2021-02-20 (Sat)✎
『日本百景』 冬 第466回 オホーツク・流氷(根室標津) 〔北海道〕
敷き詰められた流氷源による
光の悪戯・・『四角い太陽』
オホーツク・流氷 おほーつく・りゅうひょう
海水が凍ってできた氷を“海氷”といい、その中で岸から離れて流れ動いているものを“流氷”という。
北海道沖では、海氷は即ち流氷といっていいだろう。
オホーツク海で最初に凍結するのは、北緯55度線上の西の端にあたるシャンタル島周辺およびそこから北東にのびる海岸沿いで、この海域はアムール川と付近の湾に注ぎ込む川水の為に表面の海水の塩分が薄くなって凍りやすく、またシベリアからの寒気が直撃する所でもある。
流氷はアムール川の淡水が凍り
その氷塊が1000km以上に渡って
漂流したロマンの塊だ
※ 88年能取岬にて撮影
シャンタル島付近で始まった結氷は東に拡大し、12月初めにはサハリン島北部の東海岸まで達する。
その後、氷域はサハリン島東に沿って南に伸びると共にオホーツク海中央部に拡張し、1月初旬にはサハリン島南端に達する。 北海道沿岸へ流れてくるのは、1月中旬から下旬にかけてである。
根室標津・野付半島の周辺位置図
行程表 駐車場・トイレ・山小屋情報
JR標茶駅よりバス(2:10)→旧国鉄根室標津駅前より海岸まで徒歩約15分
根室標津の駅舎も35年以上前の
始めての北海道で撮ったのみだが
その写真は「フイルム間違い」でボツ
なのでウィキペディア画像を拝借
もう、あの感動の流氷原と国後島、そして凍った海水面からの冷気による屈折現象から望める「四角い太陽」を望んでから35年の時が流れたよ。
廃止ローカル線を追っかけていた小僧は
上武佐の根釧原野を地形に逆らわず
にゆく標津線の虜となった
この時の目的は、二次廃止対象路線に指定されたが、長大路線という事で承認が保留された標津線の「廃止ローカル線おっかけ」で、真っすぐに一つの事しか追えない高校なりたての小僧のクオリティゆえに、恥ずかしながらこの感動の情景を望むまで流氷は眼中になかったのである。
この時はオオワシなどの
野鳥には目もくれずっていうか
野鳥を見つける目も撮る技量も
レンズは今もだけどなかったしィ
もちろん、オオワシやオジロワシといった野鳥類にも全く目をくれず、ひたすら標津線のアップダウンのみを追い求めていたのである。 だが、高校入りたての小僧という事で、まだアウトローの道・・、いわゆる『ロクデナシ道』には片足のくるぶし程度しかハマっておらず(この歳にしてもうその兆候があるのかよ、このタワケガキは・・)、当時宿泊費が最も安いユース・ホステルに宿泊しての旅だった。
ユースに泊って唯一の高校生と
モテはやされて『撮り鉄』から
『ディスカバー・ジャパン』に予定変更
だが、ユース・ホステルに泊って、その予定が狂ったのである。 それはユース・ホステルの宿泊者は大学生以上でワテだけが高校の一年坊だった訳で、大モテとなってチヤホヤされまくったのである。
・・で、本来なら標津線の始発に乗って標津線の『撮り鉄』に向かう所を、1日をかけて標津町の見どころをめぐって連泊するユース・ホステルのツァーに参加させられてしまったのである。
このツァーも、ある事の為に標津線の始発に乗るのと同じ位の早朝に開始となるのである。
まぁ、開始といっても、朝食前に丘の上に建つユース・ホステル(この時宿泊した標津町ユース・ホステルは解体されてもう存在しない)から徒歩で丘を下る事7~8分で海岸線に出て、流氷と朝日を望むだけなのであるが、この日は天気が良くて感動の日の出情景を魅せてくれたのである。
冷気と光が織りなす
奇跡の情景
丘に建つユースから海岸線に下ると
そこには奇跡の情景が広がっていた
海氷で冷やされた冷気と
大気の冷気がぶつかって現れる
光の悪戯『四角い太陽』
だがその奇跡の情景はほんのひとときで
陽が海上から離れると奇跡の情景は終わる
そしていっとき暗くなる
いつもの日の出情景となる
それは、朝日が敷き詰められた流氷の氷から上がる冷気で屈折現象を起こし、流氷原から『四角い太陽』として昇ったのである。 いわゆる、一種の『毛嵐』現象による光の悪戯である。 これを見た時、標津線は先延ばしにする事を決めたよ。
流氷原に浮かぶ
「近くて遠い島」国後島の感動の情景
その他にも、朝の光でピンク色に染まった流氷原に浮かぶ「近くて遠い我が国の領土」の国後島が茫洋と浮かび、情感を更に引き立ててくれた。 それは、この標津に立ち寄る前に納沙布岬で魅せられた流氷と、『北方四島・領土館』で感じた「北方四島返還の思い」が頭を過って、なおさら感傷的な眺めであった。
納沙布岬で北方四島返還への
強い想いに触れた後だったので
なおさら感傷的になる
小僧の『廃止ローカル線・撮り鉄』でいっぱいいっぱいの旅・行程表では、流氷を魅るのは納沙布岬と、『撮り鉄』のアテとして撮影を目論んでいた名寄本線と興浜南線と北線の流氷で、根室標津は全く眼中になかったのである。
最も狙っていた
名寄本線・沙留は青い海だったし
でも、名寄本線の沙留は流氷が沖に流されて消えていたし、興浜南線・日の出岬はスー海岸べりに残っていたが北線の北見神威岬も完全に沖に消えていたし・・である。
興浜南線・日ノ出岬は
海岸べりに残っていたが
興浜北線の北見神威岬は
流氷が沖に去った後だった
『撮り鉄』の観点からすると、先に興浜北線を攻めるべきでしたね。 いや、流氷が稚内まで北上するのは稀なので、北線を先に攻めてもハズしたら「一兎も得ず」となってたかもね。 だから、これでいいのだ。 そして、言葉に表せない感動を魅せてくれたので、ユースのツァーに参加したのは幸運だったよ。
35年前は結構残っていたトドワラ 白鳥の飛来地・尾岱沼
も今はほとんど残っていない
この後、ユースに戻って朝食を取ってから、野付トドワラ・尾岱沼・開陽台と標津の名所をユースのチャーターしたワンボックス車で周り、午後3時ごろに中標津駅に着いて解散となるが、午後3時に下ろされても次の宿泊地への移動が手一杯で、ほぼ確実に標津町ユースに連泊となる訳である。
「大地が丸く見える」開陽台では
美人の大学生のお姉さんをエスコート
・・で、そのままワンボックス車に乗ってユースに戻り、ユースの天気予報(これによって明日のツァー決行か否かが決められる)で「朝方は雪が降って日の出が拝めそうにない」という事で、明日は標津線の始発に乗って『標津線の撮り鉄』を1日遅れで再開する事にしたよ。
1日4往復で撮るのがムズい
『厚床線』は次回回しとなって
春の原野を行く情景に
この事で延びた1日を修正せねばならなくなったので、2日かけて『撮り鉄』する予定だった標津線を1日に短縮して、『厚床線』は次回回しとなったよ。 でも、次回に訪れた’86年~’87年は暖冬だったので、『厚床線』は春の原野をゆく写真となっちまったよ。
今度はこういうの撮りたいけれど
流氷の接岸する2月初旬にオホーツクへ
行けるのは定年を迎えた後だろうね
※ 映画『キタキツネ物語』のリニューアル版より
『武漢ウイルス』災禍が収まらないのも
日本が甘すぎる対応をしたが為に
チョンがモンスター国となって
日本に害を及ぼす事を防げないのも
全ては「そうなった原因」を
糾さないからに相違ないのだ
そうなった理由は『武漢ウイルス』が
シナが世界覇権を目論んで
撒き散らしたウイルス兵器
チョンのモンスター化は
チョンの背乗り天皇ヒロヒトを
キチンと処刑して在日チョンを
追い払わなかったからだ
それをせずして事もあろうに
感染拡大を引き起こすオリンピックの開催を
シナとの対決の決意と表して
開催させようとしている
それより先にアメリカを
パヨク・民主党の手から取り戻す
チョンの背乗り天皇をチョンと看破して追放し
チョンと完全に袂を分かつ
シナを『武漢ウイルス』を撒き散らした
犯罪国家として糾弾し責任を取らせるなど
せねばならぬ事が満載のハズだ
ほんとコイツ等右翼さんは
延々と騙され続ける愚か者なのか
それとも味方のフリをして
日本を壊すチョンやシナの手先なのか?
どっちだ?
- 関連記事
スポンサーサイト