風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第436回  天北線・山軽駅跡

『路線の思い出』   第436回  天北線・山軽駅跡 〔北海道〕

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30年前の路線往時も今も
廃墟である事には変わりがなかった

《路線データ》
      営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’83)  
    音威子府~南稚内 148.9km          418  /   884               
          廃止年月日              転換処置
           ’89/ 5/ 1                   宗谷バス
廃止時運行本数
          音威子府~稚内   下り7本・上り6本(内 急行1往復)
          音威子府~浜頓別  1往復
          声問~稚内       1往復《休日運休》
          曲淵~稚内     上り1本

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線路跡がサイクリングロードと
なったもののヒグマの出没で
立入禁止となっている山軽駅跡『休けい所』
※ ウィキペディア画像を拝借

山軽駅(やまがるえき)は、かつて北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字山軽にあったJR北海道・天北線の駅である。 天北線の廃線に伴い、1989年5月1日に廃駅となった。

廃止時点で1面1線の単式ホームを有する駅で、ホームは線路の西側(南稚内方面に向かって左側)に存在した。 分岐器を持たない棒線駅となっていた。 かつては、2面2線の相対式ホームを有する列車交換可能な駅であった。

無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は撤去されて、ホームから少し離れた位置に2棟の待合所があった。 ホームは気動車1両分の長さの土盛りであった。 駅名の由来は当駅が所在した地名からで、地名はアイヌ語の「ヤムワッカル」〔冷たい・水(~のある、あるいは、~を汲みに行く)・道〕に由来する。

この地はクッチャロ湖の大沼と小沼を結ぶ運河状の川に面して開かれた開拓地で、駅前の川側に集落が形成されていた。 旧国道は海側から踏切を通って駅前を通り、また踏切を通って海側へ戻るようにわざわざ曲げられている。 クッチャロ湖の周囲を開拓伐採した木材を、湖面を渡してこの駅で集積した事で集落が発展した。

その後は、終戦直後の食糧難時代の農業開拓者受入事業などによって人口も増えたが、木材需要の低迷と農業に適さない気候風土によって、昭和40年代の高度経済成長期に入ると一気に過疎化し、この集落を通らずに真っ直ぐ敷き直された国道238号線周辺に散在する酪農家以外は、全くの無人地帯となった。

当駅の1日平均の乗車人員であるが、木材集積場として当駅が活用され、集落も形成していた1960年頃は日に30人程の乗車人員があった(1969年2月の駅無人化まで貨物・荷物も取り扱っていた)が、1970年代の高度成長期に入ると木材需要の低迷と農業に適さない気候風土から離農が相次いでイッキに過疎化し、完全な無人の原野に回帰する。

その時から、天北線が第二次廃止路線として指定された以降の1981年まで(この頃より廃線を予期した鉄道ファンの下車が増えて、1日平均の乗車人員が1人となった)の10年間、全く利用者がないという金字塔を打ち立てた駅である。 ちなみに国鉄発表の公式記録では、1971年度には、当駅の年度乗降客数(1971年4月1日~1972年3月31日の乗降客の合計)0人を記録している。

周辺の線路跡は、浜頓別駅跡から猿払駅跡までが『北オホーツクサイクリングロード』に転用されている。 周辺は名目上は牧草地だが、事実上は原野である。

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錆付いて判別不能の駅名標が
路線廃止となって
30年経った事を語っていた

駅跡はサイクリングロード沿いにホーム・駅名標・待合所が残存している。 2棟の待合所はサイクリングの休憩所に再利用されていたが、駅名標は文字の判別が不能な位に錆付き、待合所も出入口扉や窓が無くなるなど荒廃していた。

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荒廃しきりなのは元より
中に投棄されたゴミが
腐乱臭となって充満していた

特に待合所は、ガラスが割れて室内に散乱し、建材の腐敗臭が漂うなど廃墟然となっていた。 また、サイクリングロードとして整備されるまでは、駅前広場に荒れた放置車両があって景観を著しく乱していた。

路線廃止後から長年放置されて朽ちるに任せていた当駅跡だが、ついに2017年頃に熊出没の為にサイクリングロードの当駅跡付近(浜頓別駅跡~安別駅跡)が立入禁止となったようである。



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こういうのが撮りたくて
「湖に最も近い駅」というだけで
降りたのが山軽だった
※ ワテの天北線お宝グッズより

天北線の往時もゴーストタウン駅となっていた山軽駅であるが、現役時代に1度降りた事がある。
言うなれば、ワテも1981年より復活したこの駅の乗車人員「1名」の『具』になっているワケですね。

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そもそも『撮り鉄』が下りる駅なら
「年間駅利用者ゼロ」は有り得ないしィ

まぁ、天北線があったその当時から、「年間の駅利用者ゼロ」の金字塔を打ち立てるなどのいわく付きの駅で、駅前は廃車両などの不法投棄場となっていたよ。 天北線の廃止が迫る当時でもこの駅前の惨状に恐れをなしたのか、『廃止路線の駅降り鉄』さんもこの駅は列車の車窓から撮るだけで、降りる事は敬遠していたみたいですね。

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こういう写真を目にすると
「ワテも撮りてぇ~」と
なるのが『○鉄』の性
※ 浜頓別駅発行のオレンジカードより

でも、あの深名線・白樺の『死滅廃村』よりはマシだったけど・・。 実際に、アレは凄かった。
『ロクデナシ道』に邁進していたタワケガキでさえ、ビビッて次の北母子里まで歩いたしィ。 
それに山軽は1日で上下11本の停車列車があって、列車を選べば滞在時間1時間程で浜頓別からの折り返しに乗る事ができたしィ。

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撮影地を前にキチンと地図を見ておけば
30年前も最近でも無駄足を
踏まずに済んだモノを・・

でも、当時のワテがこの駅に降りた理由は、「近くにクッチャロ湖がある」という事だった。 
要するに、クッチャロ湖を背景に『撮り鉄』する想定で降りたのである。 でも、降りて周囲を見渡すと、この駅が路線往時からゴーストタウン化していて、しかも線路と湖は500mほど離れていて、クッチャロ湖を背景に『撮り鉄』する所など無いと判ったよ。

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地図を見る以前に
廃止路線の写真集を思い出せば
浜頓別駅の最寄りに
こんないい撮影地があったのに・・
※ 『さよならローカル線33』著・安田就視氏

それに、当時からこの駅の2棟の待合所は、農業肥料カスなどの廃棄物のゴミ捨て場となって荒廃していたのである。 まぁ、普通の人の感覚なら近寄れないオーラが、この2つの待合所から漂っていたしィ。
でも、当時からこういうのに割と平気だったワテは、この駅の周辺を「湖と一緒に『撮り鉄』する場所」を探して歩き周ったよ。

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サキュバスの館のような
九重・大船山避難小屋
2年前に取り壊されて
新しい避難小屋が建設中だったよ

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内部は割れたガラスと
土の混合物の土間だった
ここにテント張って
野宿したワテ

まぁ、この数年後に、ヤマで同じような廃墟の避難小屋を何度も目にする事になるし、実際にこういった『幽霊屋敷』な避難小屋で平気で泊っているしィ。

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この時は旧国道のダート道を
『クッチャロ湖と撮れる撮影地』を
探して歩き周ったよ
※ 『国道238号・山軽駅跡付近の旧道』より

この時は駅舎にさほど興味もなく、腐乱臭さえ漂うこの駅待合所を撮る事も無く、目的の「撮影場所探し」に取り掛かってしまったよ。 でも、今思えば惜しい事したねぇ。 だが、クッチャロ湖と一緒に撮れそうな撮影場所は見つからず、そのまま国道238号線に出て、隣の安別乗降場まで歩いたよ。

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天北線の花形列車・急行【天北】
今の特急よりずっとカッケーよ

安別は一度『撮り鉄』で降りているので内容は解っているし、環境も湖に近くて「終日逆光になる」事を除けば、湖と撮れるいい撮影場所なのである。 それに開けて見通しが良く、国道238号もすぐ傍にあるので、雰囲気も「重くない」しィ。

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クッチャロ湖畔で狙うなら
やっぱり安別乗降場ですね

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列車がどこに写ってるか
判らんボツ写真ですが
山軽駅付近が入ってるかも・・ね

・・で、それから30年の時が経ち、歳食って『若さ』・『体力』・『気力』・『根気』といったかけがえのないモノを全て失ったワテは、この時と違った撮影ターゲットを追って、再びこの地に赴く。
もちろん「徒歩」などではなく、レンタカーに乗って・・だ。 そのターゲットとは、クッチャロ湖に漂う野鳥・水鳥である。

これはクッチャロ湖の旧山軽駅跡の近くの湖畔に、『鳥類観測ステーション』があると耳にしての事であるが、この鳥類観測ステーション』は一般向けの施設ではなく、施設内への立ち入りも不可な、「野鳥類の観測資料置き場&観測グッズ置き場&研究所」のようであったのである。

要するに調べる事もせずに、クッチャロ湖畔で白鳥の餌付けをしている『水鳥監察館』のような水鳥撮影の『お立ち台』を想定して、ノコノコと入り込んでしまったのですね。 そこは山軽と同じくクッチャロ湖畔とは離れた森の中で、水鳥など撮れそうにない所だったよ。 従って、クッチャロ湖の『水鳥監察館』前で撮ったワテ的『一番星』で口を濁そうかと。

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このワテ的『一番星』
何度使い回した事か

その時に立ち寄ったのが、廃止から30年近く経ったこの駅の廃墟である。 でも、一時はこの廃墟を『サイクリングロード』として活用しようとしたらしく、この2棟の待合所は駅跡の廃墟ではなく『サイクリングロード休憩所』の廃墟となっていたよ。

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ホームの縁に腰かけて
春の日差しに30年前の
天北線在りし時を顧みる

その時は既に「ヒグマ出没で立入禁止」となっていたが、ワテはクマに関してもヤマで『免疫』があるので、割と平気に旧国道のダートにレンタカーを停めて歩いて駅跡に向かう。 何といっても、ここより出没頻度の高いカムエク・八ノ沢カール知床岬に行ってるしィ。←リンク先は(ワテ的)壮大なスペクタクルでっす。 見て頂ければ、このタワケが喜びますので是非に・・。

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廃墟なのに看板だけが
新しく浮いた存在だった

そして、駅のホームに腰かけて、あの時の事を思い返して、30年越に山軽駅跡をカメラに収める。
廃墟なのは変わらないのに、『休けい所』を示した看板だけがやけに真新しくて浮いていたのが印象に残ったよ。


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日に2000人近くの感染者が出てる最中
国民全員のワクチン接種など
最低限の感染予防の保険もかけずに
「シナにより先にするんだ」
「五輪を開催する事が『武漢ウイルス』
に打ち勝った事になる」と

感染爆発の危機を招き
国を滅ぼしかねない事を宣う
天皇信奉右翼のクズ共が
『武漢ウイルス』に罹って
クタばろうが知ったこっちゃないが

コイツらの扇動の下で五輪が開催されて
感染爆発の被害に遭うのは
コイツらでなくて一般の日本国民なのである

そんな下らない事で日本の国民が
犠牲になる事は許せないし
コイツらに日本人として
モノを考える能力がない・・
即ち「日本人ではない」と思えてしまう

シナと対峙するなら
五輪開催で自滅の愚を踏むより
シナの北京五輪の全世界的ボイコット
の方がずっと効果的なのである

それに選手団やその応援団に
感染者が出ると必ずシナやチョンは
「日本のせいで感染したニダ」と
タカりにくるよ・・
それはもう売 春婦騒動や
詐欺徴用工の二の舞だ

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ここは開催中止の英断をして
この中止の悔しさをシナ・北京五輪の
全世界的ボイコットに向けて
一丸となる方がずっと事が前に進むのに

日本人の多くが感染して
国の危機を招く東京五輪の開催
そんな国と国民を犠牲してでも
五輪開催を言うのは
チョンの日本人成り済ましだからかも・・ね



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