風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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第469回  由良川橋梁

『日本百景』 春  第469回  由良川橋梁 〔京都府〕

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由良川橋梁を行く急行【丹後】
今の特急より優等列車らしい姿であった

  由良川橋梁 ゆらがわきょうりょう
由良川橋梁は、北近畿タンゴ鉄道・宮津線の丹後神崎~丹後由良に架かる単線の鉄道橋梁である。
長さ約550メートル・水面からの高さ3mの長大橋梁で、日本海に注ぐ直前で幅広の大河となった由良川の河口近くに架けられている。

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防波堤も見える河口直前に
この橋梁は架けられている

その為に橋梁の橋脚には、常時日本海からの戻し波が打ち寄せている。 また、橋の内陸側からも、日本海の波が視認できる。

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貫禄のある赤さび色の長大鉄橋・由良川橋梁
※ 丹後.com より

橋の建造は古く、舞鶴~宮津に宮津線が開通した大正13年の完成で、赤さび色の鉄橋に歴史を感じさせる。 車が普及していなかった以前は歩道が設けられ、当橋梁は由良川を挟む由良地区と神崎地区を徒歩で渡り往来できる重要な生活路でもあった(現在は一般の通行は禁止されている)。

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昔はこの橋梁が川の対岸の集落を
往来する唯一の生活路でもあった
※ 丹後.com より

川沿いにはのどかな田園風景が広がり、丹後の中では比較的温暖な為か、古くからミカンの栽培が盛んで、近年はオリーブ栽培も行われている。

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宮福線が開通した今は優等列車は全廃となり
長大鉄橋に単行気動車が通る閑散区間となった
※ 丹後.com より

この橋梁がある宮津線は国鉄時代に第三次の廃止対象路線に指定され、1990年4月に第三セクターの『北近畿タンゴ鉄道』に経営移管される。

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国鉄からJR初期は
儲からないけど楽しい路線だった

だが、その後の宮福線の開業で、元廃止対象路線で非電化の当路線と電化開業の宮福線との路線格差が噴出する問題が発生した為に、この区域を取り巻く経営再編が執り行われ、2015年4月よりツアーバス事業が本業のWILLERグループにより経営が引き継がれ、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道)』となっている



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由良川橋梁とその周辺詳細図

  行程表
西舞鶴駅より京都丹後鉄道で丹後神崎・所要15分
丹後神崎駅より由良川橋梁まで500m・徒歩で10分ほど

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急行がバンバン通る
廃止対象路線だった宮津線

今回の記事のネタは、ワテが廃止対象の路線として宮津線を『撮り鉄』しに行ったJR転換直後の30数年前の事である。 従って、現在と照らし合わせる事自体が不能であり、意味のない事だと思う。
でも、「なら、どうして『日本百景』というカテゴリで風景紹介記事を書くんだよ!」と言われれば偶の音も出ないけど。

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ぢ・つ・わ・・
「絵になる昔しか撮りに行ってない」ので
「現在ネタが書けない」
ってのが真の理由だったりして

でも、ワテが勝手に作ったジャンルの『風景鉄道』に照らし合わせれば、今より昔の方が何かと「絵になる」のである。 ちなみに、この『風景鉄道』とは、「周囲の風景が主役で鉄道は『従』の役割となる」鉄道情景である。

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『撮り鉄』のセオリーに拘らず
撮ってたからこそ他と違った
写真が撮れたのかもしれないね

だが、何分二十歳になる前の小僧の撮った写真なので、まだまだ鉄道が『主』になっているのが多いけど。

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でも目指す目標は険しく
まだまだ鉄道車両を中心に撮っていた
のが半数以上だったけど・・ね

まぁ、一般の『撮り鉄』さんとの違いは、「ヤル気」とそれを示す態度だと思うよ。 撮り鉄さんは時刻表を必ず持ってくるだろうけど、この時小僧が小脇に抱えていた本は『少年サンデー』だったし、乗車券も線内を自由に往来できるフリー切符ではなく、丸める事の出来る切符自販機発行の『神きっぷ』ならぬ「西舞鶴より180円区間」と印字された『紙きっぷ』だったしィ。

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どんな鉄橋かの下調べもせず
今のロクデナシそのままに
※ 丹後.com より

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行き当たりばったりで下り立ったのが
「西舞鶴から180円区間」のこの駅だった

それに、撮影場所の『由良川橋梁』の下調べもせず、立ち読みした鉄道雑誌の記憶だけを頼りに来たし、もちろん三脚も持ってきていなかったしィ。 でも、「下調べをしない」って事は、目に入るモノ全てが「新たな発見」となるのだ。 まぁ、コレは、言っててちょっとハズかしいけれど。

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海からの寄せ波が
川の流れに逆らって寄せてくる

こうして、「目に入るモノから想像を膨らませる事ができる」という『肥し』を糧にワテは成長したんだよな・・と、クサいセリフに酔うワテ。 でも、河口近くの川特有の海からの寄せ波が、川の流れと逆の波紋を魅せたり、寂れた船着き場につながれたボートをアテに撮ったりする事を思い着いたのも、この撮影行での事である。

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雑草で茫々となった船着き場をアテに

また、「『撮り鉄』のセオリーから、外れれば外れる程にいい写真が撮れる」と思ったのも、この撮影行がキッカケの1つになったと思う。 それは、「鉄道車両の編成が全部入る程に、つまらないデキとなる」と言う事を発見したのである。

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セオリー通りに編成全部を入れても
長大な橋梁に短編成は
かえってつまらないデキの写真となる

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そういう場合は少し
位置をズラすという事を
この長大鉄橋で覚えた

何も、撮影対象となる鉄道車両を全部入れる必要はない。 編成の半分も入れば『鉄道写真』として説明が着くのだ。 極めつけは1両の半分でもいいし、思い切って『アウトフレーム』にするのもいい。
でも、『アウトフレーム』にするのは、撮り手としてはかなり度胸がいるのだけどね。

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河口際に架けられたこの鉄橋の
特徴である寄せ波を『主』として
『従』の鉄道車両は途中で切ると
いいアングルとなるのを知った

この『アウトフレーム』の面白さは、歳食ったここ数年でようやく解り始めた事だけどね。 
要するに、ワテが撮り勧める風景が『主』で鉄道が『従』の『風景鉄道』では、鉄道車両の占めるスペースはそこそこに、周囲の風景が『主』となるべく位置付けのアングルを採らねばならないのだ。

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『アウトフレーム』はしくじると
目も当てられないので度胸はいるが
ハマればワテ的一番星に

また、光線状態や超望遠による迫力写真、流し撮りなどの撮影技法はどうでもいい。
そんなのより、「一枚の写真で物語れる」写真が撮りたい。

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街へと向かうこの赤い奇跡の
残り回数がこの路線の残り日数だった
ストーリーを語れる写真が
ワテの目指す『撮り鉄』写真だ

そんな『撮り鉄』のセオリーと真逆な偏屈極まる今の自分のキッカケとなったのが、この無計画な『適当撮り』に出かけたこの撮影行かもしれないね。

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今のデザインの車両では休日を使って
『撮り鉄』に出かける気にはなれない
※ 丹後.com より

まぁ、今は『撮り鉄』するのも車かレンタカーだし、今の車両は「カメラ片手に無計画な撮影行」に出かけたくなるほどの魅力もない。

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昔の車両は統一された編成で
それはもうカッケーかったよ

正直言って、今の車両デザインでは、『撮り鉄』のターゲットとなる路線を見つけるのも四苦八苦している状況である。 まぁ、ワテが目指す「一枚でストーリー(物語)を語れる写真」ってのは、かなりハードルが高いんだけどね。

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朽ちる事しきり・・の旧きモノに
威厳と風格を感じる
ワテの目に映った主役は
間違いなく旧きモノだった。
一枚の写真で一晩語れるような
力のある写真が撮りたいね


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右翼さんを中心に夫婦の別姓と
日本の国の体の破壊と
皇室の破壊を結び付けているけど

逆にチョンの背乗り天皇をチョンと看破して
皇族もろともチョンに追放して
チョンとの関わりを完全に断つ事が
日本の国の体や家族・戸籍制度など
日本の古来の風習を守る唯一の方法なんだよね

なぜなら夫婦別姓の推進や戸籍制度の破壊など
を推進するパヨク・・即ち在日チョン
を招き入れて居座らせたのは
チョンの背乗り・天皇ヒロヒトだからだ

この世のありとあらゆるどんな事でも
事の起った原因を取り除く事が
それを是正する唯一無二の手法なのだから

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それに天皇信奉右翼の頭は在日チョンだし・・ね
奴らの目的は戦前型の大日本帝国憲法に倣って
天皇を国家元首とする全体主義体制の構築だからね


まぁパヨクに後れをとって
実現はしないだろうけど
チョンの背乗り天皇を国家元首に据えて
それを裏から操り日本の乗っ取りを企む
在日チョン・・それが天皇信奉右翼の正体だよ



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