風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第428回  美祢線・大嶺駅

『路線の思い出』   第428回  美祢線・大嶺駅 〔山口県〕

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路線敷設の目的である大嶺炭田が
旧海軍御用達の炭鉱であった事から
駅舎も立派だった大嶺駅
※ ウィキペディア画像を拝借

《路線データ》
    営業区間と営業キロ           輸送密度 / 営業係数(’15)    運行本数(’21)
   厚狭~長門市 46.0km             579  /  754          10往復

       廃止区間          運行本数            転換処置
    南大嶺~大嶺 2.8km         6往復            船木鉄道バス
                                 現在は美祢市コミュニティバス

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自身で撮った大嶺駅だが
ウィキペディアの方がデキが
いいのでトップを譲り渡し

大嶺駅(おおみねえき)は、かつて山口県美祢市大嶺町奥分に存在したJR西日本・美祢線の大嶺支線の駅である。 山陽鉄道によって厚狭~大嶺が開通した1905年9月13日に開設されるなど、当駅は美祢線では最古参の駅であるが、沿線の過疎化や大嶺炭田の炭鉱の閉山などで需要が減り、大嶺支線・南大嶺~大嶺間 2.8km の廃止に伴って1997年4月1日に廃駅になった。 駅名の由来は、駅のある地域が以前名乗っていた村の名前(美祢郡大嶺村)から。

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大嶺炭鉱の主要炭鉱・坑口の位置図
※ ウィキペディア画像を拝借

大嶺炭鉱の最寄り駅として繁栄した駅で、1953年には駅の貨物収入が全国で25位となる黄金期を迎えた時もあった。 だが、大嶺炭鉱が1970年に閉鎖されると一転して貨物も旅客も激し、蒸気機関車が1両の客車を引いて南大嶺との間を往復する閑散路線となった。 1971年10月からは、一般貨物の取り扱いが外部委託となっていた。

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炭鉱閉山後は側線は全て撤去されて
棒線ホームに線路一本の
ドン突き構造駅となっていた
※ ウィキペディア画像を拝借

大嶺炭鉱が栄えていた当時は側線が何本もあったが、閉山後は次々と撤去されて、廃止前には大嶺支線自体が線路が一本のみの棒線化されていた。 ホームは線路の西側に一つあるだけだった。 駅舎はホームの西側にあったが、廃止前には既に無人化されていた。

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この支線も炭鉱と
命運を共にしたのだった
※ ウィキペディア画像を拝借

1992年の1日当たりの乗車人員は15人との事。 また、大嶺炭田の閉山年である1970年の貨物発送トン数は、1日当たり928トンあまりとの事。 炭鉱最盛期の1960年代は、1日当たりの貨物発送トン数は2450トンとの事である。

大嶺支線廃止後の代替交通機関であるが、廃止直後は船鉄バスの路線に代替されたが、その後は船鉄バスが撤退し、美祢市が船鉄バスに運行を受託の上でコミュニティバス〔あんもないと号〕に移行して運行している。

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この駅名板は味があるね
この頃は駅舎に興味はなかったが
この駅名板に絆されて1枚撮ってたみたい
もちろんこの時は「12マイル15チェーン」
は何の事だか判らんかったけど

プラットホームの礎石に「12M15CH」(「12マイル15チェーン」と読む。 メートルに換算すると19,613.88m)の文字が刻まれていた。 この距離は厚狭~大嶺間の距離(廃止当時の営業キロは19.7km)とほぼ等しく、山陽鉄道の路線として開業した際に記念に刻まれた事や、イギリスの技術を用いて日本の鉄道が建設された事を示している。 この礎石の示す地点は、廃止当時の停車場中心とも一致していた。

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郵便局の敷地脇に立てられた
大嶺駅跡の石碑
※ ウィキペディア画像を拝借

現在の駅の跡地は駅舎・ホーム等はすべて撤去され、道路改良工事を実施の上で山口県道38号・美祢油谷線のバイパスに転用されている。



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本州の西の果て・山口県には
乗車困難な盲腸線が3路線あった

山口県には乗車困難な盲腸線が3線あった。 その3線は、いずれも『撮り鉄』の触手を伸ばす程に魅力がある訳でもなく、何より山口県という、恐らく九州の各都市よりも間違いなく感覚的に遠い果てにあるのだ。

その3線とは、山陰本線の支線・仙崎支線と小野田線の雀田~長門本山の通称・本山支線、そして今回取り上げる美祢線の南大嶺から分岐する1駅だけの支線・大嶺支線だ。

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炭鉱閉山後は寂れるに任した
ままの路線だった大嶺支線
※ 図書館で借りた
           『JR移行後に廃止になった路線』より

その3盲腸線における現在の状況は、小野田線のみが車で立ち寄った事があるだけの未乗で、後の2線は乗車済である。 そして、大嶺支線は1997年4月1日に廃止となっている。

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路線廃止後しばらくは
駅舎は取り壊されず放置されていた
※ 大嶺支線まとめサイトより

だから、近い内に小野田線の長門本山も訪れなければ・・と思うが、如何せん山口県は何気に遠いよ。
感覚的には、東北の羽越本線の鼠ヶ関辺りに向かうのと同じ感覚である。 例に挙げた山形県と新潟県の県境・鼠ヶ関も、青森や秋田に向かうより遠く手間がかかるのだから。

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仙崎支線の終点・仙崎駅
当時の仙崎支線は列車本数が多くあり
さほど乗車が困難ではなかった
※ ウィキペディア画像を拝借

まぁ、下らない例はここで留めておいて、この3支線の内の乗車2支線の乗車のあらましを語る事で記事のネタ展開をしようと思う。 まずは、山陰本線の仙崎支線。 ワテが訪れたのは、鉄道の追っかけをヤメて景勝地めぐりに意を注いでいた世紀の変わり目・2000年前後だ。

その時は山口県の長門市という本州の果てに、《龍宮ノ潮吹》と《青梅島》の遊覧船めぐり(本命は島根県の奥にある奥匹見峡)という景勝地と観光名所があり、それを取材!?してライフワークとしている我がホームページ『日本百景』の未訪空白地を埋める為に訪れたのである。 そして、その遊覧船の乗り場が仙崎港・・、即ち仙崎駅より歩いて5分の位置にある港だったのである。

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仙崎駅から徒歩5分の位置にある
青海島遊覧船乗り場
※ 青海島観光汽船のウェブより

その時は冬という事で天気が荒れ模様で、観光船も出港はするものの、青梅島への上陸や肝心のホルンフェルス大断層は立ち寄らないなどの短縮バージョンで、しかも朝の2便が欠航で昼前の5便が始発便となるなど、仙崎で3時間近くの観光船待ち時間ができたのである。

その時間潰しに往復したのが、仙崎支線の仙崎~長門市の往復である。 だから、普通の『乗り鉄』では絶対的に長門市から仙崎に向かってやってきて折り返すのだが、ワテは普通の『乗り鉄』では「有り得ない」逆の乗車径路で乗車したのである。 でも、この時(約20年前)の仙崎支線は12往復くらいの列車があって、比較的楽にクリアできる路線だったよ。 今は6往復で厳しくなっているけど。

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かつては駅の先にある
美祢斜坑まで線路が延びていたが
今は雑草に埋もれて
 ※ 大嶺支線まとめサイトより

次に、この記事のお題目で取り上げた美祢線の大嶺支線である。 この支線に乗った時は、仙崎支線よりも前に遡る高校生の時で、九州の「我が青春のローカル線」である宮原線に向かった時の道すがらである。

宮原線めぐりは、春夏秋冬及びシーズン及びシーズンオフ・・、付け加えると休日・平日(何で平日なんだよ、このタワケ)を問わず宮原線内のこの駅が『定宿』だったので、当然経路上での宿泊も駅寝となるのである。 まぁ、ただでさえ金のない小僧にシンカンセンで移動する甲斐性はなかったので、在来線アプローチが当たり前だったしィ。 なので、九州に渡るまで2日の日数かかったのである。

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宮原線までの道すがらで
立ち寄った陰陽連絡のローカル線で
『撮り鉄』のウデを磨いたよ

だから、駅寝の駅と未乗路線の完乗を両立させる為に、駅寝駅として使える無人駅の多い陰陽連絡のローカル線を経由しながら、ついでに『撮り鉄』も取り入れて学校サボっての旅を充実させていたのである。

この時に近年廃止になった三江線や木次線、福塩線や伯備線、そして下関~京都の山陰本線経由の大周りを完乗している。 そして陰陽連絡線であるものの、最も乗り辛い美祢線も使う事となったのである。

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「せっかく美祢線に乗るのだから」
と安易に計画を立てて苦労した
路線だった大嶺支線
※ 図書館で借りた
           『JR移行後に廃止になった路線』より

・・で、「せっかく美祢線に乗るのだから、大嶺支線にも乗っておこう」という流れになった訳である。 でも、仙崎支線と違って、この線は1日6往復(8往復だったかも)しかないのである。 また、美祢線は全くもって初めての路線で、今のようにネットのない時代で駅寝する駅を美祢線内で特定する事が困難であるなど、微妙に乗り辛い支線だったのである。

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微妙に乗り辛い路線だったよ
この大嶺支線は・・
今は雑草に埋もれて
 ※ 大嶺支線まとめサイトより

なので、宮原線から戻った前日は厚狭駅の待合室で仮眠したよ。 まぁ、当時は東京・大阪から九州へ夜行列車が頻発していたので、駅待合室も24時間開放だったし・・ね。 でも、ポリが見回りにこないかとヒャヒヤモノだったよ。 なぜなら、学校サボった平日の夜だから、家出少年扱いされかねないしィ。

h10 (4)哀愁漂う通勤客のいない
ボロボロの通勤車両キハ30

・・で、寒さより別の意味でヒヤヒヤモノの有人駅駅寝をやり過ごし、大嶺支線の始発に接続する美祢線の始発に乗る。 この時は、この先の長い山陰本線の鈍行旅を控えて時間もなかったので、駅で折り返すキハ30の単行と駅舎を撮ってから、着いての折り返しで戻る。

なお、山陰本線の鈍行旅は、すごくシンどいけど旅気分満点だよ。 この時に駅に興味があれば、度々の長時間停車の駅で全て降りて木造駅舎の写真を撮りまくっていただろうけど、厚狭での緊張の駅寝で疲れたのか、大半は寝ていたよ。

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山陰本線の夜行鈍行〔山陰〕
真に小僧の旅の力強い応援列車だったよ

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10形寝台に差してあった
〔山陰〕号のサボ

そして、大社線を往復してから、出雲市始発の普通列車〔山陰〕で京都周り大阪に帰る事によって、九州の宮原線から大阪まで料金不要で行き来ができたのである。 駅寝を駆使する『乗り鉄&撮り鉄』にはいい時代だったなぁ。


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前記事バナー下の続きだが
全世界的に蔓延した
『武漢ウイルス』災禍を終わらせるには

今もなおウイルス撒き散らし工作を
継続しているシナを完膚無きまでに
滅ぼす必要がある

シナが今もなおウイルス撒き散らしを
行っている証拠は乗っ取ってバイデンという
傀儡政権を据えて手なづけた米に変って
敵対勢力になってきたイギリスで
いきなり変異ウイルスが発生した事だ

また世界経済に関しても
全世界的なウイルス災禍に見舞われながら
GDPが上昇しているのはシナ1国だけという事
即ち『ウイルス災禍』を継続する事
よって世界で独り勝ち状態な事だ

それを防ぎ世界を取り戻す為には
乗っ取られた米でク 一デタ 一を起こして
バイデン・米民主党政権を倒して
アメリカを取り返す必要があるのだ

アメリカを取り返す事で
今までしたい放題の世界的犯罪集団の
アンティファやディープステイトなどを
根こそぎ犯罪者として訴追する事ができ

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日本でもチョンの背乗り天皇ヒロヒトを処刑せず
逃げた我が国の失態で招き入れた在日チョンを
天皇をチョンと看破する事を契機に
訴追・処罰・追放する事が世界情勢の中で
公然の義務となっていくのである







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