風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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廃線鉄道 第48回 歌志内線

廃線鉄道  第48回  歌志内線 〔北海道〕

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かつては国内指折りの黒字線だった
歌志内線もこの日限りで路線廃止という事に
※ 北海道鉄道百景(JR北海道編集)より

歌志内線(うたしないせん)は、国鉄及びJR北海道が運営していた鉄道路線である。 北海道砂川市(空知支庁管内)の砂川駅で函館本線から分岐し、歌志内市の歌志内駅までを結んでいた。 国鉄再建法の施行によって第2次特定地方交通線に指定され、1988年4月25日をもって全線廃止となった。

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かつては先に延びる空知炭鉱の専用線
で積み出された貨車が側線に待機して
発送の時を待っていた栄華の跡形もなく

沿線の炭鉱から産出される石炭の積み出しの為に、1891年に北海道炭礦鉄道の手で開業した路線で、1906年に鉄道国有法によって買収・国有化され、官設鉄道となる。 以来、運炭輸送を中心に盛況を見せ、1963年には営業係数が64と日本で4番目の黒字路線となる実績を挙げてきたが、炭鉱の衰退に伴って客貨とも輸送量が減少していく。

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歌志内駅駅名標
かつて栄えた炭鉱街の面影なく
今や人口3000人と人口最少の市となった

1980年の国鉄再建法施行により、1984年6月に第2次特定地方交通線に指定される。 一時は第三セクター化も検討されたが、鉄道の存続意義であった空知炭礦の閉山(1995年3月に完全閉山)が確定的となり、1987年に国鉄からJR北海道に承継された後、1988年4月に路線廃止されてバス路線へ転換された。

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かつては芦別・赤平の炭鉱へ
向かって延伸計画もあったようだ
※ 北海道鉄道百景(JR北海道編集)より

なお、同様に砂川駅から分岐していた運炭路線の函館本線上砂川支線は、「函館本線の一部」とされていた為にこの時には廃止対象とはならず、1994年に廃止されている。 国鉄再建法による基準年の1982年度の営業係数は394だった。 また、終点の歌志内駅から根室本線の茂尻駅。もしくは平岸駅まで延伸する構想もあった。  廃線跡は、焼山~歌志内でサイクリングロードとして整備されている。

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歌志内線の予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
路線区間と営業キロ:砂川~歌志内 14.5km 、軌間:1067mm

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砂川駅で発売された
歌志内線全駅の入場券
※ 友人からの画像もらい受け

駅数:7駅(起終点駅含む)〔砂川〕・焼山・文殊・西歌・神威・歌神・歌志内
複線区間:なし(全線単線)、電化方式:なし(全線非電化)、閉塞方式:タブレット閉塞式
交換可能駅:なし(全線1閉塞)、運行本数:8往復

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石炭満載の長大な貨車を
牽引する蒸気機関車という
栄華を図案した歌志内駅スタンプ

  歌志内線・年表
1891年(明治24年)  7月  5日   北海道炭礦鉄道により、砂川~歌志内を空知線の一部として開業
                歌志内駅を新設
1896年(明治29年)10月21日   神威駅を新設
1901年(明治34年)  9月      空知線から分離し、空知線の歌志内支線となる
1906年(明治39年)10月  1日   砂川~歌志内 を買収、国有化
1909年(明治42年)10月12日   国有鉄道線路名称制定により、砂川~歌志内が歌志内線となる
1946年(昭和21年)11月  1日   文珠仮乗降場を新設
1947年(昭和22年)  2月20日   文珠仮乗降場を駅に昇格させ、貨物の取扱いを開始
1960年(昭和35年)  2月      文珠駅を民間に委託
           3月    ディーゼルカー運行開始 これにより客貨分離が図られ、砂川~
                歌志内の旅客運輸所要時間が従来の半分程度の20分余りに短縮される
           12月26日   歌神駅(旅客のみ取扱い)を新設
1961年(昭和36年)  2月10日   西歌駅を新設 文珠駅の貨物取扱いを廃止
           12月25日   焼山駅(旅客のみ取扱い)を新設
1972年(昭和47年)  3月15日   西歌駅・神威駅の貨物取扱いを廃止

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廃止を控えた末期の
歌志内線時刻表

1984年(昭和59年)  6月22日   第2次特定地方交通線として廃止承認
1986年(昭和61年)11月    砂川・歌志内を除き、駅での乗車券の販売を廃止
1987年(昭和62年)  4月  1日   国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(第1種)と日本貨物鉄道
                (第2種)へ移管
1988年(昭和63年)  4月25日   全線 (14.5km) を廃止し、北海道中央バスの焼山線に転換
2019年(平成31年)  3月31日   転換後の北海道中央バスの焼山線が廃止

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当初は第三セクターの道も
模索されたのだがバス転換となり
その代替バスも業績不振で廃止の憂き目に
※ 友人より提供してもらった写真より

  代替交通機関
廃線後は代替バスとして、北海道道627号・文珠砂川線を経由して砂川と歌志内を結ぶ北海道中央バス《焼山線》が設定された。 但しそれ以前より、砂川と歌志内を北海道道115号・芦別砂川線の上砂川町経由で結ぶ(砂川~上砂川は、同じく廃止となった函館本線の上砂川支線の経路に近い)バス路線《歌志内線》も設定されている。

《焼山線》は1997年度の時点で年間で約8万4千人の利用客があったが、2006年の砂川北高校の廃校などにより、2016年度には約3万5千人にまで減少する。 これによって、国・北海道・砂川市・歌志内市による2018年度の赤字補填額は2589万円に上る見通しとなり、中央バスとの協議の結果、《焼山線》は2019年3月31日限りで廃止された。

利用者数が国の基準を割った事を理由に、2018年10月以降は国の補助金打ち切りが決まった事も、《焼山線》廃止の決め手となった。 なお、バス《歌志内線は、引き続き運行されている。
 ※《焼山線》の廃止直前の状況(2018年12月1日ダイヤ改正時点)
砂川市立病院~晴見団地~焼山~歌志内市街~上歌新栄町 上下8往復(休日7往復)

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志内駅にて発車待ちのキハ40気動車
※ ウィキペディア画像を拝借
キハ56の急行【かむい】に乗ったのが嬉しくて
砂川で降り忘れて旭川まで通しで乗っちゃって
歌志内線乗車は夜の列車になっちゃった
なので写真撮っておらず

  乗車記
砂川からの2つの運炭路線である歌志内線と函館本線の支線・通称〔上砂川支線〕は、砂川駅の母屋に寄り添う本線筋のホームから最も離れた所から発着していた。 歌市内線が2面3線を有する砂川駅の母屋から最も離れた外側の3番線で、上砂川支線約に至っては駅母屋から100m離れていて、辛うじて跨線陸橋でつながっている『離れ小島』の5番線(4番線は欠番)から発車していた。

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歌志内駅入場券と乗車硬券

一応本線を名乗る函館本線の支線格である上砂川支線が5番線、歌志内線が3番線を使っていたようだ。 
この両線は、互いの反対側へと進んでいく。 つまり、砂川駅の5番線の島式ホーム(片側使用)を挟んで1本のつながった路線の形状を成していた。 まぁ、直通列車が行き交う事はなかっただろうけど。

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当時新鋭のキハ54も駆り出された
〔さよなら歌志内線〕の臨時列車
※ ウィキペディア画像を拝借

さて、砂川を出た気動車は深川側に進路を取り、大きく右にカーブしてペンケウタシナイ川沿いに進んでいく。 やがて、北海道の格上系の仮乗降場でよく見られるタイプのちょっと大き目の波板で造られた待合所を持つ焼山に着く。
 
清流の川は終点の歌志内まで寄り添うが、イメージ的には廃れた炭鉱町の暗い雰囲気が各所に漂っている。 次の文殊は、石勝線の旧来の夕張線区間であった川端駅と同じ造りの駅。 やはり、夕張という炭鉱を抱えていた地区と同じ目的で鉄道路線が敷かれたからだろうか?
 
そして、駅名の妙もこの路線は『目からウロコ』である。 まず焼山は、「蒸気機関車からの火の子で山火事が頻発した事にちなんで・・」らしく、次の文殊は3人の共同で炭鉱を経営していたらしく、『3人寄れば文殊の知恵』の諺にちなんだらしい。 ほとんど『ウソだろ?』と訝るような駅名のネーミングである。 なお、この文殊と砂川で反対方向に線路を延ばしていた上砂川支線の終点・上砂川は約1kmと近接している。
 
次の西歌は『西歌志内』の略らしい。 駅舎は、炭鉱の飯場兼仮眠場のような建物だ。 今は近くに歌志内温泉のクアハウス『チロルの湯』があるとの事だ。 西歌の次の神威は元有人駅との事で、駅務室跡が大きながらんどうとなって残っていた。
 
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今なら縁起切符でもてはやされた
かもしれない響きのいい駅名の歌神駅
※ 友人より提供してもらった写真より

次の歌神駅は如何にも意味有りげな響きを持つ駅名だが、実は「前駅の神威と次の歌志内の頭文字をとって引っ付けただけ」というオチを持つ駅だ。 立派な駅舎があった記憶があるのだが、それは建て直された簡易駅舎である。 それでも建て直されたにしては立派な駅舎だった。 なお、立派な駅舎は、前駅の神威駅の記憶違いのようである。

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更に1日学校をサボって早く旅発つなど
時間を作って昼間に乗れば良かった
※ 友人より提供してもらった写真より

次は終点・歌志内だ。 一応炭鉱路線という事で、数本の側線がヤードの形で配置され、またその奥の一本は空知炭鉱へと続いていた。 また、廃止直前まで細々ながらも炭鉱の積み出しがあり、路線廃止となる最後の最後まで石炭を運搬する貨車(通称・セキ貨車)が機関車につながれて、駅構内を往来していたという。



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建て替えられた砂川駅に
かつて『黒ダイヤ』輸送で
栄えた面影はなく・・
※ ウィキペディア画像を拝借

砂川駅(すながわえき)は、北海道砂川市東2条北3丁目にあるJR北海道・函館本線の駅である。 
砂川市の代表駅で、【オホーツク2号】と上り【宗谷】を除く特急列車が停車する。

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廃止になったもう一つの路線
上砂川支線ホームへ渡る跨線橋跡
※ ウィキペディア画像を拝借

駅構造は2面3線の相対式・島式ホームを持ち、乗り場は駅舎側から3、2、1番線(歌志内線があった頃と逆になってる)と並ぶ。 ホームは跨線橋で結ばれているが、エレベーターやエスカレータの設置はない。
かつては運炭路線の歌志内線・上砂川支線が発着していた事から多数の側線を有していたが、現在は撤去されている。 駅舎は西側に置かれている。

『みどりの窓口』を持つ社員配置駅で、自動券売機設置されている。 札幌~旭川の特急停車駅では、唯一自動改札機が導入されていない駅である為、窓口営業時間外は車掌によるきっぷの回収が行われる以外は、改札口に設置の回収箱による回収となる。 駅名の由来はアイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ(砂の多い川)」の意訳からで、駅が所在する現在の市名と同じ由来だが、駅名制定の方が古く自治体名が由来ではない。

幌内鉄道を受け継いだ北海道炭礦鉄道が、明治23年4月9日に夕張と空知の両炭山開発を進める為に、それぞれの支線とそれが繋がる幹線計画を北海道庁に提出した。 この計画で、空知炭山支線(歌志内線の事)の分岐点に策定されたのが当駅である。 計画当初の仮称は『歌志内』で、後に『砂川』に改められて『歌志内』は支線の終点駅名にされた。 なお、開業時は幹線支線共に空知線と称されていた。

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歌志内線があった頃の砂川駅

当駅は、歌志内や上砂川の空知炭田から出炭される石炭貨物の中継基地であった。 また、周囲には枕木の防腐処理工場(大正時代初頭まで)や枕木製造の木工場・軌道用の砂利採取場を抱え、鉄道敷設に欠かせない資材供給の拠点でもあった。 特に中国大陸へ進出していた昭和の初めから終戦までは、国内のみならず満州や中国の鉄道用に大量の枕木が生産発送されて、町中を木材の匂いが覆い、石炭よりも木材の町としての印象が大きかったという



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かつては『黒ダイヤ』と云われた
石炭輸送で栄えた為か
無人駅の待合所も立派な造りだった

焼山駅(やけやまえき)は、かつて北海道(空知管内)砂川市焼山にあったJR北海道・歌志内線の駅である。 歌志内線の廃止に伴い、1988年4月25日に廃駅となった。 廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。 片流れ屋根の待合室は、ホームから少し離れた所に設置されていた。

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焼山駅駅名標

駅名は駅所在地の地域名から採られ、その地域名が『焼山』となった説については諸説があって、「蒸気機関車の煤煙が原因で山火事がしばしば起こったから(具体的には、1892年に開拓民が初めてこの地に入地した時に列車の煤煙で山火事になった)」という説、さらには「空知線の敷設工事が進められていた1888年に付近で山火事があり、鉄道建設関係者によって通信上の渾名としてこの地点を『焼山』と名付けた事による」という説がある。

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焼山駅跡に建つ駅跡碑
※ 砂川市のウェブサイトより

歌志内線の廃止に伴って北海道中央バスの《焼山線》が新設され、当駅付近には『焼山』停留所が設置されていた。 しかし2019年4月1日に《焼山線》が廃止となり、当駅付近を通る路線バスは消滅している。 駅跡には、駅があった事を示す石碑が建てられている。



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同じく石炭輸送で栄えた
石勝線の川端駅と同じ造りの文殊駅舎

文珠駅(もんじゅえき)は、かつて北海道(空知管内)歌志内市字文珠にあったJR北海道・歌志内線の駅である。 歌志内線の廃止に伴い、1988年4月25日に廃駅となった。 廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。

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文珠駅駅名標

駅名はこの地の地域名より採られたもので、近くにあった炭鉱が三人の共同経営であった為、「三人寄れば文珠の知恵」の諺にちなみ命名されたといわれている。 この炭鉱名が、そのまま地域名となったとの事である。



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請願駅でも立派な駅舎が建つのは
『黒ダイヤ』輸送で栄えた証

西歌駅(にしうたえき)は、かつて北海道(空知管内)歌志内市字文珠にあったJR北海道・歌志内線の駅である。 歌志内線の廃止に伴い、1988年4月25日に廃駅となった。 廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。 駅名は『西歌志内』を略して、この駅名になったといわれている。

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西歌駅駅名標

駅設置の背景は、1908年12月に住友石炭鉱業赤平砿業所・歌志内砿(以下住友歌志内炭砿と略)の前身である中村炭砿が貯炭場までの分岐線を設ける。 その後のこの炭砿は、いくつかの企業によっての経営権移動を経て、1928年12月から住友の経営となった。

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住友・歌志内炭鉱の専用線管理の
為に駅員も配置されていた

それまでのこの分岐線は神威駅管理であったが、分岐点が神威駅から約1.5kmと遠く離れていた事と、1960年にディーゼルカーが導入された事などによって住民と石炭積み出しの利便を図る為、市が土地と建設資金の一部を負担する条件で開設された駅である。 これにより住友歌志内炭砿の分岐線は当駅管轄となって、1971年9月の同砿閉山まで石炭貨物の取扱を行なった。



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これまた立派な駅舎の神威駅

神威駅(かもいえき)は、かつて北海道(空知管内)歌志内市字神威に設置されていたJR北海道・歌志内線の駅である。 歌志内線の廃止に伴い、1988年4月25日に廃駅となった。 廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する無人駅であった。 有人駅時代の駅舎が残っていた。

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神威駅駅名標

駅名の由来は、北海道炭礦鉄道が1893年に申請した鉱区名の神威(カムイ)から採られたとの事である。 当会社が鉱区をこの名前にした由来は詳細不明で、近くの『カムイヌプリ』(神威岳)、もしくはペンケウタシナイ川の支流『カムイシンレルマップ』(ただしシンレルの意味が不明な為、全体の意味も不明)から「カムイ」を採ったのではないかとされている。 また「かむい」ではなく「かもい」と訛っている理由も不明。 ちなみに、地区の名前は「かむい」と訛っていない。

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空知炭鉱の支鉱の神威鉱・西山鉱への
専用線管理の為に設置された為
運転所の機能が配された駅だった神威駅

駅設置の背景は、北海道炭礦鉄道空知線が歌志内まで開通すると同時に、同社神威砿からの積出し用専用線も開通した事が大まかな理由とされるが、当駅の設置は神威砿よりも。むしろ同社空知砿の西山坑からの運炭の為とされる。 西山坑は1896年に開坑し、出炭量が神威砿よりも多かった為、北炭はこの開発を計画して上砂川地区への展開を計ったが、断層やガスが多いとして断念している。

1924年には鉱区の一部を三井鉱山に売却するなど経営を縮小し、1931年に閉山した。 北炭神威砿専用線の他、住友新歌志内炭砿専用線・三井文珠炭砿専用線、および西歌駅ができるまでの住友歌志内炭砿専用線の管理駅であった。



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石炭を取り扱わない駅でも
立派な駅舎が建てられたのは
『黒ダイヤ』輸送で栄えた証だろう

歌神駅(かしんえき)は、かつて北海道(空知管内)歌志内市字歌神にあったJR北海道・歌志内線の駅である。 歌志内線の廃止に伴い、1988年4月25日に廃駅となった。 廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。

当初は踏切側に2階建ての駅舎を有していたが、後に片流れ屋根の平屋の駅舎が、踏切から少し奥まった位置に建て直されている。 近隣の商店に乗車券の販売を委託した簡易委託駅であった。

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歌神駅駅名標
存在すれば縁起駅名で
注目されていただろうね

駅名は当駅の所在した地区名からで、その『歌神』は1903年4月に歌神炭礦がこの地に開坑した事が始まりである。 この炭砿名は、歌志内と神威の中間にある事から名付けられた。



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炭鉱の閉山で石炭輸送を失い
閑散となった歌志内駅
※ 『郷土館・ゆめつむぎ』のウェブサイトより

歌志内駅(うたしないえき)は、かつて北海道歌志内市字本町1027番地にあったJR北海道とJR貨物の駅である。 歌志内線の終着駅であった。 歌志内線の廃止に伴い、1988年4月25日に廃駅となった。
単式ホーム1面1線を有していた駅で、ホームに接して駅舎があった。 また、数本の側線が敷設されており、空知炭礦株式会社の空知炭鉱へ続く専用線も存在した。

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歌志内駅より先も
空知炭鉱への専用線が延びていた

駅名の由来は、当鉄道敷設時までこの地には正式な地名がなく、ライマンの空知炭田調査以来「オタシナイ炭山」と呼ばれていた。 「オタシナイ」(オタ・ウシ・ナイ)とはアイヌ語で「砂の多い川」という意味で、当地を流れるペンケウタシナイ川やパンケウタシナイ川から来ており、本来は砂川駅周辺の地名であった。

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かつてはこの側線に石炭満載にした
発送待ちの貨車が並んでいたのである

鉄道開業時になって当駅側にオタシナイに当て字をした『歌志内』の駅名が決定され、砂川駅は「オタシナイ」の意訳の方を宛てられて、それぞれ駅名がその地の地域名となった。

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駅跡地に立てられた
『郷土館・ゆめつむぎ』

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『郷土館・ゆめつむぎ』の館内に
展示されている歌志内駅駅名標
※ 上下いずれも
歌志内市の『郷土館・ゆめつむぎ』
のウェブサイトより

駅の跡地には、郵便局や『郷土館・ゆめつむぎ』が建設されている。 また、歌志内線の線路跡は、当駅跡から焼山駅跡までがサイクリングロードとして整備されている。


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その状況で外人の無制限の入国を許す
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日本の国を守る為・・国民の命を守る為
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終息宣言が出されるまで
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