風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第433回  三江線・式敷駅

『路線の思い出』   第433回  三江線・式敷駅 〔広島県〕

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ログハウスの駅舎を持つ
列車交換可能駅・式敷

《路線データ》
       営業区間と営業キロ       輸送密度 / 営業係数(’16)    
      江津~三次 108.1km        46  /   1109
         廃止年月日             転換処置
          ’18/4/1      備北交通・大和観光・邑南町営・石見交通
                        など区間によって分担

運行本数(’17)
             江津~三次   下り2本・上り1本
             江津~石見川本 上り1本
             江津~浜原   3往復
             石見川本~三次 上り1本
             浜原~三次   2往復
             口羽~三次   1往復
      ※ 廃止日までの残り2週間は昼間便の浜原~口羽の通し運行を実施した
             江津~三次   下り4本・上り3本
             江津~石見川本 上り1本
             石見川本~三次 上り1本 
             江津~浜原   1往復
             浜原~三次   1往復

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駅前にはかなり広い転回場があった
最終日は他府県ナンバーの車で
ごった返していただろうね
※ ウィキペディア画像を拝借

式敷駅(しきじきえき)は、広島県安芸高田市高宮町佐々部七谷にあったJR西日本・三江線の駅である。 三江線の廃止に伴い、2018年4月1日に廃駅となった。 三次側の区間が、三江南線として開業した当初の終着駅であった。

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三江線は路線廃止以前から
線内の交換設備が撤去され続け
南線区間の途中駅では
唯一残った列車交換可能駅だった

島式ホーム1面2線を有する交換設備を備えた駅で、浜田鉄道部管理の無人駅であるが、ログハウス風の駅舎がある。 但し、自動券売機等の設備はない。 ホームへは、三次方面の上り線側に設けられた構内踏切を渡って入場する形だった。

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末期は貨物側線のレールが
撤去されるなど路線廃止に向けての
準備が進められていたようだ

駅舎側(上り)が1番のりばとなっており、列車運転指令上の番線番号(下りが1番線)とは逆転していた。 この他に側線一本と貨物ホームを有するが、当駅を含む三江線の浜原~三次駅間は開業以来、貨物を取り扱う事無く旅客営業のみを行っていた。 2015年の1日平均の乗車人員は6人との事。



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朝の下り一本・・
これを逃すと10時過ぎの
上りまで列車がなかった

  《三江線・最後の一年》より
路線廃止まであと1ヶ月となっていたが、『三江線・最後の一年』は制作が捗っておらず、この式敷駅も駅舎だけ先に撮ったままで放置状態の駅だった。 それは「江ノ川から離れていて、『撮り鉄』で狙える撮影場所が乏しい」と、勝手に思い込んで二の足を踏んでいたからだ。

それと、南線区間の難関撮影区間である船佐~信木の事もあるし、例の「冬の大雪による(託けた)運休」で撮りそびれていた長谷の例の鉄橋での撮影を優先して「後回し」となっていたのである。 だから、「この駅の記事もどうしようか」と悩んだよ。

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せっかく通いつめた企画だ
駅写真のみの未撮影駅の掲載は
はなるべく避けたかった

でも、この最後の一年で7回も訪れたこの企画をポシャらす訳にはいかないのである。 なので、「冬の大雪による運休」から運行を再開し始めた直後の3月の初め訪れた時に、朝の始発の下り列車1本を式敷の記事に充てるべく撮影場所を探す。 この他にも未撮の駅が立て込んでいるので、式敷に回せるチャンスは1本のみとなったのである。

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チャンスは朝の下り1本のみ

その1本をモノにすべく、撮影場所を探して駅の周りを車で行ったり来たりする。 この時思いついたアングルは、「この駅の島式ホームを上から俯瞰できないものか?」というものである。 その事が頭に思い浮かんだなら、即座にそのアングルが成就できそうな俯瞰場所を探す。

式敷の駅から口羽方向へは県道4号線が通っており、その県道4号線は式敷の駅から緩い坂道となって上っていたのである。 早速、この坂の上まで上がって駅を返し見るが、この坂は思ったほどに高くは上がらず、見返した所で『俯瞰』というには厳しすぎる程度の高台で上がり止まっていた。

せいぜい10m位の高台だろう。 さすがに「コレは使えない」と断を下して、次の『式敷駅撮り鉄構想』を考える。 でも、その式敷の撮影に充てがった下り列車の時刻・・、即ち「タイムリミット」が差し迫ってくる。

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さて無事にこの「三江線お別れ企画」を
完成させる事ができるでしょうか?
※ ウィキペディア画像を拝借

1キロほど口羽側にある江ノ川を渡る鉄橋へ行く事は、撮影する下り列車の時刻に間に合わずに『空振り』する危険もあるので適わないし、国道433号線の《式敷大橋》から覗き込むのも、手前に《式敷大橋》改修の土木工事の資材置き場っぽい荒地があって、今イチしっくりこない。

仕方がないので、その荒地からかつてあった側線の撤去跡に仕切られた金網フェンスまでゆき、そこで駅を見渡して撮る事にする。 これが予想に反して「田舎の駅風景」を魅せるいい雰囲気で、しかもフェンスから少し右の川へ移動して望遠を使えば、1キロほど先の鉄橋も仕留める事ができそうなのである。

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駅から210mmで届くので
橋まで1kmもないだろうけど
橋の対岸へは国道に出て大回り
せねばならんので3~4kmはある

210mmの中望遠で届くので、もしかしたら1kmもないかもしれないが・・。 でも、この鉄橋を通る列車の撮影場所として押さえていたのは鉄橋の反対側なので、やっぱり間に合わなかったかもしれない。

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三江線の日常風景
っぽいシーンが撮れたよ

そして、列車がやってきた。 この側線跡のフェンスからは、ライトを点けてやってくる列車と駅で待つ乗客のおりなす「三江線の日常風景」っぽい写真が撮れたよ。 駅にいた奴は利用客ではなくて、駅撮りをしている『鉄』のようだったけど。

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三江線も廃止となって
もう3年も経ったなぁ


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「右も左もチョンの日本人成り済まし」
「右も左も目的は日本の乗っ取りと隷属化」
であると前に記したが

奴ら左右のチョンの闘争的には
シナやチョン本国のバックアップを受けて
マスニダを押さえるなど
戦略的に日本を乗っ取ろうとする
『パヨク』が圧倒的に優位に立っていて

『天皇信奉右翼』共の目論む
チョンの背乗り天皇の国家元首就任による
『天皇全体主義』体制の構築という
在日チョン右翼主導の日本国の乗っ取りは
まず実現しないだろう

なら何故にチョンの背乗り天皇を
追放せねばならないのかというと
天皇はチョンの日本人成り済ましであって
日本人ではない・・即ち敵対するヒ▽モドキだからだ

それを『天皇信奉』の洗脳醒めやらず
『敵』を崇め奉る愚を犯し続ける
日本人がいると堂々めぐり必至だからだ

だから憲法改正でさえ
1mmたりとも前に進まず
最近でもチョン企業の通信アプリ『LINE』で
日本の国家機密がシナに漏洩されようとしている

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そして天皇の行動を見ると
先代のアキヒトを見れば判るように
天皇・皇族は完全なる『パヨク』で
『パヨク』の指令元であるシナやチョンの本国に
操られている存在だからだ

またその存在自体が
国を乗っ取る手段である
国の制度の『全体主義』化の
お飾り首班(操り人形)と成り得るからだ



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