう。
里の寺院宿坊といった感じの
前鬼の宿坊・小仲坊
※ 『大峰・奥駈道をゆく』より
また翌日は最終日なので、奮発して宿坊に泊るのもいいだろう。 明日は、林道を10km歩いて朝のバス便に乗らねばならない。 早起きは必定だ。 その為にも早く就寝しよう。
※ 続きは、次回の『第476回 その4』にて
まともな精神と頭脳を持つなら
そして日本の国に生まれ育った日本人なら
身内や知人・周囲の人の
健康に気をかけるだろう
感染拡大の原因がシナが
撒き散らしたウイルスである以上
そのシナの工作員を制限ナシに
招き入れるオリンピックなど
絶対に開催してはならないと思うハズである
それと全く相反するなら
日本の国に悪意を持つ
シナ・チョンの日本人成り済まし
以外に考えられないではないか!
それにシナの覇権主義に全世界が怒り
有事の発生も辞さないこの状況で
シナの工作員を客人として招き入れて
テロを呼ぶオリンピックの開催を推進するとは
モロに敵の工作員ではないか!
そしていったん事が起これば
犠牲を払ってでもシナを完膚なきまで
討ち滅ぼして『武漢ウイルス』を
撒き散らした罪を償わせねばならない
有事が起こり得る緊迫した状況で
感染拡大を呼び国が傾く事も
敵を招き入れてテロの要因を造る事も
断じて許してはならない
そう・・、日本人の命と国を護る為に
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