風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

TOP >  私の訪ねた路線 >  私の訪ねた路線  第49回  東海道本線

私の訪ねた路線  第49回  東海道本線

『私の訪ねた路線』  第49回  東海道本線
〔東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・岐阜県・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県〕
 

♪ようこそ~ここへ遊ぼ~よパラダイス~
と言ってローラースケートで
踊ってましたね 25年位前に・・

・・という事で20系の急行【銀河】
 
《路線データ》
  営業区間と営業キロ                    輸送密度 / 営業係数(’83)          運行本数
東京~神戸・大垣~美濃赤坂                2916  /   446      時刻表を見てください
大垣~新垂井(信)~関ヶ原 608.3km
 

583系電車寝台の特急【明星】
今は、たぶん福井辺りで
『食パン』電車となってるし・・
 
   《路線史》
言わずと知れた我が国第一の幹線鉄道路線である。 この路線の建設・延伸の歴史は、我が国鉄道史の足跡であるといっても過言ではないだろう。

1872年、新橋~横浜に我が国始めての蒸気鉄道が開業した。 これは、歴史の教科書で周知の事であろうと思う。 続いて1874年に、関西圏でも蒸気鉄道が開業(大阪~神戸)する。
 
三島駅にて その1

寝台特急 【あさかぜ】
東京~博多
やはりブルートレインはEF65だあね

その後、この区間を結ぶ幹線が計画され、当初のルート選定は『中山道ルート』とされる。
だが、山岳区間を要する中山道よりも海岸沿いの『東海道ルート』の方が建設の全てにおいて有利であった為、『東海道ルート』に変更される。

延伸工事は西側からが活発に行なわれ、1877年に京都、1880年には大津(現 浜大津)まで延伸する。 1882年には『太湖汽船』が就航し、大津~長浜は琵琶湖を汽船で連絡する形となる。 
それを受けて、1883~84年に長浜~大垣が開業する。
 
三島駅にて その2

寝台特急 【富士】
東京~〔日豊本線経由〕~西鹿児島(後に大分に短縮)
東京~日豊本線経由で西鹿児島まで
所要時間24時間30分
丸1日かけて走っていた

また中京圏では、1886年の武豊~熱田が開業する。 同じ年に、熱田~木曾川を延伸させている。
また、翌年(1887年)には、大垣~岐阜が延伸したのに合わせて木曾川~岐阜を開通させ、長浜~武豊が鉄路でつながる事となる。

中京圏と琵琶湖を介してだが近畿圏がつながったその翌年(1888年)、更に東に向けて延伸される。
大府~浜松の開通である。 一方、東からは、一足遅い1887年より西へ向けての延伸が始まる。
この年の横浜~国府津の開通を皮切りに、1889年の国府津~静岡、静岡延伸の2ヶ月遅れで静岡~浜松を開通させる。 この延伸開通によって、大津~長浜で琵琶湖航路を要するものの、関東圏と関西圏の幹となる輸送路がつながった訳である。
 
三島駅にて その3

寝台特急 【はやぶさ】
東京~〔鹿児島本線経由〕~西鹿児島(後に熊本に短縮)
晩年は【富士】と併結運転となって
あのヘッドマーク
アレを見た時は泣いたよ
 
その後も1889年に関ヶ原~近江長岡~大津(正確には膳所)と米原~長浜(現 北陸本線の一部)が完成し、この完成線と引き換えに関ヶ原~長浜が廃止された事から、この路線のジャンクションは長浜から米原へと変換される事となる。 これによって、新橋~神戸が全通した事になる。 それと同時に、大津~長浜で就航していた琵琶湖連絡線・『太湖汽船』は不要となり廃止される。

なお、東海道本線の現在の起点である東京駅への乗り入れは、1914年末の事である(ちなみに、呉服橋という駅名であった東京駅付近には、1910年に電車線〔山手線の前身〕として延伸されている)。
正確を期すなら、東海道本線の全通は東京駅が開業した1914年末という事になろう。 また、美濃赤坂への支線は1919年に開業している。 この線の建設目的は、付近の山で産出される石灰石の中継輸送という事である。
 
三島駅にて その4

寝台特急 【みずほ】
東京~熊本・長崎
訳の判らん運行方式で
影が薄かった寝台特急【みずほ】
 
路線改良に関しては、幹線鉄道という事で早くから手掛けられている。 複線化は首都圏や近畿圏の都市圏を中心に、1870年代の創生期に完成した区間も存在する。

電化は、東京駅乗り入れ前後より始まる。 まずは1909年に、山手線の前身となる電車線が浜松町~新橋に開業する。 その後、呉服町(旧 東京駅)を経て、1914年の東京駅開業に伴い電車線も延伸される。 それと同時に、新橋~横浜(正確には、横浜の手前である高島町駅)の電化と電車への切換も実施される。
 
三島駅にて その5

寝台特急 【さくら】
東京~長崎・佐世保
白地にピンクの【さくら】はいい
 
電化工事は首都圏以外ではストップしていたが、1925年の横浜~国府津電化完成より進みだす。
1934年には近畿圏の吹田~神戸が電化され、同じ年に東の方も丹那トンネルを開通させ、国府津~沼津を勾配の多い御殿場経由から熱海経由に切り換えると同時に電化開業も成し遂げる。 

このようにして、1937年は吹田~京都、1949年の沼津~浜松、1955年の浜松~米原を経て、1956年に米原~京都の電化が完成して東京~神戸の全線の電化が完了する。 1958年には美濃赤坂支線の電化も完成する。 電化と共に複線化工事も成されていたので、全線の電化完成をもって複線化事業も成し遂げている。
 

EF58牽引の臨時寝台【あさかぜ】
エ~イ!閲覧数倍増計画第一弾!
 
この一大幹線の変革を語るとしたら、やはり1964年の東海道新幹線の開業であろう。 新幹線の開業で、先程に記した山陽本線同様の地位をこの東海道本線も歩む事となる。 伊豆方面へ行く特急列車や別の線区に向かうべく供用区間を走る列車以外の優等列車は、寝台列車を除いて尽く廃止され(近年まで特急【東海】は残っていたようだが)、寝台列車も先程に『山陽本線』で記述した通りに集約され、時刻表を見ても普通列車と快速列車のオンパレードとなっている。
 

ウゲェ~ 20系ィ~
コイツ(筆者)はアクセス数の為なら
省房低学年の変色モノまで使うのか
 
この一大幹線も新幹線という大量高速輸送の為にだけ造られた鉄道の前に、建設期からの目的であった広域輸送という任を解かれ、新幹線への接続輸送と地域輸送という別任務を与えられているのである。
救いといえば、東京~大垣の夜行快速が定期運行され、旅人の夢が辛うじて保たれている事であろうか。
だが、時の流れからか、このともし火も定期運行休止の臨時列車化となっている。
 


  東海道本線を走った名だたる列車達
大阪駅にて

ボンネットタイプの特急【雷鳥】
 

青森行の超ロングラン・特急【白鳥】
青森まで所要13時間半
北海道列車旅への忍耐第一関門だ
 

381系振り子式の黄金期・特急【しなの】
 
これだけでも、かなり“濃い”が、まだまだドロドロに濃いのが続きますよ。
書いてる筆者も、もう心臓バクバク。
 

撮る側としてはカックいいと
思った青の【雷鳥】
でも、特急料金を払わされ
乗る身にとっては設備最悪
 

80系の特急【はまかぜ】
何かボロいな
実際、よく故障して立ち往生する事
しょっちゅうのボロさだった
 

往年の名機関車といわれるEF58
でも、当時(齢1ケタ)の目からはコレがくると“ハズレ”だった
それと、隣の“コゲ茶色”も気になるなぁ
 

キハ58 急行【みささ】【みまさか】 鳥取・津山行
齢1ケタの純真無垢(まだこの頃は・・ネ)
の目にはこれが最もカックいかった
 

『新快速』です!
誰がなんと言っても『新快速』ですっ!
この『新快速』写真は
ウィキペディアにリンクされてるのよ
 
山崎・サントリーカーブにて

これ(80系)に九州まで乗ると
腰が痛いだろうな
食堂車もついてる特急【まつかぜ】
 

♪剱・立山・黒部は寒く
ユキちゃんの香りは麹味噌
今朝も温かお味噌汁
という事で急行【立山】
 
最後は、【出雲】と【瀬戸】撮りたさに徹夜撮影する不良消防(小坊)の筆者
 
京都駅にて

寝台特急【瀬戸】 手ブレコキ
 

この【出雲】が撮りたくて
京都・徹夜を敢行したのであった
 
あぁ、まだ心臓がバクバクする。 過去のこっ恥ずかしい写真出すのは度胸がいるね。
まだまだ山陽本線とか近鉄大阪線とか、ベタベタに“濃い”ストックがあるし。

    ※ 詳細は『魅惑の鉄道写真集』より『東海道本線』を御覧下さい。
 
                             
                                 
                                              
関連記事
スポンサーサイト



No title * by オータ
こんなスゴい画像が出ているのに、誰もコメ無しですか…
絶対 損していますよ! 普通なら一枚ずつ出して日数を稼ぐ人がイッパイいそうですが… 大傑作!

No title * by 風来梨
たぶん、努力(宣伝)不足でしょうね(苦笑)。

そして、もう昔の鉄道を語る世代がいなくなってしまったのかも・・。 語るとしても、リバイバル運行などで見たものしか知らないのでしょうね。 も一つ言うとしたら、私の世代が鉄道ファンにとって一番話題になりにくいのかも・・と思っています。

コメント






管理者にだけ表示を許可

No title

こんなスゴい画像が出ているのに、誰もコメ無しですか…
絶対 損していますよ! 普通なら一枚ずつ出して日数を稼ぐ人がイッパイいそうですが… 大傑作!
2011-09-18 * オータ [ 編集 ]

No title

たぶん、努力(宣伝)不足でしょうね(苦笑)。

そして、もう昔の鉄道を語る世代がいなくなってしまったのかも・・。 語るとしても、リバイバル運行などで見たものしか知らないのでしょうね。 も一つ言うとしたら、私の世代が鉄道ファンにとって一番話題になりにくいのかも・・と思っています。
2011-09-19 * 風来梨 [ 編集 ]