風来梨のブログ

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廃線鉄道 第44回 鍛冶屋線

廃線鉄道  第44回  鍛冶屋線 〔兵庫県〕

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線内の中心駅・西脇にて
加古川線と西脇市の中心部を結ぶ
野村~西脇は都市近郊路線並みの輸送量があった
※ ウィキペディア画像を拝借

鍛冶屋線(かじやせん)は、兵庫県西脇市の野村駅(現在の西脇市駅)から兵庫県多可郡中町(現在の多可町中区)の鍛冶屋駅までを結んでいたJR西日本・の鉄道路線である。

西脇市の中心部を通っており、野村~西脇に限れば比較的利用者が多く(輸送密度で5000人/キロを超えていた)、加古川線から分岐していた4路線(鍛冶屋線・三木線・北条線・高砂線)の中では最も輸送密度が高かった。 その為に、特定地方交通線第1次廃止対象線区からは除外された。 しかし、第3次廃止対象線区の選定では、除外基準が引き上げられた為に特定地方交通線として承認され、1990年4月1日に路線廃止となってバス路線へ転換された。

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駅跡は鉄道のあった事を伝える
鉄道資料館となり傍らには
行き交った車両が静態保存されている

当路線の敷設に関して・・であるが、この地域では明治20年代後半から鉄道建設の構想が何度も挙がったが、尽く実現していなかった。 始めて路線建設の動きを見せたのが、時が経過した1910年11月の事で、加東郡河合村(現在の小野市)の有志が出願した軽便鉄道の計画が認可を受けて、1911年5月に播州鉄道(株)が設立された。

播州鉄道は、現在の加古川線にあたる路線の建設を進め、1913年に西脇駅まで開業する。
その後の建設工事は遅れていたが、当時の播州鉄道の大株主で地域の大地主でもあった藤井滋吉が、私財を投げ打って建設工事を進めさせる。 この事によって、西脇~市原の約3.2kmだけが全線開業の2年前(1921年)に先行開業している。

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ブログ記事のネタ仕入れの為に
駅跡を訪ねるまでコレが
鍛冶屋線で唯一の持ちネタだった

これを目にした他の地区の住民も慌てて土地の提供や資金の拠出に乗り出し、残りの鍛冶屋までの線路も、1923年5月6日に開業を迎える事となった。 また、この先も多可郡加美町(現在の多可町加美区)まで延伸される計画であったが、第一次大戦後の不況で経営が悪化し、延伸計画は断念されている。

播州鉄道の路線は播丹鉄道に承継され、福知山線に接続する野村~谷川も同社の手によって開業されている。 この区間の開業により、鍛冶屋線の区間は加古川線の支線となった。

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大祭参詣輸送や地域の特産品輸送に
活況を呈した路線も廃止となり
「夏草や兵どもが夢のあと」な情景となっていた
※ グーグル画像を拝借

鍛冶屋では金比羅大祭という祭りが毎年開催されており、この祭りの時期に合わせて臨時列車が増発され、最盛期の1938年には、30分おきに列車が運行されていた記録があるという。 貨物輸送もそれまで馬車で運ばれていた原糸が鉄道輸送に切り替えられ、鍛冶屋の地場産業である播州織を支えていた。

また、加美町から出荷される杉・檜も、昭和10年代には年間4万トンほどが鍛冶屋駅から発送されていた。 酒造り用の米である山田錦の発送も行われ、中村町駅や鍛冶屋駅にはその為の引き込み線も用意されていた。

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鉄道に対して希望があった時代・・
途中駅の駅舎も立派だった

貨物輸送の実績があり、兵庫県中央部の主要都市・西脇を通る事から第二次大戦中に戦時買収され、野村~鍛冶屋が国鉄・鍛冶屋線となる。 だが、昭和40年代に入る頃から、モータリゼーションの進展と地場産業の変化に伴い、旅客・貨物輸送量共に落ち込み始める。 昭和52~54年度の輸送密度が2039人/日だったのが、56年度1600人/日、59年度1400人/日と落ち込み、営業係数は1026となっていた。

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鍛冶屋線の廃止に伴い国を締めた
『カナソ・ハイニノ国』の遺構の一つが
このハデな塗装された気動車だったのだろうか
※ 鍛冶屋線・市原駅資料館のウェブより

沿線では、存続運動の拠点としてミニ独立国『カナソ・ハイニノ国』の建国が1984年11月に宣言された。 なお、国名は、鍛冶屋側から駅名の頭文字を順に並べたものである。 様々な利用促進イベントを実施して注目を集めたが、廃線を止める事はできなかった。

1986年に特定地方交通線第3次廃止対象線区として申請され、翌年承認される。 1987年4月にJR西日本に承継されたが、同年6月に専門委員会が設置されて、『第三セクターへの転換』・『全線バス転換』・『野村~西脇のみの存続』の3案が挙げられ、各案の検討がなされた。

当初は第三セクター化が有力視されていたが、先に第三セクター化された北条鉄道・三木鉄道がいずれも転換当初から経営難に直面した為、兵庫県が支援に難色を示し、その結果1988年12月に全線廃止・バス転換が決定され、1990年4月に廃止された。 同日に廃止・転換された宮津線・大社線と共に、特定地方交通線では最後までJR運営で残った路線であり、各線の廃止・転換をもって特定地方交通線全線の転換が終了した。

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鉄・鍛冶屋線の予想路線図
ウェブサイトに載ってある地図を
真似て作成しただけなので
あくまでも『予想図』の範疇です

《路線データ》
路線区間と距離(営業キロ):野村(現 西脇市)〜鍛冶屋 13.2km、軌間:1,067mm
駅数:7(起終点駅含む)〔野村(現 西脇市)〕・西脇・市原・羽安・曽我井・中村町・鍛冶屋
複線区間:なし(全線単線)、電化区間:なし(全線非電化)、交換可能駅:西脇

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都市近郊区間だった野村~西脇のみ
毎時1本以上・ラッシュ時は
30分ヘッドで運行されていた
※ ウィキペディア画像を拝借

  運行形態
加古川線の加古川駅 - 野村駅間と一体的に運行され、運転系統としては鍛冶屋線側が本線的な扱いであった。ほぼ全列車が加古川駅 - 西脇駅間および加古川駅 - 鍛冶屋駅間に直通運転されていた。
また、西脇駅からも加古川線の野村駅 - 谷川駅間に直通する列車が設定されていた。

廃止時点で、加古川〜鍛冶屋の列車がほぼ1~2時間ごとに運転され、その間に加古川〜西脇の列車が1~2本運転されていた。 全線の所要時間は約23分だった。

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かつては木材や当地原産の
生糸や酒造米などの輸送用に
側線と貨物ホームのあった鍛冶屋線
※ 図書館で借りた『特定地方交通線』より

  鍛冶屋線・年表
1913年(大正  2年) 8月10日: 播州鉄道が国包(現在の厄神)〜西脇を延伸開業
                西脇が開業
           10月22日:野村(現在の西脇市)が開業 野村~西脇は約1.6km
1921年(大正10年)  5月  9日:西脇~市原(約3.2km)が延伸開業 市原が開業
1923年(大正12年)  5月  6日:市原~鍛冶屋(約8.2km)が延伸開業し、既存の鍛冶屋線(13.1km)
                が全線開業 羽安停留場・播鉄中村・鍛冶屋が開業
           12月21日:播丹鉄道に譲渡
1924年(大正13年)12月27日:野村~谷川の延伸開業に伴い、野村~鍛冶屋は支線となる
1943年(昭和18年)  6月  1日:播丹鉄道が国有化され、野村~鍛冶屋が鍛冶屋線となる
                播鉄中村駅が中村町駅に改称 羽安停留場が駅に変更
                路線のキロ修正で、0.1km延長して13.2kmとなる
1961年(昭和36年)10月  1日:曽我井仮乗降場が開業 約2か月後の12月20日に駅に昇格
1974年(昭和49年)10月  1日:貨物営業が廃止
1987年(昭和62年)  2月  3日:第3次特定地方交通線として廃止承認
           4月  1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道に承継
1988年(昭和63年)12月   :全線廃止・バス転換が専門委員会によって決定
1990年(平成  2年)  4月  1日:野村~鍛冶屋の全線が廃止バス転換となる
                鍛冶屋線の廃止に伴い、野村が西脇市に改称

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鍛冶屋と市原の駅跡は
駅舎改装保存や旧駅舎を模して
建て直されて鉄道資料館になっている
※ ウィキペディア画像を拝借

  代替交通と廃線跡
廃止後の線路跡地は、自転車道として整備されたり、既存の道の拡幅の為の用地やバイパス道路の整備の為に供出されている。 また、鍛冶屋駅跡や市原駅跡が鉄道記念資料館として整備されるなど、駅跡の鉄道公園化が図られている。

また代替バスは、神姫グリーンバスの西脇~鍛冶屋~加美区方面の路線が代替バス路線として位置づけられているが、この路線は西脇市中心部を迂回する為、鍛冶屋線の廃線跡を忠実にトレースしている訳ではない。

またこの他、多可町コミュニティバス〔のぎくバス〕の直行路線が、鍛冶屋線廃線跡に近いルートを運行する(全便が土休日運休)。

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西脇までと西脇より先は
まるで別路線だった鍛冶屋線

  乗車記
鍛冶屋線の在りし時は西脇市の街外れで、田舎の駅そのままの野村が鍛冶屋線の始発駅だ。 
今は駅舎もリニューアルされて西脇市の代表駅となっているとの事だが、やはり野村から鍛冶屋線に乗っての次の駅・西脇が市街地の中心で、利用客の数もそれに相応しかったようである。
 
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ここまでは駅に対抗列車が
発車するシーンが望めた

そして、野村~西脇の1区間を行き交う区間列車の設定も、全運行列車の約半分を占めていたのである。 
駅舎も中核都市の中心駅らしく、コンクリート造りの長い平屋建の町の駅らしい様相であった。
 
さて、この西脇を出ると、途端に片田舎の長閑なローカル線となる。 似ているといえば、五能線の東能代~能代のそれと似ているだろう。 五能線も能代を出れば、1日数本の超閑散線区となるのだから。
 
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今この木造駅舎があったら
毎日のように駅鉄さんが訪れるだろうね

次の市原は、蔵のように屋根の高い立派な駅舎を持つ木造駅。 途中駅でこの立派な門構えは、この路線の創業期には一時終着駅になっていた事からだろうか? 周囲は裕福そうな農家の戸建と、その田園が広がる典型的なローカル線の眺めだ。
 
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もしこの頃に駅に興味があったなら
たちまち時を駆ける旅人となれただろうね

次の羽安は、当時のローカル駅舎の定番のような造りの駅舎であった。 木の壁にオロナミンCやボンカレーなどのあのチラシが張ってあるのを目にしたなら、たちまちタイムトラベルしたような心地となろう。
 
次の曽我井は後の開業駅で、駅舎もなく始めから無人駅を想定した駅。 次の中村町は、当時の行政町であった多可郡中町(現 多可町)の中心駅。 駅舎も町の中心で、町の名産である酒造米の蔵を模った立派な駅舎が印象的だった。

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現在の鍛冶屋駅跡は
旧駅舎を改装した
鉄道資料館となっている

中村町を出ると、ほどなく終点・鍛冶屋に着く。 駅は中町の街外れで、いつも閑散としていた。
また、この奥にある加美町(現在は中町と共に合併されて多可町となっている)は、杉やなどの森林資源の宝庫で、木材の集積場があちらこちらにあったのが印象的だった。



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野村を名乗っていた当時の駅舎
※ ウィキペディア画像を拝借

野村〔現 西脇市〕駅(のむら〔にしわきし〕えき)は、兵庫県西脇市野村町にあるJR西日本・加古川線の駅である。 1990年3月31日までは鍛冶屋線の起点であり、その当時は野村駅(のむらえき)を名乗っていた。 西脇市の市街地へは、当駅から鍛冶屋線で一駅進んだ西脇駅の方が近かったが、同路線の廃止に伴って、当駅が代わって『西脇』を駅名に冠するようになった。

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鍛冶屋線廃止後に『西脇市』と
駅名改称されて
駅舎も現代風に改築された
※ ウィキペディア画像を拝借

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を持つ駅で、加古川駅が管理し、JR西日本交通サービスが駅業務を受託する業務委託駅となっている。 みどりの窓口の設置駅である。 現在は、ICOCAを含む交通系ICカードは当駅までしか利用できない。 2018年の1日平均乗車人員は797人との事。

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鍛冶屋線在りし頃の
『野村』駅の駅名標

運行上の境界駅となっており、この駅から谷川方面は本数が少なくなる。 また、当駅を越えて運転される列車も下り列車1本のみで、それ以外は当駅で乗り換えとなる。 車庫がある厄神駅と同様に、列車の夜間滞泊が行われる駅である。

加古川方面は日中時間帯でも1時間あたり1本運行されており、谷川方面は1日9本(土曜・休日は8本)と約半分となる。 2001年3月2日までは、当駅と加古川駅を結ぶ快速列車が運転されていたが、現在は当駅発着の列車はすべて普通列車となっている。



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駅前にロータリーがあり
列車が頻発する
近郊都市の駅だった西脇駅

西脇駅(にしわきえき)は、かつて兵庫県西脇市西脇にあったJR西日本・鍛冶屋線の駅である。
鍛冶屋線の路線廃止に伴い、1990年4月1日に駅廃止となった。 西脇市の中心部に位置し、同線の主要駅であった。 なお、現在の西脇市駅とは別で、現在の西脇市駅は、鍛冶屋線が廃止される前の当駅が存在していた時には、同線の分岐駅で駅名は『野村駅』であった。

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西脇駅の駅名標

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有していた駅で、単式ホーム側(駅東口)に駅舎があり、駅前にはロータリーがあった。 駅長のいる直営の有人駅で、みどりの窓口も設置されていた。

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鍛冶屋線廃止後は
西脇駅舎は早々に撤去されて
市の市街地改良事業に供された
※ ウィキペディア画像を拝借

駅廃止後の跡地は、駅によって分断されていた道路が東西に結合され、駅前にあったロータリーも撤去された。 跡地には神姫バスの西脇バスターミナルや、西脇ロイヤルホテルが建設されている。



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一時期終着駅だった事もあって
かなり立派な駅舎の市原駅

市原駅(いちはらえき)は、かつて兵庫県西脇市市原町にあったJR西日本・鍛冶屋線の駅である。
鍛冶屋線の路線廃止に伴い、1990年4月1日に駅廃止となった。 鍛冶屋線の延伸建設の際は一時期終着駅になった事もあり、交換設備のある相対式2面2線だったようである。 だが、晩年は交換設備は撤去されて、単式ホーム1面1線のみとなっていた。 無人駅だったが、有人駅時代の木造駅舎があった。 

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市原駅の駅名標

上に記したように、播州鉄道の株主であり西脇商業銀行(太陽神戸銀行の前身)の創設者の一人であった地元の大地主・藤井滋吉が出資し、西脇~市原の先行延伸開業を成し遂げている。 当駅は、その延伸開業の際には終着駅だった。

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現在の駅の跡地には旧駅舎を復元した
鍛冶屋線・市原駅資料館が建てられている
※ ウィキペディア画像を拝借

鍛冶屋線が廃止となり駅舎が解体された後に、駅の跡地には旧駅舎を復元した鍛冶屋線・市原駅資料館が建てられている。 また、資料館の北側には、キハ30形気動車2両が静態保存されている。 駅近くには、当駅の生みの親である藤井滋吉の旧宅が、『コヤノ美術館・西脇館』として保存されている。



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何とも言えないローカルな
雰囲気が漂う羽安駅

羽安駅(はやすえき)は、かつて兵庫県西脇市羽安町にあったJR西日本・鍛冶屋線の駅である。
鍛冶屋線の路線廃止に伴い、1990年4月1日に駅廃止となった。 単式ホーム1面1線のみを有していた駅で、無人駅であったが古い木造駅舎があった。

駅のあった場所の地名は、もともと羽山であった。 また、この地域一帯は、杉原川を渡って北側にある多可郡中町(現多可町)の安田地区と合わせて安田郷と呼ばれていた。

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羽安駅の駅名標

鉄道が建設される際に羽山と安田の間で駅の取り合いになり、羽山側に建設されるが駅名は安田口と一旦は決定されて、実際に切符の印刷までされていたが、羽山側の反発を受けて両者の地名から1文字ずつ取って『羽安』という駅名に決まった。 1952年に町村合併により西脇市となった際に、町名を駅名に合わせて羽安町としている。

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駅跡はホームが一部残され
小公園化されている
※ ウィキペディア画像を拝借

駅の跡地は公園になり、ホームの一部が残されている。 レールは撤去されているが、レール・枕木の模様が地面に描かれている。



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この駅のみ戦後の請願駅で
棒線ホームのみで駅舎も無かった

曽我井駅(そがいえき)は、かつて兵庫県多可郡中町(現:多可町中区)曽我井字上川原にあったJR西日本・鍛冶屋線の駅である。 鍛冶屋線の路線廃止に伴い、1990年4月1日に駅廃止となった。

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駅跡を示した説明板と駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借

単式ホーム1面1線のみを有していた駅で、沿線住民の請願によって1961年に開設された請願駅。
開設当初からの無人駅で、駅舎はなかった。 駅の跡地は道路になっているが、道路脇に駅があったことを示す案内板が立っている。



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かつて中町という町の中心で
待ちの代表駅として
立派な駅舎を構えていた中村町駅

中村町駅(なかむらまちえき)は、かつて兵庫県多可郡中町(現:多可町中区)中村町字巴流にあったJR西日本・鍛冶屋線の駅。 鍛冶屋線の路線廃止に伴い、1990年4月1日に駅廃止となった。
多可郡中町の中心駅であった。

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中村町の駅名標

単式ホーム1面1線を有していた駅で、大きな木造駅舎が残っていた。 廃止を控えた晩年は、業務委託駅だったようである。

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駅跡は駅跡をイメージした
交通公園となっている
※ ウィキペディア画像を拝借

駅の跡地は「あかね坂公園」として整備され、駅名標や汽車を模したベンチ、枕木を利用した階段などがある。



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ローカル線『命』だった若き日に
いつも見ていた終着駅の形
それがこんな駅だってた
※ ウィキペディア画像を拝借

鍛冶屋駅(かじやえき)は、かつて兵庫県多可郡中町(現:多可町中区)鍛冶屋にあったJR西日本・鍛冶屋線の駅で、同線の終着駅であった。 鍛冶屋線の路線廃止に伴い、1990年4月1日に駅廃止となった。

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駅跡記念館に保存されている
鍛冶屋駅の駅名標
※ ウィキペディア画像を拝借

単式ホーム1面1線と貨物側線があった。 有人駅で、ホームの東側に開業時からの木造駅舎が残っていた。 夜間滞泊はなく、西脇駅まで回送されていた。

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駅跡は駅舎を保存改装して
鍛冶屋線記念館』という鉄道資料館に
リニューアルされている

駅の跡地には当時の駅舎が整備・保存され、鉄道資料館(鍛冶屋線記念館)として使用されている。
また、キハ30形気動車1両が保存され、接してホーム1両分も保存されている。

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この企画を考えついてから
ネタ確保に駅跡に行ったよ


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No Subject * by 根室大喜
よく見かける駅舎ですね^^)弁当食べにまた行こうかな

No Subject * by 朝弁
こんばんは。

味のある駅舎
そして走る鉄道
その共演を狙ってみたいものです。

Re: No Subject * by  風来梨
根室大喜さん、こんばんは。

昔あった駅舎・・。 小春日和に弁当広げて日向ぼっこするとさぞかし上手いでしょうね。
でも、こういった駅は、全て廃止となり消えていってます。

上手い弁当が食えそうな駅・・、そんな駅を見つけて訪ねてみようかなと思いますね。

Re: No Subject * by  風来梨
朝弁さん、こんばんは。

五能線で言えば驫木駅や広戸駅、艫作駅・風合瀬駅、そして千畳敷駅ですね。
千畳敷の波がぶち当たってツララとなる情景は、是非とも眺めてみたいですね。


コメント






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No Subject

よく見かける駅舎ですね^^)弁当食べにまた行こうかな
2021-01-08 * 根室大喜 [ 編集 ]

No Subject

こんばんは。

味のある駅舎
そして走る鉄道
その共演を狙ってみたいものです。
2021-01-08 * 朝弁 [ 編集 ]

Re: No Subject

根室大喜さん、こんばんは。

昔あった駅舎・・。 小春日和に弁当広げて日向ぼっこするとさぞかし上手いでしょうね。
でも、こういった駅は、全て廃止となり消えていってます。

上手い弁当が食えそうな駅・・、そんな駅を見つけて訪ねてみようかなと思いますね。
2021-01-08 *  風来梨 [ 編集 ]

Re: No Subject

朝弁さん、こんばんは。

五能線で言えば驫木駅や広戸駅、艫作駅・風合瀬駅、そして千畳敷駅ですね。
千畳敷の波がぶち当たってツララとなる情景は、是非とも眺めてみたいですね。

2021-01-08 *  風来梨 [ 編集 ]