2021-05-08 (Sat)✎
廃線鉄道 第54回 福島臨海鉄道・小名浜埠頭本線 〔福島県〕
濃硫酸を積載したタキ(タンク)
形貨車を牽引する貨物列車
※ 『福島臨海鉄道歴史館』より
福島臨海鉄道・小名浜埠頭本線(ふくしまりんかいてつどう・おなはまふとうほんせん)は、福島県いわき市の宮下駅から同市の藤原駅までを結んでいた福島臨海鉄道の貨物専用鉄道路線である。
2001年に全線が廃止された。
この鉄道から仕事を奪ったのは
この広い道路を使ったトラック輸送だった
※ 『福島臨海鉄道歴史館』より
福島臨海鉄道は、小名浜の東方にある江名からの水産物を運ぶための馬車鉄道として1915年に設立された磐城海岸軌道が前身である。 同軌道の起点の小名浜では、1907年に常磐線の泉駅と小名浜の間に敷設した小名浜馬車軌道に接続していた。 1918年に軌道事業を継承していた合資会社東商会を買収し、泉~小名浜~江名の路線が形成された。
かつてはよく見られた
長大編成の貨物列車も
今はほとんど見られない
※ ウィキペディア画像を拝借
1939年になると、小名浜に工場を建設する事になった日本水素工業(日本化成の前身)に経営が委ねられ、小名浜臨港鉄道に社名を変更した。 1941年には製品輸送の為に常磐線と直通できる1067mm軌間の新線が建設され、馬車鉄道時代からの旧線は廃止された。
震災後の復興事業で
移転した小名浜駅
※ ウィキペディア画像を拝借
1964年に小名浜が新産業都市の指定を受け、工業地域として整備が進められる事となった。
小名浜臨港鉄道は、この指定によって国鉄・沿線自治体・企業が出資する臨海鉄道方式で経営される事になり、福島臨海鉄道と社名を改めた。 その後、小名浜埠頭・藤原方面への支線である小名浜埠頭本線を開業する一方で、1972年には旅客営業を廃止し貨物専業鉄道となった。だが、貨物も輸送量が低下傾向にあり、2001年に小名浜埠頭本線を廃止している。
かつては旅客営業もしていた
※ いわき市のウェブサイトより
旅客営業は1972年に廃止しているが、その後も花火大会など小名浜で開催されるイベントにあわせてJR東日本によって臨時旅客列車が運転されている。 2007年10月14日には、鉄道の日に合せて「ふくりん鉄道まつり 2007 in小名浜」が小名浜駅構内で開催された。 その際にもJR東日本による臨時列車が運転された。
福島臨海鉄道・小名浜埠頭本線の予想路線図
:
ウィキペディアに記載していた
緯度・経度から駅の位置を
特定して作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です
《路線データ》
路線距離(営業キロ):宮下~藤原 2.1km、軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:なし(全線非電化)、閉塞方式:タブレット閉塞式
駅数:5駅(本線からの分岐駅含む)〔宮下〕・南宮下・小名浜埠頭・東渚・藤原
濃硫酸を満載した
タキ型貨車を牽く定期貨物列車
※ 『福島臨海鉄道歴史館』より
福島臨海鉄道・小名浜埠頭本線 年表
1907年(明治40年) 12月 1日 小名浜馬車軌道(泉~小名浜)開業
1910年に合資会社東商会に譲渡
1915年(大正 4年) 6月 2日 磐城海岸軌道設立
1916年(大正 5年) 4月17日 磐城海岸軌道が小名浜~江名間を開業
1918年(大正 7年) 8月30日 磐城海岸軌道が合資会社東商会を買収、泉~小名浜の馬車鉄道を移管
1936年(昭和11年)12月 9日 小名浜~江名 特許取消に伴い廃止
1939年(昭和14年)10月16日 小名浜臨港鉄道に社名変更
1953年(昭和28年) 1月12日 江名鉄道 栄町~江名の開業に伴い、小名浜~栄町を延伸開業し、泉~
江名間直通運転
1964年(昭和39年) 小名浜が新産業都市の指定を受ける
1966年(昭和41年) 2月15日 江名鉄道休止に伴って小名浜~栄町が休止となり、同鉄道との直通
運転を中止
1967年(昭和42年) 4月 1日 県・国鉄が出資、福島臨海鉄道に社名変更
1968年(昭和43年) 7月 1日 小名浜~栄町 廃止
1970年(昭和45年) 6月 1日 宮下~小名浜埠頭 開業 貨物営業のみ
8月14日 小名浜埠頭~東渚 開業 貨物営業のみ
1971年(昭和46年) 7月21日 東渚~藤原 開業 貨物営業のみ
1972年まで旅客営業もしていた
※ いわき市のウェブサイトより
1972年(昭和47年)10月 1日 泉~小名浜の旅客営業を廃止し、貨物専業鉄道となる
1982年(昭和57年) 8月 1日 東渚駅廃止
1984年(昭和59年) 4月 1日 小名浜埠頭~藤原 廃止
2001年(平成13年) 4月 1日 宮下~小名浜埠頭 休止
2001年(平成13年)10月 1日 宮下~小名浜埠頭が正式に廃止となり、小名浜埠頭本線全線廃止
2015年(平成27年) 1月13日 小名浜駅と本社を約600m西側に移転し、宮下駅を廃止
福島臨海鉄道の主力機関車
DD55形ディーゼル機関車
:
国鉄のDD13形入替用機関車と同型機だ
※ ウィキペディア画像を拝借
車両
保有の車両は専用線内の走行の為に、デッキにパトライトを装備しているのが特徴である。
小名浜駅移転開業の花列車
を牽引したDD5531号機
※ いわき市のウェブサイトより
DD55形
551号機は富士重工製の55t機で、小名浜臨港鉄道時代の1966年に導入された。
552号機は1970年、553号機は1973年に新潟鐵工所で製造された。 553号機は修理時のエンジン換装の際にDD5531に改番されている。
DD56形
561号機は新潟鐵工所製の56t機で、1両が導入された。 登場時はDD5601を名乗っていたが、1996年にエンジンを換装した際、DD561と改番された。
かつては旅客も扱っていた為か
旅客駅のような建付けの駅舎だった宮下駅
※ ウィキペディア画像を拝借
宮下駅(みやしたえき)は、かつて福島県いわき市小名浜にあった福島臨海鉄道の貨物駅である。
福島臨海鉄道本線に所属する駅で、2001年に路線廃止となった小名浜埠頭本線が分岐していた。
駅の廃止時まで、駅西側にある東邦亜鉛小名浜製錬所への専用線が分岐していた。 他にも日本化成小名浜工場への専用線もあったが、駅の廃止以前に廃止となっている。 この日本化成専用線は、工場内を経由して隣の小名浜駅へ続いていた。
廃止時点では、東邦亜鉛小名浜製錬所への専用線に発着する車扱貨物を取り扱っていた。
製錬所からは、専用線を通じて亜鉛精鉱・亜鉛焼鉱を群馬県の信越本線・安中駅へ発送していた。
亜鉛精鉱の輸送はトキ25000形貨車、亜鉛焼鉱の輸送はタキ15600形貨車がそれぞれを担っており、これらの常備駅でもあった。 かつては濃硫酸の発送があり、東北地方の工場へ輸送されていたが、2005年3月にトラック輸送に転換されて取扱い廃止となっている。
当駅が廃止となった直接理由は
小名浜駅移転に伴う
工場専用線の線路付け替えだった
※ ウィキペディア画像を拝借
東日本大震災後に策定された「小名浜港背後地震災復興土地区画整理事業」によって、隣接する小名浜駅が約600メートル西側へ移転する事となる。 この事によって、当駅から分岐していた東邦亜鉛専用線も、移転後の小名浜駅へ接続するべく付け替え工事が行われる。 この東邦亜鉛専用線付け替え工事の完成、即ち小名浜駅の移転開業に伴い、2015年1月13日の当駅は廃止となった。
南宮下駅(みなみみやしたえき)は、かつて福島県いわき市小名浜にあった福島臨海鉄道・小名浜埠頭本線の貨物駅である。 小名浜製錬小名浜製錬所の東端に位置し、その工場からの専用線も接続していた。
当駅からは濃硫酸の発送があったが、1984年2月1日の国鉄ダイヤ改正で大幅に貨物取り扱い駅が減少する事から、1984年1月31日を以ってトラック輸送に切り替わり休止状態となった。 だが、正式な営業休止はそれから17年後の2001年4月1日で、その半年後の同年10月1日に小名浜埠頭本線の路線廃止に伴って廃駅となった。 運行休止の1984年1月末から2001年4月の営業休止までの17年もの間、路線も駅も運行されぬままの放置状態であった。
貨物専用鉄道の貨物取扱駅らしく
操車場のような様相だった小名浜埠頭駅
※ 『福島臨海鉄道歴史館』より
小名浜埠頭駅(おなはまふとうえき)は、かつて福島県いわき市小名浜にあった福島臨海鉄道・小名浜埠頭本線の貨物駅である。 小名浜製錬小名浜製錬所の南端に位置し、その工場からの専用線も接続していた。
工場の東端に位置していた南宮下駅からは濃硫酸の発送があったのに対し、当駅からは工場で生産された製品を有蓋貨車に詰め込み輸送していた。 しかし、国鉄の貨物取り扱い駅が少なくなる事から、1983年12月よりトラック輸送に切り替えられた。 その4か月後(1984年4月)に当駅から先の区間(当駅~藤原)が廃止されて終着駅となるが、前述の如くトラック輸送切り替えによって取り扱い貨物は皆無となっていた。
その後、2001年4月の正式な営業休止まで17年もの間放置されるなど、隣駅の南宮下同様の経過をたどり、2001年の小名浜埠頭本線の全線廃止に伴って当駅も廃止された。
東渚駅(ひがしなぎさえき)は、かつて福島県いわき市小名浜にあった福島臨海鉄道・小名浜埠頭本線の貨物駅である。
日本化成小名浜西工場の東端に位置し、同工場からの専用線が接続していた。 当駅からは有蓋貨車を用いた化学肥料の発送があったが、1980年6月末に工場が閉鎖された為に貨物の取り扱いが無くなった。
その後取り扱いの再開が見込まれない事から、路線廃止より前の1982年8月1日に廃駅となった。
藤原駅(ふじわらえき)は、かつて福島県いわき市小名浜にあった福島臨海鉄道・小名浜埠頭本線の貨物駅で、同線の終着駅だった。 日本海水小名浜工場の南端に位置し、同工場からの専用線が接続していた。
当駅からは生石灰の発送があったが、1977年を境に輸送の大幅減少やトラック輸送に転換された事などから、貨物の取り扱いが無くなった。 その後、取り扱いの再開が見込まれない事から、1984年4月1日の小名浜埠頭~当駅の区間廃止に伴って廃駅となった。
なぜにチョンの日本人成り済ましである
天皇信奉右翼が東京五輪を
開催させたがっているのか・・
それは日本を逆恨みし
日本人を隷属支配したいと企む
在日チョンの奴らヒト◇ドキにとって
東京五輪の開催は
日本を潰す又とない好機だからだ
それに東京五輪開催で
日本の国が『武漢ウイルス』の
感染爆発に陥っても
それは日本の国の自爆という事で
奴らは手を汚さずに済むからだ
奴らは盛んに『武漢ウイルス』に
打ち勝つ為だとか
次のシナの北京で開催される五輪に
『ウイルスを克服した証』を
持っていかれては国の恥だとかいうが
開催したら日本の国は「自らで国を潰した」
という黒歴史を背負う事になるよ
それに五輪で客人として招かれた
シナ・チョンの工作員がシナの台湾侵攻に合わせて
西側同盟国である日本潰しのテロを引き起こすよ
媚シナの2Fがボソっといった
開催を懸念する発言を
「東京五輪をシナが阻止したがっている」と
キャンペーンを貼って
日本の国を滅亡の際に追い込もうとする
でもシナにとっては
東京五輪の事などどうでもよく
台湾侵攻を優勢の内に進める事だけで
東京五輪に口出す余裕などないのである
もしシナが東京五輪の開催に反対なら
口汚く罵ってくるハズだし
パヨクに指令を出して
中止させるべくの妨害工作を
仕向けてくるハズでしょ?
要するに「シナと対抗するには
東京五輪の開催しかない」と煽って
日本の国と日本人を自爆させて
日本の国の乗っ取りを企む
天皇信奉右翼共の巻き返し策なのである
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