2021-01-12 (Tue)✎
『路線の思い出』 第422回 飯山線・森宮野原駅 〔長野県〕
改築されて観光交流館との
合築となった森宮野原駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
豊野~越後川口 96.7km 704 / 249
運行本数(’20)
長野~飯山 下り15本・上り15本
飯山~戸狩野沢温泉 下り13本・上り13本
戸狩野沢温泉~森宮野原 下り8本・上り8本
森宮野原~十日町 下り8本・上り8本
十日町~越後川口 下り10本・上り10本
建て替え前の旧駅舎
;
駅舎としては断然
コッチがしっくりとくる
※ ウィキペディア画像を拝借
森宮野原駅(もりみやのはらえき)は、長野県下水内郡栄村大字北信にあるJR東日本・飯山線の駅である。 長野県最北端に位置する駅であり、新潟県境に近接している。 2010年4月1日付の支社管轄割り当て見直しにより長野支社の管轄エリアは当駅までとなり、当駅以東は新潟支社の管轄となった。
かつては木材輸送に活況を呈した通り
数本の側線と貨物ホームがある
※ ウィキペディア画像を拝借
駅構造は島式ホーム1面2線及び、側線・貨物ホーム1面1線(通常不使用)を有する駅である。
駅舎はホームの南側にあり、構内踏切でつながっている。
タブレット閉塞が行われた頃は終日社員が配置されていたが、飯山線のCTC化と同時に簡易委託駅となり、駅の管理は飯山駅が行っている。 常備券や補充券によって乗車券が発売されていたが、2004年にPOS端末が設置された。 開業当初からの木造駅舎は小さな平屋建てであったが、2003~04年にかけて駅舎改築工事が行われ、2004年4月に交流館『ふきのとう』を併設した二代目駅舎が竣工した。 夜間滞泊は2本設定されている。
この駅で7.85mの最大積雪を
記録した事を示す標柱が立っている
当駅では1945年2月12日に7.85mの積雪を記録し、それを示すメジャーが横倉方面のトンネル寄りのホーム端に立てられていたが、1990年1月にJR日本最高積雪地点を示す標柱が駅構内に設置された。
JR東日本によると、2019年度の1日平均乗車人員は28人との事である。
駅名の由来であるが、当駅は長野県と新潟県の県境付近に位置しており、長野県側の栄村北信の小字『森』と新潟県側の津南町上郷の小字『宮野原』を合成した駅名である。 なお、当駅より越後川口側に150mほど進んだ地点で渡る信濃川が、長野・新潟の県境となっている。
『森宮野原』という駅名で
空想した情景は美しい雪景色だった
森宮野原駅・・。 この駅にまだ降りた事がない頃に・・。 そう、まだ飯山線さえ乗った事のない頃にこの駅名を耳にした時、ワテは壮大な想像を抱いたのである。 それは、「『森宮』という高層湿原が近くにあり、その高層湿原が『野原』と呼ばれている」という空想である。
そして、冬は人知れずこの高層湿原が雪の大原野となっていて、それはスキー場とかとは離れた山の中腹にあり、手付かずの大自然の秘境として存在する我が求める『パラダイス』な情景が近くにある駅だと。
高層湿原は近くにあるが
それは『野原』ではなく
苗場山や鳥甲山の高層湿原だった
でも、こんなに「お腹いっぱい」な妄想を浮かべるとは、我ながら何と「お目出度い」タワケだと思うよ。 でも、妄想は妄想でしかなかった訳で、高層湿原はあるにはあるが、それはこの地の奥深くにそびえる苗場山の高層湿原で、妄想を膨らませた駅の周囲はタダの村役場所在地でしかなかったのである。
そして、「後で知った事だが・・」という言葉の通り、この駅名が長野県の栄村の字名『森』と、新潟県の津南町の字名『宮野原』との合体駅名で、『野原』などどこにも存在しないのである。
駅近の『野原』は妄想でしかなかったが
雪が魅せる秘境の里『秋山郷』はあった
だが、高層湿原のある苗場山と対峙する鳥甲山がそびえるこの駅の奥の山里に、「お腹いっぱい」になれる『パラダイス』な情景『秋山郷』が存在したのである。
昔は雪に閉ざされて
飢餓の里となった歴史を持つが
今は美しい情景を魅せる
雪国の里となっている
昔はこの雪を前にして
成す術がなかったのだろうね
※ じゃらんの掲載写真より
この駅名の真実を知って・・、つまり飯山線に初乗りして程なく、廃止ローカル線が全て淘汰された事によって鉄道への情熱が冷めて、四季を問わずの新たなる『パラダイス』として『秋山郷』が旅のターゲットとなったよ。
雪に埋もれた大瀬ノ滝 雪を噛む蛇淵ノ滝
夏の無雪期は、我が【名峰百選】に選びし名峰として、苗場山と鳥甲山の踏破も果たしたよ。
また、冬はその素晴らしい情景に絆されて、連続で通ったよ。
まだこの時は二十歳そこそこ・・
レンタカーを借りる金も雪道を
運転する根性も持ち合わせてはいなかった
こういった旅での唯一の贅沢と云えば
この地にある温泉めぐりだったよ
※ 切明温泉・・じゃらんの掲載写真から
でも、まだレンタカーなどを借りる資金もなく、また冬の雪道を車でゆく度胸もなかったので、日に4本しかない『秋山郷』への路線バスに乗り、最終バスで飯山線の駅に戻って無人駅で駅寝するっていう、ローカル線を追っていた頃と同じ旅の形だったよ。
気持ちが鉄道から離れても
先立つモノや宿に対する知識のなさから
『撮り鉄』時代と同じ事をしていたよ
だから、冬の『秋山郷』の魅力の半分もカメラに収める事ができなかったよ。 それは、情景に感動してカメラを向ける以前に、戻るバスの時刻やその日の駅寝場所の選定や、まだコンビニが出回ってなかった頃だったので、その日の食い扶持の確保など、「旅を楽しむ」以上に「旅での暮らし」事を重要視せねばならなかったのだから。
1泊でも宿に泊る甲斐性と根性があれば
もっと旅は充実したのに・・ね
まぁ、1泊でも民宿にでも泊ると、こんな旅の状況も思いっきり改善されるのであるが、財布の中身を見ると宿に泊る勇気を出す事ができなかったよ。 それに「宿がどこにあるか?」とかその予約の方法など、金出して宿に泊った事がなかったので知らなかったしィ。 言うなれば、宿の位置及び予約方法で知っていたのは、唯一利用した経験のある『ユースホステル』だけだったしィ。
今庄ノ滝
:
宿の位置は知らなくても
「地図に載らない無名滝」は
数多く知ってたよ
雪を掻いて出入りするという
秘境駅№1指定の小幌駅も真っ青な
雪に埋もれた究極の秘境駅・田子倉
雪を掻いて駅舎から這い出ると
神秘の湖の情景が広がっていた
:
その情景は『森宮野原』の
駅名で夢見た情景だった
アメリカが乗っ取られ
傀儡政権を立てられたというのに・・
日本を侮蔑し侵食する敵だというのに・・
未だにチョンの背乗り天皇に頭を下げる
愚かな奴が多くて呆れ果ててしまう
:
なので今回はワテの写真に対する考えおば・・
ワテは風景でも『撮り鉄』でも
「いいのを撮ってやろう」と作為をしない
要するに「いいのを撮る」為に
撮影地を『ロケハン』したり機材を新調したり
写真術を学んだりって事は一切しないって事だ
:
ちなみにワテの望遠レンズは
中古屋で買った30年モノ(8000円)だしィ
それはその場で撮影に挑んだ時に
思って・感じて行動した事が
最高の選択だったと思っているからだ
だから撮影時の感性を鈍らせる
後付けのモノは持ち込まない事にしているのだ
でも失敗する事も多々あるし
現像から上った結果を目にして
「こう撮ってれば良かった」と
思う事も少なからずある
でも失敗は再度『リベンジ』に出て
『撮り』返しに行けばいいのだし
今『失敗』と思っていたモノが
後にプレミアがつく『お宝写真』に化ける事もある
だから失敗だと思っても
そのコマは捨てずに取っておくし
何より悔いるのは『失敗』する事じゃなくて
『リベンジ』を果たせぬままに
それが消えてもう撮れなくなる事であるから
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No Subject * by 根室大喜
秘境駅で寝た@@?
Re: No Subject * by 風来梨
根室大喜びさん、こんばんは。
この時に駅寝した飯山線の無人駅は、秘境駅としては『グレーゾーン』ですね。
水とトイレとテントが張れるスペースがあれば、人も寄りつかず快適ですよ。 寒いけど。 夜の『撮り鉄』や夜明けの情景が撮れるので、寒さはガマンのし甲斐があります。
この時に駅寝した飯山線の無人駅は、秘境駅としては『グレーゾーン』ですね。
水とトイレとテントが張れるスペースがあれば、人も寄りつかず快適ですよ。 寒いけど。 夜の『撮り鉄』や夜明けの情景が撮れるので、寒さはガマンのし甲斐があります。
No Subject * by hanagon
このあたりは豪雪地帯という認識を若い頃から持っていて、雪に埋もれた只見線と飯山線を2月に乗り継いだことがあります。
森宮野原駅は私も当時興味を持っていたのですが、普通の田舎の小駅という記憶ですかね。もちろん大雪に埋もれていましたが。
森宮野原駅は私も当時興味を持っていたのですが、普通の田舎の小駅という記憶ですかね。もちろん大雪に埋もれていましたが。
Re: No Subject * by 風来梨
hanagonさん、こんばんは。
>雪に埋もれた只見線と飯山線を2月に乗り継いだことがあります
私と同じ行程ですね。 私は秋山郷から飯山線に戻って足滝で駅寝、只見線は雪に埋もれて営業していた伝説の秘境駅・田子倉で駅寝しました。
秋山郷は、撮り鉄末期に冬に2回周りました。 記事を書いてたら、また行きたくなりましたね。
>雪に埋もれた只見線と飯山線を2月に乗り継いだことがあります
私と同じ行程ですね。 私は秋山郷から飯山線に戻って足滝で駅寝、只見線は雪に埋もれて営業していた伝説の秘境駅・田子倉で駅寝しました。
秋山郷は、撮り鉄末期に冬に2回周りました。 記事を書いてたら、また行きたくなりましたね。