風来梨のブログ

このブログは、筆者であるワテの『オチャメ』な日本全国各地への探勝・訪問・体験記です。

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路線の思い出  第423回  芸備線・備後落合駅

『路線の思い出』   第423回  芸備線・備後落合駅 〔広島県〕

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鉄道では誰一人来る事のない
正月休みの備後落合駅

《路線データ》
     営業区間と営業キロ          輸送密度 / 営業係数(’15) 
   広島~備中神代 159.1km            1734  /  513
                     ※ 芸備線の広島近郊区間の輸送密度は
                       9000人以上で、備後落合~東城は
                       一ケタの8~9人と極端に差がある

運行本数(’20)
広島~三次
広島発着の三次方面行 普通 毎時2~3本(列車の半分以上が途中の下深川・狩留家・志和口止りで
                    三次までの列車は下り14本・上り15本〔1~2時間に1本〕
           広島~三次 快速〔みよしライナー〕4往復

三次~備後落合
           普通 三次~備後落合 5往復
              三次~備後庄原 2往復
              三次~府中(福塩線直通列車)6往復

備後落合~新見
           普通 備後落合~新見 3往復(内 下り1本は快速)
              東城~新見 3往復(内 1往復土・休日運休)

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1日に僅か11本の列車が発着するのみの
閑散駅となった備後落合駅

備後落合駅(びんごおちあいえき)は、広島県庄原市西城町八鳥にあるJR西日本の駅である。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線のホームを持つ駅で、駅舎は木次線が使う単式ホーム側に設けられており、芸備線が使う島式ホームへは構内踏切で連絡している。 開業当時は跨線橋があったが、太平洋戦争中に撤去された。

当駅の所属線である芸備線と、当駅を終点とする木次線が接続する駅で、中国山地の山間部に位置している。 1935年に開業し、1937年に木次線が乗り入れてからは、備北地区の基幹駅の一つとして機関区宿泊所・保線分区・通信分区などが設置され、一時は200人超の職員が勤務していたという。

現在も木次線と芸備線の乗換駅であるが、定期列車は三次方面が1日5本、木次・新見方面は各3本の3方向で1日の合計が11本と少なく、各方面同士の接続もあまり考慮されていない。 2018年度の1日平均乗車人員は18人との事。

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急行【ちどり】
かつては木次線を通じて
陰陽連絡の任も担っていた

かつては、準急から格上げされた急行【ちどり】や【たいしゃく】・【やまのゆ】などの優等列車が運転され、機関車の付け替えや分割併合・スイッチバック運行などが行われていた。 また、駅前には2軒の旅館・タクシー・食堂・理髪店などが進出し、「落合銀座」と呼ばれるほど盛況したという。

だが、蒸気機関車から気動車への置き換えによって職員数が減少し、過疎化・道路網の発達により利用客も減少した。 利用者数が減少してからも3人の係員が常駐し、当駅で折り返す木次線列車の運行管理・出札業務に当たっていたが、1997年3月22日のダイヤ改正によって、木次線(当駅~出雲坂根)で運行される列車が庄原の列車集中制御所 (CTC) で自動制御できるようになった事で、運行要員が不要となって同日から無人駅となった。

その後もモータリゼーションの影響や過疎化を受けて陰陽連絡の任も解かれ、2002年に急行【ちどり】や【たいしゃく】などの優等列車の運行が廃止されて、当駅はワンマン列車のみの発着となった。 

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かつて栄えた駅の遺構である
駅構内に放置された転車台
※ ウィキペディア画像を拝借

かつての駅構内には機関車庫・転車台・給水塔・貯炭場が備わり、駅に隣接して駅職員の備後落合駐泊所があった。 駅横の鉄道官舎・機関庫は既に撤去されているが、貯炭場・転車台は残されている。

当駅がJR西日本の岡山支社・米子支社・広島支社の境界である為、トロッコ列車の〔奥出雲おろち〕号を含め、全ての列車が当駅で折り返す。 ただし、三次方面からの列車は夜間滞泊を行う運用の為に、駅舎の一部が乗務員宿泊施設となっている。

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3番線の外側の側線は
雪に埋もれたまま放置されていた

3番線の外側には数本の側線がある。 信号システム上、新見方面から1・2番線に直接進入する事ができない為、新見方面から木次線に入る列車は一旦側線に到着し、入換で2番線に転線してから木次線に入るが、現在は新見方向から木次線に入る列車運用はなく(2004年夏の新見~出雲坂根で運転された快速〔奥出雲〕以来ナシ)、側線は使われずに錆びついている。

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駅舎側の木次線発着ホームは
完全雪に埋もれたまま放置されている

当駅を含めた前後の区間は豪雨・豪雪により不通となる事がしばしばある。 豪雨は三次方面に、豪雪は木次・新見方面に多く、特に最も閑散線区の木次線の県境超え区間は、雪が降って一度深い積雪になると春まで除雪されず、ジャンボタクシーによるバス代行運転となる。

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列車の通らない線路は
全て雪に埋もれるまま放置されていた

当駅の信号機配置によって、構造上は次のような列車発着が可能である。 1番線は、木次方面からの到着と木次方面への出発。 2番線は、三次または木次方面からの到着と全方面への出発。 3番線と3番線外側の側線は、新見または三次方面からの到着と新見または三次方面への出発となっている。

1番線の線路は当駅東側で2番線に合流しており、木次線から到着した列車の機関車等の入換えが可能な配線となっているが、当駅の東側に1番線に対する出発信号機は設置されていない。 かつては現在の2・3番線の島式ホーム内に、地元の飲食店『環翠楼』が経営する立ち食いそば・うどん店があったが、1990年3月ダイヤ改正で優等列車の急行【ちどり】が廃止された為、同年10月末に駅での営業を終了し、うどん店は駅付近のドライブインに移転している。

現在は列車の発着時を除き、利用客はほとんど見られない状態で、かつて駅前に多数並んでいた店舗もほとんどが廃業していて、いわゆる『秘境駅』となっている。 だが、ターミナル駅としての遺構が残る『秘境駅』として鉄道ファンから注目を集めた事に加え、駅付近に在住する元国鉄機関士による駅構内や周辺の清掃・地元の鉄道ファンや観光協会の活動により、近年では利用者数が微増傾向にあるという。

駅前には商店などはなく空き家が2軒ある。 前述の通り、かつては県道の坂道の途中の川側には美容室・新聞販売店・道後タクシーの営業所があったが、現在はタクシーの営業所以外は全て廃業して廃屋となっている。 タクシー営業所も無料の直通電話の設備があったが、今は利用できない。 坂道の終点であり、小鳥原川を渡る橋の正面には大きな木造2階建ての建物があるが、これは元は旅館であった。



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備後落合駅の駅名標

備後落合は駅紹介の項目でも記した通り、広島県北部の鉄道の要衝だったが、今は『秘境駅』然として寂れ、鉄道ファンによる趣味的な要衝駅となっている。 また、当駅を鉄道利用で日帰り可能な都市圏は広島市街以外になく、その広島駅でさえも始発列車で出発しても、備後落合で列車折り返しの僅か20分しか滞在できない運行ダイヤとなっている。

なので、『秘境駅』を目指して訪れる鉄道ファンの大半もマイカー・レンタカー利用でやってくるのが実情のようだ。 また『撮り鉄』も、レールバス型の魅力に乏しい車両をターゲットに撮りに来る者はほとんどおらず、鉄道ファンとして列車に乗ってこの駅を訪れる者は、季節運行されるトロッコ列車の奥出雲おろち〕号に乗り込んだ追っかけがいる位だろう。

また、訪れて知り得た事だが、冬の木次線は雪が線路を埋める程の積雪があれば以降の列車の運行を取り止めて、雪が解けて線路が再び現れて列車の運行が可能となる春まで、1ボックス車による代行バス運行となる。 つまり、冬は利用客皆無だから、規定通りの時刻で1ボックス車を日に3往復させるだけなのである。

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木次線を撮る為にこの駅で駅寝して
乗客として乗るのさえ難しい
芸備線の1番列車に乗りますた

まぁ、それを知らずに、ヤマで撤退した代替処置として隣駅の道後山で冬の年越し駅寝をしてまで訪れたワテは、飛んだ被害に見舞われたよ。 でも、ヤマでの撤退の代替えだったので、テントなどの駅寝グッズと食料は持参していたので、正月早々に「干上がる」最悪は回避できたけど。

まぁ、隣の道後山より、地元民でもなかなか乗れない6時台の始発列車(この列車は快速で新見を5:18と早朝に発車する)に乗って備後落合に出る。 もちろん、乗客などいない。 要するに、年末年始休みの『乗り鉄』の活動期で、その『乗り鉄』を持ってしても乗車不能の列車なのである。

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もし木次線が動いていたとしても
列車に乗って『撮り鉄』
しに来る奴は皆無だったろうね

付け加えると、その「乗車不可能」な列車に敢えて乗ってきた奇特なワテでさえも、新見方向に戻る事は昼の14時台の『2番列車』まで待たねばならぬなど、ほぼ無理筋な列車運行であった。 唯一の「逃げ道」は、1日5本とちょっと余裕のある三次方面の2番列車である9時台の列車に乗って広島に抜ける以外にないのだ。

いや・・、夏ならば木次線で宍道・松江に抜けるって手もあっただろうし、降雪で線路が埋まった時点で木次線の運行が休止される事を知らなかった時は、計画の選択枝として出雲坂根で撮って松江方向へ抜ける事も考えていた。 でも、木次線代行のジャンボタクシーの乗り場案内が駅の掲示版に掲示されているのを見た時点で、「逃げ道」は9時台の三次方面の2番列車で抜ける以外にない事が確定したよ。

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今思えば廃屋をアテにして撮れば
もうちょっと情感が出せたかも

だが「木次線が動いていた」としても、『撮り鉄』するには8時台に備後落合に到着する芸備線の2番列車と、同じく備後落合に到着する木次線の列車を駅近くで撮って、その折り返しに乗るか、芸備線と木次線のそれぞれ1往復4本を撮って、タクシーかヒッチハイクで車を捕まえて(たぶん後者が有力)、出雲坂根か亀嵩に出て撮る(亀嵩なら列車本数倍増)以外に手はないけど。

この条件で、『秘境駅』で何にもない(当時は元国鉄機関士さんによる駅ギャラリーもなかったしィ)所で14時台まで待つのも無駄なので、三次行の折り返し列車として備後落合に到着する8時台の1本を撮って退散する。

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備後落合駅周辺は
倒壊しかけの廃屋が茫洋と佇んでいた
※ グーグル画像を拝借

まぁ、木次線が動いていたなら色々とできたのだろうけど、「ジャンボタクシーなら乗っても仕方ないしィ」という事で、8時台の到着列車を撮るだけに留める。 撮影場所と決めた木次線との分岐点までは、見事な位に建物の壁が抜けて完全廃墟となった店屋跡が茫洋と佇んでいたよ。 今思えば、こういう廃墟をアテに撮るのも良かったかもしれないね。


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前回の続き
FC2では名が売れてるかもしれないが
ワテを含むYahoo!移転者を
無能呼ばわりしたり

撮った写真を見せたい事が原動力となって
開設してる写真ブログの存在を
「閲覧者にとって迷惑な存在」
といって存在否定するこのクズに
腹を据えかねて皮肉交じりに文句を言ったら

事もあろうにワテのブログの
この件に関して書いた記事に対して
17~19前後の女子校生に歳を誤魔化した
コイツがコメント荒らしを仕掛けてきたよ

でもコイツは専門のHTML技法以外の
知能が低レベル過ぎて
モノの道理が理解できない御仁だったようで

PVアクセスランキング にほんブログ村
PC通信技術を熟知しなければ使う事ができない
特殊なアドレスを用いてアラシを行った事で
正体がチョンバレだったよ
もしかしてその通り
チョンのヒ△モドキかもね


でも今になって『写真ブログ』ユーザーを
貶し疎かにするコイツの製作したテンプレートは
掲載写真の開示がものすごく遅いと
感じたユーザーによって他のテンプレートに
変えられる事が多発しているみたいだね
ワテが知る限り7つの『写真ブログ』で
テンプレートが変えられてるみたいだよ



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存在価値… * by hanagon
この駅は華やかなる時代(の名残があった頃)に何度も列車で通り、乗換えました。ホームのうどんも食しました。夜行のちどりにも乗りました。
2000年代に入り、20年ぶりの冬に訪れた当地は見る影もないほど淋しい姿になっていました。木次線も雪で運休(私も訪れて知る事になりました)していました。
鉄道好きの私でさえ、庄原以東の芸備線と木次線の存在価値はまだあるのだろうか?と、悲しいことに考えてしまいます。。

No Subject * by 朝弁
こんばんは。

雪が降る分
朽ちることも早いのでしょうね。

Re: 存在価値… * by  風来梨
hanagonさん、こんばんは。

夜行の急行【ちどり】に乗られましたか。 夜行の急行【ちどり】は、急行【のりくら】と並んで、伝説の夜行気動車急行ですね。 私は夜行の急行【のりくら】は乗りましたが、【ちどり】は、出雲坂根で掲載の写真を撮ったのみです。 羨ましい。

あと、木次線の存在意義は、経費は旅行社持ちで利益を上げてるトロッコ列車の為だけにあるって事を耳にした事があります。 芸備線の庄原以東は、廃止理由を探してる最中のようですね。

Re: No Subject * by  風来梨
朝弁さん、こんばんは。

かつてこの地域は、スキー場もある行楽地だったようです。 でも、今はスキー場は閉鎖され、コーストタウンになり、宿場町だったこの駅周辺も過疎で廃屋だらけとなっています。

コメント






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存在価値…

この駅は華やかなる時代(の名残があった頃)に何度も列車で通り、乗換えました。ホームのうどんも食しました。夜行のちどりにも乗りました。
2000年代に入り、20年ぶりの冬に訪れた当地は見る影もないほど淋しい姿になっていました。木次線も雪で運休(私も訪れて知る事になりました)していました。
鉄道好きの私でさえ、庄原以東の芸備線と木次線の存在価値はまだあるのだろうか?と、悲しいことに考えてしまいます。。
2021-01-21 * hanagon [ 編集 ]

No Subject

こんばんは。

雪が降る分
朽ちることも早いのでしょうね。
2021-01-21 * 朝弁 [ 編集 ]

Re: 存在価値…

hanagonさん、こんばんは。

夜行の急行【ちどり】に乗られましたか。 夜行の急行【ちどり】は、急行【のりくら】と並んで、伝説の夜行気動車急行ですね。 私は夜行の急行【のりくら】は乗りましたが、【ちどり】は、出雲坂根で掲載の写真を撮ったのみです。 羨ましい。

あと、木次線の存在意義は、経費は旅行社持ちで利益を上げてるトロッコ列車の為だけにあるって事を耳にした事があります。 芸備線の庄原以東は、廃止理由を探してる最中のようですね。
2021-01-21 *  風来梨 [ 編集 ]

Re: No Subject

朝弁さん、こんばんは。

かつてこの地域は、スキー場もある行楽地だったようです。 でも、今はスキー場は閉鎖され、コーストタウンになり、宿場町だったこの駅周辺も過疎で廃屋だらけとなっています。
2021-01-21 *  風来梨 [ 編集 ]