2021-03-09 (Tue)✎
『路線の思い出』 第431回 釧網本線・茅沼駅 〔北海道〕
建て直された駅舎
:
この駅舎にワテの思い出はなかった
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
網走~東釧路 166.2km 513 / 583
運行本数(’21)
網走~釧路 5往復(内 快速1往復)
網走~知床斜里 下り2本・上り1本
網走~ 緑 上り1本
川湯温泉~釧路 下り1本
摩周~釧路 下り1本・上り2本
来年はこのシーンを撮りに行こうか
※ 産経新聞のウェブ記事より
茅沼駅(かやぬまえき)は、北海道川上郡標茶町字コッタロ原野北17線にあるJR北海道・釧網本線の駅である。 単式ホーム1面1線の駅で、かつては副本線(旅客ホームなし)や側線を有していた。
釧路駅管理の無人駅となっており、駅舎は1989年に改築されて三角屋根のログハウスとなっている。
改築前の駅舎は木造駅舎であった。 駅の所在する標茶町の統計では、1995年度の1日平均乗車人員は5人との事。 また、JR北海道の調査によると、2019年度の1日平均乗車人員は3.2人との事。
建て替えられた駅舎に
展示してあった旧駅舎の写真
こんな感じの駅舎だったようですね
旧国鉄士幌線・清水谷駅
駅名の由来は、1973年に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では「もともとこの地は『二つ山』と呼称されていたが、駅の付近一帯はカヤの群生する沼地で、駅名はこれに由来したものである」と紹介している。 これについてアイヌ語研究者の山田秀三は、「シラルトロ湖の事を『茅沼』としたのではなかろうか」と推測している。
30年以上も前の事が再現できる
フイルムはやっはりいいね
駅は釧路湿原の東端に位置し、『ラムサール条約』の登録湿地である釧路湿原のエリア内に所在する駅である。 かつての有人駅だった時代に、駅員によって餌付けされたタンチョウが来る駅としても知られる。
これは1964年の自然災害によって、タンチョウの棲息を心配した当時の駅長が自腹で始めたもので、駅長の交代時にも事務引継ぎ事項として餌やりが明記されていた。 餌付けは無人駅となった今も、地元町民や駅前の民宿の手によって引き継がれており、運が良ければ駅や車窓からタンチョウを、また冬にはオオハクチョウを見る事もできる。
今回の『思い出』は
タンチョウの来る駅での
遥か昔の思い出だ
※ ウィキペディア画像を拝借
鉄道でこの駅に下りたったのは、遠く30年以上も前の高校に入った頃の時だ。 その時は夏の『初めての北海道の旅』で、フイルムを間違えて室内用タングステンフイルムで撮ってしまった為に、撮った写真が『全ボツ』となる失態を犯して、そのリベンジに燃えていた時である。
だから、旅の目的は1にも2にも『全ボツ』となった『廃止ローカル線』の撮影だった。 だが、そのリベンジが大方成就して、なおかつ切符(周遊券)の有効日数が1日あった事で、この「ロクデナシ予備軍」のタワケガキも、「このままローカル線の『撮り鉄』だけで帰るのはチト惜しい」と思ったのだろうか・・、突発的に『撮り鉄』とは全く異なる旅行程を組んだのである。 恐らく、思い付きで行程を組みかえたのだと思う。 まぁ、コレは推測の域を出ないけれど。
切符の有効日数が1日余って
その消費に思いついたのが
『撮り鉄』ではなくタンチョウだった
でも、行程を組みかえても小僧特有の「目的と定めた一点以外は視界に入らない」という状況は変わらず、撮るのはタンチョウだけで、木造駅舎や駅員氏がタンチョウの餌撒きをする味わい深いシーンなど、全て眼中に入らなかったのである。
野鳥の飛来シーンとしてはダメ写真ですが
特筆すべきなのはこのシーンを撮ったのが
高校1年の小僧だって事ですね
これは『路線の思い出』の前回の記事の鳴子駅でも記した事だが、貴重な写真を撮るチャンスに気づかない・・という「もったいない」限りの事であるが、この年端の小僧に「撮りそびれた木造駅舎」が将来的に価値が生まれる事など想像もつかない事なので仕方ない事なのだと思う。 けれどこの時期には、このように同じ失敗を繰り返しているのである。 もちろんその失敗は、何十年か後のそれが消えて久しい頃に「悔しい思い」として頭にこびりつくのである。
もう『廃止ローカル線』の
リベンジは叶わないけど
タンチョウの飛来シーンの
リベンジは来年に必ず・・
それでも、『リベンジ』のメインターゲットに据えた『ローカル線の撮り鉄』は、今ワテの貴重な財産として残っている。 要は、「こういう財産をいくら持つ事ができたか?」で、人生の余暇が潤うか否かが決まると思う。 もちろん、この『財産』は他人にはほとんど価値のない(一部の趣味人対象のモノだしィ)モノだが、「既定路線を走ってきたまじめな奴ほど少ない」とワテは見ている。
要するに、そういった「人生の潤い」と引き換えに、『資産』・『地位』・『名誉』を獲得していくのだから。 だから世間的に名を馳せた奴は、年端もいかぬ若い世代から血を吐くような努力と引き換えに『資産』・『地位』・『名誉』といったモノを獲得していったのだろうけど、「人生の豊かさや余暇」を全てかなぐり捨てて成し得た『結果』なのだとも思う。
だがらワテは、結果が出るか明らかでない事(例えば勉学)に血の滲む努力を費やす奴を別に「偉い」とは思わないし、逆に悲壮感と憐れみを感じるよ。 そうなのだ。 もし若い時に「血の滲むような努力」を費やして、もし結果が伴わなかったなら貴重な若い時は全てムダとなるのなるのだから。
この時の『思い出』は
フイルムで全て再現できる
人生を豊かにする『財産』となった
:
アァ・・カメラを知った時がフイルムで
本当に良かったし「助かった!」
アララ・・、脱線してしまったよ。 それでは『駅の思い出』に戻ろう。 この駅で駅員氏がタンチョウを餌付けしている事は、旅に出る直前に発売された鉄道雑誌(たぶん、鉄○ジャー▽ル社の『旅と◇道』)を立ち読みして(当時の金のない小僧の情報取得手段は「立ち読み」だぁ!)知っていたので、すぐに行程変更の行先となったよ。
次の年末年始の目標の一つは
『冬のコッタロ湿原』と
前向きに飛来するタンチョウを撮る事だね
また、翌日は大阪への帰路に着くのだから、釧網本線は網走・釧路のどちらに行っても『周遊券』御用達列車の夜行急行【まりも】・【大雪】に乗れるのだから。 なおかつ、車どころか原チャリ免許しかない小僧では、『駅前名所』が観光における必須事項だったしィ。
匍匐前進の成果
今回の『2番星』はコレ
:
高校1年坊が匍匐前進してまで
撮ったので甘めの裁定でっす
・・で、降りたって、『匍匐前進』で有刺鉄線の前まで近寄って撮ったのを憶えている。 そう、その時は雪が鼻に当たって鼻水でグチャグチャになった事も。 でも、何故にせずともいい『匍匐前進』で近寄ったのかというと、「ヒトが近づけばタンチョウは逃げ去ってしまう」と信じ込んでしまっていたからだ。
言うなれば小僧特有の「アホな思考」であるが、こうやって「アホ」をしでかして一つづつ学び成長していくのですよ。
ログハウスとなった駅舎内
※ ウィキペディア画像を拝借
でも、そんな30年も前の『思い出の駅』もログハウス調の駅舎に建て替えられ、そしてタンチョウの餌付けをしていた駅長もいなくなる無人駅となった。 タンチョウへの餌撒きは、駅前の民宿が引き継いでるとの事らしい。
時が過ぎて、鉄道から離れて『ヤマ期』となったある夏に車で通りかかった時、駅舎が建て替えられ、あの時に見た情景が打ち消されて観光地化された事、無人駅となって餌を撒くのが制服を着た駅員さんでなくて、近くに住む観光協会の係員となった事で魅力を失って(夏だったし・・ね)、ログハウスの駅舎の中を見学しただけで立ち去った事も憶えている。
隣駅の五十石も駅利用者皆無の
判定を受けて廃止となるなど
時の流れは縮小・淘汰に向かっていた
※ ウィキペディア画像を拝借
この記事を記していて、「30年ひと昔」という言葉・・、そして時の流れの無常感をひしひしと感じるのである。
デジタル世代で失った能力・デザイン力
正直言うと何かにつけて
今のデザインセンスには戦慄を覚えるよ
車にせよカメラにせよ鉄道車体にせよ
今のはブサイクなモノばかり
またロゴなどのデザインセンスも
まるでダメですね
それは全て手書きとかではなく
コンピューター演算・抽出のモノを
組み合わせるだけのモノだからだ
だからデザインの肝である想像力が働かず
他人受けするかどうかはコンピューターによる
データ分析を採用するので個人の分析力も枯渇する
昔のデザインは半分以上が
創作者の手書きだったので
自身のウデを信じ周囲の情景と調和した
穏やかなデザインで購買意欲もそそったのに
今のデザインでは購買心も失せるよ
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No Subject * by ねむろ大喜
懐かしい^^)もう一度行ってみようかな
Re: No Subject * by 風来梨
ねむろ大喜びさん、こんばんは。
> 懐かしい^^)もう一度行ってみようかな
私もこの年末年始に、35年ぶりにタンチョウに逢いにいこうかと
No Subject * by hanagon
釧路湿原は好きで、若い頃何度か訪れていますが、おそらく茅沼駅には降りたっていないと思います。駅員のタンチョウへの餌付けは記憶にあるのですが。。
魅力的なエリアですよね。
魅力的なエリアですよね。
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
私もこの時に降りてから、永く30数年経ってしまいくした。 道東での野鳥撮影は根室の春国岱と温根沼に決め打ちしていて、茅沼の事はすっかり忘れていました。 15年ほど前の最後の山旅放浪で斜里岳と雌阿寒岳に登った時に車で立ち寄ったのみですね。 その時は、新しく建て替えられた駅舎にガッカリして、駅舎内に掲げられた旧駅舎の写真を撮ったのみで退散しました。
それで今年の年末年始に、コッタロ湿原と共に訪れる計画を立てました。 去年今年の念靴年始は『残念』でしたので、今から『リベンジ』が楽しみです。
私もこの時に降りてから、永く30数年経ってしまいくした。 道東での野鳥撮影は根室の春国岱と温根沼に決め打ちしていて、茅沼の事はすっかり忘れていました。 15年ほど前の最後の山旅放浪で斜里岳と雌阿寒岳に登った時に車で立ち寄ったのみですね。 その時は、新しく建て替えられた駅舎にガッカリして、駅舎内に掲げられた旧駅舎の写真を撮ったのみで退散しました。
それで今年の年末年始に、コッタロ湿原と共に訪れる計画を立てました。 去年今年の念靴年始は『残念』でしたので、今から『リベンジ』が楽しみです。