風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道 第51回 片町線(京橋~片町)

廃線鉄道  第51回  片町線(京橋~片町) 〔大阪府〕

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駅舎が線路と垂直に配置され
留置線も備わった本格的な
ターミナル駅仕様だった片町駅
※ ウィキペディア画像を拝借

浪速鉄道の都心側のターミナルとして、東成郡鯰江村大字新喜多新田(当時)に片町駅が設けられ、この片町駅を起点に奈良方面に延伸された路線である。 起点となる片町駅は、当時の大阪市街の北東端であった相生町にできる限り近接させた位置に配置された。 なお、駅名の『片町』は、相生町が元々京街道の北側にしか家屋がない『片側町』だった事に由来する。

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駅名はこの地が京街道の北側にしか家屋がない
『片側町』だった事に由来するとの事
※ 屍の駅より

鯰江川と寝屋川に挟まれた狭小な土地で駅前が非常に狭かった為、関西鉄道との合併後には放出駅から路線を分岐させる形で近隣に設けられた網島駅へ旅客扱いを譲り、貨物支線と貨物駅となった事もあった。
だが、国有化後に城東線(現在の大阪環状線)の京橋駅に隣接するようにして設けられた片町駅京橋口を京橋駅として分離し、それと入れ替わる形で網島駅を廃止した事によって、片町線の起点駅としての地位に落ち着いた。

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片町線は都市近郊路線なるも
『B級線区』扱いで旧型車両だらけだった
※ ウィキペディア画像を拝借

しかし、起点駅の片町~京橋の区間は、京橋が大阪環状線や京阪本線との乗り換え駅として栄える反面、他の大阪近郊路線との接続もなく孤立した片町駅の利用者は起点駅であるにもかかわらず少なく、ターミナル駅としての地位が低下した為、1997年3月8日のJR東西線開業に伴って区間廃止となった。
この区間と片町駅の廃止と同時に、片町駅と入れ替わるようにして近くにJR東西線の大阪城北詰駅が開業している。

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この区間の廃止により
路線名の根拠『片町』は消滅した
※ ウィキペディア画像を拝借

この区間の廃止に伴って『片町駅』は消滅したが、今現在も路線名に『片町』の名を残している。
だが、JR西日本では、片町線に『学研都市線』の愛称を付けている為、案内上では片町の名を使用されなくなっている。

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片町線廃止区間の予想路線図
ワテの準「ゆかりの地」なので
たぶん合ってます

《路線データ》
   1997年3月に廃止となった区間
廃止区間と距離(営業キロ):片町~京橋 0.5km、軌間:1067mm、
複線区間:全線複線)、電化区間:1932年に片町~四条畷が電化開業(直流1500V)
廃止区間の駅数:〔京橋〕・片町
運行本数:昼間時・毎時4~6本、ラッシュ時・頻発
 ※ ターミナル駅として列車折り返し機能を持つ区間で、片町線運行列車のほぼ全てが片町駅又は
   片町駅の留置線(京橋で終着の列車は片町駅のホームには入らず、片町駅そばの留置線に引き上
   げていた)を発着していた。

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片町線の電化は
関西の国鉄で初めての路線
だったそうである
※ 『片町線形式写真』より

  片町線・廃止区間 年表
1895年(明治28年)  8月22日   浪速鉄道の駅として四条畷駅 - 当駅間の開業と同時に開業
1897年(明治30年)  2月 9日    浪速鉄道を関西鉄道に譲渡
1898年(明治31年)11月18日   旅客営業廃止
1905年(明治38年)  1月  1日   旅客営業再開
1907年(明治40年)10月  1日   鉄道国有法により国有化、帝国鉄道庁の駅となる
1912年(明治45年)  4月21日   城東線・京橋駅との乗り換え駅の便を図る為、京橋口乗降場を開設
1913年(大正  2年)11月15日   京橋口乗降場を格上げし、京橋駅として分離
                以降、京橋駅が城東線乗換駅となる
1987年(昭和62年)  4月  1日   国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる
1991年(平成  3年)  春頃     JR東西線の工事開始に伴って、旧駅舎と旧ホーム撤去されて仮駅舎
                に移行
1997年(平成  9年)  3月  8日   JR東西線の開業に伴い、京橋~片町が区間廃止となる
                なお、東西線への線路切替工事の為に、前日(3月7日)21時30分
                をもって営業終了となった

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旧型国電の『姥捨て山』となっていた
片町線には真剣にこんなのが走っていたよ
※ ウィキペディア画像を拝借

   乗車記
この区間の利用者は片町駅から乗る乗客より、座席確保の為に京橋から乗って折り返す客の方が多いと揶揄されていた区間である。 同じ事は近鉄の鶴橋~上本町にも当てはまり、事実上は『不正乗車』であるが、近鉄同様に黙認状態となっていた。

廃止となったのは僅か0.5kmなので『乗車記』を記する程のモノでもないかもしれないが、ワテは幼少の頃に預けられて四条畷に住んでいた事があり、また不動産業に従事した時に職場が京阪電車・京橋駅の片町口沿いにあったなど、そして今現在も副業の家主業の管理委託先が旧勤め先である事から、この地はワテの準「ゆかりの地」となっている。

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こんなのが「アオ~ン」と
けたたましい加速音を立てて走っていたよ
ワテが幼稚園時代の片町線は・・
※ 『片町線形式写真』より

それは片町駅があった頃・・、旧型国電が「アオ~ン」と釣り掛け駆動音を鳴らして行き来していたのを幼少の頃から見ていたのである。 当時の片町線は都市近郊路線ではあったが、完全なる「大阪の下町」をゆく『格下』扱いの路線で、車両も旧型国電の『姥捨て山』となっていた。 だから、今にあの旧型国電が走っていたならば、『撮り鉄』殺到の「撮影マナー問題路線」となっていただろうね。

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こんなのが今走っていたなら
片町線に『撮り鉄』が殺到して
大パニックだっただろうね
※ 『片町線形式写真』より

でも、幼少の小僧の目には、近くを走る京阪や近鉄が旧型電車を淘汰し始め、更に車両の冷房化と高性能車化が進んでいったのに比べて、片町線の旧型電車は非冷房でその旧型車両のボロさが鼻についたのである。 そしてそのボロさも、京阪や近鉄の旧型車両に比べて断然にボロい戦前型の旧型国電だったのである。

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当時の片町線の
『最新鋭車』がコレだった
※ ウィキペディア画像を拝借

年端の行かない小僧にとっては、近鉄特急のスナックカーやビスタ・カー(物持ちのいい金のない近鉄では、50年近く経った今でも現役の第一線で走ってるよ)に比べて、冷房もなくボロ過ぎるこの片町線電車に不満はあったが、「アオ~ン」という釣り掛け駆動音を聞くのが好きという変な小僧だったので、この『姥捨て山』の旧型国電に対して「良くもアリ、悪くもアリ」という感情を抱いていたよ。

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小僧だったワテにはそのあまりの
ボロさ加減が鼻についたが
釣り掛け駆動音のサウンドが
「お気に入り」変な小僧だったので
「良くもアリ、悪くもアリ」っていう評価だったよ
※ 『片町線形式写真』より

・・それから30年~40年と時が経ち、京橋も様変わりした。 昔は汚らしい呑み屋街だった京橋界隈も、今やショッピングモール街となっているし、何より昔からの老舗であったダイエー京橋店(ダイエーの業績不振による京橋撤退によって、末期はイオン京橋店となっていた)が、『京橋地区再開発』の餌食となって建物ごと取り壊されたのである。

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京橋の象徴だった巨大店舗は
ぶっ壊されて砂煙となったよ
※ 京橋地区再開発のウェブページより

その巨大店舗は完全撤去されて、撤去の時に生じた砂ホコリが上空を舞っている。 そう・・今の京橋は、砂ホコリの『スモッグの街』と化しているよ。 今は撤去完了に引き続いて、鉄道の操車場にできるほどの店舗跡地の更地化工事を実施しているようだ。 この一連の光景に、「どうせ・・、また同じようなビジネスマン向けのショッピングモール店舗やホテルを造るんだろうな」と、冷ややかな目で見ているワテである。



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ワテの思い出の駅はこの片町駅だ
※ ウィキペディア画像を拝借

片町駅(かたまちえき)は、大阪府大阪市都島区にあった駅である。 鯰江川(現在は埋立されて消滅)に架かっていた野田橋を挟んで国鉄(現在はJR西日本)と京阪の2つの『片町』駅があったが、現在はいずれも廃止されている。 また、大阪市電・天満橋善源寺町線の片町停留場も近くにあった。
なお、この項目ではJR西日本の片町駅を主題としているので、京阪の片町駅は割愛する。

1997年3月7日の廃止時は相対式ホーム2面2線を持つ頭端式の駅で、どちらのホームからも放出・四条畷・長尾・松井山手・同志社前・木津行の列車が発車していた。 この時は1991年3月からのJR東西線工事本格化に際して旧駅舎が撤去され、その後に建てられた仮駅舎規格の簡易な駅舎とホームであった。

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東西線工事の為に仮駅舎に
建て替えられた片町駅
※ ウィキペディア画像を拝借

東西線工事が本格的に始まった事によって仮駅舎に建て替えられるまでは、島式ホーム1面2線に留置線2線を加えた頭端式の駅であった、駅舎も線路に垂直に建てられた2階建てのコンクリートモルタル造りの立派な駅舎であった。

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片町駅が突端式島式ホーム
だった頃の駅ホーム情景
一つ目玉ライトの電車を見て
『ゲゲゲの鬼太郎』を連想するワテ
※ ウィキペディア画像を拝借

駅構造は南側の2線が島式ホームを挟んでおり、北側2線が留置線であった。 片町線電車の一部(夕方ラッシュ時の快速電車については大半)は京橋駅を発着する運行であり、当駅北側の留置線との間で回送する運用であった。 貨物営業を行っていた頃は側線も敷設されていた。

なお、1991年までの旧ホームと線路の敷地が、現在のJR東西線の地下線出入口からの坂道にあたる。
工事の本格化に伴って旧ホームと線路は撤去され、北側の2線分の留置線に対向式ホームを設置して廃止時まで使用し、同時に京橋駅の片町寄りの部分に新たに引き上げ線を設置していた。

当駅の廃止後に入れ替わるように開業したJR東西線の大阪城北詰駅は近くにあり、廃止・開業日も前後するなど境遇が似通ってはいるが、駅としては別扱いであり、当駅を起・終点とする定期券や回数券は当駅廃止後に継承されなかった。

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洗車場となった旧片町駅跡
不動産屋時代に撮ってたみたい

1998年2月から駅の跡地には西日本ジェイアールバス京橋営業所が開設されたが、2002年に廃止されており、その後は民間に払い下げられて駐車場及び洗車場となっている。

現在も京橋駅の片町線・東西線ホームの西半分は都島区片町二丁目となっている。 当駅の住所も『片町二丁目』であり、京橋~当駅の区間は同一町・丁目に収まっていた。

廃止から10年以上が経つが、『片町』という地名への愛着から、「大阪城北詰を『片町』や『片町』を含む駅名に改称して欲しい」という意見がなおも存在している。 ちなみに、大阪城北詰の駅設置計画の段階での仮称は『片町』だった。

片町の住居表示が実施されたのは1969年で、相生町と当駅所在地の都島区新喜多町および鯰江川跡以北の野田町の一部に概ね相当する。 1996年12月11日に、駅から片町橋を渡った先に大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅が開業したが、連絡運輸は行われなかった。


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パヨクも天皇信奉右翼もその正体は
「在日チョンの日本人成り済まし」
という事を暴いたが

その「在日チョンの日本人成り済まし」が
日本の国を乗っ取って隷属支配
する為に双方共に必要なのが
チョンの背乗り天皇なのである

その手法がパヨクの場合は
『日本国の象徴』たる天皇の
チョンへの全面謝罪及び贖罪宣言である
これによってチョンの宗主たるシナにも
隷属した事となるのである

一方の天皇信奉右翼の手法は
チョンの背乗り天皇を『国家元首』に就かせて
国家体制を『天皇全体主義』に代えて
裏から天皇を操る国の乗っ取りだ

その際に必ず『不敬罪』の
制定を目論むハズである

この『不敬罪』はパヨクの『ヘイト法案』
と同じく密告を生業とする罰則法で
罪の有無と生殺与奪の権限を為政者が握る
『全体主義』には必要不可欠な刑法である
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それは天皇全体主義を批判する者や政敵を
「天皇への不敬」を理由に捕らえ処刑する
日本人を隷属支配する為の粛清法であり
必ず日本人同士での密告合戦に発展するからである
それはシナや北朝鮮の『全体主義』体制そのモノである




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