2021-01-03 (Sun)✎
『路線の思い出』 第420回 宗谷本線・勇知駅 〔北海道〕
勇知駅
駅舎の解体及び待合室化の
定番手法となってる貨車駅舎
《路線データ》
営業区間と営業キロ 輸送密度 / 営業係数(’15)
旭川~稚内 259.4km 746 / 489
運行本数〔名寄駅発着列車〕(’20)
札幌・旭川~稚内 特急【宗谷】・【サロベツ】3往復
旭川~名寄 快速〔なよろ〕4往復
普通 8往復(一部 音威子府・稚内への直通列車あり)
名寄~音威子府・稚内 普通 5往復(一部 旭川への直通列車あり)
この翌年だったか
勇知駅は改装されて
綺麗な貨車駅舎となった
勇知駅(ゆうちえき)は、北海道稚内市抜海村字上勇知にあるJR北海道・宗谷本線の駅である。
単式ホーム1面1線を有する駅で、ホームは線路の東側(稚内方面に向かって右手側、旧2番線)に存在する。 稚内駅管理の無人駅である。 2014年度の1日平均の乗降人員は4人との事。
かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能駅で、駅舎側(東側)が上りの2番線、対向ホームが下りの1番線となっていた。 ほかに1番線側に稚内方から分岐した側線を1本有していた。
相対式ホームであった頃は、駅舎側ホーム中央と対向ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡していた。
利用客がゼロではなく
改装を受けてお色直しされた
勇知駅の貨車駅舎内
開業時からの駅舎は取り壊され、その駅舎跡の敷地にヨ3500形車掌車の廃車体を駅待合室に改造したものが置かれていて、ホームに接している。 これはいわゆる『貨車駅舎』で、駅舎を撤去された無人駅で多く見られるが、その数はJR北海道管内が圧倒的に多い。 なお、当駅の貨車駅舎内にトイレがある。
駅廃止が俎上する隣駅・抜海
:
利用客がない駅は
駅の存続問題に晒される
駅名の由来は、当駅の所在する地域名(字名)からで、その地域名はアイヌ語の「イオッイ(イオチ)〔i-ot-i(i-otci)〕」〔それ(=蛇)・多くいる・ところ〕に由来する。
終戦直後から10年ほど、当駅の裏から勇知川河口の下勇知地区へ簡易軌道・勇知線が運行されていた。 その路線の概要は、勇知駅前~下勇知 9.8kmで動力は馬力であった。 終戦後に当地に入植した大陸からの引揚者の農業開発・支援が目的であった。 1947年に駅前~下勇知の全線が開通し、1955年頃まで運行されていたとの事。 なお、正式な廃止は1958年との事である。
前夜は最終列車を駅撮りしたが
コレが『勇知・リベンジ』4回を通じて
唯一マトモに撮れたモノとなったよ
この勇知駅に訪れた目的は、「利尻富士バック」の『撮り鉄』をする為である。 それは、『撮り鉄』に執念を燃やしていたかつて・・、そう『廃止ローカル線』をそれこそ半分命を賭けて追い求めていた30年以上も前に一度だけ、利尻富士バックの『一番星』が撮れたのであるが、時を経てその「2匹目のドジョウ」をつかみにいったのである。
利尻富士バックの成功例は
もう30年以上も前の
『撮り鉄』に情熱を注いでいた時に
撮ったこのショットのみ
何故に、30年以上の時を経てこのような事を思い描いたのかというと、ワテの写真の傾向として、『撮り鉄』に限らず訪れた最初だけ『一番星』写真が撮れて、それに味をしめて「再び」を目論むと、尽くシクじっている事が如実に結果として現れていたからである。
撮りにいった「2匹目」のドジョウは
箸にも棒にも引っ掛からなかった
最近では根室の『春国岱』もそうだったし、ヤマでも大雪の『五色ヶ原』や日高の『七ッ沼カール』なども、最初に当地を訪れた時のみ至上の楽園風景を撮る事ができたが、2度目・3度目は良くて「それなり」で大概は猛烈な山行の徒労だけの「戦果ナシ」に終わって、下手すると身体にキズをもらったり(ピッケルの刃で手のひらを割ったり湯をぶっかけてヤケド etc・・)もしてたのである。
勇知には何度も通っているので
貨車駅舎がお色直しされて
綺麗になった時も訪れているけど
撮ったのは改装前のしかない
そんなジンクスを打ち破るべく「利尻富士バック」を狙いに行ったのだが、微々たる数の読者の皆様方の予想通りその後は連続4回尽くシクじって、記事への掲載を憚るようなのしか撮れなかったのである。
下手すりゃぁ、吹雪の荒れ模様でレンタカー内に数時間籠っていた事もあったしィ。
平凡な様に見えるけど
線路の奥側は行けば行く程
猛吹雪になってマス
今回はそれを掲載しようと思うけど、プライドのある『写真撮り』なら、失敗作は絶対に掲載しないだろうね。 自身の恥だから。 けれど、写真界の底辺を這いずる『写真床』のワテはプライドないから、ネタと笑いの為なら自身の恥を晒しまくるしィ~。
でも、こういう結果が続く事をこのタワケが少しでも分析していれば、そのような結果にはならないのである。 まぁ、『オチャメ』ると別人のように冴えて真価を発揮するタワケだが、普段は図ったように自爆して『オチャメ』る体質だしィ。
その『分析』とは、利尻富士そびえる利尻島が浮かぶ北海道の日本海側・・、つまり北海道の西海岸沿いの冬は、ほぼ100%で『西高東低』の冬型の気圧配置で、しかも年末年始の時期は必ずと言っていい程に、猛烈な勢力を振るう『爆弾低気圧』が北海道付近の日本海に停滞しているのである。 要するに、地元でも「年末年始に利尻富士が見れるのは数年に1日あるかないか」と云われているのである。
要するに「踏み越えてはならない」
『オフサイドライン』を越えさえしなかったら
初日の出に列車ボディが輝く様が望める
その象徴的な事として、この勇知駅の上空に前線の境となる雲が蔓延っていたのを見たよ。
それは勇知駅の上空を境に、利尻富士の浮かぶ日本海側は吹雪で荒れ模様だが、勇知駅より東の空は快晴とまではいわないが、元旦の初日の出が拝めたよ。
勇知の踏切より東側の空は
御来光が昇っていたよ
と云った訳で安全圏(踏切より東側)に立つと
初日の出を浴びる特急列車が撮れます
それは、勇知駅の上空にある『オフサイドライン』を突破して西に入ると、よろける程の風が身体にブチ当たり、海岸に出ると海上に竜巻と思しき筋が確認できたのである。 一方の駅を出てすぐにある踏切の東側・・、『撮り鉄』に際してレンタカーを停めた待機場所は、上着を脱いでもいいほどの小春日和な時もあったよ。
『オフサイドライン』上で
撮ったのがこの写真である
:
気流渦巻く『オフサイドライン』上は
写真的には平凡なモノしか撮れない
このように、勇知駅の上空に張られた『オフサイドライン』の内と外とでは、生存環境的な違いがあるのだ。 故に、空の荒れ模様が小康状態であったとしても、前線上を行く雲に覆われた利尻富士が姿を現わす事は無いに等しい訳である。 例えるなら、利尻富士自体が『天空の城・ラピュタ』化しているのである。
それを何の下調べもせずに、「撮らぬタヌキの何とやら」と撮る前から撮った後の写真の出来栄えを妄想しているタワケなら、そりゃぁこのような『クオリティ』になるわなぁ。 いうなれば、予備知識のない「純粋無垢」な考えで撮りにいって、『ビキナーズ・ラック』を得ているに過ぎないのである。
世間に対して「イケ!イケ!」が
許された若き日ならいざ知らず
おっさんとなった今は
解っていても無理な事が出てくるのですね
・・といっても、唯一の成功例を撮った春先に北海道に行く事は、学校をサボる事が屁でもなかった『撮り鉄情熱期』ならいざ知らず、今の中年域では仕事辞めていかねば無理だろうね。 とどのつまり、『ビキナーズ・ラック』にもそうなる理由があって、唯一の成功例を撮れたのは、『西高東低』の冬型が崩れてこの地域の天候が安定する春先だったのである。
・・で、上記の如く、その後4回連続でシクじって、今なお『リベンジ』に挑む状態が続いているしィ。 ぢ・つ・わ・・、喉の『残念』がなければ今年も行っていたと思うしィ。
利尻富士が姿を現わした
最大がコレじゃ
とっとと店終いして別行動した方が得
でも、簡単に『オチャメ』るが、『オチャメ』ると冴え渡ってくるこのタワケは、『オチャメ』ったままでは終わらない。 必ず、ここまで来た費用などを思念して『コス辛ラ』(コス辛い)オーラを身体から噴出させて、「必ず元を取る」行動に出るのである。 まぁ、このタワケがここまで・・、下手すりゃぁ命にかかわる『オチャメ』をカマしても「のほほん」と生きてこられたのは、このパワーが根源であるのは藪の中に。
別のターゲット・・それは
勇知の原野をノコノコと這う
就業前の宗谷ラッセルだった
それは、待てども一向に現れない利尻富士を待つのは早々にやめて、別のターゲットを探したり、西海岸側であっても『前線』から離れる(寒冷前線は勇知の辺りからシベリアの方に延びているので、前線の位置が上ったら花咲内や幌延は晴れて小春日和になる事もある)位置まで南下して、オロロンラインの情景を楽しむなどしたよ。
オロロンラインは南下すればするほど
空の状況が良くなってくる
:
年末年始に北海道の西海岸が
こんなにいい天気なのは極々稀なのだけど
見事な姿を示してたたずむ
空の王者・オオワシ
:
最初目にした時は
釣りに勤しむおっさんかと思ったよ
でも、花咲内や幌延が晴れたといっても、『ラピュタ様(利尻富士)』は分厚い雲に覆われて、裾野以外に姿を魅せないけど。
晴れ間の出た花咲内にて
:
例え晴れ間がのぞいても
『ラピュタ』は「裾野がチラッ」が精一杯
でも、さっきも言ったように、西海岸側が晴れるのはごく稀れで、下手に年末年始に羽幌やら留萌やら雄冬海岸などの北海道西海岸側に入ると、猛吹雪にあって『ホワイトアウト』の中を肝を冷やしながらレンタカーを運転するハメになるよ。 留萌から札幌に戻る際に、2回も『ホワイトアウト』の中を運転した事のあるタワケの実体験があるから本当である。 ちなみに、なぜ留萌に通ったのかというと、この線が廃止になったからですね。
まもなく世界の運命の日である
1/6がやってくる
例えシナの選挙不正が一時的に効を奏して
アメリカ政府が乗っ取られて
シナの傀儡政権になったとしても
恐らくというか絶対に
アメリカが負ける事はないだろう
なぜなら例え政権乗っ取りが
上手くいったとしても
アメリカ国民の全てが敵に回るからだ
その力は完全な一枚岩で
邪悪な共産主義者より自由世界を守るという
『正義の御旗』の大義名分も揃うからだ
逆にシナは人民解放軍を主体に
いつ裏切りが出るか解らぬ
烏合の衆だからである
希望としてはシナ共産党を
根絶やしまでに滅ぼして
シナを棄民化して封じ込める事である
:
そうすればウイルス兵器である
『武漢ウイルス』は時と共に
終息に向かうだろう
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