風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第430回  陸羽東線・鳴子(現 鳴子温泉)駅

『路線の思い出』   第430回  陸羽東線・鳴子(現 鳴子温泉)駅 〔宮城県〕

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駅舎の中に小劇場ホールも
設けられた鳴子温泉駅
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
      営業区間と営業キロ             輸送密度 / 営業係数 (’15) 
     小牛田~新庄 94.1km               980  /  245   

運行本数(’21)
    小牛田~新庄   下り3本・上り2本(内 1往復は仙台からの快速〔湯けむり〕
    小牛田~鳴子温泉 下り12本・上り13本
    小牛田~古川   下り9本・上り8本
    鳴子温泉~新庄  下り6本・上り7本

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温泉駅らしく
浴場暖簾が掛けられている
※ ウィキペディア画像を拝借

鳴子温泉駅(なるこおんせんえき)は、宮城県大崎市鳴子温泉字湯元にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)陸羽東線の駅である。 鳴子温泉の玄関口となる駅で、陸羽東線の運行上の要となる駅となっていて、一部の列車を除いて当駅で折り返しとなる。 1997年3月のダイヤ改正時に、現在の『鳴子温泉』に駅名改称されている。 2019年の1日平均乗車人員は209人との事。

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30年ほど前のあの頃と変わらないのは
駅ホームの配置構造くらいか
※ ウィキペディア画像を拝借

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の2面3線のホームを持つ駅で、互いのホームは跨線橋で連絡している。 隣接して乗務員宿泊所が設置されており、夜間滞泊が設定されている。 JR東日本東北総合サービス受託の業務委託駅であり、古川駅が当駅を管理している。 2018年8月末までは直営駅として駅長・助役が配置され、旧・鳴子町内(現在は大崎市)の各駅(川渡温泉~中山平温泉)を管理していた。

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駅舎の中は至ってシンプルな造りだ
※ ウィキペディア画像を拝借

駅舎は当時の地元・鳴子町の要望に応えて、1991年12月に改築された鉄筋コンクリート2階建てのもので、小劇場やコミュニティ施設が併設されている。 駅舎施設の約2/3が地元の施設扱いとなっている。 みどりの窓口及び、自動券売機・簡易Suica改札機が設置されている。 駅舎内に観光案内所があり、散策用の下駄の貸し出しや下駄手形販売の他、駅レンタカー業務を受託している。 また案内所の女性職員が観光駅長を兼務している。

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飯坂温泉・秋保温泉と共に
奥州三名湯として名の知られた
鳴子温泉郷の最寄り駅だ
※ 楽天トラベルより

駅名の如く、駅周囲には福島県の飯坂温泉、宮城県の秋保温泉とともに奥州三名湯に数えられた鳴子温泉郷の中心地・鳴子温泉の温泉街があり、駅前から滝の湯方面ならびに線路や国道47号と平行して温泉街が広がっている。 共同浴場は、『滝の湯』と『早稲田桟敷湯』がある。

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鳴子温泉郷に2つある
共同浴場の一つ・早稲田桟敷湯
※ ウィキペディア画像を拝借

大型ホテル・旅館や湯治宿などいろいろなタイプの宿が存在し、駅前には足湯や手湯もある。 
下駄履きで温泉街を歩いてめぐる風情を温泉街のキャッチフレーズにしていて、各旅館や鳴子温泉駅の観光案内所には宿泊客への貸し出し用の下駄が備えられている。 また、鳴子こけしの産地としてもしられ、温泉街の随所に土産物店や工房がある。

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駅舎入口脇に
源泉を引いた足湯がある
※ ウィキペディア画像を拝借



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陸羽東線に乗った目的は
ここでの『撮り鉄』だった

陸羽東線に乗って鳴子駅に降りたのは、ワテが「ティーンズ(死語)」だった駅名改正前の頃だ。
もちろん、駅に降りた目的は、次の駅の中山平(現在は中山平温泉)付近で鳴子峡を渡る陸羽東線の『撮り鉄』である。

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当時は風呂に入る目的を
果たすべく共同浴場へ
宵の温泉街を駆け抜けたっけ
※ 鳴子温泉観光協会ウェブより

当時はクアハウスなどはほとんどなく、あったとしても車という”足”のない『乗り鉄&撮り鉄』の身の上で立ち寄る事がほぼ不可能であり、こういった徒歩で共同浴場という”銭湯”に入れる『駅前温泉郷』は、「風呂に入る」という旅の継続の上では重要なファクターだったのである。

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鳴子駅に降りた目的は
この共同浴場『滝の湯』に
3日ぶりの風呂に入る事だった
※ ウィキペディア画像を拝借

だから、温泉名物の下駄や名産品のこけしなど目もくれず、駅を出て温泉街案内地図で共同浴場の『滝の湯』を探し当てて、一直線に共同浴場に向かったのを憶えている。 まぁ、鳴子名物の『温泉たまご』は、金のない小僧の夜食の足しになったけど。

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金のない小僧にはこういった
旅館の檜風呂は入れなかったしィ
※ 温泉部ネットより

当時は周遊券の有効期限20日間を目いっぱい使って北海道で駅寝『撮り鉄』旅をした後に、「一筆書ききっぷ」や「セ・セ・セ・セ青春18きっぷ」2枚で、東北の各線を『撮り鉄』狙いでウロウロしながら大阪へ帰っていた。

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いつも北海道旅の帰りに
『撮り鉄』ついでに東北の路線を
完乗しながら大阪に帰っていた

まぁ、こういう旅のスタイルだった事で、国鉄時代からJR分割民営化初期に東北の大半の路線を完乗できた訳である。 それは、国鉄時代は元よりJR分割民営化初期という、車両や駅舎などに国鉄の香りが色濃く残っていた時で、今にして思えば「美味しい」頃に完乗できたのである。

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判りにくいけど
国鉄色ツートンのキハ58です

だが、その「美味しい」頃に完乗を体験したが、当時は小僧ゆえに旅の目的の『ローカル線撮り鉄』以外のモノは全く見えておらず、駅舎らしい風格を抱く木造駅舎などはほとんどスルーして撮り損ねている。

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この頃は『撮り鉄』末期で
鳴子峡の渓谷風景など
鉄道以外にも目を向け始めていた

今にして思えば「何ともったいない事を」と悔やむ事しきりだが、当時の20歳にもならない小僧に、当時の「ありふれた」木造駅舎を将来にその多くが取り壊されて価値が出る事を予測するなど不可能だったろうから、これは仕方のない事だろう。

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あの頃は若かった・・
雪に埋もれて消えた渓谷遊歩道を
下って150m下の
渓谷の水際まで降りたのだから

でも、ウェブで駅舎のサイトを展開している駅舎のエキスパートさん達(秘境駅サイトや全駅下車達成の猛者さん達)は、こういう事を見越して木造駅舎をカメラ(もちろんフイルムカメラだろう)に収めていたのだろうね。

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いつまでも形あるモノとして
手元に残るフイルムで撮ってたからこそ
今日のブログ公開ができたのである

まぁ、そういうワテも、一部の”気に入った”木造駅舎はフイルムに収めているので、この『路線の思い出』というカテゴリで、時折自身で撮った『現物』の木造駅舎を公開する事ができるのであるが。

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『フイルムカメラ』と
動ける体力があったからこそ
今のワテの楽しみがある

そして、この頃が『フイルムカメラ』で本当に良かった。 カメラを知って趣味にした時が『フイルム』時代で本当に良かったよ。 言葉を代えれば『フイルム』だったからこそ、大切なモノを失わずに済んだと思う。 ホント・・写真を知った時が『フイルム』で、心から「助かった」と思うよ。

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もしデジタルだったなら
雪と格闘した記憶もアッサリと
「無かった事」にしてただろうね

もし、デジタルならば、ほとんどどころかほぼ全てが、その場の判断や旅から帰った後の編集作業で消去されて残ってはいないだろう。 自分の歩んだ『歴史』をいとも簡単に消す事ができて、それがクセとなるデジタル・・、こんな危ねぇモノは全くと言って「使えない」し、使う気も全く湧かないよ。

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形あるモノを残せない
危ないシステム・デジタルカメラは
到底使う気がしないよ

この事になると熱くなってしまうのでコレ位に留めるとして、駅や旅の思い出に戻るとしようか。
この当時・・、国鉄当時はあまり商売っ気がなく、またJR経営移管初期は『商売』に対しての模索をし始めた頃で、今のような企画切符はほとんどなく、(大まかに言って)あるのは企画切符の大御所である『周遊券』と、今も息の長いヒット商品となっている春・夏・冬休み期間というシーズン販売の『セ・セ・セ・セ青春18きっふ』の2つのみだった。

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冬季割引と(校長印を勝手に押して)学割で
特急・夜行急行を含め20日間乗り放題で
4割引の『魔法のきっぷ』だった北海道周遊券
※ ウィキペディア画像を拝借

でも、もっとも使える『周遊券』は、周遊エリアへの往路・復路を2割引の別払いでセットとなる「使えない」『周遊きっぷ』に変更され(その後『周遊きっぷ』は販売停止)、『セ・セ・セ・セ青春18きっふ』も必要のない区域にシンカンセンを通して、その割を食って在来線の多くが淘汰・減便されて「使い辛く」なったよ。

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鉄道事情が旅人サイドから
離れていってもうこんな旅は
できなくなってしまったよ

そして、JRに経営移管されてからの『商売』手法は、旅費が高くなるなど旅に出る若者が全く望まない「シンカンセンありき」で、観光地のホテルとかと提携して目的地への往復をシンカンセンに担うべくの『企画きっぷ』を売り出してきたのである。 まぁ、こんな『企画切符』は、旅に出る若者の使用対象とならない事は明らかで、鉄道を使って旅をする者は若者を中心に激減したのである。

まぁ、家族持ちの中年は今も昔も旅に出るヒマなどないだろうし、出てもせいぜい「マイカーで家族サービス」だろうから、JRの出した『企画切符』に乗るのは引退した老齢者か旅行会社のツアー企画くらいしかいないのである。

JRに経営移管されてからは、駅の無人化・駅の維持費削減の為の駅舎取り壊し・列車のワンマン化・人員削減など、徹底的なコスト削減で国鉄時代よりいい業績を残しているが、在来線を使う乗客数や休みシーズンの旅行者数は半分はおろか1/3にまで激減しているのである。 もちろん、上記に挙げた事だけが原因でないにしても・・である。 それは、今の鉄道の状況を分析すると、「東海道・山陽・東北・上越シンカンセン以外は皆コケた」状態なのである。

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風情豊かなローカル線が淘汰されて
鉄道への熱が冷めて
これまでは片手間に撮っていた
風景がメインターゲットとなったよ

そんな中で、ワテは鉄道への情熱に冷めて『ヤマ期』に突入する。 それは、鉄道がシンカンセン以外が縮小・淘汰されていくにつれて、鉄道が「生涯使い続けていこう」と思う『フイルムカメラ』の撮影対象とはなり得なくなったと思ったからだ。

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あれから30年経った今・・
細々とあの頃の
『駅寝撮り鉄旅』を再開している

何を書いてる記事か判らなくなってきたが、情熱を注いで鉄道を追い求めたあの時に『フイルム』で決して消えない”足跡”を残していて・・、いや「残す事ができて」幸せだと思う。

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撮り方は少し変わってきているかも・・
でも情熱を注いでいたあの時より
適当さは否めないけど

だから、細々と『撮り鉄』に戻った今も鉄道を使った旅の際は、あの頃と同じように『駅寝』を駆使しているのである。 そして、駅前銭湯などあの時の旅の記憶は、全て今の旅に活用できているのである。


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喘息のような咳が出る

『武漢ウイルス』が流行している折り
人前でコレが出ると立場を無くす

それで常時マスク着用となって
以前は着けるのが億劫だった
マスクにも慣れてきたよ

それと声が1オクターブ以上でなくなって
一生涯カラオケに
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No Subject * by hanagon
そういえば私の鉄道熱が冷めたのもローカル線が淘汰されていったからだと今にして思えます。日本から大事なものが心を含めてなくなっていってるのかなぁ。。そういう時代なのでしょうが。
ワイド周遊券は本当に便利でしたね。北海道、東北、山陰ワイドは使い倒しましたよ。
鳴子は仙台赴任時に何度も訪れました。鉄道でも温泉でも。お気に入りでした。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-291.html

Re: No Subject * by  風来梨
hanagonさん、こんばんは。

> 日本から大事なものが心を含めてなくなっていってるのかなぁ

本当に、流れに乗り遅れまいと必死になって、個性を失って皆横並びになってますね。

> ワイド周遊券は本当に便利でしたね。

周遊券が無かったら、ローカル線をめぐる事は不可能でした。
旅をするにはいい時代でしたね。


コメント






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No Subject

そういえば私の鉄道熱が冷めたのもローカル線が淘汰されていったからだと今にして思えます。日本から大事なものが心を含めてなくなっていってるのかなぁ。。そういう時代なのでしょうが。
ワイド周遊券は本当に便利でしたね。北海道、東北、山陰ワイドは使い倒しましたよ。
鳴子は仙台赴任時に何度も訪れました。鉄道でも温泉でも。お気に入りでした。
https://hanagon60.blog.fc2.com/blog-entry-291.html
2021-03-01 * hanagon [ 編集 ]

Re: No Subject

hanagonさん、こんばんは。

> 日本から大事なものが心を含めてなくなっていってるのかなぁ

本当に、流れに乗り遅れまいと必死になって、個性を失って皆横並びになってますね。

> ワイド周遊券は本当に便利でしたね。

周遊券が無かったら、ローカル線をめぐる事は不可能でした。
旅をするにはいい時代でしたね。

2021-03-01 *  風来梨 [ 編集 ]